- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 15F 富山県 Toyama Pref.
- 閃亜鉛鉱 (sphalerite) 亀谷鉱山 宝蔵坑 #0699
閃亜鉛鉱 (sphalerite) 亀谷鉱山 宝蔵坑 #0699
亀谷(かめがい)鉱山は江戸時代には銀山として開発されましたが、明治以降は鉛・亜鉛の鉱床が採掘されました。(背景はソフトウエア処理しています。)
越中には江戸時代に「越中七加袮山(えっちゅうななつかねやま)」と呼ばれた有力鉱山が松倉、河原波(かわらなみ)、下田(げた)、虎谷(とらたに)、吉野、亀谷、長棟(ながと)の7か所ありました。これらの鉱山は加賀藩が富山藩を分藩した際にも飛び地として加賀藩が引き続き直轄し、加賀藩の財政を支えました。
亀谷鉱山は1578年(天正6年)に芦峅(あしくら)作左衛門により銀山として開かれ、1596年(慶長元年)から1617年(元和3年)頃に最盛期を迎え、明治・大正期には三井鉱山などの民間会社が銀、鉛、亜鉛、砒素を採掘しましたが、採掘量は少なく、1926年(大正15年)に休山しました。
