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1998 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 D.COULTHARD〖🏆1〗
1991年以来のコンストラクターチャンピオン マクラーレンMP4-13 デビッド・クルザード 1998年クルザードはマクラーレン3年目 開幕戦オーストラリアGPで マクラーレンの2台は3位以下を 全て周回遅れにする圧倒的勝利 この時クルーザードはチームとの〖約束〗で トップをTMのミカ・ハッキネンに譲って2位 後半戦でM・シューマッハ(フェラーリ)に 追い上げられたハッキネンにとっては この勝利によるプラス4P(10-6)が ワールドチャンピオン争いに手助けとなった マクラーレンのあまりの速さにフェラーリより ブレーキ・ステアリング・システムに対する 抗議が入り 事前に確認をとっていた にもかかわらずレギュレーション違反と判定 R2戦目以降は使用中止となった クルザードの勝利はR4サンマリノのみ それでも2位6回 3位2回の安定した走りで マクラーレンの1991年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に 大きく貢献し翌1999年もチーム残留 このモデルは台紙に不備があったようで 車名の所に上張りでシールが貼られている 本来は 誤 MP4/13→ 正 4-13であるが こちらは雑誌等でも統一されていない #F1-1998年
230322 D.COULTHARD 3回 7FW12C
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1966 7TH SPARK BRM P261 J.STEWART 〖🏆1〗
フライング・スコット ジャッキー モナコGP初勝利 BRM P261 1966年ジャッキー・スチュワートは BRMでの2年目のシーズン チームメイトはG・ヒルなど モデル仕様の開幕戦モナコGP 予選3位から2位に40秒の差をつけて優勝 自身初のモナコ制覇(通算モナコ3勝) G・ヒルのモナコ4連覇を阻止した形 このGPは100周で争われ 完走はエントリー16台中僅かの4台 完走4台中3台がBRMのマシンだった この後ジャッキーは4位・5位の入賞のみ チームは新型エンジンH型16気筒の開発を 進めるも水平対向8気筒を2段重ねという F1史上類を見ないレイアウトで 重量過多・高重心が仇となり苦戦 年間順位は前年度新人ながら 3位 34ポイント→7位 14ポイントと 大きく成績を落としてしまう 翌1967年ジャッキーは残留するも グラハム・ヒルはチームを離脱 BRMも3年間未勝利の低迷期に入る
J.STEWART 12 1/43 BRMFW12C
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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗
ジル・ビルヌーブ フェラーリフル参戦 地元カナダで初勝利 FERRARI 312 T3 1978年ジル・ビルヌーブのフェラーリ フル参戦1年目は若きジルの象徴的な1年 R1開幕戦アルゼンチンGPで初のファステスト R4アメリカWEST GP予選2位から首位を独走 しかしC・レガッツォーニ(シャドウ)に追突 大クラッシュを起こしリタイア R6ベルギーGP 4位初入賞 R12オーストリアGP 3位初の表彰台 R14イタリアGP予選2位から2位フィニッシュ しかしフライングのペナルティーで結果7位 R16カナダGP 地元モントリオールの 新設 イル・ノートルダム・サーキット 予選3位からJ・P・ジャリエ(ロータス)の リタイアにも助けられて 50周目にトップに立ち優勝 自身の初勝利はカナダ人ドライバ―の初勝利 現在までもカナダ人ドライバ―のF1勝利は ビルヌーブ親子(ジル6勝 ジャック11勝)のみ イル・ノートルダム・サーキットは後に ジル・ビルヌーヴ・サーキットと 名称変更になった #F1-1978年
230201 G.VILLENEUVE 1回 12FW12C
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1978 5TH SPARK TYRRELL 008 P.DEPAILLER〖🏆1〗
パトリック・デュパイエ 最後のティレル モナコで初勝利 TYRRELL 008 1978年ティレルは6輪のP34から オーソドックスなマシン 008へ変更 P・デュパイエはティレル5年目 チームメイトはディディエ・ピロー二 開幕4戦で表彰台3回(2位1回 3位2回) 好調で迎えたR5モナコGP シーズンベストの予選5位から デュパイエの初優勝 フル参戦5年目 69戦目の勝利 モデルはそのモナコGP仕様 その後はやや低迷 完走率は50% 年間で表彰台5回 入賞7回 年間5位 約5年間過ごしたティレルを離れ 翌1979年は母国フランスのリジェに移籍 #F1-1978年
230103 P.DEPAILLER 4 1/43FW12C
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1997 6TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 M.HAKKINEN〖🏆1〗
マクラーレン5年目 ミカ・ハッキネン 99戦目の初優勝McLAREN MERCEDES MP4-12 1997年マクラーレンは 永年続いたマールボロからWESTへスポンサーが 変更 シルバーアロー メルセデスをイメージ させるシルバーを基調とするカラーに変更 ハッキネンは開幕から4戦連続の入賞 中盤戦は苦戦したが後半いよいよ能力が開花 R13イタリアGP 初のファステストラップ R15ルクセンブルクGP 初のポール・ポジション そして最終戦R17ヨーロッパGP 最終ラップでJ・ビルヌーブ(ウイリアムズ)を 抜き去り悲願の初優勝 これは参戦99戦目(出走95戦目)で T・ブーツェンの参戦96戦目を上回る 当時としては最遅の初優勝記録であった この勝利をきっかけにハッキネンは 翌1998・1999年の自身の黄金期を迎える #F1-1997年
M.HAKKINEN 9 1/43 McLARENFW12C
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1997 5TH PMA BENETTON RENAULT B197 G.BERGER〖🏆1〗
ゲルハルト・ベルガー ラストイヤー 最後の10勝目 BENETTON RENAULT B197 38歳のベルガーは中盤3戦を体調不良で欠場 更に飛行機事故で父親を亡くす傷心の中 R10ドイツGPで復帰 予選でPPを獲得 決勝は2日目のピットストップ後 G・フィジケラ(ジョーダン)を抜いて 再びトップに立ちそのままチェッカー 復帰戦を3年ぶりの通算10勝目で飾る このGPでのPP・FL・優勝 そして48回目の表彰台はいずれも自身最後 14年のF1レースキャリアの幕を閉じた 🏁ゲルハルト・ベルガー (オーストリア) 【決勝出走回数】210回(入賞95回) 【予選最高位】 PP(12回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 (21回) #F1-1997年
221125 G.BERGER 1回 8FW12C
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1976 3RD+α PMA TYRRELL FORD P34 J.SCHECKTER
1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン たいれる しえくたあ レインタイヤ仕様 予選5位→決勝リタイア #1976年F1世界選手権イン・ジャパン
221123 J.SCHECKTER 1回 600FW12C
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1997 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW19 H.H.FRENTZEN〖🏆1〗
H.H.フレンチェンウイリアムズ移籍 初勝利・初PP WILLIAMS RENAULT FW19 1997年フレンチェンは前年度 ワールドチャンピオン D・ヒルの代わりに ウイリアムズに移籍 TMはJ・ビルヌーブ R4サンマリノGPで予選2位→初優勝 フレンチェンの通算勝利は3勝 R5モナコで予選初ポール・ポジション 終盤戦で5戦連続表彰台もあり コンストラクターチャンピオンに貢献 しかしJ・ビルヌーブの獲得ポイントの 約半分の42PでTM対決では見劣りする結果 年間順位はシューマッハのP剥奪で2位 フレンチェンはONYXと独占契約を結んでおり PMAの台紙はGERMAN DRIVERの表記 ONYXからは数種類バージョンが発売 ①PMA Rothmans仕様 ②PMA 通常版 ③ONYX 通常版 ④ONYX Castorolバージョン ⑤ONYX フランスGP仕様 ⑥ONYX イギリスGP仕様 ⑦ONYX ドイツGP仕様 #F1-1997年
221116 H.H.FRENTZEN 4 1/43FW12C
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1968 7TH QUARTZO (ROB WALKER/JACK DURLACHER) LOTUS 49 J.SIFFERT
スイス出身 ジョー・シフェール初優勝 プライベーター最後の勝利 LOTUS 49 1962年から自身で立ち上げたチームで参戦した シフェールは1964年よりプライベーターの雄 ROB WALKERより参戦する ROB WALKERチーム設立者 ロブ・ウォーカーはウイスキーで有名な ジョニー・ウォーカーの創設者の末裔 1968年はチャンピオンチームとなる ロータスのマシン LOTUS 49で参戦 R7イギリスGPで予選4位から クリス・エイモン(フェラーリ)の猛追をしのぎ 自身初優勝をファステストラップで飾る これはスイス出身ドライバ―の初勝利 スイス出身のグランプリウイナーは C・レガッツォーニ(5勝)とシフェール(2勝)のみ またF1におけるプライベーターの 最後の勝利ともなった プライベーターでの勝利ドライバーは シフェール含めて4人のみ 1969年までプライベーター 1970年はマーチ 1971年はBRMで参戦 BRMで自身最後の通算2勝目を上げている #F1-1968年 #F1
221020 J.SIFFERT 3回 16FW12C
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1986 7TH+α BENETTON BMW B186 G.BERGER
1986年R7アメリカEASTデトロイトGP タイヤペイント仕様 BENETTON B186 1986年トールマン買収し新規参入ベネトン イタリアのファッションブランドならではの ド派手なマシンのカラーリング R7 アメリカEAST デトロイトGPの予選では ピレリに協力を得てタイヤの サイドウォールまでペイントを施し しかもイン側とアウト側で違う色という拘り G・ベルガーは派手なカラーと裏腹に 予選12位(この年のワースト2番目) 決勝もイグニッションのトラブルでリタイア B186はロリー・バーンのデザインで バーンの中でB188の次にお気に入りのマシン ベネトンの台紙とマッチしてとても良いです #F1-1986年
221002 G.BERGER 2回 20FW12C
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1976 6TH REVE COLLECTION LOTUS 77 M.ANDRETTI 〖🏆1〗
日本におけるF1レース 初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 富士スピード ウェイ 予選ポールポジション獲得は マリオ・アンドレッティ自身の F1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた こちらはその日本GP優勝モデル REVE COLLECTION レインタイヤ仕様 REVE COLLECTIONはSPARK JAPAN設立前に MINIMAX社と輸入代理をしていた国際貿易が 日本に縁のあるモデルを別注でリリース ドライバ―フィギュアレスで 台座が通常版よりしっかりした作り #F1-1976年 #1976年 #1976年F1世界選手権イン・ジャパン #F1
220925 M.ANDRETTI 1回 5FW12C
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1971 4TH IXO FERRARI 312 B2 J.ICKX〖🏆1〗
1971年チャンピオン候補 J.イクス 後半戦まさかの失速FERRARI 312 B2 1970年の後半戦より好調のフェラーリ 1971年の前半も好調を維持 J.イクスはR2~R4で 予選PP2回 決勝は1~3位を各1回獲得 この時点でランキング2位 しかしR5~は一転して決勝で苦しみ 5戦連続リタイアを含むノーポントに終わる 1971年の新しいレギュレーションで タイヤがグループからスリックに変更 ファイアストン製のスリックタイヤと 新車の312 B2のリア・サスペンションの 相性の悪さが不振の主な原因と言われている R11最終戦アメリカGPでは 旧車の312Bに戻すなど ドタバタ劇で期待外れのシーズンとなった 最終的にイクスは年間順位は4位 WCのJ・スチュワート(ティレル)とは 3倍以上のポイント差で終わった #F1-1971年
220923 J.ICKX F1マシンコレクション 3回FW12C
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1977 7TH IXO SHADOW DN8 A.JONES〖🏆1〗
アラン・ジョーンズ 初優勝 チームSHADOWの唯一の勝利 DN8 1977年A・ジョーンズは事故死した T・プライスに代わりR4アメリカWより出場 R6モナコ 決勝6位 R7スペイン 決勝5位 連続入賞を果たし勢いに乗る R12オーストリアGPでは 予選14位ながら不安定な路面状況を読み 12周目に4位 16周目に2位に浮上 残り11周でJ・ハント(マクラーレン)が エンジントラブルよりトップに浮上 そのままチェッカーで優勝 これはアラン・ジョーンズの初優勝 ジョーンズの生涯勝利数は12回 また1973年から1980年途中まで参戦する チームSHADOWにとっては唯一の勝利 ジョーンズは最終日本GP 富士SWで4位入賞 前年に続き日本GPでの連続4位入賞 ◆R17日本GP 富士SW 予選12位→決勝4位◆ このモデルは葉巻 フィルターのスポンサー Villigr AMBROSIO(Kiel)のロゴが無し SPARKのモデルは貼られているので謎ですが 現時点ではデカールは海外から取り寄せに なるので・・・どうしよかと悩み中 #F1-1977年 #F1-初勝利
A.JONES F1マシンコレクション 17 147FW12C
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1981 6TH PMA McLAREN FORD MP4 J.WATSON 〖🏆1〗
マクラーレンMP4シリーズの初のマシン J・ワトソン チーム4年ぶり勝利 2016年までマクラーレンが継続した MP4シリーズの最初のマシン カーボンモノコックが初めて使用され 従来のアルミハニカムに比べて 剛性が70%向上 25%の軽量に成功した デザイナーはジョン・バーナード チームオーナーはこの年よりロン・デニス 画像7 左からバーナード/ワトソン/デニス R9イギリスGP ワトソンは予選5位から優勝 マクラーレンは1977年最終戦日本GP以来 4年ぶりの勝利 ワトソンも5年ぶり2勝目 ワトソンの通算勝利数は5勝 この1981年のイギリスGP(シルバーストーン)MP4 では早くもタバコの規制がかかり マクラーレンは所謂バーコードで対応 モデルはそのイギリスGP仕様の為 バーコードのままにしてあります ワトソンは優勝含む4度の表彰台 年間6位 27ポイント FL1回 名門マクラーレンの復活を期待させる活躍 #F1-1981年 #MP4 #マクラーレン チームメイトはマクラーレンこの年限りの アンドレア デ チェザリス https://muuseo.com/FW12C/items/211?theme_id=38179
J.WATSON 1回 7 1/43FW12C
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1996 9TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 O.PANIS
MUGEN HONDA エンジン 初優勝 O・パニス唯一 リジェ最後の勝利 1996年R6モナコGP 決勝は暴風雨 予選14位のリジェ オリビエ・パニスは 朝のウォームアップランはトップタイム 当初ガソリンを満タンにして ノンストップの戦略をを取った 上位陣のリタイヤと安定した走りで モナコGPながら数台オーバーテイク 36周目には3位に浮上すると トップ走行のD・ヒル(ウイリアムズ) J・アレジ(フェラーリ)が相次ぎリタイア 59周目にトップに立ち2時間を超えた為 75周でレースが打ち切られて パニスがトップでチェッカー 最後はコース上に3台のサバイバルを制した MUGEN HONDA エンジン 初優勝は オリビエ・パニスのキャリア唯一の勝利 リジェも1981年ジャック・ラフィー以来 15年ぶりの優勝 リジェ通算最後の9勝目 翌1997年リジェはプロストに買収 1976年から21年間のF1参戦の幕を閉じた モデルは優勝モナコGP記念モデル フランス国旗のウイニングラン仕様 タバコ GAULOISESにデカール加工 画像2はオリジナルの加工前のモデル 画像3~6はPMA通常モデル こちらもGAULOISES仕様に変更 #無限エンジン初優勝 #F1-1996年 #リジェ最後のマシン #LIGIER #F1
O.PANIS 6.000 9 1/43FW12C
