みんなのコレクションが集まるミュージアム

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航空館 世界の航空機コレクション ダイキャストモデル

元々は、デル・プラドジャパンが発行した週刊誌「世界の航空機100年物語」の付録だったものを、ときめきドットコムがブラインド方式にして販売したもの。

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    世界の航空機コレクション A340-600 ルフトハンザ航空

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    世界の航空機コレクション CURTISS JN-4 JENNY

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    世界の航空機コレクション フォッケウルフ Fw 200

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    世界の航空機コレクション ドルニエ DoX

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    世界の航空機コレクション ボーイング 307 ストラトライナー

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    世界の航空機コレクション ロッキード L -1049 スーパーコンステレーション

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    世界の航空機コレクション A340-600 ルフトハンザ航空

    ヨーロッパの企業連合であるエアバス・インダストリー社(後のエアバスである)が開発し製造した、長距離路線向けのワイドボディ4発ジェット旅客機。
    エアバスA300の胴体を延長したワイドボディ機となり、低翼に配置された主翼下に4発のターボファンエンジンを装備している。
    モデルの600は、A340シリーズで最長の胴体を持ち、2011年に初飛行した747-8が登場するまでは、世界で最も全長の大きい旅客機であった。
    A340は日本の航空会社には導入経歴が無く馴染みのない機種となっているが、1990年に全日本空輸が5機のA340を発注したものの最終的にキャンセルしている。

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    • 登録日:2020/10/22

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    世界の航空機コレクション CURTISS JN-4 JENNY

    カーチスジェニーは、ニューヨーク州ハモンズポートのカーチス社で製作された複葉機シリーズの一つである。
    1915年にJモデルが製造され、それを改良したNモデルが誕生。さらに長所を備えたJNシリーズが開発された。
    ジェニーは陸軍および海軍用に生産された。
    世界大戦にJN-4はパイロット養成に使用されることとなる。
    この頃、イギリスはカナダで生産したJN-4を使用しており多くのイギリス空軍のパイロットがカナダで訓練を行ったという。
    第一次大戦中JNシリーズの評価は、北アメリカの全土にわたって知れ渡り、最も有名な飛行機となった。
    生産終了まで総計6813機が製作され、戦後もアメリカ航空界を支える存在であった。 

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    • 登録日:2020/10/22

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    世界の航空機コレクション フォッケウルフ Fw 200

    ドイツフォッケウルフ社で製造された、4発エンジンを持つ旅客機(後に長距離輸送機)。
    第二次世界大戦により軍に徴用され、長距離哨戒爆撃機として活躍。主に船舶攻撃に用いられ、その後は、主に輸送任務に回されるようになった。
    1937年に当時、旅客機市場で大ヒットしていたアメリカのダグラス DC-3の対抗馬として旅客機用に開発された。
    そして開発されたのが、ルフトハンザ航空向けにクルト・タンク(1931年から1945年までフォッケウルフ社の設計部門を指揮した人物)の設計で製造されたのがFw200であった。
    720hpのBMW132Gエンジンを4基搭載した大型機となり、乗客25人を乗せて3,000Km以上飛ぶことができた。
    試作機は1937年7月に初飛行し優秀な性能を示し、1938年8月10日にベルリンからニューヨークへ24時間56分で無着陸飛行を行い、13日には19時間47分でベルリンに戻ってくると飛行プランを成功させている。
    さらに同年11月28日に無着陸ではなく燃料補給飛行を行いつつ、46時間20分52秒での飛行にも成功している。
    この際に、東京都立川市の立川飛行場にも給油するために着陸した。
    こうして旅客機市場に参入したFw200はスウェーデンやブラジルへも輸出された。試作3号機は、ヒトラーの専用機だったようだ。
    日本でも導入する計画があった。
    大日本帝国陸軍は九二式重爆撃機の後継機としてユンカースJu90四発旅客機の購入を検討したが、導入されることがなかった(ユンカース社に三菱重工業の本社営業課長を派遣して交渉したが断念)。
    ドイツ滞在中の三菱スタッフがFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現しており5機注文を行ったが、日本陸軍の興味は軍用型タイプ(Fw200C)に移り、購入計画はキャンセルされたというエピソードがある。
    1939年には、第二次世界大戦で長距離哨戒爆撃機に改造される。
    これは当時、ドイツ空軍の長距離偵察機が不足していたためだと言われている。
    1943年に哨戒爆撃機ではなくなり、主に輸送機として活躍した。
    輸送機時代には、スターリングラード攻防戦で輸送任務にあたったこともある。
    1944年に生産が終了。生産されたのは276機だった。

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    • 登録日:2020/10/23

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    世界の航空機コレクション ドルニエ DoX

    ドイツのドルニエ社が製造した旅客用飛行艇。
    飛行船による大西洋航路の旅客輸送に代わる「空の豪華客船」として開発された。設計者はツェッペリン飛行船も担当したクラウディウス・ドルニエ。
    当時としては世界最大の重航空機で、機内にはダイニングルーム、寝室、喫煙ラウンジ、バー、高級カーペットを敷きつめた中央サロン等を備えていた。
    デモフライトは評判を呼び、当時は難しかった大西洋横断飛行も行なっている。
    しかし、故障や不調続出だった。大西洋横断飛行時、到着先のニューヨークでは修理に7ヶ月を要するなど問題点が多く整備士は皆泣いたという"整備士泣かせ"の機体だった。
    それ以降、イタリア以外の航空会社から製造注文を受けることは無かったという。
    イタリアの発注した2機はSANA社が民間航路への投入を目指したものである。
    1機目が「ウンベルト・マダレーナ」、2機目が「アレッサンドロ・ギドーニ」と命名され、投入予定の航路も決まっていた。
    しかし、実際には運行されずに、イタリア空軍にて実験的な任務に就いていた。実用性が低くかったのか軍での任務も短期間であった。これが終了すると2機とも解体されている。
    ちなみに、ベルリンの航空輸送博物館にも収蔵されていたが、1945年の空襲により破壊され、現存しない。
    保存機が存在しない機体だが、北海道の新千歳空港ターミナルビル一階に復元模型が展示されている。

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    • 登録日:2020/10/23

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    世界の航空機コレクション ボーイング 307 ストラトライナー

    ボーイング社が開発した世界初の与圧キャビンを持つ商業用旅客機。愛称は「ストラトライナー」。
    1938年12月31日に初飛行。
    20000フィートの高度を荒天でありながらも、与圧されたキャビンでは快適な空の旅を提供することが出来た最初の旅客機としても有名である。
    高性能な事の理由の一つとしては、同社が製造した爆撃機・B-17のものが流用されていることだろう。
    機体構造そのものに共通点が多い。
    レシプロ機時代当時のボーイング社は、爆撃機の主翼などを流用した旅客機を製造していたことがある。
    B-29にも、この307の与圧技術を採用して製造利用されていた。
    1940年3月にパンアメリカン航空による、アメリカ大陸横断路線やアメリカと南アメリカを結ぶ路線に就航した。
    その後、第二次世界大戦にアメリカが参戦したことにより、生産が中止。さらに、ダグラス社が乗客数が大きく経済性に優れるDC-4を開発されたことなどによって競合にさらされ、最終的に10機しか生産されず商業的には成功しなかった。
    パンアメリカン航空が使用していた機体NC19903機が、スミソニアン博物館で展示保存されている。

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    • 登録日:2020/10/24

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    世界の航空機コレクション ロッキード L -1049 スーパーコンステレーション

    アメリカ合衆国の航空機メーカーである、ロッキード社が開発し製造した、与圧構造装備の4発大型プロペラ旅客機。「コンステレーション」を略したコニーのニックネームと、3枚垂直尾翼付きの独特な機体形状で知られる。
    1940年代から1950年代にかけてのレシプロエンジン旅客機の代表格である。
    トランス・ワールド航空のオーナーで、大富豪として知られるハワード・ヒューズの支援のもと1939年に開発が開始された。
    当時の新鋭長距離爆撃機をベースに、それを超える飛行性能と与圧された客室を持ちつつ、北アメリカ大陸無着陸横断飛行が可能な旅客輸送機を目標に設計された。
    開発当初の名称は「L-49」であった。
    1943年1月9日に初飛行。プラット・アンド・ホイットニー のR-2800型を4基搭載し、航続距離および巡航速度は世界最高性能を誇った。
    中には軍用機に開発された機体もいくつか存在する。
    当時、同じ時期に開発されていたダグラス社のDC6に対抗するため航続距離延長型もある。
    第二次世界大戦後は、開発に携わったトランスワールド航空、パンアメリカン航空をはじめ、英国海外航空、エールフランス航空やKLMオランダ航空など、各国のフラッグキャリアをはじめとした航空会社に向けた生産が拡大されていった。
    1958年に最終モデルのL-1049Hの生産を終了。後続機はL-188 エレクトラである。
    生産が開始された1943年から1958年までの間に、民間型、軍用型合わせて856機が生産された。
    レシプロ機の黄金時代の飾ったコンステレーションだが、日本の航空会社では導入経歴は一度もない。
    というのも当時、導入するという選択肢があったが、日本航空がDC-4B、DC-6、DC-7Cとダグラス製の機材を重用して導入し、同社以外にこのクラスの大型機を運航できる航空会社がなかったため、本シリーズは導入されなかった。
    しかし、日本への飛来経験はあり、当機を導入していたパンアメリカン航空やエールフランス航空、ルフトハンザ航空や大韓航空などの定期便やチャーター便が乗り入れていた経歴があるほか、アメリカ軍のチャーターとして立川基地や横田基地に乗り入れる航空会社もあった。
    1964年には東京オリンピックのチャーター機としても飛来している。
    1972年には試作機が名古屋空港に飛来した後に解体されており、新潟に運ばれレストランとして再利用されていたことがあった。
    この機体は1979年に、千葉の谷津遊園に移設されており、同園閉園の際にスクラップ処分されたそうだ。

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    • 登録日:2020/10/27

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