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ティト・サイモン - ジス・マンディ・モーニング・フィーリング
地味というと、このあたりのレゲエ好きに殺されそうだが、それでもやっぱり「誰これ?」なわけである。つまりこれらはノーザン・ソウル・レゲエなのだ。ジャマイカのレゲエでは無い。初期のUKレゲエである。タネを明かすと、実は日本で最初に紹介されたトロージャンのラインナップはトリオ・レコードからで、なぜかそのラインナップが見事にノーザン・ソウル・レゲエなのだ。今聞くと「えっ?これ、レゲエ?」という違和感が少しあるのはそれだけ日本にジャマイカン・レゲエが浸透した証でもある。だが俺は英国レゲエを聴くにあたりノーザン・ソウル・レゲエのセンスは避けて通れないと思う。何故か?それはこの後、アイランド・レコードがボブ・マーリィ&ウエラーズをディレクションする時、念頭にあったのは英国のノーザン・ソウル好きのキッズたちで、その頃のノーザン・ソウルはサザン・ソウル〜デトロイト・ソウルからシカゴへ人気が移りつつあった。そうなのである。ボブ・マーリィはカーティス・メーフィールドの影響を強く受けていた。この後続く英国のバンドレゲエのコンシャスネスは都会的で明らかにジャマイカン・ルーツとは色合いが異なる。それは英国ノーザン・ソウル・シーンにおけるシカゴ・ソウルのブームに呼応しているのだ。
田端剛
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パイオニアーズ - ソウル・レゲエの王者
1962年にキングストンでシドニー・クルック、 シドニー・デリックの兄弟とその友人のウィンストン・ヒューイット。結成されたパイオニアーズ はジャマイカではヒットに恵まれなかった。それでもなんとクルック兄弟の母親からお金を借り「GoodNanny」と「I'llNeverCome Running Back to You」をトレジャーアイルに録音し残したことが彼らの運命を変えた。グループは1967年半ばに解散したにも関わらずその音源はなんと英国でノーザンソウル、スキンヘッズの白人の若者の間で人気を獲得したのである。シドニー・クルックは大急ぎでパイオニアーズ を再結成しジャッキーロビンソンと出会う。これがこのグループの決め手となる。呼吸の完全にあった2人にまさにミラクルな音楽の奇跡はさらに続く。なんと彼らに曲を提供しプロデュースを名乗り出たのは同じく英国でノーザンソウル、スキンヘッズの絶大な支持を獲得していた、リー”スクラッチ”ペリーだった。パイオニアーズ&アップセッターズのシングル「Longshot」は(何故かリリース表記には無いがアップセッターズですよこれ)ヘッズの間で爆発的な人気を呼び、英国のフロアをわかした。このアルバムには「Longshot」は入っていないが、 デスモンドデッカーの異母兄弟ジョージ・アガードが加わりトリオになったグループはさらに音楽性を飛躍させ活動の場を英国に移す。このアルバムはノーザンソウルの「殿堂」と言えるアルバムだが、ジャマイカン・レゲエとはあまりにも趣きが違うので「地味」扱いであるが、英国レゲエはまさに「ここに始まった」のだ。彼らに触発されトゥインクル・ブラザーズが英国に渡って来たのだから。
田端剛
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Sista Beverley - Rasta Woman
Irokoはフランスの再発レーベルです。1977年Dennis BovellがソロでのキャリアをスタートさせたレーベルRamaの再発です。B面はDennis Bovellがヴォーカルをとっているチューン。Sista BeverleyはDennis Bovellの友人Wolver Hampton の妹で、シング・ジェイ・スタイルのボーカルだ。トラックはドラマーのJah BunnyとのDennis BovellベースでのジャムセッションにDennis Bovellがギターをオーバーダブしたのであろうか?とても印象的なギターフレーズである。B面はDennis Bovellのリーダーバンド、Matumbiを彷彿とされる曲でDennis Bovell歌上手いじゃん!という印象。なかなかスゥイートなザイオン・メディテーション・チューンだと思う。Matumbiはハード・コアなルーツ・チューンも多いが、俺は割とこうした甘いJah Loveなザイオン・メディテーション・チューンをやらせたらMatumbiはかなり素晴らしく、コアなルーツ好きからはラバーズへの転向を揶揄されたりしたが、少しルーツへの理解に欠けると思う。ザイオン・メディテーション・チューンはルーツの最もジャジーでお洒落なセンスを具現化した創作イメージで、マイナー・キー・ラバーズと通じる部分も多く、最近のステッパーにはあまり無いが俺はとても強く影響を受けた。
田端剛
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Murray Man - King of Ethiopia
Salomon Heritage RecordsはフランスのRoots Stepper レーベル。Murray Man本名Howard Murrayは英国バーミンガムのシンガーでMellow Vibesレーベル&スタジオのオーナーでプロデューサー&エンジニアでもある。低音の鳴るサウンドシステム映えするBPMのゆったりしてhzの低いベースラインがスクープのパワーを引き出す好盤。俺は個人的にはこうしたBPMの遅い低いhzから音階をミッドロウへ「ブーン」と上り詰める曲が好きで、独特な鼻にかかったボーカルもいい感じ。B面の同オケでのVerce2、Prince Jamo - One Bloodも良く、Verce1-4でDubが2曲、現場で通して聴くといい感じだ。これはMellow Vibesプロダクションの音源と書かれている。2011年のリリース。
Reggae Salomon Heritage田端剛
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ウィンストン・リィディー「ディム・ザ・ライト」
レゲエ聴き始めの頃、聴いててなんとも言えない幸せな気持ちになる音楽がレゲエだと思っていて、その筆頭がシュガー・マイノットとこのウィンストン・リィディーである。シュガー・マイノット同様、全盛期の評価の高さはデニス・ブラウン、グレゴリー・アイザックスと双璧なのであるが、シュガー・マイノットは評価を維持し、ウィンストン・リィディーは忘れ去られた。であるから地味レゲエである。でも今も俺の中では「聴いててなんとも言えない幸せな気持ちになる音楽」であることは変わらない。彼が評価が薄れた理由の1つが活動拠点が英国だったことがあるのかもしれない。今でこそ、ビティ・マックリーン、リロイド・ブラウンと英国のシンガーの評価は高いが、当時は英国は優れたバンド・レゲエの興盛に彼の存在は薄れてしまった。このレコードは国内盤で鳴り物入りで全盛期の歌声が聴けるし、バックもジャッキー・ミットーがプロデュースで全面協力し録音はキングストンとロンドンの両方で、良い頃のレゲエの見本みたいな好盤である。ライナーで裏のルーツ・アプローチを不似合いと書いているが、俺はそうは思わない。日本ではルーツ・アプローチに隠れた「ラスタ・ラバーズ」の側面の評価が低すぎる。
田端剛
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B.B.シートン「ラヴ&ヘイト」
ボブ・アンディーは地味では無い評価がある気がします。レゲエ的と言うか、でもここでは違う着眼点で、もっとジャンルを超えたソングライトの着眼点で語ります。プラッターズ、ドリフターズ、テンプテーションズ、フォー・トップスといったアメリカのグループに最も影響を受けたモンスター・グループとは?実はビートルズなんです。当然、プラッターズ、ドリフターズ、テンプテーションズ、フォー・トップスが好きでソングライトの革新性のフロントラインに立つものはその視点でビートルズの凄まじさを1発で理解し「くそう先を越された!」と思っていたはずです。B.B.シートンもその一人でした。彼はゲイラッズというグループを結成し大真面目に「ビートルズを超えてやる!」と創作に没頭した。レゲエをやろうなんて考えてません「ビートルズを超えてやる!」ですよ。その原動力が結集して、ある意味ではビートルズを超えた音楽群がジャマイカで生まれたんです。
田端剛
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ブレン・ダウ「バイルド・ミー・アップ」
いやぁ滋味です。地味通り越して滋味ですね。「誰?これ」言われそうですがメロディアンズですよ。。ソングライターですよ。。コーラス・グループ、メロディアンズは彼抜きでも活動してますが、それはボブ抜きのウェイラーズみたいなもんです。だからブレン・ダウ&メロディアンズなんですよ。この時期の3大ソングライターはB.B.シートン、ボブ・アンディー、ブレン・ダウだと思うんですね?地味な見解ですかね?このレコードのノーザン・ソウル・センス的なものがわからないで「ルーツ・レゲエガァ」言われると、「馬鹿め!」と思うわけです。B.B.シートン、ボブ・アンディー、ブレン・ダウのソングライトの凄さが、シカゴ・ソウルとUKバンドレゲエを繋いでいるセンスと言っても過言では無い。
田端剛
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ギフテッド・ルーツ・バンド「ギフテッド」
好評(?)の地味レゲエ・ミュージアムですが、今回は地味中の地味(とかいうとある方面から激怒されるかもしれませんが)ギフテッド・ルーツ・バンドのデビュー・アルバムです。日本の企画盤ですね、これ。ぶっちゃけブラック・ルーツ・バンドとヤード・ベイストの合体バンドの演奏で、シュガー・マイノット、ウェイン・スミス、べレス・ハモンドが歌います。今となっては相当、地味ですが当時は違うと思いますね。「これぞ良い時期のレゲエ!」というメンツです。音質も素晴らしい。昨今言われるダブ感覚と、このころのセンスは少し違うんですね。音処理はブラック・ユフルの衝撃盤、レッドの頃のスラロビのコンパスポイント・センスの影響が大きいです。
田端剛
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マイク・ブルックス「ラム・ドリンカー」
マイケル・プロフェットからの〜いい時期のレゲエシンガー。バックバンドはレボリューショナリーズ。チャンネル・ワン・レコーディングでそこはもうプロフェットと一緒だけれども時期も同じ。プロデュースがデューク・リードという。最近のルーツの現場でも、もちろんダンスホールでも、このあたりの時期はかからない。いい時期のレゲエなのに。マイケル・プロフェット同様現在では英国で活動するシンガーです。
田端剛
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マイケル・プロフェット「ラブ・イズ・アースリイ・シング」
国内盤。ユピテル・レコードから出てた。82年頃?バックバンドはハイタイムスバンドとルーツラディックス。良い感じの頃のレゲエ。ですよ。ダブストアさんによると、西キングストンのゲットー、グリニッチ・ファームで育った彼はルーツ・マスターとして知られるヤビーU(Yabby U)ことヴィヴィアン・ジャクソン(Vivian Jackson)の導きで'Praise You Jah Jah'をチャンネル・ワン(Channel One)スタジオで録音し、デビューを果たした。 〜中略〜ダンスホール期に入るとヘンリー・'ジュンジョ'・ロウズ(Henry 'Junjo' Laws)のヴォルケーノ(Volcano)に活動の拠点を移し、現在でもダンスホール・クラシックとして知られる代表曲'Gun Man'を初めとする多数のヒット曲を制作し、アルバム2枚をジュンジョのプロデュースで発表した。 〜中略〜ルーツ期から活動するシンガーとしては珍しくラガ期においても多数のヒットを記録した彼の独特のテナーは現在も健在で、イギリスのレーベルを中心に新曲を録音し続けている。初期ダンスホールのど真ん中でヒットを飛ばしてたというのがツボです。
田端剛
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ダブズ・フロム・ハイヤーズ・レジオンズ〜アイレーション・ステッパーズ〜
全然地味では無いのだけれど何故これがここにあるのか?地味な解説をしたいから、です。ジャー・シャカに牽引される英国のいわゆるニュー・ルーツの第二世代、アバシャンティと並ぶアイレーション・ステッパーズはヒップホップの影響を強く受けているけれども、いわゆるクール・ハークスタイルの2ターンテーブルでブレイクビーツを組み立てない、言わばワンターンテーブル・ヒップホップというそんなジャンル無いのだけれど、そう言えるコンセプトを感る。つまり画期的なのはヒップホップ、ハウスに象徴されるドンシャリのキックの「さらに下の低域」にベースラインを持ってくるという驚愕の音作りを始めてやった。
田端剛
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おしゃれなレゲエの「秘密」
手前に並ぶのが米国のソウル、右からダニーハサウェイ、ギル・スコット・ヘロン、カーティス・メイフィールド、テリー・キャリア。後ろに並ぶのが英国のバンド・レゲエでジャー・ウォリアーズ、キャピタル・レイター、ブラック・スレイド。何故この組み合わせか?80年代の英国バンド・レゲエは手前のソウル・ミュージックの絶大な影響を受けていたからです。ニュー・ソウルとか言われてるけども、俺はカルチャー・ソウルが相応しい呼び名だと思う。つまり、ルーツ&カルチャー・ミュージックはここから産まれた。
田端剛
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ジョー・ヒッグス
地味なシンガーだけど声が好きで、独特なぬくもりがあり、とても影響を受けた。こう言うのがレゲエの歌なんだと言う思い込みと、継承したい俺もまた「地味な路線」なんだろうけど、この人いなかったらボブ・マーレーは存在していない。彼がマーレーに伝授したであろうレゲエ独自の歌唱法、作曲法とは何か?実はジャズボーカルに通じる独特な方法だ。つまり人間の声そのものを楽器と捉え、自由にメロディーを即興でフェイクしたりその場で新しいメロディーを生み出してしまう凄い手法である。極端な場合、歌詞を無視してその場で新たな歌詞を歌う。DeeJayであればラバダブで知られる手法であるが、それも影響を受けたのはジャズのスキャットであると思う。つまり人間の声そのものを打楽器と捉える手法がDeeJayの基本にある。それをメロディーつまりアドリブ・ソロでも行うのである。これに気づくとレゲエ・シンガーがいかに「凄いこと」をしているか?がわかる。
田端剛
