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18−パ 清原和博
2007年のシーズンはキャンプ中に左膝を痛めて離脱し、2月28日に左膝の軟骨除去手術を行う。交流戦での復帰が報道されたこともあったが回復具合は思わしくなく、7月6日に神戸市内の病院で左膝に移植手術をし、この年はプロ入り以来初めての一軍試合出場なしに終わった。
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17−パ タフィ・ローズ
2007年のシーズンは春季キャンプで入団テストを実施することが決定し、受験の為来日。2月26日に合格。3月1日に入団が決定し、背番号は8に決まった。入団決定時の記者会見の第一声は、日本語での「タダイマ」だった。 4月4日外国人選手では初となる通算1000打点の記録を達成。この節目の記録を皮切りに同年はメモリアルが続き、5月10日1354試合目の出場でロベルト・バルボンが持っていた外国人選手の最多出場記録を更新。5月27日の巨人戦で決勝本塁打を放ち「全球団から本塁打」を達成。6月30日では通算1500本安打を達成。9月2日では通算400本塁打を達成した。 7月17日退場処分を受ける(自身は11度目の退場)。9月18日42号本塁打を放ち、山崎武司に1本差を付けたものの左股関節を悪化させ、2004年以来の本塁打王獲得間近だった終盤で無念の帰国となった。長打率.603は両リーグ通じてトップ、出塁率.403、四球数88個、三振数147個はパ・リーグ1位であるなど、記録ずくめのシーズンだった。
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16−パ 加藤大輔
2007年のシーズンは開幕から主にセットアッパーとして起用された。9月5日には長男が誕生し、同日に登板してセーブを挙げた。同年はリーグ3位の63試合に登板してリーグ4位の26セーブ、防御率2.59を記録した。
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15−パ 中島裕之
2007年のシーズンは開幕から3番で起用され、オールスターゲームに出場を果たした。両リーグ通じて唯一の9試合連続打点を記録するなど、リーグ5位の打率.300、同3位の160安打をしたが、リーグ3位の134三振とレギュラー定着以降減少していた三振数が倍増した。守備でもリーグ2位、遊撃手としては3年連続リーグ最多の20失策を記録。
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14−パ G.G.佐藤
2007年のシーズンは開幕一軍入りを果たした。起用に応えて開幕戦・開幕2戦目と2試合連続本塁打を打ったほか、4月28日ヒーローインタビューを受けた際、2007年における自身のキャッチフレーズを、「ファンを愛し、ファンに愛される選手になりたい」思いから「愛の波動砲 G.G.佐藤」と宣言した。ヒーローインタビューと同時に発売すると予告していた自身の肉体がプリントされた「キモティーシャツ」が7月7日のヒーローインタビュー開始と同時に限定300枚で販売された。 後半に少し調子を落としたが右翼手のレギュラーは譲らず、初めて1年を通して一軍に帯同し、規定打席に初到達。本塁打もリーグ5位の25本と量産し、長打率はリーグ4位の.510と5割を越えるなど、中軸打者として活躍した。この年は年間通じて失策を一つも犯さず、守備率10割を達成した。規定打席到達者で年間無失策だったのは、両リーグ通じて大村直之とG.G.佐藤の2人だけだった。補殺数でもリーグ外野手部門4位を記録するなど、肩の強さも見せた。
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13−パ 西口文也
2007年のシーズンは5度目の開幕投手を務めて1999年以来の白星を記録。3・4月の月間MVPを初めて獲得した。史上46人目の通算150勝を達成。9月18日史上83人目の2000投球回を達成した。しかし6月以降の失速が響いて勝ち星は前年と同じ9勝(11敗)となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなった。
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12−パ 山﨑武司
2007年のシーズンは開幕当初こそ不調が続いたが、野村監督のアドバイスを積極的に取り入れたことがこの年より効果が表面化して徐々に調子を上げた。4月1日の吉井理人からホセ・フェルナンデスとともに満塁本塁打を放った。1イニング2満塁本塁打は史上3度目、パシフィック・リーグでは2度目(2本とも柵越え本塁打はパシフィック・リーグ初)、同一投手から2本は史上初。開幕後1ヶ月間は安打の半分が本塁打という状態で、打率は規定打席到達者内で最低ながら本塁打数は1位という時もあった。6月14日に史上152人目となる通算1500試合出場を達成する。 最終的に43本、108打点 の自己最高記録で、初の打点王と、11年振りとなる本塁打王とベストナイン(指名打者部門)に輝いた。21年目での40本塁打、100打点での本塁打王、打点王は史上初。過去最高クラスの成績を残し、なおかつチーム全体のことをも考えるようになったため、野村再生工場の成功事例の一つともなった。
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11−パ 高須洋介
2007年のシーズンは第2代楽天選手会長に就任。5月には「3試合連続お立ち台」を含む5試合でヒーロー。前半戦の得点圏打率は.470と驚異的な数字にまで上昇した。シーズン終盤は怪我が重なり若手にスタメンを譲る場面も見られたが、最終的にはプロ入り後最多の130試合に出場、2年連続となるリーグトップの得点圏打率(打率.386)を記録。勝負強さを評価されて「必殺仕事人」と命名された。
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10−パ 田中将大
2007年のシーズンは3月29日の初登板初先発、1回2/3を投げて打者12人に対し6安打3奪三振1四球で6失点。4試合目の登板で9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。6月13日高卒新人では2005年のダルビッシュ有以来の完封勝利を記録。同年のオールスターゲームに高卒新人では1999年の松坂大輔以来となるファン投票で選出された。7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目、江夏豊と並び最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振を記録。8月31日の埼玉西武ライオンズ戦で松坂大輔以来となる高卒新人、および球団史上初となる2桁勝利を挙げた他規定投球回にも到達した。楽天球団の高卒新人による規定投球回到達は球団初である。リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げ、リーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振を記録。高卒1年目で新人王を受賞した。
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9−パ 斉藤和巳
2007年シーズンは2年連続4度目の開幕投手を務めた。4月26日、右肩の筋疲労で二軍落ちとなった。7月に復帰するも、中10日以上、7回もしくは100球という限定登板ながら、オールスター明けは5勝1敗とチームを救い、時にはベンチに入り盛り上げ役にも徹した。10月8翌年以降は故障の影響で登板できなかったためCS初戦の先発が現役最後のマウンドとなった。
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8−パ 小久保裕紀
2007年のシーズンは開幕戦に5番・三塁手で先発出場した。9本塁打、26打点、得点圏打率.375で同年3・4月の月間MVPを受賞する。夏場に疲労から調子を下げ、8月末には死球により肋骨を骨折したため離脱した。最終的にチームトップの25本塁打、82打点を挙げたが、チーム自体は2年連続の3位に終わった。
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7−パ 馬原孝浩
2007年のシーズンは前半から好調で、オールスター以前の自責点は2で防御率0点台の快投を見せた、後半疲れからか3敗を喫したが、2年連続の防御率1点台に球団記録となるシーズン38セーブを記録し、初の最多セーブ投手のタイトルを獲得。
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6−パ 里崎智也
2007年のシーズンは主将に任命される。この年も規定打席に到達し、自己最多となる75打点を記録。クライマックスシリーズでも活躍した。また、捕手として2年連続でゴールデングラブ賞とベストナインを受賞。
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5−パ 西岡剛
2007年のシーズンは登録名を本名から「TSUYOSHI」に変更。この年は手首のケガや首痛などもありながら規定打席に到達。初の打率3割を残し、遊撃手としてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。
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4−パ 成瀬善久
2007年のシーズンは開幕ローテーション入りし、16勝1敗、防御率1.81。オールスターゲームに出場、月間MVPを2度受賞し、最優秀防御率、最優秀投手を獲得した。
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