SECESSION

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ウィーン造形芸術家協会において、会員たちの間で意見の対立が生じ、
クリムトやコロマン・モーザーら若手を中心とする約20人の芸術家たちは、
ウィーン造形芸術家協会年にウィーン分離派を結成した。

名誉会長にはルドルフ・フォン・アルト、初代会長にはクリムトが選出される。

「分離派」という名称のグループは、既に1892年にフランツ・フォン・シュトゥックを中心にミュンヘンで結成されていた。、ウィーンでの結成の翌1898年には、ベルリンでも同様の団体が結成されている。

ウィーン分離派の主な目的は、美術市場からの独立した展覧会を開催すること、
そして他国の芸術家たちとの交流を深めることにあった。

分離派会館はヨーゼフ・マリア・オルブリヒによって設計され、
1898年11月に開催された第2回分離派展と同時に開館しました。

クリムトの《パラス・アテナ》はこの時に展示されたものです。

展示スペースと同様に重要だったのが、機関紙『ヴェル・サクルム(聖なる春)』の出版で、
1898年1月に創刊し、1903年の廃刊まで毎月発行されました。

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