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ミュージック・ライフ誌 沿革
ミユージック・ライフ誌の第1回目は、 その沿革をたどってみたいと思います。 以下、現シンコー・ミュージックのサイト情報からです。 1937年 「ミュジックライフ」の創刊 歌謡曲の投稿誌だったとのことです。 さすがにこの時代の現物は所有しておりません。 1940年 当局の干渉の為に「歌の花壇」に誌名変更 1943年 戦時下の「紙類統制令」のため休業となる 1945年 社屋を東京都杉並区に移転し、事業を再開 1950年 社名を「新興楽譜出版社」に変更 同年株式会社に改組 1951年 「ミュージック・ライフ」復刊(9月) 以降1998年まで刊行 ということで、紙媒体の雑誌としては、1998年12月で休刊となりました。 その後、 2011年 iPad/iPhoneアプリ の「MUSIC LIFE Plus」で再刊 2018年 Web Site で復刊 となっているようです。 画像1 戦後の復刊まもない頃の1951年11月号の表紙です。 表紙は、左下が早川真平さんと思われ、 早川さんをリーダーとした「オルケスタ・ティピカ東京」の メンバーだろうと思います。 (すみません、さすがにまだ生まれておらず、自信がありません) 画像2 同じ1951年11月号の編集後記です。 「復刊号が九月であったから、これが三号目~」との記述があり、 これはサイト情報の「1951年9月復刊」と合致しています。 ところが、なのです。 どうも、そうとも言えないのではないか、という資料もあったりします。 それは次回に…… #音楽雑誌 #ミュージック・ライフ(MusicLife) #内外アーティスト情報 #アナログ・レコード
(株)新興楽譜出版社 ¥80 1951年11月号chirolin_band
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Music Monthly,Record Monthly 番外編2
Music Monthly,Record Monthly の番外編2です。 4.専用バインダー R.Monthly誌を1年分収める専用バインダーも作られていたようです。 (画像1・2) 私が入手したものは状態が悪いのですが、 1969年の12冊が綴じ込まれていました。 5.冊子の背番号 画像3がここで言う背番号のことです。 自分の手持ちの現物を見る限り、背番号が印刷されているのは1970年から と見えますが、こうして並べて眺めていると、あったりなかったり、 同じ番号がいくつもあったり、ということに気付きます。 これは多分、取り扱った販売店毎の番号だと思います。 No.3 = ハンター No.6 = 山野楽器 No.10 = 新星堂 etc. 冊子の裏表紙には、販売店名を入れる白枠が設けられており、 ここにゴム印を押す店舗も多かったわけですが、 数百部以上とかの一定の条件をクリアすることで、 印刷時に刷り込むサービスを行っていたと思われます。 (画像4) 店名印刷分は、他店と混ぜることは許されませんので、 梱包時のチェックを容易にするために、 背番号も印字したのではないでしょうか。 もっとも、店名印刷サービス自体は、もっと以前からあったようで、 背番号はなくても、店名印刷と同時に販売店固有の番号が記されている ケースがありました。 (画像5:小さく59の丸囲み数字) ということは、この番号は Record Monthly 用のものではなく、 もともとレコード商組合が加盟店に対して採番していた コード番号のようなものだったのかもしれません。 #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #RecordMonthly
音楽(レコード) 1960年代 - 1980年代 日本chirolin_band
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Music Monthly,Record Monthly 番外編1
Music Monthly,Record Monthly の番外編です。 この小冊子の特徴と言えそうなポイントを、 いくつか取り上げてみたいと思います。 1.メーカー月報に記載のない商品も掲載 これは資料的価値としての側面です。 画像1は1967年8月号のリストですが、ビートルズ(サージェント以外)や フォア・フレッシュメンのLPが掲載されています。 これらはいわゆる焼き直しで、品番や定価を変更しての再発盤ですが、 「新装再発売」であることの断り書きと旧品番を添えて記載されています。 東芝月報には、載っていません。 月報での不掲載は記載漏れではなく、編集方針だと思います。 つまり、月報だけでは発売商品の全容はつかめない、ということです。 (番号順総目録には記載されています) 2.発売中止盤が掲載されていることもあり これはコレクター的なレア・アイテム探索という側面です。 画像2は1964年6月号のリストですが、東芝からの邦楽コンパクト盤の 第1回分が紹介されています。(別ページ分も含めて全5タイトル) ところが、これらの商品が実際に発売されたのは同年10月でした。 (画像3がそれを伝える月報の1964年10月号です) 何らかの事情で発売が遅れた、というだけならばままあることですが、 弘田三枝子さんだけは、収録曲が当初の予定から変更されています。 ところが、変更前の6月新譜バージョンの現物(見本盤?)が存在し、 正規品とは別ジャケになっているのだそうです。 画像4は、梅木マリさんの「白ゆりの丘」(JP-1567)で、 Music Monthly の1963年7月号に掲載されています。 発売中止になったらしく、幻のレコードになっています。 メーカーの月報にも総目録にも記載がありません。 こういったアイテムが載っているとうことは、 マンスリー系の外部編集冊子の方が、自社編集の月報よりも校了〆切が早く その後の修正が反映していないからではないか、と想像しています。 これ以外にも、シングル盤のカップリング曲が違っている, 品番が変更されている等々、少なからず見受けられます。 3.表記の癖(!?) 画像5は、Music Monthly1964年6月号のリストですが、 「トロムボーン16」と題するLPがあり、アーティスト名も 「河辺公一とトロムボーン16」となっています。 画像6は、同じアイテムのコロムビア月報(64年6月)掲載分ですが、 ジャケ写も含めて「トロンボーン」となっています。 同様のことが「トランペットがトラムペット」でも、 割と目に付きます。(コロムビア盤に限らず) この辺り、マンスリーとしての編集方針と言うか、編集者のこだわり のようなものを感じます。 「コロンビアじゃなくてコロムビアだと言うのなら、トロンボーン ではなくトロムボーンでしょ」という声が聞こえてくるようです(1?) #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #RecordMonthly
音楽(レコード) 1960年代 - 1980年代 日本chirolin_band
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ミュージック・ガイド 1968年
「ミュージック・ガイド」誌です。 発行はミュージック・スター社、 編集人は岩田重雄氏、発行人は飯原正信氏となっています。 ミュージック・スター社は、レコード卸の最大手(株)星光堂の姉妹会社で、 飯原正信氏はその星光堂の創業者です。 飯原氏はその著書「商魂」のなかで 「レコード・マンスリーを利用しようと全レ連に申し込んだところ、 『いや、これはアウトサイダーにはやれない』という返事が返ってきた。」 と述べており、仕方なく独自に発行したのが「ミュージック・ガイド」 だったわけです。 当時のレコード業界は、メーカーと小売店が直に契約を結ぶ形態が主流で、 その特約店ルートの商組合が「全レ連」でした。 一方、星光堂等の卸店は後発で、「代行店ルート」と呼ばれ、 煙たがられていた面もありました。 「アウトサイダー」という表現からも、それが良く判ります。 そんなわけで、ことの善し悪しはともかく、 特約店ルートで配布されたの Music Monthly や Record Monthly 、 星光堂ルートの卸店経由で配布されたのが 「ミュージック・ガイド」です。 創刊は1967年1月のようで、ちょうど Music Monthly から Record Monthly に切り替わる頃です。 岩田氏に関しては、「RECORD FAN」誌の編集発行人として ご紹介しましたが、上記「商魂」によると、 「かつてビクターで社内報を担当していた」と記されています。 この「ミュージック・ガイド」は当初より B5 サイズだったようで、 誌面は大変見易くなっています。(画像4) また、ミュージック・テープも掲載対象となっています。 レコード・メーカー各社の広告も入っているところをみると、 小売系の商組合は「新参者に我々のパイを奪われたくない」 と反発している一方、メーカーとしては 「レコードを拡販するためには、もっとお店を増やすべき」という 星光堂の考え方に理解を示す側面もあったように見受けられます。 1968年3月号では「帰って来たヨッパライ」に関する座談会が 掲載されており、ビートルズ・ファンには有名な高嶋弘之氏が、 ディレクターとして参加されています。 (画像5 小さな写真もあります) チャート情報も掲載されていますが、メーカー別になっています。 岩田氏の編集していた「RECORD FAN」誌も同様だったため、 これは岩田氏の方針とも考えられますが、違うような気もします。 つまり、問屋として多くのレコードを供給していたとは言え、 この時代に店頭での販売状況を吸い上げるツールはなかったわけで、 情報源をメーカーに求めるしかなかったのではないか、とも考えられます。 1968年7月号では 1910フルーツガム・カンパニーの「サイモン・セッズ」が 日本でも発売される旨の記事が掲載されています。(画像7) この曲をラジオで初めて聞いたとき、D.J.の方が 「契約がないため、残念ながら日本では発売できない」とコメントしており 残念に思ったものでした。 「ミュージック・ガイド」誌は、2001年頃まで発行されたと思います。 #アナログレコード #レコード資料 #ミュージック・テープ資料 #ミュージック・ガイド
音楽(レコード,ミュージック・テープ) ¥50 1968年chirolin_band
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テープ・マンスリー 1970年〜1971年
「テープ・マンスリー」誌です。 手元にあるのは2冊だけですが、1970年1月号が「第4号」となっているので、 創刊は1969年10月と思われます。 発行は「日本レコード振興株式会社」で、Record Monthly と同じです。 内容も、正に Record Monthly のテープ版です。 Record Monthly に比べると、見かける機会が少ないので、 発行部数はかなり抑えられていたと思います。 当時のミュージック・テープの市場は、8トラ・カートリッジ オープン・リール,カセットによって形成されていましたが、 中心はカー・ステレオでの需要を取り込んだ8トラでした。 新譜紹介のページ数を見ても、 8トラ…………23ページ オープン………6ページ カセット………6ページ となっており、それを裏付けています。 オープン・リールは音質を重視するオーディオ・マニア向け、 カセットはこれからのメディアという感じだったのでしょう。 当時は4チャンネル・レコードも発売されていましたが、その8トラ版 というのも発売されていたようです。(画像7) チャートも掲載されていました。(画像8) テープ・マンスリーは、1987年3月号をもっと廃刊となりました。 (Record Monthly の廃刊と同時) #アナログレコード #ミュージック・テープ資料 #テープ・マンスリー
音楽(ミュージック・テープ) ¥50 1970 - 1971年chirolin_band
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Record Monthly 1967 - 1969年
Record Monthly誌 1967-1969年です。 画像1 1967年 画像2 1968年 画像3 1969年 67年1月号からは、表紙のデザインが一新されています。 定価は ¥40 スタートですが、67年3月号から ¥50 に改訂されています。 (2022.8.7 改訂タイミングを更新しました) ページ数も 96 となり、この「96ページ ¥50」が標準フォーマットとして 固定され、69年末まで変更されていません。 海外チャートが掲載されるようになり、67年1月号からビルボード、 67年4月号からはキャッシュ・ボックスも加わります。(画像4&6) ここにJ.F.というイニシャルでコメントが書かれているのですが、 67年4月号 のそれは、偏見に満ちたひどいものでした。 よほどビートルズやエレキがお嫌いだったようですが、 1967年になっても、まだこのような論評があったわけですね。 67年3月号から、国内ヒットチャートに変更があり、 「メーカー別」の枠を外し、本来のチャート情報に改められました。 この時代のビー・ジーズは、ストリングスを多用したり、 メロディ・ラインを重視した曲作りなど、当時のロック系のバンドとは 違った方向性を志向していたように思います。 「ジョーク(I Started A Joke)」を初めて聞いた時は、プロコル・ハルムの「青い影」 と同様に衝撃を受けたものです。 69年10月号から、R を大きくデフォルメした楕円形のロゴが登場し、 これは長く使われ続けることになります。 #アナログレコード #レコード資料 #RecordMonthly
音楽(レコード) ¥50 1967 - 1969年chirolin_band
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Record Monthly 1966年
Record Monthly誌 1966年です。 Music Monthly とよく似た冊子ですが、全く別物です。 発行は日本レコード振興株式会社で、レコード券の発行も 行っていたところです。 9月号が通巻11号となっていることから、創刊は1965年となりますが 私は見た記憶がありません。手元にある66年発行分も、この3冊のみです。 翌1967年になると全く状況が逆転し、Record Monthly が主流になっている と見えます。 推測ですが、この頃にレコード商組合御用達の冊子が、Music Monthly から Record Monthly に変更されたのではないか、と思います。 Music Monthly は見捨てられた(?)のでしょうか、 その辺の経緯は判りませんが… 画像2,3 1966年9月号 9月号は 64 ページ構成で ¥40 です。 リスト・ページのレイアウトは Music Monthly によく似ています。 違いは、レーベル名(エンジェル等)の上に それを発売するメーカー名(東芝等)が記載されるようになり、 商品のソートKEY もジャンル/メーカー/レーベルとなったことです。 (従来はジャンル/レーベル) チャート情報も掲載されていますが、メーカー別になっています。 しかし、これはどうなんでしょう、 各メーカーに忖度したのかもしれませんが(!?)、 ユーザー目線の対応ではないですね。 画像4,5 1966年10月号 10月号以降は 80 ページ構成で ¥40 です。 「赤ずきんちゃん」の広告ページ(日本グラモフォン) 巻末には「レコードマンスリーもまだ生まれたばかり」 といったコメントも見られます。 画像6,7 1966年11月号 リスト・ページの列の表示順が変わり、タイトルや収録曲がが左に寄り、 レーベルや品番等の情報が右側に寄せられています。 #アナログレコード #レコード資料 #RecordMonthly
音楽(レコード) 1966年 日本chirolin_band
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番外編3 カナリヤレコード 1950年代<続編>
カナリヤレコードの続編です。 前回分はこちら https://muuseo.com/chirolin_band/items/18 日本ビクター50年史(1977年発行)に「カナリヤレコード工業株式会社」に関する 記述がありましたで、続報として掲載致します。 画像1 ビクター関係会社として掲載されています ①本店、②営業所、③は設立年月日、④株主構成、⑤営業内容 です。 設立は1958年8月21日となっています。 ピクチャー・レコードはもっと前から発売されていましたから、石川無線電機との提携 (レコード・タイムス1957年4月号掲載)の後、日本ビクターの子会社として再スタート したのが、この日付なのでしょう。 社名もここから「カナリヤレコード工業株式会社」 になったのかもしれません。 営業内容は「レコードの製造および販売」となっていますが、他のレコード会社と比べると その姿が見えて来ます。 画像2 同じビクター関係会社の「アール・ブイ・シー(RVC)」の会社紹介です。 「レコード,音楽テープなどの『企画制作』,製造および販売」 となっており、この中の『企画制作』がカナリヤレコードにはありません。 つまり録音や原盤作りはやらない「工場」ということになります。 ビクターはそもそも自社工場を持っていましたので、わざわざ「カナリヤ」を 傘下に加えた目的は「ピクチャーレコード」のノウハウだったのかもしれません。 (これは単なる推測です) 画像3 これが前回ご紹介した「レコード年鑑1960年」に「プレス専門工場として」 という但し書き付きで掲載されていた会社のことなのでしょう。 画像4 日本ビクター50年史の奥付です。 発行が1977年9月13日ですので、少なくともこの時点ではカナリヤレコード工業が 存在していたことになります。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 カナリヤレコード 1950年代chirolin_band
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Music Monthly 1966年
Music Monthly誌 1966年です。 平月の基本フォーマットは80ページ ¥40 で変わりありません 。 この時代の「YAMAHA RECORD NEWS」は、表紙だけ個別対応したもので、 内容は Music Monthly そのものです。 画像2 4月号(No.160)「ラバー・ソウル」の広告 「ミッシェル」はシングル発売がありませんでしたので、 カバー・バージョンが紹介されています(売れませんでした)。 画像3 6月号(No.162)「ドクトル・ジバゴ」サントラ盤の広告 画像4 7月号(No.163)のヒット・チャート 画像5 8月号(No.164) ビクター広告ページ 「夢のカリフォルニア」「明日なき世界」「孤独の世界」 はどれも強烈な印象が残っています。 画像6 8月号(No.164) 東芝広告ページ 「二人の銀座(Ginza Lights)」は「ポップ演歌第1弾」 と謳われています。 ベンチャーズ盤は 1966.07.15臨発ですが、 歌詞を付けた和泉雅子・山内賢バージョン (TP-1346)も 1966.09.15 に発売されました。 画像7 9月号のフィリップス広告ページ(洋楽) 画像8 9月号のフィリップス広告ページ(邦楽) ブロードサイド・フォーには黒澤久雄さん、サベージには寺尾聰さんが 在籍していました。お二方とも若い! 手持ちの Music Monthly は1966年12月号 までですが、 資料によると「No.187 限りで廃刊」となっています。 通巻ナンバーから推測すると1968年まで続いたことになるのですが、 私は見た記憶がありません。 この辺りの話は、次の Record Monthly でも触れてみたいと思います。 #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #YamahaRecordNews
音楽(レコード) 1966年 日本chirolin_band
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Music Monthly 1962-1963年
Music Monthly 1962年 - 1963年です。 画像1 1962年 画像2 1963年 1962年6月号までは64ページ ¥30 ですが、翌7月号からは80ページに増ページし ¥40 となっています。増え続ける新譜発売アイテム数に対応するための 止むを得ない措置だったものと思います。 YAMAHA RECORD NEWS が混ざっていますが、これは表紙を 個別対応しただけで、中身は Music Monthly と全く同じです。 チャート情報も掲載されるようになりました。 POSシステムや通信インフラも整う前ですから、店頭では商品管理カードを 手作業での集計し、それを電話等で伝えていたのでしょう。 もちろん、オリコン・チャートもまだありません。 1962年5月号は、ラテン特集増大号で ¥50 となっています。 定価を上げてもやりたかった企画なのだったのでしょう。 編集・発行社の「やる気」を感じさせてくれます。 チャートを見ていると、「ほぉ」と感ずるものもあります。 例えば「禁じられた遊び」、ナルシソ・イエペスの専売特許というのが 現在の感覚ですが、当時はヴィセンテ・ゴメスのバージョンも 同等によく売れていたことが判ります。 難民救済の国連レコードが広告されています。 これはポピュラー版ですが、当時の著名なアーティストがレーベル契約の枠を超えて 結集しています。いわゆるチャリティー・レコードのはしりになるのでしょうか。 画像7は、キング・レコードの広告ページです。(1962年7月号) ジョージ・セルのレコードは、まだエピック・レーベルで発売されていました。 眼鏡は、この頃から晩年まで変わっていないようです(!) #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly
音楽(レコード) ¥30 - ¥40 1962 - 1963年chirolin_band
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Music Monthly 1964-1965年
Music Monthly誌 1964~1965年です。 画像1 1964年 画像2 1964年(コタニ・レコード・ニュース) 画像3 1965年 各月の基本フォーマットは80ページで ¥40 、特集などの増大号は ¥50 となっています。 この時代の「コタニ・レコード・ニュース」は、表紙だけ個別対応したもので、 内容はMusic Monthly そのものです。 「YAMAHA RECORD NEWS」も同様です。 画像4は1964年4月号のマンスリー・チャートです。 洋楽シングルで、初めてビートルズが第11位で登場しています。 (プリーズ・プリーズ・ミー) このチャートは「1964年3月1日現在」と明記されていますので、 2月中には既に売られていたことになります。 この曲は月報もミュージック・マンスリーも 64年3月号 に掲載されており、 発売直後の総目録も「39.03」と記載されています。 つまり、64年3月新譜として予告され、予定通りに発売されたようです。 当時の東芝レギュラー新譜発売日は 5日 と 15日 ですから、 発売日は1964.02.05 or 1964.02.15 のどちらかです。 また、当時の東芝ディレクターだった高嶋弘之さんは、 その著書の中で「2月10日発売」だったと主張されています。 どうころんでも公式発売日(1964.03.05)が誤りであることは明白です。 1964年7月号では、フォーク・ソングとハリー・ベラフォンテの特集が 組まれています。(画像5) 1965年2月号では、「インター・ナショナル・ビアノ・フェスティバル」 と題した国連難民救済レコードが広告されています。 今で言う「チャリティー盤」の草分けになるのでしょうか、 時の総理大臣の推薦コメントが添えられています。(画像6) しかし、何と言っても 1965年はエレキ・ブームの年でした。 画像7は、1965年10月号のチャートですが、LPもシングルも、 ベンチャーズが凄いことになっています。 画像8は1965年の総括コラムです。 #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly #コタニ・レコード・ニュース #YamahaRecordNews
音楽(レコード) ¥40 1964 - 1965年chirolin_band
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レコードタイムス 1958年
レコードタイムス 1958年です。 画像2:1958年2月号 フルニエとドワイヤン フランス文化使節として来日したジャン・フルニエ(ヴァイオリン)と ジネット・ドワイヤン(ピアノ)夫妻の演奏会の様子が伝えられています。 画像3:1958年2月号 ビクター(フランク永井)とテイチク(三波春夫)の広告ページ。 画像4:1958年3月号の広告 日本ディスク(株)の広告。日本マーキュリーが日本ディスクと合併して からの時期になります。 画像5:1958年9月号 ステレオレコードいよいよ発売! ステレオ・レコード発売を告げる記事です。 画像6:1958年9月号 ポール・アンカ いよいよ来日か!! 画像7:1958年9月号 当時の大相撲横綱のレコード吹込とともに、「新レコードの呼び寸法」というコラム が掲載されています。メートル法の完全実施を控えての対応でしょう。 #アナログレコード #レコード資料 #レコードタイムス
音楽(レコード) ¥20 1958年chirolin_band
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レコードタイムス 1960年代
レコードタイムス 1960年代 私が所有しているのは1962年7月号までですが、 1963年までは、見かけたことがあります。 どこまで続いたのかは定かでありません。 戦前からのフォーマットを変えなかったのか、変えられなかったのか、 よく判りませんが、後発のミュージック・マンスリーが同サイズでも よりモダンなデザインとなっているのと比べ、いささか古めかしさを 感じさせるのは否めなかったと思います。 1960年2月号は ¥20、その他は ¥30 となっています。 画像2:1960年2月号 並木姉妹のペット・ネーム決まる 「こまどり姉妹」の芸名決定を伝える記事です。 それまでは「並木栄子・葉子」名義で発売されていました。 画像3:1960年2月号 欧米ところどころ(2)。 当時のキング・レコード常務の外遊記です。 画像4:1962年7月号 可愛いベビー(中尾ミエ)の広告ページ。 表紙が横長に変更されています。(中身は変更ありません) 画像5:1962年7月号 瀬川純子さんの広告ページ。1962年7月号の表紙も同じ方ですが、瀬川瑛子さんの お姉さんです。(瀬川新さんの娘姉妹) 画像6:1962年7月号 コロムビア新人二人 北島三郎さんと畠山みどりさんが紹介されています。 #アナログレコード #レコード資料 #レコードタイムス
音楽(レコード) ¥20 - ¥30 1960年代chirolin_band
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Music Monthly 1960-1961年
Music Monthly誌 1960~1961年です。 全体で64ページ構成、定価 ¥30 は継続されています。 画像1 1960年 画像2 1961年 1960年1月号には、珍しいカラー広告が出されています。(画像3) これは年始の特別企画だったようで、単発に終わっています。 また、「トーン・ラッシュの時代」と称して、レコードやソノ・シート以外の 磁気媒体メディアが挙げられていますが(画像4)、 「ビクター・フォンテ」「シンクロリーダー」など、 名前を聞いても判らないものがあります。 コロムビアの「ステレオ・セブン」は、ポピュラー系で言うと コンパクト盤のことです。こういったものが喜ばれるということは、 LP(30cm や 25cm)を買えない層がたくさんいた、ということですね。 キング・レコードやナガオカと提携したアンケート調査なども 行われていたようです。(画像5) 当時は、電蓄用の汎用ロネット針が広く使われていたと思いますが サファイア針の ¥160 はともかく、ダイヤモンド針の ¥2,600 というのは かなりインパクトのある価格です。 12月号は「特別増大号」として96ページ(¥30のまま)構成になっていますが、 平月は新譜リストに押され、記事をカットせざるを得ないという苦しさが、 編集後記にも綴られています。(画像6) 1961年になると、広告ページに多少上質の用紙を使うようになり、 他のページとは差別化が図られるようになります。 画像7は、1961年5月号のものです。 画像8は1961年8月号の編集後記ですが、発売日に関する説明が記載されています。 #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly
音楽(レコード) ¥30 1960 - 1961年chirolin_band
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Music Monthly 1958年
Music Monthly 1958年 創刊当時の Music Monthly誌です。 資料によると、1958年4月創刊とありますので、5月号は第2号に なるのでしょうか。 発行は「月刊ミュジック社」で「日本レコード文化連盟監修」と記されています。 後者は、音楽文化の向上・発展に寄与することを目的とし、 蓄音器商組合員とメーカーによって組織されていた団体です。 蓄音器商組合は、1958年当時だと「全国レコード商組合連合会(全レ連)」 現在の「日本レコード商業組合(日レ商)」のことです。 おそらくレコード・メーカーが情報を提供し、特約店各店の共通冊子として 編集されたのでしょう。 表紙も、デザインや色づかいの違いなどから、その後のイメージとは 大部違っています。 ただ、同時期の「レコードタイムス」と比べると、かなり垢抜けている 感じですね。 誌面は記事等32ページ、新譜リスト32ページの64ページとなっています。 こうした紙面構成がとれた背景には、その後の時代と比べて新譜発売点数が ずっと少なかったことがあります。 気になる点ももあります。 創刊2号(?)の58年5月号に「No.61」 という通巻ナンバーが記されています。 また、第三種郵便物認可の日付も「昭和31年(1956)7月17日」 となっています。 これは、全くのゼロ・ベースからのスタートではなく、 継承した既存資源があったということだと思います。 個人的には、日本楽器の「RECORD TIMES」を継承したのかも、 と推測しています。但し、通巻ナンバーはぴったりとは合いませんし、 あくまでも勝手な想像ですが…… 店名印刷欄に「星光堂」の社名が見えます。 この時代は同社が卸事業に進出する前なので、商組合の会員として こうした冊子も取り扱うことが出来たのでしょう。 (いずれ、「ミュージック・ガイド」誌を取り上げる予定なので、 その時に何故こんなことを言うのかをご説明致します) #アナログレコード #レコード資料 #MusicMonthly
音楽(レコード) ¥30 1958年chirolin_band
