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2015 17TH SPARK McLAREN HONDA MP4-30 F.ALONSO
★2026年 HONDA パワーユニット★ アストンマーチンで復活 2023年5月24日 HONDAが2026年より アストンマーチンF1チームに パワーユニットを供給することを発表 HONDAとF・アロンソのタッグ再現はあるのか? 2015年第4期HONDAはマクラーレンと組み 7年ぶりの復活を果たしフェラーリから フェルナンド・アロンソが移籍 チームメイトはジェイソン・バトンの ワールド チャンピオンコンビ この年のアロンソの年俸は約49億円 (バトンは約14億円と格差) しかし1年を通してパフォーマンス不足 アロンソの初ポイントはR9イギリスの10位 R10ハンガリーでは5位入賞を果たすも その後はノーポイントに終わる R14 HONDAの地元日本GP鈴鹿では アロンソのパワー不足への不満が爆発し 『GP2エンジンかよ!GP2エンジンだ!』 (傘下レースであるGP2のエンジンだ) との発言した無線が中継され大きな波紋を呼んだ 2023年 アロンソはアストンマーチンで 5戦中4戦表彰台5戦全て入賞中と衰え知らず 2026年アロンソが現役を継続していた場合 44/45歳のシーズン 前人未到の400戦超え アロンソ&アストンマーチンHONDA 個人的には見てみたい!!
230525 F.ALONSO 14 1/43FW12C
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2006 11TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-21 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 4 1/43FW12C
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2005 19TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-20 P.DE.LA.ROSA
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230327 P.DE.LA.ROSA 1回 10FW12C
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1998 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 D.COULTHARD〖🏆1〗
1991年以来のコンストラクターチャンピオン マクラーレンMP4-13 デビッド・クルザード 1998年クルザードはマクラーレン3年目 開幕戦オーストラリアGPで マクラーレンの2台は3位以下を 全て周回遅れにする圧倒的勝利 この時クルーザードはチームとの〖約束〗で トップをTMのミカ・ハッキネンに譲って2位 後半戦でM・シューマッハ(フェラーリ)に 追い上げられたハッキネンにとっては この勝利によるプラス4P(10-6)が ワールドチャンピオン争いに手助けとなった マクラーレンのあまりの速さにフェラーリより ブレーキ・ステアリング・システムに対する 抗議が入り 事前に確認をとっていた にもかかわらずレギュレーション違反と判定 R2戦目以降は使用中止となった クルザードの勝利はR4サンマリノのみ それでも2位6回 3位2回の安定した走りで マクラーレンの1991年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に 大きく貢献し翌1999年もチーム残留 このモデルは台紙に不備があったようで 車名の所に上張りでシールが貼られている 本来は 誤 MP4/13→ 正 4-13であるが こちらは雑誌等でも統一されていない #F1-1998年
230322 D.COULTHARD 3回 7FW12C
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2022 11TH BBURAGO McLAREN MCL36 D.RICCIARDO
ダニエル・リカルド マクラーレン2年目 McLAREN MCL36 翌シーズンシート喪失 2011年 シーズン途中 HRTでデビュー 2022年 F1参戦12年目 マクラーレンの2年目 前年度 3年ぶりの優勝したリカルドだったが 2022年 最高位5位 入賞は22戦中7回と不振 チームメイトのランド・ノリスが最高位3位 入賞が22戦中17回と大きく差がつき 年間 ノリス7位(122P)-リカルド11位(37P) リカルドはマクラーレンとの契約が 2023年末までだったが双方合意の元で 契約解除となり翌シーズンのシートを喪失 2023年シーズンはHASSなどとも交渉したが 最終的にレッドブルのサードドライバ― リカルドのF1キャリアは一旦休止となった BBURAGOはF1の現行モデルを 2015年~フェラーリ その後レッドブル/メルセデス 2022年~マクラーレン/アルファロメオ ドライバ―フィギュア有・無で発売 ドライバ―フィギュア付きモデルで 現行 MINICHAPSの1/4 SPARKの1/2の価格 当然ディテールは劣りますが コスパは十分で今後の過去のモデル含め ラインナップ拡大に期待
230224 D.RICCIARDO 2022 3FW12C
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1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
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1978 13TH PMA McLAREN FORD M26 J.HUNT
ハント最後のマクラーレン 北米シリーズ限定カラー McLAREN M26 1978年J・ハントはマクラーレン3年目 前年度後半3勝をあげたMcLAREN M26で シーズンを戦うもグランドエフェクトカーの ライバル車に遅れをとり一転不振に 開幕戦アルゼンチンGPでは4位入賞も その後は5戦連続のリタイア R9フランスGPの3位がこの年唯一の表彰台 結果これがハント生涯最後の 23回目の表彰台 35回目の入賞となった モデルは終盤2戦のアメリカ・カナダGP フィリップモリス傘下のミラー社が 販売するビールブランド レーベンブロイがスポットスポンサー マシンカラーがライトブルーとなりそれに合わせ ハントのレーシングスーツも水色になっている ハントはこの年でマクラーレンを離脱 翌1979年はウルフに移籍 最後のシーズンを迎える #F1-1978年
230126 J.HUNT 2.448 7FW12C
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1997 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 D.COULTHARD〖🏆2〗
マクラーレン50戦ぶりの勝利 D・クルーザード MP4-12 1997年マクラーレンは23年間続いた MarlboroからWestにスポンサーを変更 カラーも赤/白→黒/銀に変更された 開幕戦のオーストリアGP クルーザードは予選4位から優勝 マクラーレンは1993年最終戦オーストリア A・セナ以来 50戦ぶりの勝利 その後は苦戦が続いたがR7カナダでFL R13イタリアGPではトップ走行の J・アレジ(ベネトン)と同時ピットインで 逆転して勝利 シーズン2勝目を上げた 2勝 2位2回 年間順位は3位 36ポイント コンストラクターは4年連続4位だったものの E・ニューウェイが8月頃より開発に 携わった事もありマクラーレンは MP4-12が名門復活の足掛りとなった #F1-1997年 https://muuseo.com/FW12C/items/1216
230119 D.COULTHARD 1回 10FW12C
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1978 (23TH) PMA McLAREN FORD M26 B.GIACOMELLI
ブルーノ・ジャコメリ イタリア出身 1978年マクラーレン サードドライバ― 1977年イギリスGPでF1スポット参戦 1978年8勝でヨーロッパF2チャンピオン 並行してマクラーレンのサードドライバ― ヨーロッパラウンド5戦限りのスポット参戦 マシンはレギュラードライバ―の J・ハント P・タンベイと同じM26 R10イギリスGPでの予選16位→決勝7位が 予選・決勝ともにベストリザルト モデルはそのイギリスGP仕様で コックピット横のドライバー名表記が Bruno ”Jack O malley"となっている MINICHAMPS McLAREN EDTION43 100種目 ジャコメリはマクラーレンを離れて 翌1979年は復帰のアルファロメオの ドライバ―として参戦 #F1-1978年
230113 B.GIACOMELLI 1.440 33FW12C
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1978 14TH PMA McLAREN FORD M26 P.TAMBAY
パトリック・タンベイ マクラーレンに抜擢 McLAREN FORD M26 前年度 非力なエンサインで3度の入賞 その走りが認められてマクラーレンに 抜擢されたパトリック・タンベイ チームメイトはジェームス・ハント ニューマシンのM27の計画が頓挫したため 旧マシンの前年3勝をあげたM26で参戦も ハント共々苦戦を強いられた タンベイは5度の入賞 表彰台は無し 最高位はR8スウェーデンGPの4位 シーズン終盤アメリカ・カナダGPは フィリップモリス傘下のミラー社が 販売するビールブランド レーベンブロイがスポットスポンサー 2戦のみカラーがブルーに代わった モデルはR15アメリカWEST GP仕様 予選18位→決勝6位入賞 R16カナダGPのみ予選でハントに勝っている タンベイ17位 ハント19位 翌1979年もタンベイはマクラーレン残留 #F1-1978年
221217 P.TAMBAY 1.656 8FW12C
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1997 6TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 M.HAKKINEN〖🏆1〗
マクラーレン5年目 ミカ・ハッキネン 99戦目の初優勝McLAREN MERCEDES MP4-12 1997年マクラーレンは 永年続いたマールボロからWESTへスポンサーが 変更 シルバーアロー メルセデスをイメージ させるシルバーを基調とするカラーに変更 ハッキネンは開幕から4戦連続の入賞 中盤戦は苦戦したが後半いよいよ能力が開花 R13イタリアGP 初のファステストラップ R15ルクセンブルクGP 初のポール・ポジション そして最終戦R17ヨーロッパGP 最終ラップでJ・ビルヌーブ(ウイリアムズ)を 抜き去り悲願の初優勝 これは参戦99戦目(出走95戦目)で T・ブーツェンの参戦96戦目を上回る 当時としては最遅の初優勝記録であった この勝利をきっかけにハッキネンは 翌1998・1999年の自身の黄金期を迎える #F1-1997年
M.HAKKINEN 9 1/43 McLARENFW12C
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1997 TEST PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 D.COULTHARD
マクラーレン イメージ 刷新前 オレンジ色のTEST CAR MP4-12 1997年マクラーレンは長年のスポンサー マールボロとの契約が終わり 新たにイギリスの多国籍タバコ会社である インペリアル・タバコのレームツマ社と契約 それまでの赤/白のカラーリングから変更 シーズンオフのテストでは本戦カラーは伏せられ マクラーレンの創設者B・マクラーレンの母国 ニュージーランドのナショナルカラーである パパイヤオレンジに塗装される演出がなされた また車体名もMP4/00→MP4-00に変更され オレンジの車体に銀色でMP4-12と書かれている ただし雑誌等でもこの表記変更は曖昧で モデルの台紙もMP4/12の表記になつている デビット・クルーザードはマクラーレン2年目 開幕直後にチームに久々の勝利をもたらす #F1-1997年 #TESTCAR
221112 D.COULTHARD TEST CAR 10FW12C
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1999 WORLD CHAMPION PMA McLAREN MERCEDES MP4/14 M.HAKKINEN〖🏆5〗
1999年 👑WORLD CHAMPION👑 16戦 WIN 5回 PP 11回 FL 6回 PIT STOP DIORAMA
221006 M.HAKKINEN 6回 1FW12C
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1968 3RD SPARK McLAREN M7A D.HULME〖🏆2〗
前年度チャンピオン デニス・ハルム チーム マクラーレン初の表彰台獲得 1968年D・ハルムはニュージーランドの同胞 ブルース・マクラーレン設立チームに移籍 マクラーレンはこの年より複数台エントリー R2スペインGPより新型M7Aが投入され エンジンもBRM→フォードに変更 そのGPで予選3位→決勝2位表彰台 現在まで続くマクラーレンの初の表彰台 マクラーレンの通算表彰台は490回を超えて フェラーリに続く2位 TMのB・マクラーレンがR4ベルギーで勝利後 ハルムはR9イタリア・R10カナダと2連勝 チームマクラーレンはフル参戦初年度 (スポット含めて3年目)に3勝を記録 ハルムは引退する1974年まで 7年間マクラーレンに在籍 この年の2勝を含めて 通算6勝上げる(F1生涯8勝) 前年度チャンピオン カーナンバー1を纏い マクラーレンのシンボルカラーである パパイヤオレンジが綺麗な1台
221004 D.HULME 1 1/43FW12C
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1981 6TH PMA McLAREN FORD MP4 J.WATSON 〖🏆1〗
マクラーレンMP4シリーズの初のマシン J・ワトソン チーム4年ぶり勝利 2016年までマクラーレンが継続した MP4シリーズの最初のマシン カーボンモノコックが初めて使用され 従来のアルミハニカムに比べて 剛性が70%向上 25%の軽量に成功した デザイナーはジョン・バーナード チームオーナーはこの年よりロン・デニス 画像7 左からバーナード/ワトソン/デニス R9イギリスGP ワトソンは予選5位から優勝 マクラーレンは1977年最終戦日本GP以来 4年ぶりの勝利 ワトソンも5年ぶり2勝目 ワトソンの通算勝利数は5勝 この1981年のイギリスGP(シルバーストーン)MP4 では早くもタバコの規制がかかり マクラーレンは所謂バーコードで対応 モデルはそのイギリスGP仕様の為 バーコードのままにしてあります ワトソンは優勝含む4度の表彰台 年間6位 27ポイント FL1回 名門マクラーレンの復活を期待させる活躍 #F1-1981年 #MP4 #マクラーレン #F1 チームメイトはマクラーレンこの年限りの アンドレア デ チェザリス https://muuseo.com/FW12C/items/211?theme_id=38179
J.WATSON 1回 7 1/43FW12C
