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1981 6TH PMA McLAREN FORD MP4 J.WATSON
マクラーレンMP4シリーズの初のマシン J・ワトソン チーム4年ぶり勝利 2016年までマクラーレンが継続した MP4シリーズの最初のマシン カーボンモノコックが初めて使用され 従来のアルミハニカムに比べて 剛性が70%向上 25%の軽量に成功した デザイナーはジョン・バーナード チームオーナーはこの年よりロン・デニス 画像7 左からバーナード/ワトソン/デニス R9イギリスGP ワトソンは予選5位から優勝 マクラーレンは1977年最終戦日本GP以来 4年ぶりの勝利 ワトソンも5年ぶり2勝目 ワトソンの通算勝利数は5勝 この1981年のイギリスGP(シルバーストーン)MP4 では早くもタバコの規制がかかり マクラーレンは所謂バーコードで対応 モデルはそのイギリスGP仕様の為 バーコードのままにしてあります ワトソンは優勝含む4度の表彰台 年間6位 27ポイント FL1回 名門マクラーレンの復活を期待させる活躍 #F1-1981年 #MP4 #マクラーレン チームメイトはマクラーレンこの年限りの アンドレア デ チェザリス https://muuseo.com/FW12C/items/211?theme_id=38179
J.WATSON 1回 7 1/43FW12C
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1996 9TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 O.PANIS
MUGEN HONDA エンジン 初優勝 O・パニス唯一 リジェ最後の勝利 1996年R6モナコGP 決勝は暴風雨 予選14位のリジェ オリビエ・パニスは 朝のウォームアップランはトップタイム 当初ガソリンを満タンにして ノンストップの戦略をを取った 上位陣のリタイヤと安定した走りで モナコGPながら数台オーバーテイク 36周目には3位に浮上すると トップ走行のD・ヒル(ウイリアムズ) J・アレジ(フェラーリ)が相次ぎリタイア 59周目にトップに立ち2時間を超えた為 75周でレースが打ち切られて パニスがトップでチェッカー 最後はコース上に3台のサバイバルを制した MUGEN HONDA エンジン 初優勝は オリビエ・パニスのキャリア唯一の勝利 リジェも1981年ジャック・ラフィー以来 15年ぶりの優勝 リジェ通算最後の9勝目 翌1997年リジェはプロストに買収 1976年から21年間のF1参戦の幕を閉じた モデルは優勝モナコGP記念モデル フランス国旗のウイニングラン仕様 タバコ GAULOISESにデカール加工 画像2はオリジナルの加工前のモデル 画像3~6はPMA通常モデル こちらもGAULOISES仕様に変更 #無限エンジン初優勝 #F1-1996年 #リジェ最後のマシン
O.PANIS 6.000 9 1/43FW12C
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1976 6TH SPARK LOTUS77 M.ANDRETTI
日本におけるF1レース初代優勝 マリオ・アンドレッティ LOTUS 77 1976年アンドレッティはパーネリ所属も 開幕戦チームは欠場でロータスより参戦 予選16位→決勝はリタイア このGPでTMのR・ピータソンはチーム離脱 パーネリ撤退後再びR4スペインより ロータスより参戦 TMはG・ニールソン LOTUS77は低迷を続けていたが トニー・サウスゲート加入後徐々に改善 R7スウェーデン予選2位とFLを獲得 R12オランダ R14カナダで3位表彰台後 迎えた最終戦F1世界選手権イン・ジャパン 予選ポールポジション獲得は 自身のF1参戦初年度1968年以来8年ぶり 決勝はワールドチャンピオン争いの J・ハント(マクラーレン)に先行を許すも 豪雨のレースでレインタイヤを使いこなし 自身はフェラーリでの初戦の 1971年開幕戦以来5年ぶり2度目の優勝 チームロータスは2年ぶりの優勝を飾る 日本におけるF1グランプリの 初代優勝ドライバ―として名を刻まれた #F1-1976年 #LOTUS
M.ANDRETTI 1回 6 1/43FW12C
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1976 3TH PMA TYRRELL P34 J.SCHECKTER
F1 4輪車以外での唯一の勝利 TYRRELL P34 ジョディー・シェクター 6輪車 TYRRELL P34の根底にあるものは コスワースDFV搭載の従来のマシンでは フェラーリに対抗できないという デザイナー D・ガードナーに考えによるもの シェクターのTYRRELL P34のデビューはR5から R5ベルギー 予選7位→決勝4位入賞 R6モナコ 予選5位→決勝2位表彰台 R7スウェーデン 予選ポールポジション獲得 決勝はM・アンドレティ(ロータス)に先行を許すも エンジントラブルでリタイヤ後 46周目からトップに立ち27周トップ走行し優勝 TMのP・デュパイエと1・2フィニッシュを飾る これはF1史上 4輪車以外での唯一の勝利 R10ドイツ 2位表彰台を6戦連続入賞でかざり このGPはファステストラップも記録している シェクターのTYRRELL P34の成績は 出走12回 PP1回 優勝1回 表彰台5回 6位以内入賞10回 FL1回 完走した10レースすべてで入賞を果たす ◆R16日本(富士SW)予選5位→決勝リタイア◆ シェクターの1976年の年間順位は3位であるが TYRRELL P34の12戦のなかでは2位 しかしサスペンション周辺の剛性不足と それに対応するチームの根本的な対策の欠如で シェクターはTYRRELL P34を好まずに 3年間過ごしたティレルを離脱 翌1976年は新規チームウルフに移籍する #F1-1976年 https://muuseo.com/FW12C/items/893?theme_id=35914
J.SCHECKTER 1回 3 1/43FW12C
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1976 11TH+α PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON
ロータス離脱のR・ピーターソン 古巣マーチに復帰 MARCH FORD 761 1976年ロータスのニューマシン77に 失望したピーターソンは開幕戦後に ロータスを離脱して古巣マーチに復帰 復帰初戦のR2南アフリカGP 予選10位→決勝15周目リタイア インダクションポッドが高い位置に あるこの形状はR3アメリカWESTまでで R4スペインGPからは レギュレーションで禁止となった このGPはまだスポンサーがついておらず ピータソンの母国のスウェーデンの 国旗をモチーフとしたカラーとなっている #F1-1976年 #1976 上段 1976年ピータソン開幕戦仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/681?theme_id=35914 下段 1976年ピーターソンR13イタリアGP仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/914?theme_id=35914
R.PETERSON 1回 2.544 10FW12C
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1976 11TH PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON
ロニー・ピーターソン マーチ復帰 29戦ぶりの勝利 MARCH FORD 761 1976年R2南アフリカGPからマーチに復帰 前半戦は予選のシングルグリットの獲得も 決勝の結果に結び付かないレースが多く 後半戦はR11オーストリアGPで 予選3位の好位置から→決勝6位初入賞 R12オランダGPは自身40戦ぶりの ポールポジション獲得も決勝はリタイア R13イタリアGPは予選8位から 決勝はJ・シェクター(ティレル)を 11周目に抜いてトップに立ち P・ドュパイユ(ティレル)の猛追を防ぎ 1974年イタリアGP以来の優勝 モデルはイタリアGP WINNER仕様 ピーターソン29戦ぶりの通算8勝目 コンストラクターのマーチとしては 通算3勝目で最後の勝利となった ◆R16日本(富士SW)予選9位→決勝リタイア◆ 1976年様々なカラーリングのマーチ ピーターソンのマシンは ファーストナショナルシティ 現在のシティバンクがスポンサー 古巣マーチ復帰のピーターソン 入賞は2回のみで年間順位は11位 翌1977年はティレルに移籍します #F1-1976年 #1976
R.PETERSON 1回 3.024 10FW12C
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1976 7TH IXO PENSKE PC4 J.WATSON
チームペンスキー F1唯一の勝利は ジョン・ワトソンの初優勝 1958年設立のアメリカのレジェンド チームペンスキーは1974年から途中参戦 1976年はJ・ワトソンが前年末よりドライバ― R7スウェーデンGPよりニューマシン PENSKE PC4導入後成績が上昇 R8フランスR9イギリスで連続3位表彰台 フェラーリが欠場したR11オーストリアは 予選2位 決勝12週目からトップKEEPし優勝 この勝利はチームペンスキー唯一の勝利 F1通算5勝のワトソンの初勝利 そして前年度同じオーストリアGPで ペンスキー所属で命を落とした マーク・ダナヒューへ捧げる勝利でもあった チームはこの年限りで撤退 コンストラクター名は残るもATSへ売却 ワトソンは優勝含む表彰台3回 5度の入賞で年間順位は7位 ◆R16日本(富士SW)予選4位→決勝リタイア◆ 翌1977年はブラバムに移籍します #1976 #F1-1976年 #F1-初優勝 https://muuseo.com/FW12C/items/675
J.WATSON F1マシンコレクション 28 83FW12C
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1976 5TH QUARTZO FERRARI 312T C.REGAZZONI
クレイ・レガッツォーニ フェラーリ最後 自身唯一のグランドスラム達成 312T 1976年は車両規定が改訂されて 当時一般的になっていた背の高い インダクションポッドが R4スペインGP以降禁止となった 改定前最後のR3アメリカWESTで レガッツォーニは自身唯一 PP→全周回TOP→FL→優勝の グランドスラムを達成する グランドスラムは2022年現在までに 僅か25人のドライバ―しか達成していない モデルはそのR3アメリカWEST GP仕様で 前年チャンピオンマシン フェラーリ312Tの最後のレース 車両規定に合わせた312T2を導入し R5戦以降レガッツォーニは 2位表彰台を3回獲得 年間順位は5位 FL3回 ◆R16日本(富士SW) 予選7位→決勝5位入賞◆ R11オーストリアGPの欠場 TMのN・ラウダの炎の大事故もあり ドライバ―タイトルは逃したものの 2年連続のコンストラクター チャンピオンは死守した 翌1977年はカルロス・ロイテマンの加入が 決定しており レガッツォーニは 通算6年間過ごしたフェラーリを離れ エンサインに移籍をします
C.REGAZZONI 3回 2 1/43FW12C
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1995 5TH PMA FERRARI 412 T2 J.ALESI
F1参戦 91戦目 ジャン・アレジ 最初で最後の勝利 FERRARI 412 T2 1995年初優勝3人の1人目 1995年6月11日 奇しくも アレジ 31歳の誕生日 R6カナダGP アレジの最も尊敬する ジル・ビルヌーブの名称のサーキット M・シューマッハ(ベネトン)が58周目に トラブルで後退 残り11周を約30秒の マージンを受けてトップを走行 観客がサーキットになだれ込む中 前が見えなくなるほどの涙の チェッカーフラッグ 参戦91戦目は当時の2番目の 初優勝までの遅い記録 (1位は95戦 T・ブーツェン) 結果的に最初で最後の優勝となった その約20日後に前妻との離婚が成立して 後藤久美子との婚約が発表された (ゴクミ当時21歳 現在まで事実婚のまま) フェラーリでの5年間は年間順位 7位→7位→6位→5位→5位 シューマッハのフェラーリ移籍に伴い アレジはベネトンに移籍 1995年初優勝の3人は (J・ハーバート D・クルーザード) 全員翌年 他チームへ移籍となった #F1初優勝 #1995
J.ALESI 1回 27 1/43FW12C
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1995 3RD ONYX WILLIAMS RENAULT FW17 D.COULTHARD
デビッド・クルーザード 初優勝 WILLIAMS RENAULT FW17 1995年初優勝3人中のラスト クルーザード2年目初のフル参戦 予選ではTM D・ヒルと互角の戦い R2アルゼンチンGPで自身初のPP R12~R15まで4戦連続PP R13ポルトガルGPで 参戦21戦目で初優勝 これは2位M・シューマッハ(ベネトン) 3位TMのD・ヒルを従えた完ぺきな勝利 しかしR12イタリアのPPから フォーメーションラップでのスピンなど ミスも目立ちこの年限りで ウイリアムズを放出され 翌1996年はマクラーレンに移籍する ONYXからは4種類以上のモデルが 1995年のクルザード車として発売 画像1 FW17 パラソル仕様 画像2 FW17 通常版 画像3 FW17 ポルトガルGP仕様 (初優勝 ドライバ―レス) 画像4 FW16 TEST仕様 #F1初優勝 #1995 #WILLIAMS
D.COULTHARD 2回 6 1/43FW12C
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1982 11TH BRABHAM BMW BT50 N.PIQUET
1982年の11人のWINNERSの7人目 前年度Wチャンピオン ネルソン・ピケ ブラバムはBMWエンジン搭載の BT50を開幕から投入 エンジン初期トラブルで R2ブラジルGPは前年度の改良型の BT49D FORDでトップでチェッカーも 重量規定違反で失格となる R7アメリカでは予選落ちするも R8カナダで予選4位→優勝 1982年7人目のWINNERとなったが 年間はこの1勝に終わり 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間順位11位と苦戦 BT50はFIで初めてR10イギリスより 走行中のマシンデータをピットから モニタリングできる テレメトリーシステムを導入 BMWエンジンの燃費の悪さを補うため 燃料使用量を把握してピットイン時に 給油とタイヤ交換を行って ハイペースで走るという戦略を ゴードン・マレー発案で導入した #1983 #BRABHAM
N.PIQUET 2回 1 1/43FW12C
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1983 4TH IXO FERRARI 126C2B P.TAMBAY
パトリック・タンベイ ベストシーズン 1983年 フェラーリ 126C2B 前年度よりフェラーリに残留 TMはR・アルヌーのフランス人コンビ 前半は昨年の改良型126C2Bで参戦 ポスルズウェイト設計のアルミハニカムを 使用したモノコックシャーシ 120度のV6ターボエンジン R4サンマリノGP トップのR・パトレーゼ(ブラバム)が ファイナルラップのクラッシュで タンベイが通算最後の2勝目を上げ 前年に他界し友人でもあった G・ビルヌーブに再び勝利を捧げた 126C2Bの最後のR8カナダGPでは 自身初のファステスト・ラップを記録 PP4回 優勝1回含む表彰台4回 年間順位4位はタンベイのベストシーズン フェラーリの2年連続のコンストラクター チャンピオンに貢献した TMのアルヌーは3勝ランキング3位 翌年はフェラーリ待望のイタリア人 M・アルボレートの加入が決まり タンベイはフランスチーム ルノーに移籍 #FERRARI
P.TAMBAY フェラーリF1コレクション 1回 27FW12C
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2018 3RD BBURAGO FERRARI SF71H K.RAIKKONEN
ライコネン113戦ぶり最後の通算21勝目 第2期フェラーリ5シーズン目 SF71Hは序盤より好調 前半12戦中8回の表彰台で復調の兆し R14フェラーリ地元イタリア モンツァ 在籍通算8年目にして初のフェラーリで モンツァでのポールポジション獲得 決勝はL.ハミルトン(メルセデス)に 惜しくも敗れて2位 R18アメリカGP 予選2位から 決勝は1ストップ作戦も功を奏し ロータス時代より113戦ぶりの優勝 通算最後の21勝目を飾った 優勝を含む12回の表彰台 年間順位3位 第2期フェラーリ時代では最高成績を残し 翌年はザウバー(アルファロメオ)移籍 2018年のPP・優勝・FLは各1回 いずれも ライコネンの生涯最後のものとなった #2018 #2021年ライコネン引退
K.RAIKKONEN 1回 1/43 FERRARIFW12C
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2004 7TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-19 K.RAIKKONEN
#2021年ライコネン引退
K.RAIKKONEN 2回 6 1/43FW12C
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1965 6TH QUARTZO HONDA RA272E R.GINTHER
1965年10月24日 最終戦R10メキシコGP HONDA F1初優勝モデル R.ギンザー アメリカ出身 ㊗️おめでとう㊗️ ありがとう HONDA❕❕❕❕❕❕ #1965 #2021ありがとうHONDA
R.GINTHER 11 1/43 HONDAFW12C
