-
Human Switchboard “Who’s Landing In My Hanger?”
Human Switchboardと聞いて反応する人、何人いますか?多分少ないでしょう。私も高校生時にロックマガジンの増刊号Modern Musicにちょっとだけ書いてあったのを読んで、どんな音楽だろうと長年、妄想していたバンドなんですよ。当時はDiscogsもYouTubeも無かったですし、こちらもスマホもPCも無かったですからね。偶々、ヤフオクでHuman Switchboardの名前を見た時、狂喜乱舞しましたね。それで、やっと手に入れた訳です。まあ、このバンドは知る人ぞ知るバンドだったので、ちょっとバイオグラフィーを調べてみました。Human Switchboardのメンバーは、Bob Pfeifer (G.Vo), Myrna Marcarian. (Vo, Farfisa Organ)と Ron Metz (Dr, Perc)のトリオで、Steve Calabaria, Doug MorganやPaul HamannらがヘルプでBで参加していました。結成は1977年、オハイオ州のCrevelandで。元々はSyracuse大学で、BobがMyrnaと会ったことから、始まり、Clevelandに戻った時に、ドラムのRonを誘ってできたのが、Human Switchboardです。その時に4曲EPを録音し、David Thomas (Pere Ubu)がテープをミックスしています。このEPは1977年秋に自分達でリリースしています。バンドは次のシングル”I Gotta Know”を1978年にAkron‘s Clone Recordsの為に録音しています。また、ライブも始めており、最初のライブはColumbusのHigh Streetのレコード屋Magnolia Thunderpussyの地下でした。その後も近い州でのライブも行っており、1979年には、Kentの有名なバンド(15-60-75)のヘルプで、次のシングル”Prime of My Life”/“In My Room”を録音し、バンド自身のレーベルSquare Recordsからリリースしています。バンドは、段々と知名度が上がってきて、現Yo La TengoのDave SchrammをヘルプのBとして、NYやWashington, Boston, NJなどで定期的にライブをやっています。ただ、アルバムがまだ大手から出すことが出来ていませんでした。1980年にRough Tradeが、3曲入り12㌅シングルを出さないかと興味を示し、Doug Morgan (B)のヘルプで、'Who's Landing in My Hangar?'と”I Can Walk Alone”に”In My Room”の再録を加えて3曲を録音しましたが、レーベル側の突然の契約却下で、このシングルは流れてしまいます。しかし、バンドは、米国レーベルIRSの英国部門であるFaulty Productsと契約し、彼等の最初にして最後のスタジオ・アルバム”Who’s Landing In My Hangar?”を1981年にリリースします。これが本アルバムをなります。その後、Human Switchboardは、Polydorからも声をかけられたりしますが、1985年に解散してしまいます。大体のバイオグラフィーはこんな感じです。どうもCleveland辺りではちょっと有名だったみたいですね。 それで本作品ですが、このバンドを一言で言うと、編成から分かるように、チープなオルガンがフィーチャーされたニューウェーブですね。こう言う音楽は、個人的には大好きですので、存分に楽しめました。まあ当時のRolling Stone誌では「全くのクラシック!このバンドはVelvet Undergroundのギターと60年代のガレージのオルガン、Pere Ubuのようなベースライン、がなりたてるようなSax、がむしゃらに叩いてるドラム。まるで、Robert PfeiferはLou Reedの大ファンで、Myrna MarcarianはPatti Smithのように歌っているようなもんだ」と評されていました。でも、私はそんなことは余り感じなかったですね。寧ろ、あまりにニューウェーブっぽかったので、びっくりした位です(特にベースラインがPere Ubuっぽいとは思えませんが、、。)。元々は阿木譲さんが紹介していたバンドですが、私は最初、「インダストリアル・ミュージック」を想像していたので、思いっきり期待を裏切られました(勿論、良い意味です)。ある意味、理想的なパワーポップ・バンドと言っても良いでしょう。皆さんも是非是非、Cleveland産の良質のニューウェーブを聴いてみてください‼️ “(Say No To) Saturday’s Girl” https://youtu.be/1oRTsW8lci4 “Who’s Landing In My Hangar?” https://youtu.be/-62z-ceuUUI #HumanSwitchboard #Who’sLandingInMyHanger? #FaultyProducts #Cleveland #NewWave #Organ #BobPfeifer #MyrnaMarcarian #RonMetz
NEW WAVE Faulty Products 4500円Dr K2
-
The Fall “458489 A Sides”
意外とこのバンド好きな人、多いんだよね。と言う訳でThe Fallが登場です。このバンドも息が長かったので、バイオグラフィーは大変かなぁと心配しつつ書いてみます。その前に、このアルバムは1984-1989年にリリースしたシングルのA面の曲を集めたセルフ・コンピで、同時期にB面の曲だけ集めた作品もあります(私は未聴、すまん!こっちの方が聴きたい!)。Voでフロントマンで、唯一のオリジナルメンバーであるMark E. Smithを中心に、1976年にManchesterで結成されます。その時のメンバーは、Mark (Vo), Martin Bramah (G), Una Baines (Perc→Kbd), Tony Friel (B)です。彼等は各々が書いたものを見せ合ったり、ドラッグを回したりしていたらしいです。そして、彼等はH.P. Lovecraft, Raymond ChandlerやMalcolm Lowryの小説が好きなだけではなく、音楽的にもMonksのようなガレージやThe Stoogesが好きだっただけではなく、CanやVelvet UndergroundやCaptain Beefheartも好きだったとのこと。それで、Markは、1976年にSex PistolsのライブをManchesterで観た後、バンド名をOutsidersにしようと言いますが、Tonyが拒否。Tonyが、カミュの小説「転落(The Fall)」から引用して、The Fallに決まります。Unaは初め、ドラマが決まるまでは、ビスケットの缶を叩いていましたが、ドラムがSteve Ormrodに決まるとKbdにスイッチしました。初ライブは1977年5月23日にNorth West Arts basementでした。基本的にThe Fallの音楽は「反復」から成り立っており、それが本質であるとMarkも明言しています。それで、先述のドラマーほ、他のメンバーと政治的心情が違うとして、その一回でやめてしまいます。代わって、Nuclear AngelのKarl BurnsがDrで加入します。The FallはBuzzcocksのマネージャーRichard Boonの目に止まって、1977年11月に”Bingo-Master's Break-Out”EPを録音をしていますが、結局はこの時はリリースできませんでした。結局、The FallのレコードデビューはManchesterのライブハウスThe Electric Circusでのライブ録音のコンピレーション”Short Circuit: Live at Electric Circus”(1978年)になります。その後、1977-1978年に第一回の大きなメンバーチェンジが行われます。Unaの友達で精神病院で働いていたKay Carrollがマネージャー兼バックVoとして加入しますが、Tonyはそれが気に入らなくて1977年12月に脱退します。この代わりにJonnie Brownが、その後にもEric McGannに代わります。この編成で1978年2月13日のGranada TV showに出演し、”Psycho Mafia”など3曲を披露しています。しかしながら、Una Bainesが、薬物のオーバードーズやそれによる神経衰弱で1978年3月に脱退します。代わりにYvonne Pawlettが加入。更に、ローディーだった16歳のMarc Rileyを新しいBとしてリクルートしてきます。先述のお蔵入りにらなりかけたEPは1978年8月に漸く、Step Forward Recordsからリリースされます。1978年12月に、ほんの1日だけで作ったデビューアルバム”Live at the Witch Trials”が、翌年3月にリリースされます。しかし、その直後、Karl Burns (Dr)が脱退し、1979年4月に代わりにMike Leighが加入します。が、一緒に曲を書いていたMartin Bramah (G)が続けて脱退します。それで、Marc RileyはBからGにスイッチし、Craig Scanlon (G)とSteve Hanley (B)が加入します。2人ともMarc Rileyのバンドメイトだったそうです。Steve Hanleyのベースラインはメロディックで、Mark E. Smithもベタ褒めです。1979年7月30日に3枚目のシングル”Rowche Rumble”をMark E.Smith, Craig Scanlon, Steve Hanley, Mike Leigh, Yvonne Pawlettで録音、その直後にYvonneは脱退しています。それでセカンドアルバム”Dragnet”を1979年10月26 日にリリース。格段に音は良くなっていました。The Fallは4枚目のシングルを1980年1月13日にリリースしますが、Mike Leighが脱退し、その代わりに、Steve Hanleyの弟Paul Hanley (Dr)が加入しますか、当時まだ16歳でまだ学校にも通っていました。その後、パンドはRough Tradeと契約、1980年11月に彼等のサードアルバム”Grotesque (After the Gramme)“をリリース。シングルカットされた”Totally Wired”は英国インディーチャートで1位になりますが、MarkはRough Tradeのポリシーが気に入らなくなり、1981年末に契約を切り、Kamera Recordsと言う小さなレーベルと契約します。その前後で、米国ツアーを計画しましたがが、Paulが若すぎて、ライブハウスで夜は出られない為、ビザが降りませんでした。そこで、再び、Karl Burns (Dr)を仮のメンバーとして加えることにし、米国ツアーを敢行します。帰ってきても、Karlはプレイしたいとのことで、ダブル・ドラムと言う編成になります。1982年3月8日に”Hex Enduction Hour”をKamera Recordsよりリリース、更には1982年9月27日にはアルバム”Room To Live”もリリースしています。しかしながら、Marc Rilayが色んな問題・批判があって、1982年末には解任されます。1983年になると、Rough TradeもKamera Recordsもそれぞれ違うシングルをリリースしています。それで、当時のMarkの米国人の恋人(後に結婚)Brix SmithがGで加入。彼女も曲を書きます。比較的保守的ですが、強力にポップな曲を書きます。その為か、イントロ・コーラス・イントロみたいなオーソドックスな構成の曲が多くなります。また、ファッション的にも変化があって、ワーキング・クラスからすると奇異に映る位、グラマラスで派手な服装になるようにメンバーも指示を与えます。1983年に12月5日にRough Trade では最後となるアルバム”Perverted by Language”をリリース。それがBixが参加した最初のアルバムになります。この時期(1983-1989年)はBixの影響もあって、バンドの音楽性も聴き易くなり、多くのファンを獲得できたのではないでしょうか? シングルだと、Dean Taylorのカバー "There's a Ghost in My House" (1987)やthe Kinksのカバー"Victoria" (1988)がヒットしましたし、彼等の曲 "Hey! Luciani" (1986)や"Hit the North" (1987)もヒットしています。この時期のアルバム”The Wonderful and Frightening World of The Fall”(1984), “This Nation's Saving Grace” (1985), “Bend Sinister “(1986)や”The Frenz Experiment” (1988)は音楽評論家からも概ね良いレスポンスが書かれていたとか。この時、ツアー中にPaul Hanleyが脱退してしまいます。代わりにSimon WolstencroftがDrとして加入します。彼は単独ドラマーになりつつあり、Karl Burnsのドラマーと違って、軽快でファンキーな音を出します。後にSimonは2014年に”You Can Drum But You Can’t Hide”でThe Fallでのドラムをことについてのメモアールを出版しています。ええっと、もうこんなに書いてしまいましたが、1990年代と2000年代についてはまた、機会がありましたら、書くことにします。因みに、リーダーのMark E. Smithは、末期の肺癌と腎癌を患っており、2018年1月24日にManchesterの自宅で亡くなっています。60歳でした。彼の死を持ってThe Fallは活動を停止したことになります。The Fallの1980年代の一番良質な音楽をやっていた頃のことは先に記した通りなので、その時にリリースされた曲をコンパイルした本作品について紹介をしていきたいと思います。 メンバー構成については、前述を参考にして下さい。基本的にはMark E. Smith (Vo, Tape, Piano), Craig Scanlon (G), Steve Hanley (B, A-G) Brix Smith (G, Vo)にPaul Hanlay (Kbd, Dr), Karl Burns (Dr, Perc, B), Simon Wolstencroft (Dr, Perc), Simon Rogers (Kbd, G), Marcia Schofield (Kbd, B-Vo)が時期をずらして加わったりしています。また一回限りではGavin Friday (Vo)やFredrica Federation (G)ですね。初期の野暮ったさは上手く書き換えられており、クリアな音になってますね。タイトなリズム隊とMark E. Smithの非ラップ的スポークン・ヴォーカルがあれば、いつだってThe Fallは最高さと言って言ったのは私の友人だが、その通りだと思いますね。本作を聴いて確信しました。グルグル回るような「反復」が気持ちよいではないですか❗️しかもBrixの加入で、曲に幅ができた感じもします。この次はこの企画盤の裏盤”B Sides”を聴いてみたいですね。個人的にはここら辺のThe Fallを良く聴いていたので(特にB面)、聴き慣れている分、気持ちいいです。皆さんもこの時期のThe Fall、きっと気に入りますよ!是非是非! [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nD8B-4y55KTiLQOItOK-5QyzVEhWevGWA #TheFall #458489ASides BeggarsBanquet #PostPunk #MarkE.Smith #SteveHanley #CraigScanlon #BrixSmith #1984-1989
Post Punk Beggars Banquet 2740円Dr K2
-
The Flying Lizards “Top Ten”
ファーストとセカンドは持ってましたThe Flying Lizardsですが、サード・アルバム”Top Ten”はすっかり忘れてました。それで急いでヤフオクで買った訳です。セカンドの”The Fourth Wall”が商業的イマイチだったので、このサード・アルバム”Top Ten”では、タイトルからして分かる通り、再びメジャーをおちょくるような出来になっています。1984年にリリースされたこのアルバムではSally PetersonがVoで、ファーストに近い、感情の無いロボットような非人間的な歌を中心に、James Brownの”Sex Machine” と”Dizzy Miss Lizzy”のカバーやLeonard Cohenの”Suzanne”のカバーも演っています。この”Suzanne”は、アルバムリリース後に、映像も作ってプロモーションの為に録音されています。後、バックは殆どの楽器をDavid Cunninghamが担当していますが、楽器の方は格段に良い楽器を使っています。また、ゲストとして、Julian Marshall (Piano), Michael Upton (Voice), Peter Gordon (B), Steve Beresford (Piano)が、数曲で演奏したおり、まElisabeth Perry & Alexander BalanescuやThe Flying Lizards Stringsがバッチリ脇を固めています。ドラムは恐らく生ドラムではなくて、ドラムマシンですね。そして、バックの楽器も簡素ですが、時に入るStringsが良い味を出しています。完成度は高かったのですが、このアルバムは日本では無視されてましたね。要所要所にダブ的なアプローチもあり、適度にポップで、適度に実験的で、ある意味、David CunninghamがThe Flying Lizardsでやりたかったことが、バランスよくやれていると思います。なので、そんな音楽が聴きたくなったら、是非ともThe Flying Lizardsを聴いてみてくださいね。この「適度」って言うのがミソですよ。 https://youtu.be/Nb8BDwL8Y9A #TheFlyingLizards #TopTen #StatikRecords #SallyPetersin #DavidCunningham #ThridAlbum #ExperimentalPop #AvantPop #
Avant-pop Statik Records 3000円Dr K2
-
EP-4 “Lingua Franca-X 昭和崩御”
まだ若い時には、何故か、毛嫌いしていたEP-4。やっと買えたのは、それから38年経ってからです。何にせよ、まあちゃんと聴いておいた方が良いと思いまして。ここで私が紹介するよりも良く知っている方が多いとは思いますが、まあ簡単にバイオグラフィーを。京都の伝説的ニューウェーブ系ディスコClub ModernでDJをやっていた佐藤薫さんを中心にして、1980年に結成されたのが、EP-4です。その時のメンバーは佐藤薫(Vo, Effects), 佐久間コウ(B), ユン・ツボタジ (Perc), 鈴木創士 (Kbd), 好機タツオ (G), 三条通 (Dr)でした。佐藤薫さんは自身のレーベルSkating Pearsや東京のTelegraph Recordsあるいは出版社でもあるペヨトル工房からも作品をリリースしており、それまでのアーティストやバンド或いはレーベルとは違ったメディア戦略で話題になっていました。それで、1983年にファーストアルバム”Lingua Franca-1: 昭和大赦”をリリース。その際に、「EP-4 5.21」戦略を取って、話題になりました。この戦略とは「どうもEP-4がアルバムをリリースするらしい」との噂があり、その際に、”EP-4 5.21”とだけ書かれた6万枚のシールを街中の、至る所に貼りまくり、公安からテロか政治集会かと思われていました。実際に、私もこのシールを見ています。それで、1983年5月21日に、EP-4は京都、名古屋、東京でライブが行なっています。その一方で、同日に発売予定であったアルバム”Lingua Franca 1 昭和崩御”がメジャー・レーベルの日本コロンビアからリリース予定でしたが、この「昭和崩御」と言うタイトルがレコ倫に引っ掛かり、発売が中止になっています。その後、このアルバムは”昭和大赦”とタイトルを変え、ジャケ写も軍鶏から金属バット両親殺害事件の犯人宅の写真(写真家の藤原新也の作品「東京漂流」の写真)に差し替え、やっとリリースされます。当時は、昭和天皇が崩御するかも知れないとのXデイが噂されており、そこに敢えて踏み込んでしまった為、レコ倫に抵触したものと思われます。ただ、EP-4自体は政治的なスタンスは無く、単なる話題性のみでの戦略でした。その後、1984年に、彼等は元々”昭和崩御”に使われるはずであった軍鶏の写真を使って、本作品”Lingua Franca-X 昭和崩御”を翌年、出版社であるペヨトル工房から12㌅EPとしたリリーズします。ライブアルバム”Multilevel Holarchy”やカセットブック”制服・肉体・複製”をペヨトル工房からリリースしています。しかしながら、1990年代になると、リーダーの佐藤薫さんが表舞台から退いた為、バンドはその活動を停止しています。それから、2012年にEP-4として、5/21にライブを行い、復活します。大体こんなところでしようか?色々、チャチャを入れたいところもありますが、この位にしておきます。 それで、本作品ですが、先述のように、オリジナルのジャケ写とタイトルでのリリースで、両面で3曲が収録されています。音楽的なことは今まで言っていませんでしたが、当時から言われてきたのは「汗をかかないファンク」と言うことで、確かに、ソウルフルな面を欠いたファンク調の曲ですね。ただ、音が矢鱈良いので、録音に結構、お金かけてるなぁと感心しました。ただこう言うのって、今まで私が紹介してきたNeue Deutsche Welleのバンドなんかもシンクロするようにも思いますが、EP-4の方が格段に録音技術がよいだけでは?とも思えます。ここら辺は当時の衒学的な面を知っていて、それを肯定的に捉えるか否定的に捉えるか?または当時の状況を知らずに聴くかで、結構、意見が分かれるところではあると思います。ただ、この作品を4000円強も出して、今買ったのはちょっとミス・チョイスだったなぁとも思えます。皆さんはどうですか?それから、復活してからの佐藤薫さんの活動もしっかり観てみたいとは思いますよ。 https://youtu.be/8aI_2KLBwOQ #EP-4 #LingaFranca-X昭和崩御 #ペヨトル工房 #KaoruSato #Funk #NewWave #藤原新也 #ColdFunk #Industrial
Funk / New Wave ペヨトル工房(Atelier Peyotl) 4730円Dr K2
-
Malaria ! “Compiled 2.1/1981-84”・“Full Emotion”
独逸のオール・フィメール・バンドMalaria ! の特別セルフ・コンピです❗️ちょっと前に彼女らのアルバム”Emotion”を紹介していたので、半分被ってますが、取り敢えず、1981-1984年の音源が纏めて聴けるので、まあ良しとしましようか。彼女等のバイオグラフィーは前回書きましたので、今回は省略させて頂きます。まあメンバーだけ。メンバーは、Gudrun Gut (Sound), Manon P. Duursma (G), Christine Hahn (Dr, Kbd), Susanne Kuhnke (Synth), Bettina Köster (Vo, Sax)です。1枚目のA1は1981年にLes Disques Du Crépusculeから出た7㌅シングルA面を、A2は1982年にLes Disques Du Crépusculeから出た12㌅EP ”Weisses Wasser: White Water”から、A3とA4とB1は1982年にDas Büroから出た12㌅EP”New York Passage”から、A5は1981年にLes Disques Du Crépusculeから出た7㌅シングルB面を収めてます。B2とB3は1984年に出た12㌅EP”Beat The Distanceから、B4とB5は1981年に出たEP ”Malaria!”のB面からの曲が収録されてます。正にMalaria!の良いとこ取りですね。彼女達の音楽は基本的にドコドコしたリズムに、ちょっと仰々しいオペラ調の歌が乗り、そこにシンセやらサックスやらギターの音が立ち現れる感じなんですが、その骨折したようなリズムが何とも言い難い持ち味になっています。本作でもそれは健在です。2枚目も前回、書きましたように全く同じ曲なんですが、こちらの方がリマスターしているせいか、音はこちらの方が良いですね。しかしながら、その音質の良さなど気にしない勢いがありますね。やっぱり、彼女達の曲はそんなHi-Fiに負けない位、よく出来てるって事でしょうか?もし、Malaria !の音楽に少しでも興味を持たれた方はこのアルバムを聴いて頂ければ、その魅力が良く分かると思いますよ❗️決して一般受けはしませんが、、、。 “LP1: Compiled 2.0” https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kirUEB8Fljgp049Zlpu3kUEKtVe54Kt5I #Malaria! #Compile2.11981-84 #FullEmotion #DoubleLP #NeueDeutscheWelle #GermanNewWave #GudrunGut #ManonP.Duursma #ChristineHahn #SusanneKuhnke #BettinaKöster #Rhythm
Neue Deutche Welle (German New Wave) Moabit Musik 3450円Dr K2
-
A.T.R.O.X. “The Night’s Remains”
A.T.R.O.X., このバンドは全然知りませんでした。なので、今回、初めて聴きますし、少し調べたみました。この作品でのメンバーは、Max Marchini (B, Kbd, Toy, Perc), Pier Luigi Andreoni (Vo, Kbd, Drum Machine, Perc, Vocoder), Marino Benvisi (G, Perc), Alberto Andreoni (Vo, Kbd, G, Perc), Francesco Paladino (Vo, Perc)とクレジットされています。バイオグラフィーを書こうと思ったんですが、1982年の伊のアングラ・シーンなんて、早々分かるはずもなく、調べた範囲で書いておきますね。このA.T.R.O.X.は、伊の前衛音楽グループThe Doubling Ridersやニューウェーブ・バンドLa PattonaのメンバーてあったFrancesco Paladino & Pier Luigi Andreoniが活動初期に率いていた同国の80年代初頭のポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの伝説的なバンドであるようで、本作品も元々は、Trinciato Forte Recordsからの盤を2015年にSpittle Recordsがリイシューしたものです。Roger Enoとの共作も知られるマルチ奏者/作曲家のPier Luigi Andreoni、現在も活動を続けるその盟友なFrancesco Paladinoがメンバーであったこともあり、読み直しの進んだ伊の地下音楽シーンの中で、ミニマル/エクスペリメンタル/シンセ・ポップの代表のような存在でした。本作品、彼等のファースト・アルバムであり、典型的ニューウェーブから逸脱し、早くからシンセを導入、伊のバンドらしい越境的なアヴァン・ポップと独自のイマジナリーな音が融合した記念碑的アルバムと言われてます。そんなこととはつゆ知らず、購入した訳です。内容を私は個人的な感想から言うと、そんなにシンセ・ウェーブな感じはなく、寧ろ、ミニマル・ウェーブな感じが強いですし、当時一番安かったDR-55と思われるチープなリズムボックスを使っており、宅録感満載の音作りを始終しているようです。少しだけ、仏のDDAAなんかを思い起こさせました。しかしながら、この時期に既にニューエイジと言うかアンビエントな音作りをしていたのはちょっと驚きました。こう言うポップミュージックって矢張り普遍なものなのですね。もし、機会が有れば、手に取って聴いてみて下さい❗️(因みに、Atroxと言うノルウェーのプラック・メタル・バンドもあるので混同しないように!) “Carnival Foods” https://youtu.be/SA2Zouna9BA “The Night’s Remains” https://youtu.be/EWpjWvkazNQ #A.T.R.O.X. #TheNight’sRemains #SpittleRecords #NewAge #宅録 #Italy #Underground #MinimalWave #FrancescoPaladino #PierLuigiAndreoni
Experimental Pop Spittle Records (Trinciato Forte Records) 2240円Dr K2
-
Holiday Inn “Torbido”
Holiday Innと聞いて、思い出すのは、Stereo TotalのアルバムかそれともThe Human Leagueの12㌅EPかどちらかでしたが、これからはこのバンド(?)も思い出すようにしましょう!と言う訳で、イタリアのミニマル・実験ポップ・デュオHoliday Innの登場です。メンバーーはマルチ奏者のBob Junior(本名Emanuel Bonetti)とヴォーカルのGabor(本名Gabriele Lepera)から成る二人組ですが、殆ど情報がありません。なので、バイオグラフィーも書けないです(すまん!)。Bobは元々は仏パリ出身なのですが、2000年より伊ローマに移っており、2012年にMy Own Private Recordsと言う個人的なDIYカセット・レーベルもやっています。 内容は、完全にLo-Fiなミニマル・シンセ・ウェーブです。リズムボックスにミニマルでひび割れたオルガン或いはシンセの電子音、それに矢張りひび割れたヴォーカルが乗ることで、曲が展開していくと言うと聞こえがいいですが、要は、宅録感満載なところがこのデュオの持ち味なのでしょう。それで、展開らしい展開もなく、同じシンセのベースラインが繰り返されるだけなのですが、ただ、ちょっとだけSuicideを思い起こすところがあり、その点でも得点が高いですね。もし貴方が、ここら辺の情報にピクって反応しましたら、是非一度は聴いてみて下さい。そんなデュオみたいですよ。 https://youtu.be/qMNee1XVP1E #HolidayInn #Torbido #Avant! #MapleDeathRecords #Minimal #SynthWave #Lo-Fi #BobJunior #Gabor #Italy #HomeRecording #宅録
Minimal Synth Wave Maple Death Records (Avant!) 1700円Dr K2
-
Sprung Aus Den Wolken “s/t”
漸く手に入れることが出来ました。Sprung Aus Den Wolken (以下SADWと表記)の12㌅LP33回転としてはファースト・フルアルバムです。タイトル、曲名など一切の情報やクレジットはありません。またこれを出したレーベルFaux Pasは本バンドの首謀者Kiddy Citnyの個人的なレーベルです。以前にも、SADWは紹介しましたので、ここでは省略しますが、ちょっとだけ補足を。SADWは1980年12月にKiddy Citnyのソロユニットとして結成(?)されましたが、初期にはKiddyは Inri Intrigoとクレジットしていました。メンバーにはKiddy以外に、Alexander Hack(Alexander von Borsigのこと), Fred Alpi, Jochen Arbeit, Piet Essensが在籍していましたが、初期にはThierry Noirもメンバーでした。これからも分かるように、関係者はEinstürzende Neubauten絡みの人物が2人もいて、当時のベルリンの音楽シーンの柔軟性を物語っている証左とも言えましょう。 それで本作品の内容ですが、何と言えばいいのでしょうか?全てが習作で、全てが名曲です。唐突で、骨折したようなリズム隊が主体を成しており、それに衝突するかのような乱暴なヴォーカル。時々聴こえるシンセやオルガン、、、全てが駄作で全てが傑作。このゴツゴツしたリズム感は、この時期の独逸で発明されたかのような風格さえ感じますね。独逸語の語感と合うのかな?とも思えます。しかも、半ば、ゴリ押しのように進んで行きます。「電子民族音楽」とも言えそうです。また、手近にあるものを使ったり、プリミティブな音響処理をしたりしている点も高得点ですね。そんな彼等の音楽を聴いてみたいと思いませんか?「初期衝動」とはこう言う音楽家を言うのではないでしようか?さあ、SADWをファースト。聴いてみましょう❗️(因みに、YouTubeにアップされている動画にはちゃんと曲名がついています) [full albu] https://youtube.com/playlist?list=PLpKx6HYPySaSkwsbMwLF_H2TICTx9Eiid #SprungAusDenWolken #FirstAlbum #FauxPas #NeueDeutscheWelle #GermanNewWsve #KiddyCitny #EinstürzendeNeubauten #Primitive
Neue Deutche Welle (German New Wave) Faux Pas 8000円Dr K2
-
Rocket From The Tombs “Black Record”
君は知っていたか?あのPere Ubuの前身バンド、Rocket From The Tombs (RFTTと表記する)を❗️RFTTは、米国オハイオ州Clevelandで1974年中盤から1975中盤まで活動していましたが、その後も2003年くらいから、時々リユニオンはちょこっとしたりしていました。1974年6月16日にRFTTほClevelandのヴェニューで初ライブを行なっています。その時のメンバー、Crocus Behemoth (Vo, B), Kim Zonneville (B, Vo), Glenn “Thunderhand” Hach (G,Vo), Tom “Foolery” Clementという編成でしたが、メンバー間のイザコザから、所謂よく知られている編成に代わります。David Thomas (Crocus Behemoth), Peter Laughner, Craig Willis Bell (Darwin Layne), Gene O’Connor (Cheetah Chrome), Johnny Madansky (Johnny Blitz)です。その後、RFTTは3つに分裂します。一つはCheetah ChromeとJohnny BlitzはVoにStiv Batorsを加えて、Frankensteinを結成、このバンドは後にDead Boysになります。諸パンクですね。2つ目はPeter LaughnerとDavid Thomasは、Tim Wright(B)を加えて、より実験的なバンドPere Ubuを結成しますが、Peterは長年のアルコール摂取とドラックのやり過ぎで、急性膵炎で亡くなります。そして3つ目は、Darwin Layneほコネチカットに移り、Saucersを始めたそうです。RFTTは所謂、プロト・パンクとかアヴァン・ガレージとか言われてきましたが、録音物をちゃんと残しておらず、好事家たちが、ライブ音源やデモテープからのブートレッグを時々出したりしていました。その中で、2002年にSmog Veil Recordsがブート音源をまとめてCDとした”The Day The Earth Met The Rocket From The Tombs”を出しており、これが縁になって、RFTTは正式にリユニオンを果たします。Crocus BehemothことDavid Thomas (Vo, Musette, Duotronic), Cheetah ChromeことGene O'Connor (G)それにDarwin LayneことCraig Willis Bell (B, Vo)のオリジナルメンバーと他にTelevisionのRichard Lloyd (G)とSteve Mehlman (Dr)も加わります。本来ならPeter Laughnerも加わるところでしたが、彼の体調が悪くRichard Lloydが抜擢されました。2004年にSmog Veil RecordsとMorphiusは”Rocket Redux”を2003年のラインナップで録音してリリースします。その後、David Thomasは2006年に、ちゃんとバンドをリユニオンして、新しい曲でUSツアーをするとアナウンスして、2006年夏にツアーやっています。2011年9月13日にアルバム”Barfly”をリリースし、ツアーもやっていましたが、Richard Lloydがツアー前に脱退し、また、2011年12月30日にCheetah Chromeがバンドを抜けることに。オリジナル・メンバーはDavid ThomasとCraig Willis Bellだけになってしまいました。そうして2015年11月に本作品”Black Record”がリリースされた訳です。 このアルバム”Black Record”では、Crocus Behemoth (Vo, Musette, Duotron), Gary Siperko (G,Vo), Buddy Akita (G), Craig Bell (B, Vo), Steve Mehlman (Dr)で、ゲストにLament Thomas (Vo, back-Vo, tambourine), Lawrence Caswell (back-Vo), Chris Kulcsar (Synth, back-Vo)が参加しています。新録のようですが、名曲”Sonic Reducer”も演っていて、もうそれだけでも涙が出ますね。しなしながら、他の曲もガレージ色が強くて、中々カッコいい曲が目白押しです。Pere Ubuから捻くれた実験性を薄めで、よりストレートなロックン・ロールの粉末をまぶしたとでも言うか、まあ、カッコいいです。しかし、David Thomasが歌うと、全て彼のキャラで持っていかれますね。凄いアクの強さだと思いますよ。そんな彼等RFTTの2015年のアヴァン・ガレージ・ロックを聴いてみませんか? “Sonic Reducer” https://youtu.be/xdvd8um2dx4 [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nrWr1iYQ_r7v44V-ZiEuQLtbaD08TeAoU #RocketFromTheTombs #BlackRecord #FireRecords #PereUbu #DeadBoys #CrocusBehemoth #CraigBell #AvantGarageRock #SteveMemann #SonicReducer
Avant-Garage Rock Fire Records 1999円Dr K2
-
“The Rezillos “Can’t Stand The Rezillos”
皆んな!The Rezillosを覚えているかい?ポップ・パンクなナンバーを男女ツイン・ヴォーカルで演奏していたThe Rezillosだよ❗️今回、紹介するのは彼等のファースト・アルバム”Can’t Stand The Rezillos”です。先ずは彼等のバイオグラフィーを。元々は、1975年に、エジンバラ芸術大学の生徒だったJo CallisとAlan ForbesがThe Knutsford Deminatorsと言うパーティーバンドを組んでおり、1950-1960年代のロックンロールのカバーを演奏していました。このバンドは直ぐに消滅しましたが、JoとAlan (彼は2人いたDrの一方でした)は好みが同じだったこともあり、Dave Smythe (B)と在学中のMark Sinclair Harris (G)をリクルートしてきて、結成されたのが1976年3月で、それがThe Rezillosでした。バンド名はアメコミの”The Shadow”に出てくるクラブの名前Revilosを文字って付けられました。初めはAlan, JoとMarkがヴォーカルをやっていましたが、3人とも楽器を弾きながら歌うのが難しくて、AlanはVoだけを演ることになり、代わりにDrとしてAlasdair Patersonが加入しました。1976年8月には、Sax奏者Alastair Donaldsonを隣の大学の建築学科からリクルートしてきて、更に、大学のファッションデザイン学科の学生Sheilagh HyndとGail Jamieson (別名Gayle Warning)をバックVoとしてリクルートしてきます。そこで、メンバーは各々ステージネームを考えることになり、Alan ForbesはEugene Paynolds (Vo)と、Mark Sinclair HarrisはHi-Fi Harris (G)と、Dave SmytheはDr. D.K. Smythe (B)と、Alastair DonaldsonはWilliam Mysterious (Sax)と、Alasdair PatersonはAngel (Dr)と、Sheilagh HyndはFay Fife (Vo)と、Jo Callis (G)とGail Jamieson (Vo)はLuke WarmとGail Warningと言う風に変えています。それで、彼等のファーストギグが、エジンバラ大学の学生会館に決まり、それに向けて、1950-1960年代のカバー曲をやり始めます。例えば”I like it”とか”Somebody's Gonna Get Their Head Kicked in Tonite”とかもやっています。ここで人気が出て、1977年には一年間で200回以上のギグをやったそうです。因みに、この最初のギグを録音したブートレッグがあるそうです。1977年前半にFayとEugeneは良い仲になり、その為か、Gail Warningは自分の居場所がないように感じて、バンドを脱退します。その年の6月にはデビューシングル”Can’t Stand My Baby”の録音が始まります。プロデューサーはTony Pilleyがやっています。このシングルはエジンバラのインディーレーベルSensible Recordからリリースされましたが、ラジオでかかるようになると、大手のレーベルからも引く手数多でした。その中で、バンド自身もプロを意識し出して、結局、バンドは米国のメジャーレーベルSire Recordsと契約します。ただ、プロとしてはやっていけないと言う理由で、Dr. D.K. SmytheとHi-Fi Harrisはバンドを脱退し、大学に戻ります。それで、William MysteriousはBにシフトします。それで、5人組にスリムアップします。Sire Recordsは彼等にアルバムを作ってどうかと提案し、彼等はデビューアルバム”Can’t Stand The Rezillos”をプロデューサーのTony Bongioviが所有するNYCにらあるPower Station Studioで録音しています。ただ、レコード会社の扱いが酷くて、バンドはSire Recordsとの間に溝ができてしまい、計画していたツアーも2回もキャンセルされてことから、William Mysterious (Sax)が脱退し、代わりにSimon Templar (本名Simon Bloomfield)を加入させます。その前後で彼等はデビューアルバム”Can’t Stand The Rezillos”を1978年7月にリリース。英国アルバムチャートでは16位に食い込んでいます。1978年11月には、The Undertonesと英国ツアーに行っていましたが、Fayの喉に声帯ポリープができてしまい、ツアーの残りは延期になってしまいました。そのようなこともあって、レコード会社からのプレッシャーは相当なものでした。そして、1978年11月22日にThe Rezillosは解散すると宣言します。しかし、何故か、同年12月23日に、The Rezillosとしての最後のギグをグラスゴーのApolloで行い、その時には辞めた元メンバーのWilliam MysteriousやGail Warningも参加してちゃんとスポットが二人にも当たってました。この時にはライブは”Mission Accomplished ... But the Beat Goes On”と言うライブアルバムとして1979年にリリースされています。それで解散後なんですが、Jo Callis (G)と Simon Templar (B)及びAlasdair Paterson (Dr)は、The Teardrop ExplodesのTroy Tateと一緒にEPをリリース。この後、1979年から1996年までEugeneとFayは彼等との活動とは別であると言う意味で、“The Rezillos”と言うグループ名は使わないとし、Hi-Fi HarrisとEugeneの兄弟のRocky Rhythm (本名Nicky Forbes)とでThe Revillosと言うグループ名で活動するとして、Sireと契約します。そして、2001年に漸くThe Rezillosは再結成され、現役で活動したいるみたいです。 前置きが長くなってしまいましたが、彼等のデビューアルバムが本作品になります。兎に角、ポップで弾ける感じが強いです。同年代のパンクバンドとは根っこが違いますね。パンクはニヒリズムとか社会への問題提起とかを前面に押し出していましたが、彼等はそんなこととは無縁に、1950年代のロックンロール、1960年代の英国ビートミュージックやガレージ、1970年代のグラムロックの遺伝子を紡ぎ出したポップ・ロックで、歌詞もサイエンス・フィクションやB級映画から着想を得た「陽」なものが多いです。特にFayとEugeneのツイン・ヴォーカルはハッピーで、左利きのギタリストJo CallisのギターテクやWilliam Mysteriousのリズム感はちょっと普通のパンクバンドでは演奏できないとも呼ばれる程、上手いです。まあ、パーティバンドと言えばそうなんですが、兎に角、何か元気の出る音楽、聴きたいなと思ったら、このアルバムはおすすめですよ❗️音楽ってこんなに楽しいんだと感じるでしょう。偶にはこんな元気な曲もいいですよ。是非お試しあれ!(私が初めて聴いたのは高校生の時で、それから後にCDも買ったのですが、どうしてもLPが欲しかったので、ヤフオクで買ってしまいました。) https://youtu.be/UuPMjS0y68s #TheRezillos #Can’tStandTheRezillos #SireRecords #Pop’n’Punk #NewWaveBeatMusic #FayFife #EugeneReynolds #JoCallis #WilliamMysterious #AngelPaterson #TheRevillos
Punk, New Wave Sire Records 3680円Dr K2
-
Florian Fricke “Die Erde Und Ich Sind Eins - I Am One With The Earth”
出ました!ジャーマン・ロックの最左翼Popol Vuhの首謀者Florian Frickeのソロアルバムです。元は独逸のLorck Publication Münchenから出ていたものをスペインのWah Wah Recordsがリマスターして再発しています。最初こそ、Moog Synthを使ったスペーシーなサウンドを提示してましたが、その後は反電子音楽的なアプローチを行なってきたPopol Vuhです。Florianはアコースティック・ピアノで作曲するようになり、そのような方向に向かったのだとか。簡単に彼のバイオグラフィーを少々。彼は、子供の頃からピアノを習っており、ピアノで作曲もしていました。18歳の時、ある種の新しいフリージャズのような音楽を志向、同時期に、アマチュアの短編映画を撮ったり、そのサントラを作ったりしています。その時に後に彼のプロデューサーとなるGerhard Augustinとミュンヘンで会っています。そして、1967年に独逸映画監督のWerner Herzogと出会い、Florianは1967年作の最初映画”Lebenszeichen”に出演、その後は1972年作”Aguirre, the Wrath of God (アギーレ/神の怒り)”や1976年作”Heart of Glass (ガラスの心)”、 1979年作”Nosferatu (ノスフェラトゥ)”などにサントラを提供しています。1970年に、Florianは、Holger TruelzschとFrank Fiedlerと共にPopol Vuh(この名前はK'iche(キチェ)族の神話Popol Vuhから取られています)を結成、G/DrのDaniel Fichelscherも加わりますが、亡くなるまでFlorianがリーダーでした。また、Florianは独逸のバンドともコラボをやっています。1972年にはTangerine Dreamの作品”Zeit”で、またAmon Düül IIのRenate Knaupとも共作しており、1973-1974年では、Danielと一緒に、以前Popol VuhのギタリストですあったConny VeitのバンドGilaのメンバーとしても活動しています。1970年代初頭、Florianは音楽療法に集中しており、その療法を「身体のアルファベット」と呼んでいました。また元メンバーであったFrank Fiedlerは、カメラマンでもありましたが、彼と一緒にIsrael, Lebanon, Mesopotamia, Morocco, Afghanistan, Tibet及びNepalなどのスピった場所で映像撮影を敢行しています。しかしながら、2001年に、Florianは、57歳の若さで、ミュンヘンで心不全により亡くなっています。以上が彼のバイオグラフィーです。 それで、本作品ですが、初めて聴いた時、これは「声明」だと感じました!多分、声を素材に組み立てたのでしょうが、曖昧模糊或いは茫漠とした音像が聴き取れます。特にA面片面を全部使った曲”Gruppenseufzen Zur Versöhnung Der Erde Mit Dem Menschen”で著明です。確かにアンビエント「風」ではありますが、それにしては重いですね。独逸語が分かれば、ブックレットを介して、そのコンセプトが少しは分かるのかなとは思いますが、いかんせん読めないので、単なる感想文になってしまうことをお許し下さい。B面には2曲が収められていますが、2曲目の”Song Of The Earth”で漸く弦楽器の音が聴けますが、それまでの曲では基本的に多人数の声のみで曲が進行していきます。そこに何らかの「永遠性」みたいなモノがあるようにも感じます。ここら辺に、流行りかけていた電子音楽からワールドミュージックにシフトした彼の独自性も垣間見えますね。万人受けする音楽ではありませんが、チベットの音楽とかに興味のある方は一度聴かれた方が良いでしょう!しかし、スペインのレーベルWah Wah Recordsは渋い所を突いてくれますねぇ。侮り難しです。 ”Gruppenseufzen Zur Versöhnung Der Erde Mit Dem Menschen” https://youtu.be/1Jkd-8mlBVM #FlorianFricke #DieErdeUndIchSindEins #IAmOneWithTheEarth #WahWahRecords #LorckPublicationMünchen #PopolVhu #Voice #声明 #WorldMusic
Krautrock / Ritual Wah Wah Records (Lorck Publication München) 3900円Dr K2
-
Blondie “Plastic Letters (囁きのプロンディ)”
またかよ!〜って言わないで下さい。このアルバムは出た時に気になっていたんですが、ついつい買いそびれてました。いい値段でしたが、このアルバムはヤフオクでは品薄だったので、急いで買ったんですよ。元の題名は”Plastic Letters”、邦題は「囁きのプロンディ」, 毎度、秀逸な邦題ですね。この時のメンバーはGary Valentineが脱退しており、Deborah Harry (Vo), Chris Stein (G, B, E-Bow), Clement Burke (Dr), Jimmy Destri (Organ, Synth, Piano)です。この時に、ヘルプで参加したFrank “The Freak” Infanteが、後に加入しますが、Nigel HarrisonがBをやりたいことで、FrankはGにシフトします。ここでシングルカットされた”Denis (邦題「デニスに夢中」)”がヒットを飛ばします。この”Denis”は1963年にRandy and the Rainbowsが出した”Denise”のカバーソングなんです。それでかどうかは分かりませんが、”Denis”も大ヒットし、英国チャート2位まで上がり、豪州でも19位でした。因みにプロデュースはRichard Gottehrerです。ジャケ写で、Debbieが着ているピンクのドレスは、何とNo New Yorkの裏番長Anya Phillipsがデザインしたものらしいです。 内容ですが、まあ、いつものプロンディ節と言うか、Debbieの囁くような声から濁声っぽい発声、または元気一杯に弾けるようなヴォーカルなどに合わせるかのように柔軟な曲が粒揃いに揃ってます。そうですね、ポップン・パンクなナンバーと言えば少しは分かるかな?と。そうなんですね、彼等のルーツって多分1960年代のポップソングにあるんじゃないかなと思います。そんなポップなガレージ・ソング、気になりませんか? https://youtu.be/CIDHi8y-v8s #Blondie #PlasticLetters #Chrysalis #DeborahHarry #ChrisStein #ClementBurke #JimmyDestri #PopPunk #NewWave #Garage
NEW WAVE, Punk Rock Chrysalis 3900円Dr K2
-
Matador “A Touch Beyond Canned Love”
NDWで大活躍していた女性アーティスト3人のトリオMatador (「マタドール」と読みます)のファースト・アルバムです。そのメンバーとは、古くはChrislo HaasとのデュオCH-BBやMania DそしてLiaisons Dangereusesにも在籍したいたBeate Bartel(ベアーテ・ベルテル)とMalaria!やMania Dに在籍していたGudrun Gut (グドルン・グート)及びManon P. Duursma (マノン・P・ドュールズマ)です。BeateとGudrunは1980年の本の僅かな期間、Einstürzende Neubautenにいましたが、その前に1979年には、2人はMania Dと言うバンドを結成して、BeateはB、GudrunはSynthとして参加しています。その後、Gudrunはオール女性バンドMalaria!を結成しています。一方BeateはLiaisons Dangereusesを結成しますが、1枚のアルバムを出して解散しています。ただ、Manonについては不明です。そんな3人が集まって、1982年にMatadorを結成してますが、当初はライブと前衛映画のサントラとかに時間を費やしていました。それで、1987年に漸く本アルバムを出しました。Berlin録音で、そのメンバーと担当楽器はManon (G, Melodica, Piano, VIn, Vo)、Beate (Dr, G, Piano, Tapes, B, Vo)、Gudrun (Trumpet, Dr, Vo, Piano, Electronics)です。力強いドラムとタイトなベース音、調子ハズレなトランペットのループ、殺風景なサンプリングやシーケンス、囁くような冷たいヴォーカル、どれも完璧です。A面最後の曲では逆回転されたドラムも出てきます。B-2”Nitetime”は寒々としてますね。これぞ、成熟した独逸のニューウェーブとも言えますね。しかも皆さん、美人で。そんなMatadorのファースト・アルバム、聴いてみますか?(勿論、聴くよね?) “Komm” https://youtu.be/HS_6LPtlyHg https://youtube.com/playlist?list=PLgY2-vqa2lJyZo688cS8V8TD0L8XSDneN #Matador #ATouchBeyondCannedLove #WhatsSoFunnyAbout #ManiaD #Malaria! ##NeueDeutscheWelle #LiaisonsDangereuses #BeateBartel #GudrunGut #ManonP.Duursma
Neue Deutche Welle (German New Wave) What's So Funny About.. 不明。Dr K2
-
Peter Gabriel “s/t”
元GenesisのヴォーカルPeter Gabriel (最近では「ピーター・ゲイブリエル」と読むそうです)のファースト・アルバムです。元々、私はプログレはそんなに聴いてきた訳ではなく、若い頃はイキんで、頑固に聴かなかった位です。その中でもGenesisとかには興味は無かったんですが、MTVが始まった頃に、Peter Gabrielの”Sledgehammers”が良く放送されていた記憶はあります。その時は、この人は元々プログレなんだなぁと言う感想しか持たなかったんです。まあ、そんなこともあって、随分、歳を重ねてから、Peterの音楽に接する機会があり、ヤフオクで安く入手しました。私はプログレ初心者マークですので、ここで私がバイオグラフィーを紹介するのも烏滸がましいのですが、いつものようにダラダラと書いてみたいと思います。 Peter Gabrielは、英国Surrey州の中産階級に生まれ、父親は電気技師で母親は音楽一家出身でありました。Peterは寄宿舎のある学校に通ってました。そこである先生が彼には歌う才能があると母親に進言したが、彼はピアノのレッスンを選び、その後、ドラムをやり出したそうです。1965年に同級生のTony Banks (Piano)とChris Stewart (Dr)とでGarden Wallと言うバンドをやり始め、彼は学校に興味が無くなり、もっぱら曲作りに集中していました。1967年にGarden Wallは解散し、3人は同級生のAnthony PhillipsとMike Rutherfordを誘って、曲作りを始めます。PeterとTonyが共作した最初の曲は”She Is Beautiful”でした。作ったデモテープを同高校出身ほミュージシャンJonathan Kingに送ったところ、彼は一発でPeterの歌が気に入り、バンド名をGabriel’s Angelsにしてはどうかと提案してきました。しかし他のメンバーには不評で、代案としてGenesisはどうかと提案。それで行くことになったみたいです。それで、Genesisとしての初のシングル”The Silent Sun”を1968年にリリースします。この時、Peterはまだ10代であったとか。同年にファースト・アルバム”From Genesis To Revolution(邦題「創生期」)”もリリースしますが、商業的には失敗した為、一時的にメンバーは離れます。それで1970年にメンバーか再度集まり、セカンド・アルバム” Trespass (邦題「侵入」)”をリリース。ファーストでの中途半端なスタイルではなく、ソウル・ミュージックからの影響も受けた作品しています。Peterはアコーディオン、タンバリン、バスドラでも協力しています。Anthony Phillipsの健康上の問題で脱退し、バンドはSteve Hackettを新Gとしてリクルートしてきます。また、力量に問題のあったJohn Mayhewに代わり、Phil CollinsがDrで加入。1971年にサード・アルバム”Nursery Cryme(邦題「怪奇骨董音楽箱」)”をリリース。このアルバムの一曲目”The Musical Box”で、Peterは、初めて歌詞にストーリーとキャラのよる物語り性を加えています。この頃から、Peterほ演劇色の強いステージ・パフォーマンスを行い始め、これによって、イタリアでは大人気になります。1975年に、Genesis は”The Lamb Lies Down on Broadway (邦題「眩惑のブロードウェイ」)”を1975年にリリース。しかしこの作品のツアーが終わると、Peterは突如、脱退し、ソロとしてキャリアを積んでいくことになります。脱退の理由は音楽性の違いやファミリーのこと(結婚や妻の出産など)だそうです。その後、音楽活動は一旦休止していますが、1977年に復帰。Peterほこの活動停止時期を”Learning Period”と呼んでおり、実際、ピアノの練習や音楽のレッスンを受けていたようです。彼の友人Martin Hallと20曲以上から成るデモテープを作り、それを元に、本作品で1977年2月にソロデビューを果たします。プロデューサーはBob Ezrinです。あと彼は、ヒプノシスのアイデアに従って、最初のソロアルバム4作品にはタイトルを付けていませんので、ファンの間ではニックネームで呼ばれています。例えば本作品は”Peter Gabriel 1”とか”Car”とかと呼ばれています。本作品には、Robert FrippやTony Levin, Kate Bushも参加して、作品を進める毎にGenesis色を払拭していきます。また、彼は、早くからシンセや民族音楽を取り入れており、1982年以来、「ウォーマッド」(WOMAD, World of Music, Arts and Dance)フェスティバルを主宰し、ワールドミュージックの普及に貢献しています。その一方で彼は、メディア・アートにも興味があり、その中でも”Sledgehammer”でのアニメーションの導入は大きな反響を呼び、1987年のMTV music video Awardのベストビデオに選ばれています。また同年、メディアアートの祭典Als Electronicaでもコンピュータ・ミュージック部門で最初のGolden-mica 賞(グランプリ)を受賞しています。書いてると、長くなり過ぎますので、ここら辺で一旦、辞めておきます。 それで、本作品ですが、参加アーティストは豪華で、Allan Schwartzberg (Dr), Tony Levin (B, Tuba), Jim Maelen (Perc, Synthibam), Steve Hunter (G, Pedal Steel), Robert Fripp (G, Banjo), Jozef Chirowski (Kbd), Larry (Wires) Fast (Synth, Programming), Dick Wagner (Back Vo), The London Symphony OrchestraとPeter Gabriel (Vo, Kbd, Flute)です。ただ、私は個人的にはこの作品を聴いても、ピーんっとこなかったですね。どの曲も、それなりにポップだし、曲も良いんですが、「凄く良い曲」とか「抜群にキャッチーな曲」が無かったからなんでしょうか?今の私には何度聴いても、心に残らないと言うか、、、まだGenesis臭いからなんでしょうか? まあ人それぞれなので、この作品が駄目とは言いませんが、私には響かなかったです。これが正直な感想ですね。ただし、彼の声質は割と好きです。でも聴いてみなきゃ分からないので、皆さんにも敢えて紹介しておきますね。 [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLI0qLsDIa0oucB3wK0mUEgVJREazgVU6Y #PeterGabriel #PeterGabiel1:Car” #Charisma #Genesis #Vocal #SoloAlbum #ProgressiveRock #PopMusic MediaArt
Progressive / Pop Music Charisma 600円Dr K2
-
Fehlfarben “26 1/2 (Sechsundzwanzigeinhalb)”
皆さ〜ん、Fehlfarbenを覚えていますか?この前に紹介しましたよね?”33 Tage in Ketten”ってアルバム。今回は、ずっとバンドを継続してきた彼等の8枚目のアルバム”26 1/2 (Sechsundzwanzigeinhalb)”ですよ。メンバーは、Frank Fenstermacher, Kurt Dahlke (Pyrolator), Michael Kemner, Peter Hein, Saskia von Klitzing, Thomas Schneider, Uwe Jahnkeですかね。ここら辺はゆる〜くバンドメンバーになっているので、大体、この辺りが中心メンバーだと理解してください。このアルバム名って何かと言う、元々はバンド結成25周年を記念して出すつもりだったのですが、バンドとレーベルの都合で、1年半延期になったので、”26 1/2”と言う中途半端な数字になったそうです。しかし、1979年に結成されてから、ずっと現役で今でも活動しているのは凄いです❗️流石、NDWのスーパー・グループ!2枚組ですが、案外、サクっと聴けますね。ヴォーカルは曲によって代わるようです。勿論、女性ヴォーカルもあります。そう言えは、Stereo TotalのFrançoise Cactusと思わしき女性ヴォーカルも。しっとりした曲から弾けるような曲が全編、独逸語の歌詞で歌われてます。はっきり言ってカッコいいです。独逸語がこれ程マッチする曲も珍しい‼️と言うか凄いです❗️まあ私が曲を解説するよりも実際、聴いてもらった方が数千倍良いでしょう。てな訳で、見つけたら買い!ですよ。 [一部の曲のみ] https://youtube.com/playlist?list=PLUeKepXBxTH7eabrpnt_Q_k9tkaKmd-eM #Fehlfarben #261/2 #V2 #Mittagspause #DerPlan #S.Y.P.H. #FrankFenstermacher #KurtDahlke #Pyrolator #MichaelKemner #PeterHein #SaskiavonKlitzing #ThomasSchneider #UweJahnke #NeueDeutscheWelle #GermanNewWave #SuperGroup #NewWave
Neue Deutche Welle (German New Wave) V2 2580円Dr K2
