- 0318 Museum
- 36F カルティエ ディアボロ CARTIE DIABOLO
- カルティエ ディアボロ CARTIE DIABOLO wriste watch
カルティエ ディアボロ CARTIE DIABOLO wriste watch
ブレゲが、22歳でパリに時計店を開き、王侯貴族に愛され 成功したと書きました序でに、同時代の銘店をもう一つ。
「王の宝石商、宝石商の王」 かのイギリス国王エドワード七世からカルティエ(Cartier)へと贈られた言葉です。
19世紀も終わろうとする頃、パリではベル・エポックの真っ只中。
カルティエは時を測定する器具、時計なるものと手を組もうとしていた。
カルティエが持つ芸術性と時計と言う極めて実際的な器具を、
見事結合させたのが、当時25歳だったルイ・カルティエである。
ブラジルのコーヒー王の息子サントス。
「飛行機操縦中に懐中時計は扱い難い」懐中時計に替わる新しい時計の制作を依頼され、
5年がかりで作った「サントス」
この腕時計を身に着けたサントスは、1907年、愛用の飛行機で飛行時間の世界記録を樹立した。
宝石商であるはずのカルティエが、世界に先駆けて、本格的な腕時計の制作に着手した先見性は見逃せない。 腕時計の需要が本格化し、各社が主要生産ラインを懐中時計から腕時計に移行させたのは1920年代以降であることを考えると、
ルイ・カルティエの見識がいかに優れていたかわかる。
他にも、第一次世界大戦時の戦車のキャタピラから発想を得た「タンク」、
モロッコ マラケシュのパシャ(太守)が、自宅のプールで泳いでいる時も身に着けていられる腕時計はないものか?という注文から誕生した、宝飾防水時計「パシャ」など等
カルティエの腕時計は、多くの伝説を生み、その製造数は飛躍的に増大した。
私の愛用は「ディアボロ(空中独楽)」
1990年代、ケースはプラチナ950、キャリバーは PIAGET。
シンプルでエレガントな雰囲気が気に入っています。
