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1980 16TH SPARK McLaren M29 A.PROST
4 TIMES WORLD CHAMPION アラン・プロスト デビュー McLaren M29 1979年ヨーロッパF3 13戦9勝 圧倒的勝利でチャンピオン獲得 マルボロの支援もあり マクラーレンのテストを受けて 同時に参加したケビン・コーガンのみならず レギュラードライバーのジョン・ワトソンより 速いタイムを出し1980年のシートを獲得する 1980年開幕戦アルゼンチンGP 予選でワトソンを上回り12位を獲得 決勝はデビュー戦にて6位入賞 プロストの生涯入賞回数は128回 その中で表彰台が106回 4位以下の入賞は22回と少ない 続くR2ブラジルでも決勝5位入賞も R3南アフリカの予選でマシントラブル起因の クラッシュで手首を負傷しR4も欠場 年間では4度の入賞5ポイント年間15位 ワトソン6ポイント 年間11位わずかに及ばず 翌1981年はマクラーレンとの複数年契約が あったが地元ルノーからのオファーを受け移籍
230612 A.PROST 1980 8FW12C
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1971 14TH SPARK BRABHAM BT33 T.SCHENKEN
オーストラリア人 2人目の表彰台 ティム・シェンケン BRABHAM BT33 ティム・シェンケン オーストラリア出身 1968年 イギリスF3 チャンピオン 1970年 デトマソでF1デビュー 1971年 ブラバムで本格参戦 チームメイトはグラハム・ヒル ブラバムはジャック・ブラバムが 前年の1970年で引退&チーム売却 新体制での運営もあり不振 車体BT33も開発が進まなかった シェンケンはR7ドイツで初入賞6位 R8オーストリアでは自身唯一の3位表彰台 オーストラリア人ではJ・ブラバムに 続く2人目の入賞&表彰台獲得者 オーストラリア人入賞ドライバ―は A・ジョーンズ M・ウエバー D・リカルドの 現在までに歴代合計5人 後半戦は予選でもグラハム・ヒルに勝ち 年間順位も14位 ヒルは21位 翌1972年はサーティスに移籍
230329 T.SCHENKEN 8 1/43FW12C
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1975 14TH SPARK PARNELLI VPJ4 M.ANDRETTI
アメリカチーム パーネリ本格参戦 チーム唯一のFL 最高4位 PARNELLI VPJ4 1974年終盤参戦のパーネリは 1975年本格参戦 ドライバ―はM・アンドレティ しかし大きな支援があったタイヤメーカー ファイヤーストンが撤退 タイヤをグッドイヤーに変更した それでもR4スペインGPでは 予選4位から途中10週ラップリーダーと ファステストラップも記録(結果はリタイア) R7スウェーデンGPは4位入賞 これはチームパーネリの最高成績 モデルはそのスウェーデンGP仕様 R9フランスGPも5位入賞 アメリカのレース優先の為2戦欠場したが 予選最高4位と2度の入賞 本格参戦1年目としては上々の成績だが 資金難でマシンの開発は進まず 翌1976年序盤でチームは撤退する #F1-1975年 #F1
221211 M.ANDRETTI 1975 1回FW12C
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1980 15TH SPARK FITTIPALDI F8 E.FITTIPALDI
エマーソン・フィティバルディF1ラスト 最後の表彰台獲得 FITTIPALDI F8 スポンサーの変更により チーム名をフィティバルディとして 新たにブラジルの大手飲料メーカー アンベブのビールブランドの SKOLのロゴで参戦 R4アメリカWESTでは予選24位から 混戦を生き残り3位表彰台獲得 エマーソン最後の表彰台は通算34回目 その後R6モナコでの6位が最後の入賞 通算入賞回数は57回 この年限りでF1ドライバ―からは引退 1982年までチーム運営に携わった 1984年はスピリットでテストには参加したが F1には復帰せずアメリカの CARTシリーズに参戦した 🏁エマーソン・フィッテパルディ(ブラジル) 決勝出走回数 144回 予選最高位 PP(6回) 決勝最高位 優勝(14回) ファステストLAP(6回) 👑ワールドチャンピオン 2回 1972年 ロータス 12戦5勝 1974年 マクラーレン 15戦3勝 #F1-ラスト #F-1980年 https://muuseo.com/FW12C/items/988
221030 E.FITTIPALDI 20 1/43FW12C
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1989 14TH+α SPARK TYRRELL 018 J.HERBERT
ベネトン解雇のジョニー・ハーバート 2戦限りのティレル018での参戦 1989年ケガの影響もありベネトンを 途中解雇されたJ・ハーバートは ティレル途中加入のジャン・アレジの 国際F3000の参戦による欠場の2戦を 代役としてエントリーした モデル仕様のR11ベルギーGP 予選16位は TMのジョナサン・パーマー(21位)を上回るが 決勝は3周目にスピンしてリタイア この代役は急遽の決定であった為 ハーバートのレーシングスーツは ベネトン時代のグリーンのままであった もう1戦のR13ポルトガルGPは予選落ち この年復帰のポスルズウェイトが手掛けた ティレル018は隠れた名車とも言われており 翌1990年のR2ブラジルまで使用され このマシンに乗った5人のドライバ―の内 ハーバート以外は全てポイントを獲得している ティレル018ドライバ―別成績 M・アルボレート 6戦 6ポイント J・パーマー 15戦 2ポイント J・アレジ 10戦 14ポイント J・ハーバート 2戦 0ポイント 中嶋悟 2戦 1ポイント #F1-1989年 #Tyrrell
J.HERBERT 4 1/43 CAMELFW12C
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1995 14TH ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 G.MORBIDELLI
イタリアの伊達男ジャンニ・モルビデリ F1唯一の表彰台獲得ARROWS HART FA16 イタリアのオートバイメーカーの モルビデリ社の御曹司でもある ジャンニ・モルビデリ 1995年はアロウズ2年目でエース R6カナダGPで予選13位→6位入賞 (モデルGP仕様)果たすも チームの資金難により R8イギリスGPからシートを M・パピスに譲る形となった 終盤R15パシフィックGPより 再びシートを獲得して 最終戦R17オーストラリアGP 生涯唯一の予選13位→3位表彰台獲得 モルビデリ通算最後の5回目の入賞 翌1996年はシートを失い ジョーダンのテストドライバー 1997年にザウバーで7戦のみ復帰します #1995
G.MORBIDELLI 9 1/43 ARROWSFW12C
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1994 17TH SPARK(宮沢模型) TYRRELL 022 YAMAHA U.KATAYAMA
片山右京のベストシーズン ティレル・YAMAHAの2年目 TMはマーク・ブランデル 開幕ブラジルGPにて初入賞5位 R3サンマリノ5位 R8イギリス6位 R9ドイツGPは予選5位(モデル仕様) これは当時の日本人予選の最高位 (以前は88年の中嶋のメキシコ・日本の6位) 決勝は一時2位走行(結果はリタイア) 一瞬でしたが表彰台・優勝の夢を見ました このドイツGPよりカルビーのロゴが CALBEE→Calbeeに変更しています R10ハンガリーでも予選5位 R13ポルトガル予選6位 しかし決勝にはつながらず 完走わずか4回 完走率25%に終わる 6枚目はPMAの通常版 7枚目はONYX モデルの車名が 直接台座に印字されている珍しタイプ #1994年 #F1-1994年
U.KATAYAMA 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1993 13TH PMA SAUBER C12 J.J.LEHTO
漆黒のボディーに不気味に光る concept by Mercedes-Benzと スリーポインテッドスター いよいよメルセデスが参戦かと 大いなる期待を抱かせる SAUBERが1993年より参戦 J.J.レートとK.ベンドリンガー 前半戦の主役はレート 開幕戦の南アフリカGPを予選6位 決勝サバイバルも生き残り5位 R4サンマリノGP予選10位→決勝4位 参戦初年度とは思えぬ活躍で コンストラクタ―も6位 ポスルズウエイトが携わったC12は いたってオーソドックスなマシン 離脱後レオ.レスが上手くまとめ上げた ONYXは2種類発売 前半戦仕様と メルセデスの地元R10ドイツGP仕様 GP仕様が出たのは恐らくこれが初めて #1993 #conceptbyMercedes-Benz
J.J. LEHTO 1/43 SAUBER MINICHAMPSFW12C
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1973 13TH SPARK SHADOW DN1 G.FOLLMER
SHADOWは1973年より参戦の米国のチーム 1STドライバ―はJ.オリバー 2NDドライバ―はG.フォルマ― フォルマ―のデビューは39歳 R3南アフリカGPより参戦 フォルマ―はいきなりの6位入賞 更にR4スペインGPでは3位表彰台獲得 しかしその後はのノーポイントで 年間順位は13位5ポイント J.オリバーも3位1回表彰台獲得 スポンサーのUOPの無鉛ガソリンが供給され カラーもその名のSHADOWの漆黒 チームロゴは黒マントにつば広帽子という 漫画のキャラクターをモチーフ チーム創設はドン.ニコルズ (シャーシ名のDNは彼の略) 富士スピードウェイの設計にも携わった #1973 #F1
G.FOLLMER 1973 20 1/43FW12C
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1982 18TH SPARK LIGIER JS19 J.LAFFITE
#1982
J.LAFFITE 26 1/43 GITANESFW12C
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1990 13TH PMA LARROUSSE Lamborghini Lola LC90 E.BERNARD
#1990
E.BERNARD 1.404 29 1/43FW12C
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1989 15TH SPARK MINARDI M189 P.MARTINI
#1989
P.MARTINI 23 1/43 CAMELFW12C
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1989 14TH PMA BENETTON FORD B188 J.HERBERT
#F1-1989年
J.HERBERT 20 1/43 BENETTONFW12C
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1984 14TH PMA WILLIAMS HONDA FW09 J.LAFFITE
#1984 #HONDA #WILLIAMS
J.LAFFITE 2.592 5 1/43FW12C
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1995 15TH PMA TYRRELL YAMAHA 023 M.SALO
ミカ.サロ 初のフル参戦 TYRRELL YAMAHA 023 1995年 サロはNOKIAの スポンサーとともにティレルで レギュラーシートを獲得 TMは片山右京 エンジンはヤマハ シーズン後半に5位2回と6位の 3回の入賞で年間順位は15位 NOKIAは1シーズンでサポート終了 ONYXは前半のブラジルGP仕様の ブルーベースのカラー(画像2)と R3以降(画像3)の2種類の仕様を発売 リアウイングにFONDMETALが付いて フロントノーズのカーナンバーが フィンランドの国旗がベースになっています #F1-1995年
M.SALO 4 1/43 TYRRELLFW12C
