-
1981 13TH BRUMM FERRARI 126CK TURBO D.PIRONI
リジェよりフェラーリ移籍 ディディエ・ピロー二 FERRARI 126CK 1981年フェラーリは引退した J・シェクターの後任として フランス出身のD・ピロー二を起用して G・ヴィルヌーブとコンビを組んだ フェラーリ初のターボエンジン搭載で あったが熟成に苦しみ入賞は4回 4位1回 5位3回で表彰台は無しに終わる 年間順位は13位 9P FL1回 TMのG・ヴィルヌーブは2勝を含む 表彰台3回の年間順位 7位と 差をつけられたものの 予選に関しては後半7戦で ピロー二が4度上回るなど徐々に 互角の戦いをするようになり 運命の翌1982年を迎える モデルはR13イタリアGP仕様 予選8位→決勝5位入賞 ピロー二がフェラーリで走行した 唯一のイタリアGP モンツァ #F1-1981年 #FERRARI #BRUMM
D.PIRONI 1回 28 1/43FW12C
-
1996 10TH PMA FERRARI F310/2 E.IRVINE
1996年注目のM・シューマッハのTM エディ・アーバイン フェラーリ E・アーバインはジョーダンの 残留が契約上 決定していたが 金銭トレードの形でフェラーリへ移籍する 開幕戦でシューマッハを凌ぐ予選3位 決勝も3位表彰台を獲得するが 1996年はこれがベストリザルト その後はシューマッハに予選全敗 決勝も表彰台も8回 VS 1回と完敗 シーズン途中に7戦連続のリタイアなど シューマッハ中心のチームで苦戦する FERRARI F310はジョンバーナード作 途中グスタフ・ブルナーの修正で ハイノーズ化と2点吊り下げ式 フロントウィングに変更して R8カナダGPよりFERRARI F310/2となった この年のモデルよりMINICHAMPSは フェラーリの台紙をREDに変更 やはりMarlboroデカールに変更しないと バーコードでは見栄えが良くならない #F1-1996年
E.IRVINE 2 1/43 FERRARIFW12C
-
1976 12TH SPARK SHADOW DN8 T.PRYCE
イギリス出身 トム・プライス 最後の入賞 SHADOW DN8 1974年にトーケン(マイナーチーム)で デビュー後シャドウに移籍 J・P・ジャリエと共にチームを支え キャリアのほぼすべてをシャドウで過ごした 1976年は前年度の好調を維持して 旧マシンのDN5で開幕戦を予選12位→決勝3位 自身生涯2度目の表彰台を獲得 その後は完走率は高かったものの 入賞はR9イギリスの予選20位→決勝4位 シャドウはメインスポンサーの アメリカ石油会社UOPを失い資金に苦しみ ニューマシンDN8の投入はR12オランダ DN8初戦のオランダでプライスは いきなりの予選3位→決勝4位を獲得 これが自身最後の通算9回目の入賞となる ◆R16日本(富士SW)予選14位→決勝リタイア◆ 翌1977年プライズは同じDN8のマシンで 時速300km近いスピードで走行中に 事故車の消化に向かうマーシャルが コースを横切った際に持っていた消火器が 頭部に当たり衝撃的な事故死を遂げる ロータスに加入の噂もあった イギリス期待の若手の早すぎる死であった トム・プライス (イギリス) 決勝出走回数 42回 予選最高位 PP 1975年 シャドウ R2イギリス 決勝最高位 3位(2回) 1975年 シャドウ R12オーストリア 1976年 シャドウ R1ブラジル リーダーラップ2周 #F1-1976年 #1976 #シャドウ
T.PRYCE 16 1/43 SHADOWFW12C
-
1976 18TH SPARK ENSIGN N174 C.AMON
史上最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ラストイヤー 1963年から参戦のエイモン最後の年 1976年はエンサインのレギュラーシート 開幕戦欠場後旧型のインダクションポッドが 高い位置にデザインされたN174でR2・R3を戦い モデルはR3アメリカW 予選17位→決勝8位 レギュレーションに合わせた新型N176 初戦R4スペインで予選10位→決勝5位入賞 自身3年ぶり通算29回目最後の入賞 R7スウェーデンGP予選3位 R9イギリスGP予選6位と速さ見せるも R10ドイツGPでのN・ラウダ(フェラーリ)事故を見て ヘルメットを置く決意をしてチーム離脱 R14カナダはウイリアムズで予選のみを走行し F1の長いキャリア14年の幕を閉じた 引退後は母国で家業の農業に従事した クリス・エイモン (ニュージーランド) 決勝出走回数 97回 予選最高位 PP(5回) 1968年 フェラーリ R2スペイン 1968年 フェラーリ R4ベルギー 1968年 フェラーリ R5オランダ 1971年 マトラ R9イタリア 1972年 マトラ R6フランス 決勝最高位 2位(3回) 1968年 フェラーリ R7イギリス 1970年 マーチ R5ベルギー 1970年 マーチ R6フランス ファステストラップ 3回 1970年 マーチ R4ベルギー 1972年 マトラ R5ベルギー 1972年 マトラ R6フランス リーダーラップ 183周 #F1-1976年 #1976 #エイモン
C.AMON 22 1/43 ENSIGNFW12C
-
1976 19TH TSM MARCH 761 V.BRAMBILLA
ヴィットリオ・ブランビラ マーチ最終3年目 MARCH 761 1976年マーチはV・ブランビラ H・J・シュトゥック のレギュラーに加えて R・ピーターソン A・メルツァリオなど 常時3~4名のドライバ―が出場していた ブランビラは前年度のPP 優勝 FL記録から 一転して1976年は不振に陥る 予選ではR14カナダGPの3位など 16戦中11戦でシングルグリッドを獲得も 決勝はR12オランダGPの6位のみに終わる ◆R16日本(富士SW)予選8位→決勝R◆ この年のマーチはドライバ―別に異なる カラーリングで出走したのが特徴 ブランビラ車は前年同様1923年設立の イタリアの工具メーカーBetaがスポンサー ブランビラは3年間在籍のマーチを離れ 翌1977年はサーティスに移籍します モデルはTRUE SCALE MINIATURES MODELで R10ドイツGP仕様(予選13位→決勝R) Betaと言えばオレンジのイメージですが このGPは白を基調としたカラーリングで出場 #1976 #F1-1976年
V.BRAMBILLA 9 1/43 MARCHFW12C
-
1989 5TH+α TAMEO WILLAMS RENAULT FW13 T.BOUTSEN
ティエリー・ブーツェン 2勝目 4戦限り使用 WILLAMS RENAULT FW13 1989年ウイリアムズは前年の改良型 FW12Cで前半戦を戦い シーズン途中で 新車のFW13を投入予定であったが 実際の投入は終盤のR14ポルトガルGP FW13はパトリック・ヘッドがデザイン インダクションポッドは 横幅のある楕円形の独特のデザイン フロントサスペンションは プルロッドからプッシュロッドへと変更 ノーズ上面にこぶのような形状があるのが特徴 R15鈴鹿ではブーツェンが3位 チームメイトのR・パトレーゼが2位 A・セナ(マクラーレン)の失格裁定で繰上り モデル仕様のR16オーストラリアGP 豪雨の中自身2勝目を上げたレース (中嶋悟 ロータス ファステストラップ) 途中周回遅れのE・ピロ(ベネトン)がTMの 2位走行のA・ナニー二を追いつかせるために スロー走行し妨害 ブーツェンは追い越し時 右手を大きく振りかざし抗議したが 左手は同時にカウンターを当てて車を制御する 冷静沈着なドライビングを見せた モデルはTAMEOのキットの完成品 できればレインタイヤ仕様にしたい 29:00頃 ブーツェンVSピロ↓ https://youtu.be/ay_CnngHugo #ブーツェン2勝目 #1989 #F1 #1989年オーストラリアGP #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 5 1/43 BARCLAYFW12C
-
1984 9TH+α TOLEMAN TG184 A.SENNA (PORTUGUESE GP)
アイルトン・セナ 初年度最終戦 自己最高予選3位&3度目の表彰台 セナの初年度1984年最終戦は初開催の R16ポルトガルGP エストリル TMはステファン・ヨハンソン このGP限定の派手なカラーリングは ドイツの消防設備や消防車のトップメーカー MAGIRUSのスポンサーのによるも 予選はトップから0.233遅れの 初年度自己最高の3位を獲得 決勝はA・プロストとN・ラウダ(マクラーレン) ワールドチャンピオン争いの中 中盤戦は4位を走行中 52週目に N・マンセル(ロータス)がブレーキトラブルで 後退して3位浮上してそのままチェッカー 初年度で3回目の表彰台を飾り最終戦で T・ファビ(ブラバム) P・タンベイ(ルノー) N・マンセル(ロータス)を抜いて年間9位 セナはトールマンからロータスに移籍 このGPの2戦後の1985年R2同じポルトガルで 自身初の優勝を飾ります #1984 #F1マシンコレクション #F1
A.SENNA F1マシンコレクション 1回 19FW12C
-
1994 13TH PMA SAUBER MERCEDES C13 H.H.FRENTZEN
メルセデス三羽烏の最後の一人 ドイツ出身 ハインツ・ハラルド・フレンチェンのデビュー 前年の1993年は全日本F3000に参戦 チームノバ いわゆる森脇塾で指導受ける 開幕戦は予選5位と速さを見せ R2パシフィックGPで5位初入賞 R7フランスGPがシーズンベストの4位 R15鈴鹿は予選3位→決勝6位 当初はBROKERという名のスポンサーが ついていたが(画像2 ONYX)資金が支払われず 中盤よりスイスのスウォッチグループの TISSOTがスポンサーとなり(画像1) マシンにも時計が描かれている チームオーナーのペーター・ザウバーと 表彰台獲得でマシンをプレゼントするとの 約束が交わされ残念ながら表彰台はかなわずも 最終戦終了後 R2の5位入賞マシンを フレンチェンはプレゼントされている #1994
H.H.FRENTZEN 30 1/43 SAUBERFW12C
-
1993 6TH PMA FERRARI F93A J.ALESI
1992年7月 フェラーリに ジョン・バーナードが再加入 1993年に登場したF93Aはバーナードの 新車が出るまでのつなぎの予定が 新車は登場せず最終戦まで使用された 歴史的失敗と言われたF92Aの象徴の ダブルフロアは廃止されたものの ノーズセクション・フロントウィングは 流用されたため大きな変化は見られない アレジは12戦目までで入賞は R6モナコGPの3位のみと苦戦 R13イタリアGPで2位表彰台 R14ポルトガルでは一時トップ走行など 後半戦に改善が見られた これは1992年で撤退したHONDAとの 技術提携によりエンジンが改善 されたことが大きいと思われる こちらのモデルもMarlboro含めた デカールの修正を実施 成績は振るわずも1990年代のフェラーリでは 一番好きなカラーリングです #1993
J.ALESI 27 1/43 MarlboroFW12C
-
1982 8TH IXO TYRRELL FORD 011 M.ALBORETO
1982年の11人のWINNERSの最後の一人 M・アルボレートの初優勝 最終戦のR15 USAGPラスベガス 予選3位 終盤ペースの落ちたプロスト(ルノー)を抜き そのまま24週トップを走りチェッカー ファステストラップもマーク スポンサーにはスポットで セブンイレブンがサポート 画像5枚目サーキットの 看板はNISSAN DATSUN の文字 画像6枚目表彰台では 歌手のダイアナロスが祝福 左はチーバー(リジェ) 右はワトソン(マクラーレン) レーシングスーツの Candyはイタリアの家電メーカー アルボレートのパーソナルスポンサー #1982 #TYRRELL
M.ALBORETO F1マシンコレクション 3 51FW12C
-
1982 7TH BRUMM FERRARI 126 C2 P.TAMBAY
#1982 #Ferrari
P.TAMBAY 27 1/43 FERRARIFW12C
-
1988 6TH PMA LOTUS HONDA 100T N.PIQUET
N.PIQUET 1 1/43 LOTUSFW12C
-
1988 4TH PMA BENETTON FORD B188 T.BOUTSEN
#1988 #BENETTON #振り向けばブーツェン
T.BOUTSEN 5.555 20 1/43FW12C
-
1992 7TH PMA FERRARI F92A J.ALESI
#1992
J.ALESI 27 1/43 MarlboroFW12C
-
1992 5TH PMA McLAREN HONDA MP4/7 G.BERGER
#1992 #HONDA
G.BERGER 1/43 McLAREN 49PFW12C
