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カギンベー
2025.7に井出先生が群馬から落としたもののなかの一つ。 鉄バイのなかでも貝の名残である「J」部分が角ばっており、 大正期にあったとされる「カギンベー」ではないかと推測する
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チンチン独楽(昭刻印あり)
2025.7に井出先生が群馬からおとしたもののひとつ。 チンチン独楽は主に愛知と四国(愛媛)でみられ、 上下に芯が突き出ているものは四国に多い。 群馬から出たということは、鋳物の独楽として明治に生み出された「チンチン独楽」はおもっていた以上に各地に広がっていたことを示す
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陶器ベー(原茂鵬松氏オリジナル)
2025.7に井出先生が落札した、群馬のものの一つ。 調べてみると原茂鵬松氏の作品と思われる。 原茂氏は江戸ゴマ職人であり、陶芸家 平成22年5月逝去 https://takaosannohana.sakura.ne.jp/Profil.html?fbclid=IwQ0xDSwK-59pleHRuA2FlbQIxMAABHsFelZBX-Yue8R9GThYMM3Wg7WnPfplxpQrUlh-1BxAo6QDvQRpVlzWsQjqZ_aem_Wbjnw_6OR0PklPYIYzxWdg
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さくらベー(花弁つき)
2025.7に井出先生が落札した、群馬のものの一つ。 さくらベーのなかでも花弁があるものは珍しく、はじめてみた。
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若ノ花
初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)、本名:花田 勝治(はなだ かつじ、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱である。身長179cm、体重107kgで、血液型はB型である。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱で、歴代史上最軽量は栃木山の103kgである。
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別当(太字)
別当 薫(阪神) 兵庫県西宮市出身のプロ野球選手・コーチ・監督、解説者。 セ・パ両リーグ分立前後に走れる長距離砲として活躍した外野手で、1948年から1953年まで6年連続でベストナイン外野手に選ばれた。1948年に阪神に入団し、藤村富美男とダイナマイト打線の中核をなす。
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太陽(点あり崩れ字)
太陽ロビンス(1947年)→大陽ロビンス(1948年〜1949年)→松竹ロビンス(1950年〜1952年)→大洋ホエールズと合併し「大洋松竹ロビンス」に 1947年のみの球団名の為作られたのも1947年、勝利を目指すチームに黒星に見える点は必要ないとし、点がなくなる
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チビバイ(チンチン独楽型)
写真ではわかりにくいが ひとまわり小さい。 直径35mm 裏側が同心円であるため、 関西バイであり、 六角や四角が確認されている 「チビバイ」の一種だと思われる。 三並びは、左から角六・チビバイ・丸六の並び 小さいことがわかる。 ※スマホでは先頭の写真しか見えないためブラウザでみえます。 20年で初めて見たくらいの 超絶レアタイプだとおもわれるので 鋳造数もかなり少ないと思う。
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千葉(葉っぱ崩し)
千葉 茂(巨人) (ちば しげる、1919年5月10日 - 2002年12月9日)は、愛媛県西条市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「猛牛」。 千葉の字体の中では このタイプは少しレア ぱっと見読めない
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山内(山右側突き出し)
山内 一弘(斜め配置) (毎日) (やまうち かずひろ、1932年〈昭和7年〉5月1日- 2009年〈平成21年〉2月2日)は、愛知県一宮市奥町出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。旧名「山内 和弘」 現役選手時代は「打撃の職人」「シュート打ちの名人」「オールスター男」「ミスターオリオンズ」と呼ばれた。また、指導者としてはその熱心な指導ぶりから「かっぱえびせん」の異名を取った。
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時津
時津山 時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 - 1968年11月21日)は、福島県石城郡(現:福島県いわき市、出生地は東京府荏原郡(現:東京都品川区))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は藁谷 純一(わらがい じゅんいち)[1]。最高位は東関脇。 見習いだった時津風部屋(大阪相撲)から四股名をとり、立浪四天王の一翼を担う。 戦績にムラはあるものの 戦後最強の関脇と呼ばれる
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錦之助
萬屋錦之介 前名は中村 錦之助(なかむら きんのすけ)。歌舞伎界から映画界に転じ、当時を代表するスターとなり、その後はテレビや舞台でも活躍した。身長162cm[2]。 中村錦之助時代の屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶で、萬屋錦之介と改名してからの屋号は萬屋、定紋は桐蝶。愛称は錦ちゃん(きんちゃん)。中村プロダクション代表(1968年 - 1982年)。東映俳優クラブ組合委員長(1965年の約3か月間)。 本名は小川 錦一(おがわ きんいち)。小川 衿一郎(おがわ きんいちろう)に改名していた時期もある。 サンガンのぺ王サイズ
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ペロペロ(戦時代替え品初期)
大正から昭和初期に作られたペロペロとよばれるもの。ニッキなど味をつけた砂糖菓子がはいっていた。ガラスの容器がさまざまな形をしており、食玩のはしりといえる。 これは戦争中の代替え品として用いられたとおもわれる。 初期のペロペロのベーゴマ型で、オチョコベーに似ていて背が高く、割れやすかったのではないか
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ペロペロ(戦時代替え品中期)
大正から昭和初期に作られたペロペロとよばれるもの。ニッキなど味をつけた砂糖菓子がはいっていた。ガラスの容器がさまざまな形をしており、食玩のはしりといえる。 これは戦争中の代替え品として用いられたとおもわれる。 また、初期のペロペロのベーゴマ型より低く肉厚になっており、ガラス特有の割れる課題がクリアされ、重心が低いためよく回る様になっている
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関西7角(将棋の駒)
7角なので関西だと思われる。 表面には将棋の駒の図柄があるが なんの駒かは不明。 愛媛の岡本さんがもってた。
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