「書を捨てよ! 街へ出よう」 寺山 修二

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前段で四谷シモンが、'67~'71年 唐十郎の状況劇場「紅テント」の役者として活躍と紹介しました。

『ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇』『由井正雪』等で女形のキャリアがある・・・・

で、寺山修二を想起しました。

寺山修司:演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」を主宰。

1967(昭和42)年、演劇実験室「天井桟敷」を結成、
横尾忠則、東由多加、九條映子らと、旺盛な前衛劇活動を展開

評論集『書を捨てよ、町へ出よう』や、
カルメン・マキの「時には母のない子のように」の作詞を手がける。

「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとる。

他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表。

昭和58年5月4日47歳で早逝。
多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

故郷の三沢市の郊外に、盟友 粟津 潔がディレクトした「記念館」がある。

「書を捨てよ! 街へ出よう」は、 記憶に深く刻まれた、私の寺山修司です。 

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