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文箱形唐草文
文箱形唐草文 ボンボニエール 5.1×3.9×2.2 天皇家紋 銀製、
ボンボニエール 天皇家 不明kogan2020
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扇形(竹田宮禮子女王御結婚御里開か)
竹田宮禮子女王は、大正2年(1913)7月4日 、竹田宮恒久王第1王女子として御誕生。昭和9年(1934)3月、佐野常光伯爵と御結婚された。兄は竹田宮恒徳王。 扇形 ボンボニエール 竹田宮禮子女王御結婚御里開(昭和9年(1934)3月)か 10.0×3.0×0.9 銀製、刻印「純銀」「宮本造」
ボンボニエール 竹田宮家 不明kogan2020
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重扇形竹文(北白川宮佐和子女王御結婚)
北白川佐和子女王は、大正2年(1913)10月21日、北白川宮成久王の第2王女子として御誕生。東園基文子爵と御結婚された。 重扇形竹文 ボンボニエール 北白川宮佐和子女王御結婚披露宴(昭和10年(1935)1月7日)(華族会館) 3.8×7.4×1.4 銀製、 ★右側に北白川家の御紋、左側には東園家の御紋が入れられている。
ボンボニエール 北白川宮家・東園家 不明kogan2020
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箱形(東伏見邦英御結婚)
久邇宮邦英王(後の、東伏見邦英)は、明治43年(1910)5月16日、久邇宮邦彦王の第3王子として御誕生。その後、子女がなかった東伏見宮依仁親王の事実上の継承者の立場になるが、旧皇室典範は皇族に養子を認めていなかったため、邦英王は東伏見宮を皇族としては継承することができなかった。邦英王は、昭和5年(1930)5月に成年となられたが、東伏見宮家の祭祀を継承するため、昭和6年(1931)に臣籍降下の願出をし、同年4月に「東伏見」の家名を賜い、華族に列せられ、伯爵を授けられて伯爵東伏見邦英となられた。昭和12年(1937)5月5日、伯爵 亀井茲常の次女・保子さまと御結婚された。その後、1945年(昭和20年)に京都の青蓮院で得度、昭和27年(1952)に善光寺大勧進の住職に就き、昭和28年(1953)に青蓮院門跡の門主となって法名を慈洽と称し、長らく門主の地位にあられた。 箱形 ボンボニエール 東伏見邦英御結婚(昭和12年(1937)5月)(帝国ホテル) 3.6×5.5×2.5 銀製、刻印「銀製 ○によ印製」 ★蓋の合わせの部分の形状に特徴がある。
ボンボニエール 東伏見家・亀井家 不明kogan2020
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手箱形松文(朝香宮孚彦王御結婚)
朝香宮孚彦王は、大正元年(1912)10月8日に、朝香宮鳩彦王の第1王子として御誕生。昭和7年(1932)御成年。陸軍士官学校(第45期)、陸軍大学校(第53期)と陸軍軍人として歩まれ、最終階級は陸軍中佐。また、昭和13年(1938)12月に藤堂高紹伯爵の五女・千賀子さまと御結婚。昭和22年1947年(1947)10月14日に皇籍離脱。 手箱形松文 ボンボニエール 朝香宮孚彦王御結婚御披露(昭和13年(1938)12月22日)(霞関離宮) 6.0×4.7×2.5 漆塗、蒔絵
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020
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手箱形藤文(音羽正彦御結婚)
朝香宮正彦王(後の音羽正彦)は、大正3年(1914)1月5日朝香宮鳩彦王の第2皇子として御誕生。昭和9年(1934)御成年。昭和11年(1936)4月1日、願により臣籍降下し音羽侯爵家を創設。海軍に進まれ、海軍兵学校(第62期)卒、その後、第1次近衛内閣で拓務大臣を務めた大谷尊由の次女・益子さまと御結婚。昭和19年(1944)2月に、第6根拠地隊参謀の海軍大尉として、当時日本が委任統治していたマーシャル諸島のクェゼリン島で戦死(クェゼリン島の戦い)された。 手箱形藤文 ボンボニエール 音羽正彦御結婚御披露(昭和16年(1941)4月17日)(華族会館) 6.8×5.4×3.4 漆塗、蒔絵 ★紋は、音羽家のものとなっている。戦争の激化に伴い、昭和15年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」(一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)が施行され、銀製品の製造販売にも規制がかかることになり、以後、ボンボニエールの素材も陶磁器、漆器、木製などに切り替わっていくことになる。
ボンボニエール 音羽家 不明kogan2020
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香合形(朝香宮湛子女王御結婚送別会)
朝香宮湛子女王は、大正8年(1919)8月2日、朝香宮鳩彦王第2王女子として御誕生。昭和16(1941)年、大給義龍 伯爵(尾張徳川家第19代当主、徳川義親の次男で大給左 伯爵の養子となる)と御結婚。 香合形 ボンボニエール 朝香宮湛子女王御結婚送別会(昭和16年(1941)10月30日) 径7.5 当2.8 木製、 ★紋が、朝香宮家の紋となっているので、朝香宮家でのご送別の折のものと思われる。戦争の激化に伴い、昭和15年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」(一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)が施行され、銀製品の製造販売にも規制がかかることになり、以後、ボンボニエールの素材も陶磁器、漆器、木製などに切り替わっていくことになる。宮家でも銀素材の使用を控えられたものと思われる。
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020
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丸形梅唐草文(成子内親王・東久邇宮盛厚王御結婚)
成子内親王は、昭和天皇と香淳皇后の第1皇女子として、大正14年(1925)12月6日に御誕生。昭和18年(1943)10月13日、東久邇宮盛厚王と御結婚。昭和22年10月14日皇籍離脱。お印は紅梅。 丸形梅唐草文 ボンボニエール(天皇家紋) 成子内親王・東久邇宮盛厚王御結婚祝宴(昭和18年(1943)10月5日) 径6.8 高2.7 木製、蒔絵 ★戦争の激化に伴い、昭和15年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」(一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)が施行され、銀製品の製造販売にも規制がかかることになり、以後、ボンボニエールの素材も陶磁器、漆器、木製などに切り替わっていくことになる。皇室でも銀素材の使用を控えられたものと思われる。
ボンボニエール 天皇家 不明kogan2020
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手箱形松梅文(成子内親王・東久邇宮盛厚王御結婚)
成子内親王は、昭和天皇と香淳皇后の第1皇女子として、大正14年(1925)12月6日に御誕生。昭和18年(1943)10月13日、東久邇宮盛厚王と御結婚。昭和22年10月14日皇籍離脱。お印は紅梅。 手箱形松梅文 ボンボニエール(宮家共通紋) 成子内親王・東久邇宮盛厚王御結婚(昭和18年(1943)12月6日) 7.4×6.1×3.3 漆塗、蒔絵 ★戦争の激化に伴い、昭和15年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」(一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい))が施行され、銀製品の製造販売にも規制がかかることになり、以後、ボンボニエールの素材も陶磁器、漆器、木製などに切り替わっていくことになる。宮家でも銀素材の使用を控えられたものと思われる。
ボンボニエール 東久邇宮家 不明kogan2020
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丸容器形
丸容器形 ボンボニエール 明治後期~大正初期(1900~10年代) 径5.0 高2.7 天皇家紋 銀製、刻印「重光」「純銀」 ★刻印に「重光」とあることから、明治~大正にかけての名工、平田重光の工房で製作されたものと思われる。写真のように蝶番で開閉する。
ボンボニエール 天皇家 不明kogan2020
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丸容器形(有栖川宮紋)
有栖川宮家は、江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家。伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲親王家の一つ。大正2年(1913)に威仁親王が薨去により断絶が確定し、その後、大正12年(1923)威仁親王妃の薨去翌年をもって正式に断絶となった。 丸容器形 ボンボニエール (明治期か) 径4.8 高2.95 有栖川宮家紋 銀製、七宝 ★有栖川宮家は早くに断絶したため、ボンボニエールも明治期のものが多いようである。また、形状的には、銀製で七宝の紋の入ったものや、黒漆塗で金蒔絵の紋の入ったものが多くみられる。また、このボンボニエールと同形で七宝の色が異なるものも数種見られる。
ボンボニエール 有栖川家 不明kogan2020
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四角箱形鶴松文
四角箱形鶴松文 ボンボニエール 5.5×4.6×2.3 梨本宮家紋 銀製、「純銀」「T」
ボンボニエール 梨本宮家 不明kogan2020
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檜扇形雲文
檜扇形 雲文 ボンボニエール 5.7×6.0×1.35 閑院宮家紋 銀製、刻印「銀製三越」
ボンボニエール 閑院宮家 不明kogan2020
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四角箱形鳳凰文
四角箱形鳳凰文 ボンボニエール 5.4×4.2×2.0 梨本宮家紋 銀製、「純銀林製」
ボンボニエール 梨本宮家 不明kogan2020
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行器形
行器形 ボンボニエール 径5.2 高3.5 閑院宮家紋 銀製、「銀製」
ボンボニエール 閑院宮家 不明kogan2020
