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2015年 横浜DeNAベイスターズ 山崎選手サイン入りスターナイトユニホーム
2015年の横浜DeNAベイスターズスターナイトレプリカユニホームに山崎康晃投手からサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ ベイスターズ球場 ユニホームauthentic-baseball-collection
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1974年 日本ハムファイターズ 斎藤佑樹選手サイン入り 前期レプリカユニホーム
1974年の日本ハムファイターズ前期レプリカユニホームに斎藤佑樹投手からサインをいただいたものとなります。
日本ハムファイターズ 鎌ヶ谷スタジアム ユニホームauthentic-baseball-collection
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横浜DeNAベイスターズ 選手サイン入り ホームレプリカユニホーム
横浜DeNAベイスターズの宮本選手、楠本選手、山本選手にサインをいただいたホームレプリカユニホームとなります。
横浜DeNAベイスターズ 戸田球場 ユニホームauthentic-baseball-collection
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2016年 横浜DeNAベイスターズ Dianaサイン入り ガールズフェスティバルユニホーム
2016年の横浜DeNAベイスターズガールズフェスティバルユニホームに横浜DeNAベイスターズサポーティングガールズユニットDianaの中村比菜さんからサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ ユニホームauthentic-baseball-collection
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2015年 横浜DeNAベイスターズ Dianaサイン入りガールズフェスティバルユニホーム
2015年の横浜DeNAベイスターズガールズフェスティバルユニホームに横浜DeNAベイスターズサポーティングガールズユニットDianaメンバーである中村比菜さん、Mamiさん、鈴木あゆみさん、Yunaさんからサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ 横浜スタジアム ユニホームauthentic-baseball-collection
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鈴木孝政選手 実使用 アンダーシャツ
中日ドラゴンズ鈴木孝政投手が使用した玉澤社製のアンダーシャツとなります。
玉澤 アンダーシャツ アンダーシャツauthentic-baseball-collection
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2017年 横浜DeNAベイスターズ 齊藤明雄氏サイン入りスターナイトユニホーム
2017年の横浜DeNAベイスターズスターナイトレプリカユニホームに齊藤明雄氏からサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ 横浜スタジアム ユニホームauthentic-baseball-collection
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2016年 横浜DeNAベイスターズ 山崎選手サイン入りスターナイトユニホーム
2016年の横浜DeNAベイスターズスターナイトレプリカユニホームに山崎康晃投手からサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ ベイスターズ球場 ユニホームauthentic-baseball-collection
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2016年 横浜DeNAベイスターズ 戸柱選手サイン入りスターナイトユニホーム
2016年の横浜DeNAベイスターズスターナイトレプリカユニホームに戸柱恭孝捕手からサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ ベイスターズ球場 ユニホームauthentic-baseball-collection
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1969年 ヤクルトアトムズ 若松勉氏サイン入りレプリカユニホーム
1969年のヤクルトアトムズレプリカユニホームにMr.スワローズこと若松勉氏からサインをいただいたものとなります。
ユニホーム ヤクルトアトムズ 神宮球場authentic-baseball-collection
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Donruss Signature Significant Signatures Ernie Banks
1997年にリリースされたBaseball Card Donruss Signature シリーズのErnie Banks Significant Signatureとなります。 アーニーバンクス紹介 アーニー・バンクス(Ernest "Ernie" Banks , 1931年1月31日 - 2015年1月23日) シカゴ・カブス所属 (遊撃手、一塁手) 右投右打 1977年アメリカ野球殿堂入り 実働19年間 通算2528試合出場、2583安打、512本塁打、1636打点。 タイトル・表彰・記録 MVP:2回(1958年、1959年) 本塁打王:2回(1958年、1960年) 打点王:2回(1958年、1959年) ゴールドグラブ賞:1回(1960年) 通称、Mr. Cub (ミスター・カブ)といわれ、カブスの看板プレーヤーであった。バンクスがつけていた背番号「14」は、シカゴ・カブスの永久欠番。1950年代~60年代を代表するスラッガー。 1958年、1959年と2年連続でナ・リーグMVPを受賞。カブス生え抜きのスラッガーとして絶大な人気を誇り、ロン・サント、ビリー・ウィリアムズらと共に1960年代のカブスを支えた。 出場試合数2528、打数9421、塁打4706などのカブスにおける球団記録を保持。シカゴではマイケル・ジョーダンが登場するまで、最高のスポーツ選手だった。 バンクスがカブス在籍中、チームは1度もワールドシリーズへ進出できず、どんなに個人が活躍してもチームが優勝できないことを、「アーニー・バンクス症候群(シンドローム)」と呼ぶようになった。 1931年1月31日 テキサス州ダラス生まれ。父も元野球選手であり、ニグロリーグのダラス・グリーンモナークスやブラック・ジャイアンツで投手や捕手の経験がある。 1948年 セミプロ球団アマリロ・コルツと1試合15ドルで契約。 1950年 ニグロリーグのカンザスシティ・モナークスと月給300ドルで契約。 1951年~1953年途中 兵役。 1953年途中 兵役からモナークスに復帰し、打率.386、20本塁打を記録。 1953年9月8日 シカゴ・カブスと契約金2,000ドルで契約。 1953年9月17日 カブス球団史上初の黒人選手としてメジャーデビュー。 1954年 ロイ・スモーリーに代わり遊撃手に定着し、全154試合に出場。打率.275、19本塁打、79打点を記録した。19本塁打は2007年にトロイ・トゥロウィツキーに更新されるまでナ・リーグ遊撃手新人最多本塁打記録。 1955年 リーグ3位の44本塁打を記録し、遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を樹立。内5本は満塁本塁打でリーグ新記録。 1958年 リーグ最多の129打点・47本塁打を記録し、遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を更新。同年、MVPを受賞。負け越したチームからのMVP選出は史上初。 1959年 リーグ初の2年連続でMVPを受賞。 1960年 ゴールドグラブ賞を受賞。 1961年6月23日 連続試合出場が717で途切れる。 1962年 一塁へコンバート。 1965年9月2日 通算400本塁打達成。 1970年5月12日 リグレー・フィールドで史上9人目の500本塁打を達成。 1971年9月26日 現役引退。 引退後はカブスのコーチを務める。 1977年 有資格1年目に得票率83.81%でアメリカ野球殿堂入り。 1982年8月22日 背番号「14」がカブス史上初の永久欠番に指定。 1999年 メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チームにて遊撃手として選出。 2000年 日本でのMLB開幕戦時に来日し、始球式を行う。 2015年1月23日 83歳で死去。
Baseball Card Donruss Chicago Cubsauthentic-baseball-collection
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Donruss Signature Significant Signatures Johnny Bench
1997年にリリースされたBaseball Card Donruss Signature シリーズのJohnny Bench Significant Signatureとなります。 ジョニー・ベンチ紹介 ジョニー・ベンチJohnny Bench(John Lee "Johnny" Bench, 1947年12月7日 - ) シンシナティ・レッズ所属 右投右打、捕手。 1989年アメリカ野球殿堂入り 実働17年 通算2158試合出場、2048安打、1376打点。 獲得タイトル・表彰・記録 MVP 2回:1970年、1972年 新人王:1968年 本塁打王 2回:1970年、1972年 打点王 3回:1970年、1972年、1974年 ゴールドグラブ賞 10回:1968年 - 1977年 ハッチ賞 1回:1980年 MLBオールスターゲーム選出 14回:1968年 - 1980年 通称「Little General」、「史上最高のキャッチャー」。1970年代にビッグレッドマシンと言われたシンシナティ・レッズの黄金時代を支えた。MLB史上最強の捕手と称され、史上唯一、捕手で本塁打王タイトルを獲得。背番号『5』はシンシナティレッズの永久欠番。 1947年12月7日 米国オクラホマ州オクラホマシティに3人兄弟の末っ子として誕生。父親はアメリカ先住民チョクトー族の血をひいている。 1965年 第1回ドラフト会議にてドラフト2位でシンシナティ・レッズに指名され入団。 1967年8月28日 メジャー初出場 1968年 154試合出場、打率.275、15本塁打、82打点の活躍でナ・リーグ新人王。 ゴールドグラブ賞は1968年から10年連続で受賞。 1970年 自己最多の45本塁打、148打点を記録し、本塁打王・打点王の二冠。 ナ・リーグMVP。 1972年 40本塁打・125打点で再び二冠に輝き、ナ・リーグMVPを受賞。 1974年 129打点で3度目の打点王を獲得。 1975年 ルー・ゲーリッグ賞。 1976年 ワールドシリーズMVPとベーブ・ルース賞を受賞 1978年秋 レッズ単独チームの一員として日米野球で来日。 1981年 81年以降一塁手、三塁手にコンバートし、現役最後の3シーズンで捕手を務めたのは13試合のみ。 1983年 シーズン途中に同年限りでの現役引退を発表。同年引退するカール・ヤストレムスキー(ボストン・レッドソックス)と共にコミッショナーが出場枠を特別に1名ずつ増やしてオールスターゲーム出場。 1983年9月17日 本拠地リバーフロント・スタジアムの試合は「Johnny Bench Night」と銘打たれ、現役最後となる通算389号本塁打を放つ。 1989年9月29日 現役引退。 引退後、背番号『5』はレッズの永久欠番に指定。 引退後は野球解説者、プロボウラーとして活躍。 1989年 有資格初年度に96.42%という高い得票率で野球殿堂入り。 1999年 捕手として最高得票でMLBオールセンチュリーチームに選出。 2000年、米国大学野球界で最高の捕手に贈られる賞が「ジョニー・ベンチ賞」と命名される。
Baseball Card Donruss 1970年代 Cincinnati Redsauthentic-baseball-collection
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Donruss Signature Significant Signatures Yogi Berra
1997年にリリースされたBaseball Card Donruss Signature シリーズのYogi Berra Significant Signatureとなります。 ヨギ・ベラ紹介 ローレンス・ピーター・ベラ(Lawrence Peter "Yogi" Berra, 1925年5月12日 - 2015年9月22日) ニューヨーク・ヤンキース/ニューヨーク・メッツ所属 (捕手、外野手) 右投左打 1972年アメリカ野球殿堂入り 実働19年間 通算2120試合出場、2150安打、358本塁打、1430打点 タイトル・表彰・記録 アメリカンリーグ・MVP:3回、1951年、1954年、1955年 MLBオールスターゲーム選出:15回、1948年-1962年 本名はローレンス・ピーター・ベラだが、子供の頃に友人のボビー・ホフマンが映画で見たインドの蛇使いに歩き方がそっくりだったことから、同じインドのつながりで「ヨギ」と呼ぶようになったのが始まりという。 「メジャーリーグ屈指のバッドボールヒッター(悪球打ち)」で、日米野球では金田正一が投じた頭の上の高さの悪球をバットを立てて大根切りで右翼スタンドへ叩き込んだ。 ヨギの現役時代のヤンキースは主力にジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルらの強力スラッガー、エースにはホワイティ・フォードを擁しており、正に黄金時代であった。自身も巧打者として活躍し、「ヘリコプター・スイング」と呼ばれた独特の打撃スタイルから引退までに打った358本塁打は、当時キャッチャーとして最多の本塁打だった。 ワールドシリーズ14回出場ワールドシリーズ10回優勝はメジャー史上最多。 1946年 ニューヨーク・ヤンキースと契約。 1946年9月22日 メジャーリーグ初出場 メジャー出場当初はキャッチャーとして今一つだったためヨギの前にヤンキースの正捕手を務めていたビル・ディッキーに1年間、徹底的に仕込まれた逸話がある。 1951年 アメリカンリーグMVP受賞。 1954年 2度目のアメリカンリーグMVP受賞。 1955年 前年に続き2年連続、3度目のアメリカンリーグMVP受賞。 1965年5月9日 メジャーリーグ最終出場。 1965年 現役引退。 1972年 得票率85.61%でアメリカ野球殿堂入り。 背番号8はヤンキースの永久欠番(先輩のディッキーとともに、2人連名の永久欠番)。 引退後はヤンキースのコーチ・監督のほか、ニューヨーク・メッツのコーチ・監督などを歴任。監督として、ヤンキースでは1964年に、メッツでは1973年にワールドシリーズ進出を果たした(いずれも敗退)。 監督としては、930試合、484勝、444敗、2引分、勝率.520 1985年 シーズン途中にヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーと大ゲンカを起こし、監督を退任。「もう二度とヤンキー・スタジアムには来ない」と長らくヤンキースから身を引いた。 1998年 ディマジオらの尽力でスタインブレナーと和解。 1999年 ディマジオが没した後、彼が務めていたヤンキー・スタジアムでの始球式をヨギが引き継ぐ。 2004年 ヤンキース日本開幕戦にも来日し、読売ジャイアンツとのオープン戦始球式では金田正一の球を受けるキャッチャーも務めた。 2015年9月22日、90歳で逝去。
Baseball Card Donruss 1950年代 New York Yankeesauthentic-baseball-collection
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Donruss Signature Significant Signatures George Brett
1997年にリリースされたBaseball Card Donruss Signature シリーズのGeorge Brett Significant Signatureとなります。 ジョージ・ブレット紹介 ジョージ・ハワード・ブレット(George Howard Brett, 1953年5月15日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州グレンデール出身 カンザスシティロイヤルズ所属 (三塁手・一塁手)。 右投左打 1999年アメリカ野球殿堂入り 実働21年間 通算2707試合出場、3154打、317本塁打、1595打点 タイトル・表彰・記録 首位打者 3回:1976年, 1980年, 1990年 ※異なる3つの年代での獲得は史上唯一 MVP 1回:1980年 リーグチャンピオンシップ シリーズMVP 1回:1985年 ゴールドグラブ賞 1回:1985年 シルバースラッガー賞 3回:1980年、1985年(三塁手)、1988年(一塁手) ハッチ賞 1回:1980年 ルー・ゲーリッグ賞:1986年 永久欠番:5(カンザスシティ・ロイヤルズ) DHLホームタウン・ヒーローズ選出:2006年 フランチャイズ・フォー選出:2015年 月間MVP 6回:1980年7月、1982年6月、1983年4月、1985年5月・7月、1990年7月 オールスターゲーム選出 13回:1976年 - 1988年 シーズン20二塁打・20三塁打・20本塁打:史上5人目 サイクル安打:2回(1979年5月28日、1990年7月25日)※複数回の達成は史上25人目 連続試合猛打賞:6(歴代1位タイ、1976年5月8日~13日)※ジミー・ジョンストンに並ぶ。 カンザスシティ・ロイヤルズ球団記録 通算安打:3154 通算二塁打:665(歴代6位) 通算三塁打:137 通算本塁打:317 通算打点:1595 通算故意四球:229(歴代7位) 通算犠飛:120(歴代6位) シーズン打率:.390 他多数 アメリカ野球殿堂:1999年(有資格1年目、得票率98.2%) 通称、「Gorgeous George」,「Mullet」。 選手時代はカンザスシティ・ロイヤルズ一筋で21シーズン過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。 引退後、背番号『5』はロイヤルズの永久欠番。 5歳上の実兄ケン・ブレットも元プロ野球選手。 1971年 MLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから2巡目に指名を受け入団。 1973年8月2日 シカゴ・ホワイトソックス戦でメジャー初出場。 1974年 5月にメジャー再昇格。 1975年 リーグトップの195安打・13三塁打を記録。 1976年 オールスターゲーム初選出。 1976年 リーグトップの打率.333・215安打・14三塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得。チームは初の地区優勝。 1977年 打率.312・22本塁打・88打点・13三塁打を記録し、チームは地区連覇。 。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.300を記録するが、チームは2勝3敗で敗退。 1978年 リーグトップの45二塁打を記録し、チームは地区3連覇。 1979年5月28日 ボルチモア・オリオールズ戦でサイクルヒットを達成。 1979年 打率.329・23本塁打・107打点、リーグトップの212安打・20三塁打の好成績で20-20-20を達成。 1980年 7月18日から30試合連続安打を記録。 1980年 8月26日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で5安打を記録して打率.407まで上昇するが、9月に怪我のため9試合を欠場し、最終的には1941年のテッド・ウィリアムズ以来の打率4割には届かなかった。 打率.390・24本塁打・118打点、リーグトップの出塁率.454・長打率.664・OPS1.118の好成績で2度目の首位打者を獲得。 チームの2年ぶりの地区優勝に大きく貢献。4度目の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2本塁打・4打点と活躍、第3戦では1点ビハインドの7回にリッチ・ゴセージから特大の逆転3ランを放ち、チームは3連勝で悲願のリーグ初優勝を果たす。 1980年 初のアメリカンリーグMVPおよび同年から制定されたシルバースラッガー賞を受賞。 1983年7月24日 ヤンキース戦で有名なパインタール事件が発生。 1984年 は開幕に間に合わず、5月18日に復帰[18]。104試合の出場で打率.284・13本塁打と不本意な成績だったが、チームは4年ぶりの地区優勝。タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.231と振るわず、チームは3連敗で敗退。 1985年 トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第3戦で2本塁打を含む4安打3打点と活躍。5年ぶりのリーグ優勝を果たし、シリーズMVPを受賞。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは打率.370を記録。チームは1勝3敗と追い込まれたが、第6戦の「世紀の誤審」もあってタイに戻し、第7戦で勝利し5年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。 2度目のシルバースラッガー賞、キャリア唯一のゴールドグラブ賞を受賞。 1988年 13年連続となるオールスターゲームに選出される。 3度目のシルバースラッガー賞を受賞。 1990年7月25日 ブルージェイズ戦で2度目のサイクルヒットを達成。 打率.329、リーグトップの45二塁打を記録して3度目の首位打者を獲得。 史上唯一3つのディケイド(1970年代・80年代・90年代)での首位打者獲得を達成。 1992年9月30日 カリフォルニア・エンゼルス戦で通算3000安打を記録。 1993年5月13日 クリーブランド・インディアンズ戦で通算300本塁打を達成。 同年限りで現役を引退。 1994年4月7日 背番号『5』が球団の永久欠番に指定された。 1999年に有資格初年度に得票率98.2%でアメリカ野球殿堂入り。 2013年5月30日 不振にあえぐロイヤルズの打撃陣を救うため、ジャック・マルーフに代わりブレット球団副社長が自ら打撃コーチに就任、永久欠番になっている背番号5が復活。 2014年10月22日 29年ぶりにプレーオフに進出したロイヤルズの、本拠地カウフマン・スタジアムで行われたワールドシリーズの第2戦の試合前の始球式を務めた。
Baseball Card Donruss 1970年代 1980年代authentic-baseball-collection
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2013年 横浜DeNAベイスターズ 井納選手サイン入り スターナイトユニホーム
2013年の横浜DeNAベイスターズスターナイトレプリカユニホームに井納翔一投手からサインをいただいたものとなります。
横浜DeNAベイスターズ ベイスターズ球場 ユニホームauthentic-baseball-collection