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1976 (21ST) SPARK HESKETH 308D H.ERTL
ハラルド・アーテル オーストリア出身 N・ラウダ炎上事故 救出ドライバ―4人の一人 アーテルは前年度スポット参戦 1976年はヘスケスのレギュラードライバ― アーテルがフル参戦したのはこの年のみ 戦闘力の劣るHESKETH 308Dで苦戦 予選最高はR13イタリアGPの13位 決勝最高はR9 イギリスGPの 7位 決勝7位はアーテルの生涯ベストリザルト モデルはR12オランダGP仕様 予選24位→決勝リタイア 翌年よりペンスキーを買収して参戦する ドイツ自動車部品メーカーのATSがスポンサー ◆R16日本(富士SW)予選21位→決勝8位◆-F1 R10ドイツGPでは 炎上するN・ラウダ(フェラーリ)の救出を 自らのレースは捨ててマシンから降り ブレット・ランガー ガイ・エドワーズ アルトゥーロ・メルツァリオと共に 救助活動を優先させドライバ―でもある 翌年以降はヘスケス エンサイン ATSでスポット参戦したが F1でポイント獲得はならなかった #1976年 #F1-1976年 #ヘスケス #F1
H.ERTL 24 1/43 HESKATHFW12C
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1976 20TH SPARK HESKETH 308D R.STOMMELEN
ロルフ・シュトルメン ドイツ出身 オランダGP ヘスケスより参戦 1976年チームヘスケスは オーナーのヘスケス卿の資金が尽き ドライバ―のJ・ハントとデザイナーの ポスルスウェイトが移籍 マシンは前年度後半戦の308Cから 308Dとマイナーチェンジしたのみ スポンサー無しのマシンが一転して 男性向けの月刊誌ペントハウスと フランスのタバコ巻紙のリズラが付き マシンにアダルトモデルが大きく描かれた シュトルメンはヘスケスのマシンで R12オランダGPのみスポット参戦 予選25位→決勝12位完走 ブラバムでも2戦のみ参戦 R10ドイツGPでは決勝6位入賞 1ポイント獲得して年間順位20位 ◆R16日本(富士SW)は未出走◆ マイナーマシン得意のRACELAND GOLD EDITION別注シリーズの1台 #1976 #F1-1976年
R.STOMMELEN 300 25 1/43FW12C
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1973 8TH SPARK MARCH 731 J.HUNT
J・ハントのデビューマシン イギリスのレース好きの青年貴族、 アレクサンダー・ヘスケス卿が設立の ヘスケスでの参戦 この年シャーシはMARCH 731 R6モナコGPより出走 予選18位→決勝9位 マーチのワークスが苦戦の中 ヘスケスはハーベイ・ポスルスウェイトを 引き抜きヘスケスのマーチ731を モディファイして戦闘力が上がる R8フランス6位 R9イギリス4位 R10オランダ3位 3戦連続入賞 最終戦アメリカで2位を獲得 途中参戦ながら年間順位は8位 ヘスケスはスポンサー無しを美徳として 自らの私財を投入しながら 初年度より表彰台の結果を残し 何と言ってもハントの好走が光った #F1-1973年 #F1
J.HUNT 2回 27 1/43FW12C
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1975 4TH IXO HESKATH 308B J.HUNT 〖🏆1〗
ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント) 以前はそう呼ばれたJ・ハントも レース好きの貴族 アレクサンダー・ヘスケス卿と出会い変わる 1975年はヘスケスの3年目 R8オランダGP ザンドフォールト (2021年に16年ぶりに復活) 予選3位よりJ.ハントの初優勝 これはヘスケスのチーム唯一の勝利 年間順位も4位と小規模チームとは 思えない活躍もヘスケスは資金難に陥る 次年度ハントはマクラーレンに移籍 一気にトップドライバーへと 駆け上がります ハント初優勝のオランダGPには 日本人初のドライバ― 鮒子田寛がMAKIにて参戦しています #F1-1975年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/564 2021年のモナコGPでは K.ライコネン(ロータス)が尊敬する ハントのヘルメットで出走しました https://muuseo.com/FW12C/items/557
J.HUNT F1マシンコレクション 24 46FW12C
