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JANIS JOPLIN Golden GrandPrix30
前回まではジミ・ヘンドリクスのアルバムの紹介をしました。 今回からは、ジャニス・ジョップリンですです。 彼女も1960年代を代表するロックスターです。 ジャニスは1970年に27歳の若さで亡くなっています。 死因は薬物の過剰摂取といわれています。 ジミは新しい音楽を追求するあまり、薬物の依存症になったようです。 ジャニスの場合はコンプレックス、心理的な要素が強かったように思います。 大学の時にブスコンテスト(これは差別用語です)で優勝したことが失意の原因となり、大学をやめ住んでいた街を去ったと記録に残っています。 1960年代のテキサスの田舎町のことですからすぐに街中の噂となり奇異な目で見られたりいじめにあったりしたことは想像に難くありません。ジャニスは街を去りました。 昨今はSNSなどを使った誹謗中傷やいじめが大きな問題となっています。 この事はとても大きな問題であり、人間の精神や肉体迄も壊してしまう原因となっています。 人間として絶対にやってはならないことです。 ジャニスにとって、この精神的な苦痛は、一方ではドラッグに向かい、もう一方ではその莫大な怒りや感情の爆発として、ジャニスの音楽にも明確に反映されていると思います。 彼女の心の底からというか子宮の底からの叫びのような歌が私は好きでたまりません。 大好きなシンガーの一人です。
ロック SBS/SONY 1977 不明辻 晶夫
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JiMi Hendrix Legacy
かなり長い間、ロックやリズム&ブルースなどから離れていた。 あれだけ好きだったこの系統の音楽が、ある日聞ききれなくなった。 どういう理由かはわからないが、そんなこともあるのだ。 改めて、レコードを聴く環境を作って聞いてみると、何の抵抗もなく耳に入ってくるのに驚く。 頭が少しボケてきたので、抵抗がなくなったのかもしれない。 このアルバムはレコード2枚組のベスト盤だ。 これからもずっとジミヘンを聞きつ続けていきたい。
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社 不明辻 晶夫
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JIMI HENDRIX BAND OF GYPSYS
ジミは、24歳で亡くなった。死因はドラッグの過剰摂取であったようだ。 ベトナム戦争で、多くのアメリカ人の若者が動員された。 そして多くの若者が死傷した。 ベトナム軍は地の利を利用しまたトリッキーな作戦を駆使してアメリカ軍とたたかった。 アメリカ軍兵士の恐怖は想像に難くない。 彼らはその恐怖から逃れるために、酒や薬におぼれていった。 ジミは投獄を逃れるために入隊している。 ベトナムには行っていないが、そのころの殺伐とした状況を肌で感じただろう。 ジミの音楽やその舞台での行動は、エキセントリックで、時には狂気に近いものがあり、 その様子は残っている画像からも察せられる。 しかし私はジミの曲にはエキセントリックや狂気を感じない。 新しい音楽に挑戦しようというジミの意思がまざまざと感じられるからだ。 ドラックも彼にとってはその新しい領域に突入していく一つの武器であったのかもしれない。 しかし、もし彼が適切な医療や、カウンセリングを受けていればまた違った音楽を作り出していた可能性はある。 日本では依存症特にドラッグは違法であるために逮捕される、依存症は病気なのだ、だから適切な処置と、 カウンセリングを受ければ薬を断ち切ることができる。 早く日本にもこういった人たちが、依存を断ち切り復帰してきたときには「お帰りなさい」と言って受け入れることができる社会になってほしい。
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社 不明辻 晶夫
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JIMI HENDRIX axis:bold ss love
ジミヘンは左利きにもかかわらず、右利き用のギターを反対に巻き演奏していたことは前に書いた。 彼が使用していたギターはフェンダー・ストラトキャスターであった、その後たくさんのミュージシャンに愛された名器だが、当時はあまり使う人はいなかったようだ。 彼はこのギターをステージで演奏中に跪きいきなり火をつけたこれは彼の血の中に流れる、アメリカ先住民族の火に対する信仰の表れだったのではないkと私は理解している。
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社 不明辻 晶夫
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JIMI HENDRIX EXPERIENCE ERECTRIC LADYLAND ジミ・ヘンドリックス エレクトリック・レディランド
JIMI HENDRIX EXPERIENCE ERECTRIC LADYLAND ポリドールレコード ジミは左利きだった。 にも拘わらずに右利き用のギターに逆に弦を張り演奏した、そのため演奏の難易度は非常に高くなったという。 しかし彼のギターテクニックは自由奔というか、超絶技巧というか聞くものを魅了せずにはいられなかった。 私がジミヘンに初めて触れたのは、高校3年生の頃だから1969年頃のことだったと思う、 同級生だった、華僑のO君が口ずさんでいたフォクシン・レィディを聞いて衝撃を受け彼に曲を聴くと ジミヘンのフォクシン・レィディだと彼が語った。 当時ジミヘンは日本ではあまりよく知られておらず、彼も「兄貴が、ベースからレコードを持ってくる」と話してくれた。 その後は時々彼と一緒に、横須賀や、横浜のライブハウスに行った。 パワーハウスや紫といったバンドが覇を競っていた、ゴールデンカップスはまだ下っ端のバンドだった。 ジミヘンはこのあたりのバンドには最も影響を与えた人物の一人であろう。
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社 不明辻 晶夫
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JIMI HENDRIX ARE YOU EXPERIENCED
JIMI HENDRIX ARE YOU EXPERIENCED このアルバムは1867年にイギリスとアメリカでリースされている。 日本ではライナーノートを書いている森脇美貴夫さんが書いているように1979年に発売されている。 このジャケット写真はアメリカでリリースされたときの物。 アルバムとしては初めての作品。 思えば、この前に紹介したワイト島でのアルバムが彼の最後の物であるので、わずか4年の間に舞台での完全燃焼と、5枚のアルバムのスタジオワークで私たちの前を駆け抜けていった。
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社 不明辻 晶夫
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Jimi Hendrix IsLe Of Wight ジミ・ヘンドリックス ワイト島のジミ・ヘンドリックス
ジミは1960年代後半すい星のようにミュージックシーンに登場し数多くの作品を世に送り出した。 彼の超絶技巧のギターテクや、素晴らしい歌唱力は聴衆を興奮のるつぼに叩き込んだ。 このアルバムは1970年にワイト島で開催されたポップ・フェスティバルのライブだ。 なんと地味はこの直後恋人の部屋で亡くなった。享年24歳。睡眠薬の過剰摂取であったといわれている。 解説:小清水 勇 歌詞 英文
リズムアンドブルース ポリドールレコード株式会社辻 晶夫
