続々・「ざぼん」と「ぶんたん」
初版 2018/10/25 14:10
改訂 2019/01/04 19:31
☝村越三千男『原色圖説植物大辭典』(昭和13年(初版) 中文館書店)
前回の続き。もう少し、「ざぼん」や「ぶんたん」の来し方をもとめて昭和初期の辞典など眺めてみる。環境が許す方は、以前の記事を別窓で開いて見くらべながら読んでいただけると、よりたのしいかもしれない。
昭和に入ると、明治期に起源を持つ代表的な国語辞典が大幅に増補され、標題も換わってニューヴァージョンとして次々に登場するようになる。それは育ってきた専門家による日本語研究が大幅な進みぐあいをみせた集大成ともいえるし、世の中が急速に変わっていきつつある、その反映ともいえるだろう。
前回取り上げた『辭林』は大正後期に『廣辭林』になったが、これは昭和九年に出されたその「新訂版」の携帯版(=縮刷ヴァージョン)。
「うちむらさき」をひいてみると貝の方も含め、だいぶ説明が詳しくなっている。果物については果実が大きくて(果皮の表面は)黄褐色、皮は分厚く内部は薄紫色で、甘くて美味しく生食される、とある。引き続き「内紫」で立項されているが、「朱欒」という表記も添えられるようになった。
☝☟金澤庄三郎『廣辭林』新訂携帶版(昭和15年新訂携帶六百七十二版 三省堂+三省堂大阪支店)
「ザボン」は、というと「うちむらさき」同様に生育地域や植物そのものの特徴についても説明が加えられている。ポルトガル語起源、というところは変わっていないが、果実については、『辭林』では四国・九州で採れるものは扁球形で果皮は黄色く、香り高くたいそう美味しい、とあったものが、大きさはまくわうりくらいで上が細く下が広がった(つまり洋梨みたいな)形、果皮は薄黄色で肌が粗く、皮が厚くて中は白く、味が苦くて砂糖をかけて食べる、というように、ほとんど別モノのようになってしまっている。
漢字表記には旧来の「朱欒」に加えて「香欒」も挙げられ、一方で「生欒」は消えてしまっている。
そして、新たに「ぶんたん」が追加されている。
「ザボン」に丸投げ、だけれどww
以上三つの項目をならべてみると、はっきりいって編者ご自身が混乱されているのでは……と思わざるを得ない。これでは「ぶんたん」は中が紅いのか白いのか、甘いんだか苦いんだかさっぱりわからない。
次に『日本大辭典ことはのいつみ』の後身、こちらは大型本五冊組になった。
以前の「大増訂」版ではひと言で終わらせていたものが、かなり詳しくなっている。内側が紫色を帯びた「ざぼん」の一種を指す筑前方言、というのは消えて、大きくて皮が厚く内側が薄紫色の果実で甘酸っぱくて生食向き、とされている。『有用植物圖説』にもあった「とうくねんぼ」という別称や、「香欒」「文旦」という表記も追加されている。
☝☟落合直文+芳賀矢一『改修言泉』第一+二卷(昭和04年(再版) 大倉書店)
「ざぼん」は、というと以前のカリンに似た形、というのが消えて夏みかんに似ている、と書かれている。皮は厚さ二センチメートル前後で香り高く美味しく、その変種として「うちむらさき」がある、となっている。
こちらにもポルトガル語「Zamboa」由来、というのが加わった。それにしても『ことはのいつみ』の苦酸っぱい「ざぼん」とは、「朱欒」という表記は変わらないのに美味しさがかなり違いそう。
「ぶんたん」も新たに立項されていた。
これも『大辭林』とは異なり、「=ざぼん」ではなくて「=うちむらさき」説だ。
さらに大幅に変わっているのが、前々回に取り上げた『言海』の後身。こちらは初期の和装本と同じく四巻組だが、別冊で索引巻が追加された(当研Q所では架蔵していない)。
「うちむらさき」は項目自体がなくなってしまった。その代わり、というか「ザボン」が二項目立てになっている。
そのひとつめは「朱欒」で、語源のポルトガル語Zamboaはスペイン語でもそういうが、おそらくポルトガル人が持ってきたもの(だからそのことば由来の名前)なのだろう、とある。「じゃぼん」とも呼び、筑前方言で「ザンボ」、土佐方言では「ジャボ」、京都では「ジャガタラミカン」という、とも添えられている。
果実は大きさがマクワウリ、形がカリンに似ていて、果皮は薄黄色でユズのようにざらざらしている。皮の厚さは二センチメートル前後、肉瓤〈にくじょう=皮の内側部分〉も瓤嚢〈じょうのう=果肉を包む薄皮〉も白くて苦く、果肉のつぶつぶは酸っぱく砂糖をかけて食べる、とある。
もうひとつの方は「香欒」で、語源は「朱欒」と同じ、そして植物としてはその変種であるとしている。実の形は「朱欒」と違って扁球形、果皮の表面ももっと滑らかで緑色を帯びた黄色、肉瓤は白く厚さは同じくらい、瓤嚢は薄紫あり濃紫あり、果肉は香り高く甘酸っぱく、白砂糖をまぶして生食する、とある。
九州の方言で「ザンボ」、伊予(愛媛)方言で「ザンボウ」、日向(宮崎)方言で「唐〈タウ(=とう)〉クネンボ」、筑前方言では「ウチムラサキ」といい、また九州では「文旦〈ブンタン〉」、台湾では同じく「文旦」と書くものの「〈ボンタン〉」とよむ、と添えてある。
☝☟大槻文彦『大言海』第二+四卷(昭和08年(初版) 冨山房)
「ボンタン」ときいてまず思い浮かぶのは「ボンタンアメ」、という方は少なくないのではないかしらん。
写真を載せたいがために八十円ばかり奮発して買ってきましたよボンタンアメ。
メーカーのサイトによれば生まれたのは大正十三年、と意外に古い。http://www.seikafoods.jp/bontaname.htm
そして箱には「ボンタン果汁」としか書かれていないが、阿久根文旦の精油やサワーポメロの果汁が使われているのだそう。箱のイラストでは割った果実が描かれていないので果肉の色はわからないが、飴の色味は紅肉系のイメージ。
「見ヨ」といわれたからには「ぶんたんノ條」も早くみたいところ……だけれども、ここで「ざぼん」の語源説についてひとつ、忘れちゃわないうちにいい添えておきたい。
前回紹介したように、辞書の上では金澤庄三郎の方が先に外来語由来説を載せているのだが、実は明治十七年に出された『學藝志林』という雑誌で大槻文彦が既に指摘していることを、昭和三年牧野富太郎が自身が中心になって出していた『植物研究雜誌』第五卷第七號で取り上げているのだ。
ただしスペイン語の「Zamvoa」由来、となっている。
あわせて、「シャガタラ柚〈ユ〉」ともいう、と添えてある(この呼び名は、いずれまた取り上げる)。
☝☟牧野富太郎『植物隨筆集』(牧野植物學全集第二卷 昭和15年再版 誠文堂新光社)
流石は植物の話題に目敏い牧野☆
なお、この記事が転載してある『復軒雜纂』は、国会図書館デジタルコレクションにて公開されている。
「外来語源考」@大槻文彦『復軒雜纂』慶文堂書店(1902年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991568/215
明治末の『言海』縮刷版にも載っていないところをみると、当時はそこまでの確信を大槻はお持ちになれなかったのかもしれない(実際、ポルトガル語のことには触れておられないし、綴りも間違いだったわけだから、結果として正しいご判断だったことにはなるが……)。
さて、話の脱線が過ぎるとまとまるものもまとまらなくなるので、ポルトガル語のことはひとまずおいといて、お待ちかね(?)の「ブンタン」のところをみるとしよう。
「ざぼん」のうち「香欒」の方の別称で、福岡北西部でいう「内紫〈ウチムラサキ〉」のこと、となっている。語源は「文橙」の唐音、という説を採っている(「文橙」は「文旦」「朱欒」ともども季語でも使われるから、歌をなさる方にはお馴染みの表記かもしれない)。
ここにも台湾では「ぼんたん」と呼ぶ、と書いてある。今日では「ボンタンアメ」同様、鹿児島では文旦漬も「ぼんたんづけ」というらしい。ということは、「ぼんたん」という名称は台湾起源なのでは? という考えが湧いてくる。終いに附記されている『漳州府志』も気になるところだが、まずは手始めに台湾の「文旦」について調べてみよう。
明治四十五年の『植物學雜誌』第三百六號に、我が国の柑橘分類研究第一人者である田中長三郎が「本邦産柑橘屬果樹ノ利用ニツキテ」という一文を載せている。
「雜録」田中長三郎「本邦産柑橘屬果樹ノ利用ニツキテ」@『植物學雑誌』第三百六號(1912年)(p. 202=PDF八枚目)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/26/306/26_195/_article/-char/ja
その中の「二、分類學上ヨリ見タル本邦柑橘ノ適種」の「(三)文旦類 C. Aurantium Subsp. decumana.」のところ(p. 205=PDF十一枚目)に「斗柚〈トーユー〉、白柚〈ペーユー〉、樟柚〈チユーユー〉、文旦柚〈ボンタンユー〉」という四つの品種が出てくる。それぞれの特徴などについては説明がないので、ここではわからない。
また、それに先立つ明治三十八年の『藥學雜誌』第二百七十六號に、北村忠四郎という人物が綴った「臺灣食品一斑」という記事が載っている。
北村忠四郎「臺灣食品一斑」@『藥學雜誌』第二百七十五號(1905年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi1881/1905/275/1905_275_25/_article/-char/ja
これのp. 31(PDF七枚目)に「文旦柚〈ブンタンイウ〉」というのが出てくる。その前に「柚仔〈イウア〉」というのもあって、「母國名(=日本名)」が「朱欒〈ザボン〉」になっている。「柚仔」の方がやや大きく、どちらも日本内地産にくらべると巨大で非常においしい、と書かれている。ただし形や色などはこれではわからない。
いずれにせよ、明治二十八年より日本の統治下にあった台湾において、「柚仔」とならび「文旦柚」と呼ばれる「ざぼん」「ぶんたん」系の柑橘が栽培されていたことがわかる。
台湾語(台語〈タイギー〉/福佬語〈ホーローギー〉)学習のポータルサイト「iTaigi 愛台語」
からリンクが張られている中央研究院語言學研究所「『閩客語典藏』計畫」の「台語辭典(台日大辭典台語譯本)查詢」
http://minhakka.ling.sinica.edu.tw/taijittian/
でひいてみると、「文旦」は「bûn-tàn」、
http://minhakka.ling.sinica.edu.tw/taijittian/search.php?DETAIL=1&LIMIT=id=4046&dbname=dic&graph=2
「文旦柚」は「bûn-tàn-īu」と発音するらしい。
http://minhakka.ling.sinica.edu.tw/taijittian/search.php?DETAIL=1&LIMIT=id=4047&dbname=dic&graph=2
このデータベースの元になっている、昭和初期に現地で出された『臺日大辭典』では 「ブヌ タヌ」「ブヌ タヌ イウ」と表記されているようだ。
『臺日大辭典』p. 725@中央研究院語言學研究所『閩客語典藏』計畫
http://minhakka.ling.sinica.edu.tw/taijittian/gm.php?fn=B/B0771.png
台湾語の「u」音は唇を丸め、舌をやや後ろの方へ引っ込めて発音するため、日本語の「ウ」音よりもくぐもった、いわば「ウ」と「オ」との中間のような音に聞こえる。
ここ☟の「3 単語例 「u」を使った単語」に挙げられている発音がわかりやすいかも。
「中国語発音 「u」「ü」の中国語発音、ポイントは唇の形とピンイン表記!」@Smart Taiwan
https://ren-3.com/chinese-pronunciation-u-yu/
この「u」音を単に「ウ」と表記するか、それとも日本語の「ウ」とは違うよ、という意味で「オ」と表記するか、という意識の差が、「ブンタン」「ボンタン」という書き方の揺れとして現われているのではないだろうか(同様に『臺日大辭典』の「ブヌタヌ」の「ヌ」は、「n」も日本語の「ン」じゃなくて「ヌ」の子音だよ、ということだろう)。
以上の推論が正しければ、「ボンタン」という発音同様、「文旦」という名そのものも台湾から伝わってきた可能性が高まることになる。日本よりも品質のよいものが採れるとなれば、当然そちらの方が主産地であるわけで、そこで使われている名称が栽培地の拡大とともにもたらされて、移入先でもひろく使われるようになるのは、極く自然な流れではないだろうか。
それはともかく台湾では、「文旦」は「文旦柚」とも呼んでいることがわかった。また、それ以外にも「ざぼん」「ぶんたん」の仲間に「○○柚」という呼び名が使われているらしいこともわかってきた。そういえば村越『内外植物原色大圖鑑』の「ザボン」に続けて(残念ながらひとつも図版がない)「バンイウ」「ハクニクイウ」「ジイウ」「ミツイウ」「セキトウイウ」「サウイウ」という台湾産の「ザボン」類が出てきたが、これらはみな「○○柚」という台湾語名の音写なのではないか、と想像される。
台南市新化區にある「台南區農業改良場」という、台湾の農業技術研究施設で発行している『台南區農業專訊』という定期刊誌の第33期(=第33号)に陳溪潭という果樹栽培の専門家が著した「台灣柚類品種果實特性簡介」という記事が、図版が豊富で現地の「ざぼん」「ぶんたん」のたぐいを識るのに重宝する。
「台灣柚類品種果實特性介紹」@台南區農業專訊第33期:8~12頁(2000年9月)
https://book.tndais.gov.tw/Magazine/mag33-3.htm
冒頭に「柚(Citrus grandis〔L.〕Osbeck)」は別名を「抛」「欒」といい(これについてはまた後日取り上げる予定)、日本名では「ザボン」、英名では「Shaddock」「Pummelo」などという、とあって、やはり総称として「柚」という字が使われていることがわかる。
続けて、台湾では非常に早くから「柚」類の栽培が行われており、また色々な文献にも出てくる、とあってその例がいくつか挙げられている。
1694年の『台湾府志』、とある引用文は『臺灣府志』(同名書がいくつもあるらしいのだが、通称『蔣志』と呼ばれるもの)の卷四「物產」中の「果之屬」に載っているのと同じようだ。
1 物產 1.6 果之屬@蔣毓英+季麒光+楊芳聲『臺灣府志 (蔣志)』卷04(1685年)
1954年の『台灣省通志稿』という本には、麻豆鎮の「文旦」は1701年、「西螺之柚」つまり「朱欒」は1821〜1850年の間に大陸からもたらされた、とあるそうだが、前者はすぐ下に写真のある「麻豆文旦」のことで、これは村越『内外植物原色大圖鑑』の「蔴荳文旦」と同じものにちがいない。
なお、『地理學評論』第十一卷第六號(1935年)に載っている冨田芳郎「臺灣に於ける合成聚落としての麻豆及佳里 (1)」(p. 18/494=PDFの二枚目)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/26/306/26_195/_article/-char/ja
によれば、「蔴荳」という地名は大正九年に地方行政制度改正により「麻豆」に書き換わったという(元々は、この地にあったが漢人の流入でなくなってしまった「madou社」という蕃社(ポリネシア系の台湾原住民聚落)の音を漢字で写した地名らしいから、くさかんむりがあってもなくても何も問題はないのだろう)。
また、文中に櫻井芳次郎、島田彌市という日本人名が出てくるが、いずれも台湾の果樹栽培に貢献した園芸技術者とのこと。後者については『植物分類,地理』第24巻3号(1969年)掲載の「島田弥市自伝」に詳しい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunruichiri/24/3/24_KJ00002992854/_article/-char/ja
「Web NDL Authorities 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス」で歿年もわかる。
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00363168
前者はWebcat Plusに著書リストがちょこっと載っているだけ…
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/2198886.html
…かと思ったら、長榮大學機構典藏サイトにある「乙未臺灣:漢、和、歐、亞文化的交錯」學術研討會 [台灣研究所] 會議論文の莊惠惇+許進發「日本殖民政府技術官僚認知的咖啡及其世界市場」(2015年)
http://sites.cjcu.edu.tw/cjcur/Handle.aspx?item=Conference&no=10341
(「日本認知咖啡與世界市場完整版」PDF(なぜか☝からのリンクが張られていない)
http://elearning.cjcu.edu.tw/sys/read_attach.php?id=811046
)p. 19(PDF十九枚目)の脚註66に、生年(1895年京都府生まれ)を含む略歴は載っていた(ただし歿年はやはり不詳のようだ)。
Webcat Plusに載っている「臺灣に於けるザボンの栽培」という論文に何が書かれているか、ちょっと興味を惹かれたのだが、インターネット上で所在が知れているのが京大図書館だけらしいので、如何ともしがたい……。
なお、台湾の「中央研究院 臺灣史研究所臺灣古籍資料庫」サイトをみると、櫻井は臺灣総督府の命により現地で奉職していた大正九年から昭和十四年にかけて、『臺灣農會報』誌で精力的に園芸関係の論文を発表していたようだ。
「查詢結果 期刊篇目 您查詢的條件為:關鍵字 = 櫻井芳次郎」@臺灣古籍資料庫
http://rarebooks.ith.sinica.edu.tw/sinicafrsFront99/search/search_result.htm?view=%e6%9c%9f%e5%88%8a%e7%af%87%e7%9b%ae&scopes=%E5%9C%96%E6%9B%B8&scopes=%E6%9C%9F%E5%88%8A&scopes=%E6%9C%9F%E5%88%8A%E7%AF%87%E7%9B%AE&index=all&value=%E6%AB%BB%E4%BA%95%E8%8A%B3%E6%AC%A1%E9%83%8E&display=list&first=&mode=abs
さて、「台灣柚類品種果實特性介紹」や「島田弥市自伝」(p. 97=PDF八枚目)にもあるように、「晩白柚」という品種(村越『内外植物原色大圖鑑』に出てくる「ハクニクイウ」はこれのことらしい)は、台北市志林の園芸試験所に務めていた島田彌市がシンガポール経由で当時の南ヴェトナム首都サイゴンの植物園から移入したもので、その後我が国へも導入されたという。ほかの品種も解説を読んでみると、その普及に少なからず日本人専門家が係わっているようで、当然日本の園芸家への紹介もなされたことだろう。
昭和十年代の、高等女学校・女子師範学校用園芸教科書。
「品種」の終いのところに、「蔴荳文旦〈マトウブンタン〉」が出てくる。
☝☟小熊彦三郎『實用女子園藝』(昭和13年修正再版 東京光原社)
もう一冊、同じく女学校で使われた園芸教科書。
こちらには「文旦」として麻豆文旦の図が載っている。
残念ながらモノクロ写真なので想像の域を出ないのだが、これは赤肉種の「麻豆紅柚」ではなくて白肉種の方だろう。
そういえば、園芸教科書では専ら「文旦」で、「ざぼん」という呼び名は使われていないことに気づく(これについてはいずれまた取り上げるつもり)。
☝☟野尻重雄『現代女子園藝教本』(昭和13年訂正再版 東京開成館)
それよりちょっと前、昭和一桁のものだが、男子用のもひとつ載せておこう。
内地産の「平戸文旦」も紹介されているが、やはり「蔴荳文旦(この本では「蔴豆」になっている)」の方が風味の評価は高いようだ。
彩色図版にならんでいるのは平戸文旦のようだ。流石にでっかい。
☝☟佐藤信哉+鈴木孝太『最新園藝教科書果樹篇』(昭和05年(初版) 冨山房)
なお台湾の文旦については、「行政院農業委員會」が公開している「農業知識入口網 」ポータルサイトの中の、その名も「文旦主題館(つまり「文旦テーマ館」)」というサイトもなかなか詳しく、一見の価値がある。
「文旦主題館」@行政院農業委員會「農業知識入口網 -小知識串成的大力量-」
https://kmweb.coa.gov.tw/subject/mp.asp?mp=319
ここの「文旦是什麼?為什麼是文旦?(文旦って何?どうして「文旦」なの?)」
https://kmweb.coa.gov.tw/subject/ct.asp?xItem=243386&ctNode=5618&mp=319
を読むと、ここでいう「文旦」は「麻豆文旦」を指していることがわかる。
「麻豆文旦」は色々な品種がある「柚」類の一種だが、原種の「文旦」が大陸から移入された後、麻豆の地で突然変異の結果生まれた品種。これがすこぶる品質がよい実がなるためその地名を冠したのだが、一般には習慣的に相も変わらず「文旦」とか「文旦柚」とかで呼ばれてしまっている、とのこと。
そして「文旦」の語源については、「文」という姓の「小旦」が植えた柑橘類の樹が元になっているから、という説が紹介されているのだが、次回はこの伝説をはじめとして、台湾や大陸でどのような逸話が知られているのかを拾っていこうと思う。
#コレクションログ
#比較
図版研レトロ図版博物館
「科学と技術×デザイン×日本語」をメインテーマとして蒐集された明治・大正・昭和初期の図版資料や、「当時の日本におけるモノの名前」に関する文献資料などをシェアリングするための物好きな物好きによる物好きのための私設図書館。
東京・阿佐ヶ谷「ねこの隠れ処〈かくれが〉」 のCOVID-19パンデミックによる長期休業を期に開設を企画、その二階一面に山と平積みしてあった架蔵書を一旦全部貸し倉庫に預け、建物補強+書架設置工事に踏み切ったものの、いざ途中まで配架してみたら既に大幅キャパオーバーであることが判明、段ボール箱が積み上がる「日本一片付いていない図書館」として2021年4月見切り発車開館。
https://note.com/pict_inst_jp/
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realminiature
2018/10/25素晴らしい力作ですね!しばし読み耽ってしまいました!
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図版研レトロ図版博物館
2018/10/25早速ご覧くださりありがとうございます☆
どうしても長々しく込み入った話になってしまいますし、引用文献もやたらと多いこともあるので、できるだけ途中でくたびれちゃわないように……と心がけて書いておりますー。
次回もさらにめまいがするような世界にご案内いたしますので、おイヤでなければ是非☆
2人がいいね!と言っています。
TWIN−MILL
2018/10/25ボンタンアメが出てきましたね!
台湾ですか。意外です😁👍。
にしても、この論文(?)。文面の長さはミューゼオ初かも知れません😁👍。realminiatureさんのおっしゃる通り、力作です!
1人がいいね!と言っています。
図版研レトロ図版博物館
2018/10/25永らくお待たせいたしました! 「ボンタンアメ」登場です☆
そうですね、まさか台湾語が絡んでくるとは思いませんでした。
長過ぎる記事はたいがい嫌がられるものですが、こちらはひたすらたのしくてやっているので、お読みになった方にもおたのしみいただけるのならばいいんだがなぁ、と思っております。
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