MOR
カメラ道楽とオーディオ道楽の間を行ったり来たりしています。両方をいっぺんにやると破綻するのは目に見えているので,同時進行はしないことにしています。
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道楽の成れの果て。気がついたら身の回りに集まっていたモノたちを取り留めもなく並べています。興味があればお付き合いくださいませ。
Leica L39マウントレンズ
Leica Mマウントレンズ
Contax Cマウントレンズ
Contarexマウントレンズ
Alpaマウントレンズ
Paxette M39マウントレンズ
Deckelマウントレンズ
M42マウントレンズ
Pentax Kマウントレンズ
Minolta SRマウントレンズ
Konica Fマウントレンズ
Konica ARマウントレンズ
Micro Four Thirdsマウントレンズ
Canon EF-Mマウントレンズ
Sony Eマウントレンズ
フィルムカメラ
デジタルカメラ
マウントアダプタ
カメラ・写真用アクセサリー
オスカー・バルナックは1902年にCarl Zeisに就職します。ちなみにSonnarを発明したかの有名なベルテレが生まれたのが1900年です。バルナックは小型カメラの製作に情熱を持っていたようで,1905年には小型カメラのプロトタイプを作っています。1910年にZeissからIcaに出向中に小型カメラの提案をしますが,受け入れられませんでした。2ヶ月の出向ののち,Zeissに戻ったバルナックはすぐにZeissを辞してエルンスト・ライツに転職します。
ライツにおいて,映画用ロールフィルムから映画2コマ分使うことで従来と比較して大幅に小型化したライカ判カメラの試作機を完成させたのが1914年でした。その10年後の1925年に最初の量産品であるライカI (A)型が発売されます。このカメラはレンズ固定式でした。レンズ交換可能なライカI (C)型が1930年に,そしてバルナック型ライカの原型ともいえるライカII (D)型が1932年に登場します。ライカI (C)型のどこかで39mmのねじ込み式マウントでフランジバックが28.8mmと決められ,レンズを調整しないで付け替えられるようになります。これがライカスレッドマウント(LTM)やL39と呼ばれるマウントです。ライカII (D)型では距離計が搭載されました。
1935年にはザ・バルナックライカともいえるライカIIIa型が発売され,その1年後にはバルナックは亡くなります。1954年のM型ライカであるM3の発売後,1960年までライカIIIgが生産され,バルナックライカは終焉を迎えます。
第二次世界大戦を挟んで生産されたバルナックライカはライツ以外の世界中のカメラメーカーに模倣され,いわゆるライカコピーが数多く市場に現れます。そのため,L39マウントのレンズもノンライツのものが無数に存在します。近年はライツ/ライカのレンズは投機目的ではないかと思うくらい高騰しているためとても買えませんが,L39のレンズはライツでなくても無尽蔵にあるのでいくらでも楽しめます。ここではそんなL39マウントレンズを集めました。
バルナック型ライカが採用した39mm径のねじ込み式(LTM, L39)のレンズ交換式のレンジファインダーカメラは世界中の多くのカメラメーカーが追随しました。日本のカメラメーカーからも多くのライカコピーモデルがリリースされ,本家ライツを脅かすようになってきました。ライツはねじ込み式のLTMに見切りをつけて1954年にM型ライカであるM3を市場に投入します。このカメラはLTMよりもフランジバック が1mmだけ短いバヨネット式マウントをもち,LTMのレンズをM型ライカに取り付けることができるL-Mアダプターも提供されました。ライツはM3によってライカコピーを発売していた多くのカメラメーカーを振り切ることに成功します。
ライカMマウント(LM)は1954年から現在に至るまでM型ライカのマウントとして生き続けています。LTMのように多くのメーカーがLM互換のレンズを作ったわけではありませんが,技術提携をしていたミノルタをはじめとして,コニカ やコシナが独自に互換レンズを発売しています。
高価なレンズの代名詞ともいえるライカ純正のLMレンズはとても買えませんので,ここでは主にLMマウントの互換レンズを集めています。
1910年にカール・ツァイスを辞してエルンスト・ライツに転職したオスカー・バルナックが最初のライカ(24x35mm)判フィルムを用いた小型カメラであるウル・ライカを完成したのは1914年でした。量産品が市場に登場するのは1925年のライカI (A)型が最初ですが,レンズ固定式でした。レンズ交換可能なライカI (C)型が1930年に,いわゆるバルナックライカの原型ともいえるII (D)型が1932年に登場します。オスカー・バルナックはこの4年後,ライカIIIaの発売1年後に亡くなっています。
ライカII (D)型の登場から1ヶ月後の1932年3月,ツァイス・イコンからContaxが発売されます。1936年にContax IIが発売されると初代ContaxはContax Iと呼ばれるようになります。Contax Iはライカに比べて遥かに長い101.7mmという基線長のレンジファインダーを持つカメラでした(ライカの基線長は38mm)。この長い基線長のおかげで,明るいレンズを装着しても高精度にピント合わせができました。あらゆる面で,ツァイス・イコンの総力を結集して完成されたカメラと言えます。Contax Iは短期間に多くの仕様変更がされ,様々なタイプがあるようです。このことは発売を急いだために十分な完成度に達していなかったことの裏返しなのかもしれません。ライカも高価でしたが,Contaxもとてつもなく高価でした。
ライカに比べてContaxは壊れやすい印象がありますが,レンズについてはZeissはライツに対して1日の長があるともいえ,Contax用に用意された交換レンズ群はいずれも素晴らしい性能のレンズでした。ライカにContaxのレンズを使えれば最高だ,と言われたこともあったようですが,それぞれのシンパに袋叩きにされそうな話ではあります。
昨今のライカブームでライカのレンズは不当に値上がりしているように感じますが,Contax用のレンズはその性能の割に価格はそれほど高価ではありません。50mm F2の標準レンズならContax Cマウントレンズ(Sonnar 50mm F2)はライカL39マウントレンズ(Elmar 50mm F2)の1/2くらいの価格でしょうか。Contax Cマウントが標準レンズは内爪式,それ以外が外爪式といういかにも使いにくい仕様になっていることもレンズがそれほど高価で取引されないことと無関係ではないと思われます。
ベネズエラ製のAmedeoアダプターの登場により,Contax CマウントレンズをM型ライカで使うことができるようになりました。ヘタをするとレンズよりも高価なアダプターですが,距離計にも高い精度で連動するため実用的です。ただし,Contax CマウントレンズのうちTessar 2.8cm F8を除く広角レンズは後玉が大きくはみ出しているため,アダプタ(カプラー)を用いてライカに装着することができません。標準から望遠レンズについては問題なく装着できます。
戦後のドイツの分断によりレンズ供給が不安定になったりした時期がありますが,当時のレンズには現代のZeissにはない「何か」があるように思います。ソ連に接収されたZeissの技術をもとにソ連で作られたZeissコピーのレンズやカメラも多数あって,ソ連のなかで独自の発展を遂げます。一部のソ連製レンズはZeiss製レンズの完全なコピーなので,銘板だけを挿げ替えた偽物が数多く出回っていることには注意が必要です。偽物の見分け方は簡単ではありませんが,一つの目安として,距離表示の単位がm (小文字)なのがZeiss, M (大文字)なのが偽物という傾向はあるようです。少なくともソ連製のZeissコピーレンズで距離表示が小文字のmのものを見たことがありませんのでおおよその判断基準になると思っています。ただし,アメリカ向けのfeet表示のみの個体はこの判定ができませんので手を出さないのが無難です。
Contarexは西ドイツのZeiss Ikonが満を持して投入した高級一眼レフカメラシステムです。1958年に発表され1959年か1960年に発売されています。凝った機構とこだわりの精密仕上げで高級機として非常に力の入ったシステムでした。しかしその代償として大きく,重く,とてつもなく高価なものでした。
1959年には日本光学がNikon Fを,1961年には旭光学が最初のM42スクリューマウントの一眼レフ機であるAsahi PENTAX S3を市場に投入にしています。前者は特に新しい機能や機構があったわけではありませんが,極めて頑丈で手堅いカメラとして厳しい条件下で使われるプロフェッショナル向けのカメラとしての地位を確立していきます。一方,後者は一眼レフカメラとして一応の完成の域に達し,その後,1964年に登場し,世界的なベストセラーとなるAsahi PENTAX SPへの道筋を作りました。
1950年代に登場したクイックリターンミラー方式の一眼レフカメラは1960年代にはいって完成度を高め,実用品として普及の段階に入ろうとしていました。そして1960年代の後半には日本製のカメラが世界を席巻することとなります。大きく重く,とてつもなく高価なContarexのセールスは伸び悩み,登場から10年あまりたった1971年にはZeiss Ikonはカメラ事業から撤退します。その後,Carl ZeissとYashicaの提携によって1975年にContax/YashicaマウントのContax RTSが登場するまでContaxの名を冠するカメラは空白の時代に入ります。
Zeiss Ikonが気合をいれて開発したContarexシステムは当然のようにレンズにもたいへん力が入っていました。しかし1971年のカメラ事業からの撤退にともなって1972年にはレンズ生産もRolleiに譲渡してしまいます。RolleiのRolleiflex SL35向けに供給したレンズを別にすると,Contarexのレンズ群はZeissがZeissのために自前で生産した最後のレンズ群と言ってよいと思います。そのような意味でもContarexのレンズに強く興味が惹かれるのです。
Contarexは商業的にはあまり成功しなかったというか,最初から大きな成功を求めていなかったのではないか,と思わせる部分もあって(あくまでも私の主観ですが),Contarex同様にやたらと高価であったAlpaとその目指す方向はまったく違うにもかかわらず共通した何か,同じ匂いを感じてしまうのです。そして,結果として,その匂いから逃れられず手元にはいつのまにかレンズが集まっていたりします。
スイス製の一眼レフカメラAlpaはピニオン社という時計の歯車を作る精密部品メーカーが作っていたカメラです。ピニオン社はカメラだけを作ってレンズは全て他メーカーからの供給を受けていました。ピニオンにはある種のこだわりがあったようで,なぜかレンズの王様Carl Zeissのレンズは一本もラインナップされていませんでした。そのかわり,と言ってはナンですが,一癖も二癖もあるマニアックなレンズが並んでいます。
Alpaカメラはとても高価だったため,当然,製造数も少なく(1944年から1989年の45年間に42,000台しか作られなかった。単純計算で月産80台足らず),その結果,自動的にレンズの製造数も少ない,というレアモノの条件をカメラ,レンズともに十分過ぎるほど満足しています。カメラは複雑で壊れやすかったようで,とても私のような貧乏人が手を出すようなものではありません。しかし,レンズはとても魅力的です。Alpaカメラは一眼レフではフランジバックが最も短い部類に属していたため,Alpa用レンズはマウントアダプタ経由ではいかなる一眼レフカメラにもつけることができませんでした。とてもマニアな人がLeica Mにつけて使っていたようです。かつて,青山にあった某マニアックなカメラ店が製作したAlpaからLeica Mへのマウントアダプタは50mmレンズに限って距離計も連動したようです。
初期のAlpaカメラは一眼レフですが距離計にも連動するレンジファインダーも付いていて一部の標準レンズは距離計連動していたため,レンズも距離計に連動できるようになっていました。よって,理論上はLeicaの距離計にも連動可能なアダプタを作ることはできた,ということだと思われます。
最近,中国製のブランドやノーブランドで出回っているAlpa - Leica M用マウントアダプタはこのレチナハウスのアダプタを模倣して作られているようで,標準レンズは距離計に連動することになっています。有名ブランド製となっているものはたぶんノーブランドで出回っているもののOEMです。
ところが,これらの距離計連動タイプのアダプターの距離計の精度はまったく使い物にならないレベルであるばかりか(一応,調整できるようにはなっているけれど...),距離計連動用の圧板のバネの力のバランスがとても悪く,レンズ側のヘリコイドを回そうとすると摩擦抵抗が大きすぎてピント合わせが困難,という実に本末転倒な代物です。距離計連動が使い物にならないばかりか,レンズに無用の負担をかけるうえにピント合わせもできない,というどうにも使えないものです。特定の個体の不具合かと思っていくつか購入しましたが,そもそもの設計がダメなのでいかんともできません。
話がそれましたが,Alpa用レンズは兎に角,数が少ないうえ変わったメーカーのレンズがラインナップされているためか非常に限られたマニアの間でのみたいへん評価が高いようです。ただ,それもミラーレス一眼カメラが一般的になって,フランジバックが極端に短いAlpa用レンズがようやく陽の目をみることになったからだと思います。ミラーレス一眼が出る前はAlpa用レンズはレアであるにもかかわらずそれほど高い価格で取引されていたわけではないようですので,最近のAlpa用レンズの高騰ぶりには少し腰がひけてしまいます。
Alpa用レンズはそれほど多く所有しているわけではありませんが(高価でなかなか入手できない),手持ちの個体を並べています。
Carl Braun Camera Factoryが1952年にリリースしたレンズ交換式のレンズシャッターをもつ35mm判カメラがPaxette IIです。IIというからには初代があるわけで,初代はレンズ固定式でした。ざっくり言えばPaxetteの初代はレンズ固定式,第二世代のPaxette IIはフランジバックが44mmで,39mm径,ピッチ1mm (M39)のねじ込み式マウントのレンズ交換式,第三世代はdeckelマウントのバヨネット式マウントの3種類に分けられます。ただ,各世代においても細かいバリエーションが大量にあるため何が何だかわかりません。初代のPaxetteでもレンズ交換ができるものもあるようでモデルのバリエーションは大混乱です。M39マウントの第二世代でも,距離計がない目測式,距離計はあるがレンズと連動しないもの,レンズと連動するレンジファインダーのあるもの,とこれまた大きく分けて3種類あります。相互に互換性があるかというとそれもよくわかりません。距離計に連動するレンズには銘板に-E-という刻印がついているようですが,ついていないのに連動するものがあったりするようで,一貫性はあまりなさそうです。
Paxette用のM39マウントレンズはバルナックライカのL39ねじ込み式マウントと物理的には互換性がありますが(ネジ径とピッチが同じだから),フランジバック が全く異なるため,Paxette用のレンズをバルナックライカにつけても無限遠はでません。Paxetteが44mm,Leicaが28.8mmです。また,旧ソ連時代に作られたM39ねじ込み式マウントのカメラであるZenitはフランジバック が45.2mmでこれもフランジバックが異なります。物理的に同じ形状でまったく互換性がないものが複数存在するので混乱しますがここではPaxette用M39レンズを並べています。
Friedrich Deckel AGはドイツのミュンヘンに1903年に創設された機械メーカーです。レンズシャッターを作っており,レンズシャッターをベースとした一眼レフ用のマウントシステムを開発し,いくつかのカメラメーカーがこれを採用したカメラを1950年代の終わり頃から市場に投入しています。このシャッターやその周辺機構を含むマウントシステムがDeckel (DKL)マウントと呼ばれるものです。
DKLマンウントを採用したカメラの主なものには,コダックのレチナIIS, IIIS,フォクトレンダーのベッサマチック,ウルトラマチックシリーズがあり,これらのDKLマウントカメラは全部で100万台を超えたようです。Friedrich DeckelはDKLマウントをユニバーサルマウントとすることを目指したようで,実際,M42,Exakta (EXA)マウントと並ぶユニバーサルマウントとなり,ドイツを中心とする主なレンズメーカーが参入しました。
なぜかCarl ZeissはDKLマウントレンズを供給しておらず(ごく少数はあるらしいですが,まず目にすることはありません),Voigtländer,Schneider,Rodenstock,Steinheil,Ennaなどからレンズが供給され,ユニバーサルマウントであるM42やEXAとはやや趣が異なる交換レンズのラインナップでした。特に,Rodenstockの35mm判のレンズの多くはDKLマウントとして供給されており,M42,EXA,ライカスクリュー(L39)マウントのレンズは非常に限られています。
レンズビハンドシャッターのため,レンズの設計はレンズシャッターの径に大きく制約されています。レンズ後端の小さな径に光を通さなくてはならないため,最短撮影距離が非常に長くなる,という問題がありました。DKLマウントでもっとも広角であった28mmレンズでさえ,最短撮影距離は当初は1mもあって,一眼レフによって撮影対象を直接見ながらピント合わせができるメリットをほとんど享受できないものであったと言えます。
DKLマウントという場合,通常はベッサマチックやレチナIIS,IIIS用のものを指すことが多く,これらのカメラでは,絞り操作はボディ側で行うようになっていました。のちに露出などの自動化が進むとカメラからレンズを認識できるようにメーカー独自の爪が追加されるようになり,結果としてユニバーサルマウントとしての汎用性が失われます。DKLマウントの黎明期には一眼レフだけではなく,レンジファインダー機とも互換性があり,レンズには距離計連動機構を持つものが作られました。一眼レフが台頭するにつれてレンジファインダー機の需要が減り,ある時期からは距離計連動機構を省略したレンズが作られるようになります。それとともに,最短撮影距離が少し短くなるような改良がされています。
現代のミラーレス一眼カメラでこれらのDKLマウントレンズを使うには,メーカー独自の爪を回避し,絞り環をもつマウントアダプタを用いることになります。
ただ,ややこしいことに,DKLマウントには同じ物理形状でありながらレンズ側に絞り環を有するフォクトレンダーのビテッサTというカメラがあります。ビテッサT用のレンズとベッサマチックなどのレンズは互換性がなく,マウントアダプタもそれぞれ別に用意せねばなりません。
さらに,コダックのレチナIIa, IIc, IIIcといったカメラは,レンズ交換式ですが,レンズシャッターより対物側の前玉のみ交換可能なシステムでした。これらのカメラ用のレンズ銘にはDKLマウントレンズと同様にレチナoooというような名前が付いているものがあって混乱します。多くの場合,レチナIIIc等むけのレンズ銘にはCという文字が入っていることと,レンズの暑さも薄い(前玉だけしかないから),というようなところで判別するしかありません。
このようにDKLマウントレンズは,同じマウントでもメーカー間での互換性がないもの,同じ物理形状でも絞り環の有無の違いがあって互換性がないもの,似たような名前のカメラ用レンズでありながら全く異なるシステムであるものがあって大混乱の様相を呈しています。ここでは,レチナIIS,IIIS,ベッサマチック,ウルトラマチックなど,絞り環がボディ側にあるタイプのDKLマウントレンズを集めています。
泣く子も黙る世界共通マウントのM42 (プラクチカ)マウントのレンズを集めました。M42マウントは内径42mm,ピッチ1mmのねじ込み式のマウントで,1948年に登場したプラクチフレックス2にはじめて採用されます。1949年のプラクチカFXの登場によってプラクチカスクリューマウントの名称が定着します。プラクチカマウントは当時たくさん存在したマウントの一つに過ぎませんでしたが,製造が簡単ということで多くのカメラが採用しました。なかでも1957年に登場した旭光学のアサヒペンタックスAP,その後,1964年に発売されたアサヒペンタックスSPの大成功によって,M42マウントはデファクトスタンダードの地位をゆるぎないものとします。
1958年当初のプラクチカマウントはフランジバック が45.7mmでしたが,いつかはっきりしないのですが,途中から45.46mmに変更されています。そのため,レンズの製造時期によってフランジバック が異なるため,物理的に装着できても無限遠が出ない,というような問題があります。また,バックフォーカスはレンズを装着するカメラのミラーの軌跡に依存していて統一した規格があったわけではありません。そのため,レンズによっては必ずしも全てのカメラボディで正しく使える,というわけでもありませんでした。このことが現在ではマウントアダプタとM42レンズの相性問題につながっています。
クイックリターンミラー方式の一眼レフカメラで一世を風靡した旭光学は旧来のねじ込み式M42マウントからバヨネット式のペンタックスKマウントに1975年になって移行します。その後,ペンタックスはカメラがオートフォーカスになってもデジタルになっても一貫してKマウントを維持して現在まで続いています。物理的には同じKマウントですが,時代にあわせて電気接点が追加されたり,レンズ駆動用カプラーが追加されたりして様々に仕様が変更されてきました。マウントのユニバーサル化をめざしてKマウントの仕様は公開されましたが,その後の電気接点などの情報は公開されずなんとなく中途半端になってしまいました。それでも他社からいくつかのレンズが発売され,少しばかりは当初の目論見が達成されたようです。KマウントはKingのKとのことですが,マウントの王とまではいかなかったかもしれません。ここにはマニュアルフォーカスからオートフォーカスまで,また,旭光学以外のメーカーによるレンズも含めてKマウントレンズを集めています。
ミノルタといえば「稔る田」,ロッコールといえば「六甲」。ミノルタはMinolta SR-2によって1958年に一眼レフカメラへの進出を果たします。なぜかSR-2という中途半端なモデルナンバーからスタートしたのは深い意味があったのか,何も考えていなかったのか,今となってはわかりませんが,翌年に登場したSR-1は廉価版カメラでした。1番というモデルナンバーを惜しげもなく廉価版に投入してしまう感覚はイマイチ理解に苦しみますが,1は2より小さいから,安い,という論理展開だったのでしょうか。謎です。SR-2とともに登場したのが通称,SRレンズです。マウント名の呼び名ははっきりとはわからないのですが,初期のカメラ名をとってSRマウントといったりその後のレンズ銘からMDマウントといったりするようです。ミノルタの一眼レフ用レンズは大きく分けて初期の無印またはAUTOがついたROKKORレンズ,絞り優先AEに対応したMC ROKKORレンズ,シャッタスピード優先にも対応した両優先対応のMD ROKKORレンズ,さらにフォーカスエイドに対応したNew MDレンズの4世代があります。最後のNew MDレンズは銘板にはMDのみが表記されています。SR/MDマウントは1985年のAF一眼レフカメラα7000の衝撃のデビューまで四半世紀にわたって続きます。
小西六の最初の一眼レフカメラは1960年に投入された世界最速1/2000秒の高速シャッターをもつKonica Fでした。このときのマウントはコニカマウント,通称,コニカFマウントでした。Konica Fはたいへん高性能でしたが高価でもありました。そのため日本国内ではほとんど売れず,結果としてほとんどが輸出されます。シャッターユニットの合理化などによって1962年のFPのような廉価版のカメラが投入されますが,あまり販売数は改善しなかったようです。1965年にはフランジバックはそのままに大口径化したコニカマウントII,通称,コニカARマウントのAutorexが登場しコニカFマウントはわずか5年でその幕を閉じます。
そのため,コニカFマウントのレンズはあまり多くはありません。35mm F2,同F2.8,50mm F2,52mm F1.4,同F1.8,85mm F1.8,100mm F2.8,135mm F2.8,同F3.5,200mm F3.5,400mm F4.5,800mm F8というラインナップでした。なかでも35mm F2と52mm F1.4,85mm F1.8は当時としては非常に先進的な大口径レンズであったと推察されます。現在,中古市場で見かけるコニカFマウントレンズは52mm F1.8が圧倒的に多く,まれに52mm F1.4や35mm F2.8を見る程度です。それ以外のレンズはおそらくタマ数自体が少なくほとんど見たことがありません。
コニカFマウントのレンズはあまりにもマイナーなためさすがにマウントアダプター全盛のご時世にあってもメジャーどころからはマウントアダプターが発売されていません。そのため,コニカFマウントレンズをミラーレス一眼カメラで使うもっとも合理的と思える方法は,コニカFマウントレンズをARマウントボディに取り付けるためのコニカ純正のマウントアダプタを入手し,市場に豊富に流通しているARマウントレンズ用のアダプターを使うことだと思われます。しかし,この純正アダプタがとてつもなくレアものなうえに,市場に流通しているARマウントレンズ用アダプタの多くとはうまく繋がらない,という二重の罠が待っていて,コニカFマウントレンズを普通に使うことのハードルは異常に高いものがあります。でも,困難であればあるほど,どうしてもなんとかしたくなるものです。悲しい性です。
コニカ(ではなく,当時は小西六)の最初の一眼レフカメラは1960年に投入された世界最速1/2000秒の高速シャッターをもつKonica Fです。このカメラはNikon Fよりも高価な高級カメラとして登場します。このときのマウントはコニカマウント,通称,コニカFマウントでした。Konica Fは日本国内ではほとんど売れず,結果としてほとんどが輸出されます。コニカFマウントのカメラは少しづつ廉価版のカメラが投入されますが,あまり販売数は改善しなかったのか,小西六は高級路線から大衆路線へ舵を切りはじめます。そしてマウント口径の大口径化を実現するために,わずか5年でコニカ Fマウントを捨て,1965年にはコニカマウントII,通称,コニカ ARマウントのKonica Autorexが登場します。コニカ の一眼レフカメラのレンズ銘は一貫してHexanonで,初期のARマウントレンズまではHexanon銘のみでしたが,その後,Hexanon AR銘になります。ここにはコニカ一眼レフARマウント用のレンズを集めました。
Canon初のミラーレス一眼カメラであるEOS Mは2012年10月に発売されました。Canonとしては3つめのマウントで新たにカメラを出すという,無謀というか勇気ある発売である,と私には感じられました。
しかし,EOS Mの発売時に何を血迷ったのか,これしかない,というわけのわからん信念を持って初物に飛びついてしまいました。AFが迷うとか遅いとかCanonにありがちな初物でのトラブルがとても多い機種でした。発売と同時にEOS Mを購入し,1ヶ月後にはアルメニア出張に持っていって使いたおしました。軽くて小さくて仕事のお供にはたいへんよいカメラでした。このときに調達したのはダブルレンズキットで,EFレンズ用のマウントアダプタ,ストロボ,22mmの単焦点,18-55mmのズームレンズがセットになったもので結構お買い得だと勝手に思い込んでの導入でした。
その後,EF-Mレンズは少しづつ増えていきますが,そのペースは遅くてCanonにとってEF-Mはミラーレスカメラのお試しという位置付けで最初からあまりやる気がなかったのかもしれません。レンズの更新もまったくないので,EF-Mレンズで2021年末時点でディスコンになったレンズはキットレンズであった18-55mmだけだったと思います。
2018年10月に新しいマウントであるRFマウントのフルサイズミラーレス一眼カメラのEOS Rが登場するにいたって,EF-Mマウントシステムの立ち位置はますます微妙になります。EOS Rの発表以降に登場したEF-Mレンズは2021年末時点では32mm F1.4だけです。
EF-Mシステムがもっとも輝いていたのはEOS R発表の半年前,2018年2月のEOS Kiss M登場の頃だったように思います。このカメラ以降は既存モデルのマイナーチェンジが細々と行われただけです。少し力が入っているように見えたEOS M6 Mark II (2019年夏登場)がバカ売れした,という話も聞きませんので,メーカーもユーザーもEF-Mマウントに微妙な距離をおいているように思われます。
EOS Kiss Mが登場したとき,手元のEOS Mを更新するかどうか悩んだものの,そのまま先送りにしていました。半年後にEOS Rが登場し,EF-Mシステム終息の噂も少なからず飛び交うようになり,そんな中ですでに10年近く使い続けているEOS Mを更新するかどうか,ますます悩ましいところです。
とはいえ,EOS Mはそれなりに使ってきてレンズもあれこれ使ってきたので,ここにはそんな黄昏れ感満載のEF-Mレンズを並べてたいと思います。
2010年6月にSony最初のミラーレス一眼カメラとして発売されたNEX-3とNEX-5は,それ以前のミノルタから引き継いだAマウントとは異なる新しいEマウントを採用していました。マイクロフォーサーズ規格のミラーレス一眼カメラで先行するパナソニックやオリンパスのカメラよりも大きなAPS-Cサイズのセンサーを採用しながら,より小さく軽いボディでSonyらしいコンセプトのカメラでした。当初,フルサイズへの拡張については曖昧にされていましたが,2013年11月にフルサイズセンサーを搭載する世界最初のミラーレス一眼カメラとしてα7とα7Rが発売されます。Sonyはマウントの規格を契約先には無償で提供するなどして地道にEマウントの普及につとめ,aps-cとフルサイズで共通のマウント,長い期間をかけて整備され充実した純正レンズ,ライセンスの元で提供される多くのサードパーティ製レンズなど,フルサイズミラーレス一眼の先駆者としてEマウントは圧倒的な地位を有するレンズマウントに成長しました。また,短いフランジバック のために,過去に作られたあらゆるレンズをマウントアダプタを介して使うことができ,しかもフルサイズでレンズ本来の画角で使えるだけでなく,非純正なMFレンズの使い勝手もよいためオールドレンズ の母艦としても適しています。オールドレンズ の母艦として導入したα7シリーズでしたが,高速なAFや動物瞳AFなどの新しい技術の誘惑に抗えず,いつのまにやら,Eマウントレンズも手元に集まってきています。
レンズ交換式カメラはそれぞれ特定のフランジバックとマウントの物理形状を持っていますので,それに合致したレンズしか取り付けることができません。フランジバックが長いカメラにフランジバックが短いレンズを取り付けても無限遠で合焦しませんが,逆の組み合わせであれば,適切にフランジバックを調整することで近接から無限遠まで普通に撮影することができます。フランジバックが非常に短いミラーレス一眼カメラの登場により,適切なマウントアダプタがあれば過去に製造されたほとんど全てのレンズ交換式カメラ用レンズを取り付けて撮影ができるようになりました。
そのためミラーレス一眼カメラの普及とともに,多くの種類のマウントアダプタが商品として登場し,オールドレンズ遊びが容易にできるようになりました。多くのマウントアダプタはフランジバックを調整して,マウントの物理形状を適合させるだけですので,オートフォーカスはもとより,自動絞りも使えません。そのためマニュアルでピントを合わせ,絞り込み測光で撮影することが一般的です。ミラーレス一眼の場合,レンズ側で絞りを絞り込んでも電子ビューファインダーは適切な明るさで表示してくれるので実用上の不都合はまったくありませんし,ピント合わせについてもファインダー内で拡大表示ができて,エッジを強調表示できるのが一般的ですので,静物であれば撮影は簡単です。
近年登場したマウントアダプタ以外にも,カメラメーカー純正のアダプタも種々作られてきました。カメラメーカーがマウントを変更したことにより,過去の資産である旧マウントのレンズを継続的に使えるようにするため,というものが多いですが,自社のレンズラインナップを補完するために他社のレンズを使えるようにする,という意図を持って作られたアダプタもあります。
レンズ遊びをしていると必然的にマウントアダプタが増え続ける傾向にあります。特にカメラのマウントが複数あったりすると,レンズとカメラのそれぞれのマウントの組み合わせの数だけマウントアダプタが必要になってしまいます。この危険な状況を少しでも回避するために,可能な限り全てのレンズマウントをライカM (LM)マウントにいったん変換してからLMマウントのレンズをカメラのマウントに変換するマウントアダプタを用意しています。一見無駄なことをやっているように見えますが,カメラマウントの種類が増えてもLMレンズ用のマウントアダプタを1個だけ新たに用意すればよいだけなので,安心してカメラを増やすことができるのです。いや,それは却ってアカンやろ,という声は聞こえないことにしています。
増え続けるマウントアダプタはコレクションという意図があってのことではない(はずな)のですが,これを敢えてコレクションと開き直るのも一興かと考え,手元にあるマウントアダプタの整理も兼ねて並べてみます。
カメラで撮影するにはカメラ本体とレンズ,フィルムか撮像素子があればよいわけですが,それ以外にも撮影の範囲を広げるための様々なアクセサリーがあります。あるいは,撮影した画像を扱うためのアクセサリーもあります。それらの種類や数は膨大でコレクションをしようなどという気を起こすとたいへんなことになってしまいます。
そうはいっても,何かちょっとしたことをやろうとしたときに「これは必要だ,これがなければできないのだ」と自らを信じ込ませて手元に引き込んでしまったアクセサリーも少なからずあります。マウントアダプターやレンズフード,キャップ,フィルター類はアクセサリーの代表選手です。それだけにあまりにも種類が多く,手持ちの数も少なくないのですが(それはそれで恐ろしいことですが),たいへんすぎる割には面白くないのでここには並べていません。
マウントアダプターについては在庫管理の意味も込めて別のコレクションルームに集めています。レンズフードやキャップのメーカー純正品にこだわってコレクションをはじめたりするとそれはもはや撮影のための実用とは異なる,アクセサリー病の末期症状です。そこまできたら後戻りはできません。当面の間,フードやキャップ,フィルターについてはできる限り見なかったことにしたいと思います(あくまでも努力目標です)。
キャップのように何でもないようなアクセサリーも含めて,なんだか知らないうちに手元に集まってきたアクセサリーたちをここに並べておきたいと思います。