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1987 (29TH) SPARK BRABHAM BT56 S.MODENA
寡黙なイタリアン ステファノ・モデナ F1デビュー BRABHAM BMW BT56 1987年国際F3000チャンピオン 同年F1最終戦R16オーストラリアGP ウイリアムズのN・マンセルの欠場に伴い 次年度ウイリアムズシートが確定の R・パトレーゼがブラバムから移籍 空いたブラバムのシートにモデナが起用された チームメイトはアンドレア・デ・チェザリス 予選は15位で通過も決勝は疲労でリタイア 急遽の参戦でマシンになれず 自らリタイアを申し出た このGPをもってブラバムは1年間チームを休業 モデナは翌1988年はユーロブルンで参戦 1989年は再びカムバックしたブラバムへ復帰 #F1-1987年
221111 S.MODENA 7 1/43FW12C
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1991 8TH SPARK TYRRELL HONDA 020 S.MODENA
前年度チャンピオンHONDAエンジンを得て 期待されたティレルに移籍のS・モデナ チームメイトは中嶋悟 タイヤはピレリ メインスポンサーBRAUN 開幕戦アメリカ フェニックス モデナ4位 中嶋5位の好スタート そしてR4 モナコでは低速サーキットで ピレリタイヤもマッチして予選2位 (モデル仕様) モデナも後日談で勝てるとしたら このレースだったと言っていたが 決勝は残念ながらリタイア 次戦R5カナダでは上位陣の脱落もあり 自身唯一の2位表彰台 それ以降はR15日本GPの6位入賞のみ 日本でもお馴染みのこのモデルも よくよく考えるとこの年のみの貴重なカラー モデナの年間8位 10Pのベストシーズン #F1-1991年
S.MODENA 4 1/43 TYRRELLFW12C
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1992 17TH PMA JORDAN YAMAHA 192 S.MODENA
1992年S・モデナはジョーダンに移籍 チームメイトはM・グージェルミン 昨年は参戦初年度ながらコンストラクター 5位と好調だったジョーダン 新たにYAMAHAエンジンと SASOL BARCLAYなど大型スポンサーを得て さらなる飛躍が期待されましたが・・・ (何故かONYXはBARCLAY仕様) モデナは開幕戦含む4回の予選落ち 後半戦何とか立て直し R15日本GP 鈴鹿は7位 最終戦得意の公道でアデレードで6位 モデナとチームが何とか無得点を逃れた レースがモデナのF1最終70戦目でした #F1-1992年
S.MODENA 2.088 32 1/43FW12C
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1990 17TH MERI BRABHAM BT59 JUDD S.MODENA
1990年S.モデナは前年に続きブラバム チームメイトは序盤2戦はG・フォイテク その後D・ブラバム タイヤはピレリ 開幕戦アメリカフェニックスで 予選10位→決勝5位(BT58) モデルのBT59は3戦目より投入も 成績は下降 7位が最高 当時のスポンサー伊太利屋は 日本のレディースファッションブランドを 親会社に持つ自動車輸入販売会社 この後続々と日本企業がブラバムをサポート #F1-1990年
S.MODENA 8 1/43 BRABHAMFW12C
