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1994 16TH ONYX JORDAN 194 HART E.IRVINE
1994年エディ・アーバインは 前年度の鈴鹿での活躍により ジョーダンのレギュラーシートを獲得 開幕戦はフェルスタッペン(ベネトン)との 接触により4台が絡む事故の責任を問われ 次戦の出場停止 更ににこれを控訴したため 合計3戦の出場停止となる R12イタリアでハーバート(ロータス)に追突 R13ポルトガルではヒル(ウイリアムズ)に接触 ヒルのマシンが横転(画像6)など散々なイメージ それでもR14ヨーロッパで自己最高4位 R15得意の鈴鹿では5位入賞 予選ではTMのバリチェロと大差なく競った 画像4 Ireland 1 Italy 0 は 1994年のFIFA ワールドカップ アメリカ大会の予選の結果 愛国者のオーナー エディ・ジョーダンによるもの この予選グループEは1勝1敗1分で 4チームが並ぶ大混戦 得失点・当該チームの結果 アイルランド2位 イタリア3位で予選通過 (1位 メキシコ 4位 ノルウェー) 決勝Tはアイルランドベスト16 イタリアはPKでブラジルに敗れ準優勝 得点王はJリーグ柏でもプレーの フリスト・ストイチコフ(ブルガリア) #1994
E.IRVINE 15 1/43 JORDANFW12C
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1975 12TH SPARK WILLIAMS FW04 J.LAFFITE
1975年に初めてウイリアムズの名を冠した 車体WILLIAMS FW04が登場 ドライバ―はJ・ラフィー FW04はR5モナコより登場 思うような結果が出ない中 R11ドイツGP ニュルブルリンク 1週22.8㎞のロングコースで ラフィーが2位表彰台獲得 ウイリアムズの長い歴史の中の 記念すべき初ポイントは2位表彰台 ラフィーも初のポイント獲得 ラフィーは13年のF1生活の中 所属したチームはリジェと ウイリアムズの2チームのみ 画像8枚目はイギリス ヒースロー空港 近くにあった当時のファクトリー #1975 #F1
J.LAFFITE 21 1/43 WILLIAMSFW12C
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1975 13TH QUARTZO LOTUS 72E R.PETERSON
1973年のコンストラクター制覇の ロータス72Eもさすがに2年落ちで 1975年は経年劣化は否めず ロニー・ピーターソンは マシンに苦しみ 最高順位はモナコ予選4位→4位 ポイントは6Pのみで年間12位 チームメイトのJ.イクスは R9フランスでチームより離脱 その後はJ.クロフォード J.ワトソン B・ヘントンが乗るも 大きな成果に繋がらなかった チームは1971年以来の4ぶりの未勝利 コンストラクター7位に終わり 名車 ロータス72Eも終焉を迎えます
R.PETERSON 5 1/43 John Player SpecialFW12C
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1982 16TH PMA FERRARI 126 C2 G.VILLENEUVE
#1982
G.VILLENEUVE 27 1/43 FERRARIFW12C
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1989 13TH+α ONYX LOLA LC89 M.ALBORETO
M.ALBORETO 29 1/43 LOLAFW12C
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1992 10TH SPARK FOOTWORK FA13 M.ALBORETO
#1992
M.ALBORETO 9 1/43 FOOTWORKFW12C
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1991 11TH IXO MINARDI M191 P.MARTINI
デアゴスティーニ F1マシンコレクション はじまりの1台 MINARDI M191 P.MARTINI 2017年1月10日に全国発売になった 隔週刊 F1マシンコレクション 創刊号のマクラーレンホンダ MP4/4 アイルトン・セナはお試し購入したが その後はミニチャンプス等で所持している マシンも多く購入はしませんでした 2021年3月2日たまたま本屋に立ち寄り 第109号MINARDI M191 P.マルティニに出会い このモデルは今まで量販化されておらず購入 これがはじまりの1台となりその後 所持していないモデルを中心に F1マシンコレクションを購入するようになりました 魅力はコスパ(SPARKの約1/3の価格)と 冊子は写真が豊富で当館のモデルと できるだけ同時に掲載しています 自社製フェラーリエンジンが他チームに 供給されたのが史上初めてのモデルであり ミナルディ史上最高成績決勝4位を2度 特にR13ポルトガルGPは本家の フェラーリ J・アレジに脅かした末の4位 コンストラクタ―も史上最高の7位を記録 しかし高額のエンジン使用料で 当初パイオニアがメインスポンサーの 予定であったがフェラーリ本家に 横取りの形で持って行かれた事もあり 1年で契約解消され その後もミナルディは このエンジン使用料に悩まされる形となった MINARDI M191はチームメイトの ジャンニ・モリビデリと最終戦のみの ロベルト・モレノは量販化されておらず 発売が待ち遠しい1台でもあります
P.MARTINI F1マシンコレクション 109 1/43FW12C
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1990 12TH PMA LARROUSSE Lamborghini Lola LC90 A.SUZUKI
#1990
A.SUZUKI 30 1/43 LARROUSSEFW12C
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1990 11TH ONYX BENETTON FORD B190 R.MORENO
#1990 #F1
R.MORENO 20 1/43 BENETTONFW12C
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1994 14TH PMA FERRARI 412 T1 N.LARINI
J・アレジのTEST中のケガにより テストドライバーの二コラ・ラリーニが R2 R3の2戦にフェラーリで出走 1992年カペリの代役でフェラーリの 終盤2戦参戦以来のF1復帰 R2パシフィックGPは予選7位→ A・セナに追突して0週でリタイヤ R3サンマリノGPは予選6位→ セナの事故により2ヒート制の中 リードラップ5週→2位表彰台を獲得 これはラリーニにとって 70回目の出走にして初のポイント獲得 残念ながら表彰式では シャンパンファイトは行われなかった 生涯唯一の表彰台 この後もフェラーリのテストドライバーは 1995.1996年と継続され ラリーニは1997年に ザウバー(フェラーリエンジン)で復帰
N.LARINI 27 1/43 FERRARIFW12C
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2000 10TH PMA RED BULL SAUBER PETRONAS C19 M.SALO
M.SALO 17 1/43 SAUBERFW12C
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1996 13TH PMA TYRRELL YAMAHA 024 M.SALO
ミカ・サロ ティレル2年目 ティレル ヤマハエンジン最後のマシン メインスポンサーであった フィンランドの通信会社ノキアの スポンサーを失い 資金難のティレル TYRRELL 024は2年ぶりのハイノーズ採用 サロは前半6戦で3度の入賞と好調なスタートも 以降はマシンの開発不足と 軽量コンパクト新型ヤマハエンジンの 信頼性欠如にも悩まされ入賞は無し R11ドイツGPでは高速サーキットの ドラッグを減らすために 細いフロントタイヤをリヤにも取り付けた 全輪フロントタイヤという奇襲作戦に出たが グットイヤーのクレームが入り 結果 フリー走行後に禁止となった 1996年 入賞5位2回 6位1回 5ポイントは 1995年とまったく同じ成績 年間順位は13位(1995年は15位) 翌1997年もサロはティレルに残留 1990年以来となるフォードエンジンを採用 この年でマイルドセブン・大韓航空などの 大手スポンサーもほとんどが終了となった #F1-1996年
M.SALO 19 1/43 TYRRELLFW12C
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1987 13TH PMA WILLIAMS HONDA FW11B R.PATRESE
R.PATRESE 5 1/43 6PFW12C
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1990 10TH PMA LEYTON HOUSE JUDD CG901 I.CAPELLI
1990年よりチーム名もレイトンハウスに センシティブな車に手こずり R2ブラジル R6メキシコで予選落ち しかしR7フランスGP ポールリカールでは 車がマッチして予選7位。 決勝ではタイヤ無交換作戦で 途中カペリ・グージェルミンの1・2走行 3位から追撃のプロストをグージェルンが20週近く抑えるも その後エンジンブローでリタイア。 カペリは45週トップを走り続けたが 残り3周でプロストに抜かれ2位 カペリの初優勝はならずも デザイナーの解雇など低迷のチームには明るい話題 でも惜しかったなぁ~ #1990
I.CAPELLI 16 1/43 LEYTON HOUSEFW12C
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1989 12TH TAMEO ONYX ORE-1 FORD S.JOHANSSON
ヨハンソンは新規チームのオニクスよりの参戦。 チームメイトはB.ガショーと後半4戦はJJ.レート。 予備予選の壁が高く 本戦出走はR4メキシコGP予選21位が最初 その後順調に予備予選と予選を突破 R7フランスGPで予選 ガショー11位 ヨハンソン13位 決勝ガショー13位 ヨハンソンは5位入賞 2P獲得 次戦R8イギリスで予備予選入替 (上位13チームまでが免除) R7終了時で 9位ブラバム 5P 10位(レイトンハウス)マーチ 4P 11位リアル 3P 12位リジェ 3P 13位オニクス 2P 14位AGS 1P 15位ミナルディ 0P AGSはここまで好調(6位1回 7位1回 8位1回)も R8イギリスは頼みのG.タルキーニがDNPQ。 ミナルディはここまで完走すら1度もない状態で オニクスの予備予選免除は確実と思われましたが・・・ ヨハンソンはR13ポルトガルGPで予備予選から 予選シーズンベスト12位 決勝3位表彰台を獲得。 フロントウイングがヨハンソン車はピンク ガショー・レート車は黄緑に塗り分けられているのが特徴。 オニクスは資金難で翌年買収されましたがそれでも途中撤退。 短命チームですが記憶に残るカラーリング SPARKで量産化してほしい1台です #1989
S.JOHANSSON 36 1/43 ONYXFW12C
