Person-25-1 アントン・ブルックナー ブルックナーの森
初版 2025/02/28 00:46
改訂 2025/02/28 00:46

ブルックナー/交響曲第3番ニ短調
第1楽章 アレグロ・モデラート(穏やかに、いくらか運動的に、神秘的に)
第2楽章 アダージオ
第3楽章 スケルツオ(かなり急速に)
第4楽章 フィナーレ/アレグロ
献呈を受け容れた『ワグナー』の名が付いている。
自信のないブルックナーはワグナーに献呈する作品を一曲に絞り切れず、この第3番と第2番を提示したが、ワグナーはこの第3番を選んだ。ワグナー自身の楽曲を主題とした第3番を選ばないわけがない。
有名な第3番に対するワグナーの読譜後の評は『素晴らしい!で、主題はどこかね?』
ご多分にもれず、ブルックナーは自分の音楽に下される演奏家と聴衆の批判や評価を過度に気にする弱気な面を発揮し、この第3番も初演の第1稿から第8番を完成する頃まで改訂を続け、初稿から第3稿まで残っている。
第3稿はやはり晩年のブルックナーの円熟と確信の中で改訂されたものだけに、完成度が高い。いわゆるノヴァーク版。
この第3番は『ワグナー』という名前よりも、純粋な交響曲としての魅力を持っているけれど、逆に言えば作りたての若さと当初の気概は感じない。
評価されたあとの安定がある。
ボクはブルックナーに関してはあんまりいい聴き手ではないのかも知れなくて、比較するとしたら色々思い浮かべたあげく、ベートーヴェン以外に思い浮かばないほどのこの偉大なシンフォニストの曲を普段全曲通して聴くということはあまりない。
ある時はもう舞曲的な要素は失われ、交響曲の約束事としてのリズムをもっともふさわしく聴かせるスケルツォの野性的であったり、粗さの残るリズムの清新さに夢中になったり、彼独特の幅の広い管楽のパイプオルガンのような響きの中で弦楽が歌う息の長い自然の呼吸を聴いたりする。
ブルックナーを聴くとき、ベートーヴェンのようにその強烈な個性から発する人間を思い描くことはない。
鬱蒼と木々の茂る黒い森を抜けたあとに、その山裾になだらかに広がる目にしみるような浅黄と深い緑の草原を幾方向にも交差して葉擦れさせてゆく風の音と草の匂いと陽の光、黄緑の若葉を覆い被さって深い緑に変える雲の影。
自然が音化したような風情を、ボクは何度聴いても変わらずに思い浮かべる。
創り上げられた『田園』のイメージではなく、音楽そのものが持っている郷愁の音列。
オーディオファンにブルックナーのファンが多くいて、若い人の聴き方はそういう部分から入っている人が多いという話も聞くけれど、なるほどね、と思う部分もある。
語るものが形而上でも形而下でもない。
ボクが初めて聴いたクーベリックの録音はエーザー版(第2稿)だという。その後によく聴いたのはベームがウィーンフォフィルを振って初めてステレオ録音したノヴァーク版(第3稿)だった。よくアダージオとスケルツォと交互に聴いた。
ただ全曲聴くときは聴きなれた鄙びたドレスデン国立歌劇場管弦楽団の音がいい。オイゲンヨッフムのベルリンフィルとの録音ではなく、サンクト・フローリアン修道院協会の残響音の長さとオルガン的な音の重なりが、作曲家自身の感性が染みついているようなローカリティがいい。
この掴みきれないシーボンズ頭の風采の上がらない偉大なシンフォニストは、いつ聴いても、どんな聴き方をしていても呑み込まれる瞬間がある。
シンフォニーという言葉よりも交響曲という言葉が最もふさわしい。

Mineosaurus
古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。
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