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かわいいイラストの近現代史年表@昭和初期の少年ヴィジュアル百科事典
国家総動員法が制定され、いよいよきな臭くなってきた昭和13年に刊行された、少年向けヴィジュアル百科事典に載っている「現代の繪話」というタイトルの、明治初頭から昭和初期にかけてのカラーイラスト年表。 子どもたちの興味を惹くためだろう、かなりトリビアルなネタも取り交ぜてあって、かわいらしい彩色の絵も親しみやすく、面白い仕上がりになっている……が、しかしこうしてみると、ひと昔ふた昔前の日本は結構物騒な世界だったんだな、と改めて感じさせられる。 この本全体が、装幀デザインからして「たのしく国威発揚・戦意昂揚」を目指した編集方針なのがみてとれる、ある意味「わかりやすい」方向性の百科事典なのだが、図版が(巻末の政治家や軍人などのおエラ方顔写真は別として)全般的にかわいい感じで、なかなか魅力的。 それにしても、この絵を眺めて眼をきらつかせていた少年少女たちが、その数年後にどのような人生を歩んでいたのかは知る由もない。ただ、少なくともこの当時に思い描いていた将来とは、かなり違ったものであったろうことは、想像に難くない。 文化によって得られたものは千年、二千年経って、その価値をいよいよ増して残り得る。しかし戦争によって得られたもののうち、千年経ってなお残っているものは、「破壊の傷痕」と「消しがたい遺恨」がほとんどだろう。 それでも為政者が敢えて戦争に踏み出す選択肢を決して棄てようとしないのは、短期的には自身の立場や権益をまもったりつよめたりするのにおおいに役立つことを知っているからだろう。殊に、自国内や自身のまわりに、国民の視線を一刻も早く逸らさせたいような問題を抱えている塲合には。
少年百科寶鑑 昭和13年(1938年) 昭和13年(1938年) 網版刷り図版研レトロ図版博物館
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鳩あれこれ@昭和初期の原色動物図鑑
前に空撮用の「鳩カメラ」を取り上げた https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/items/138 が、そういえば当時我が国ではどんなハトが紹介されていたのだろう? とふとおもって動物図鑑の鳥類編を引っ張り出して、「鳩鴿目」つまりハト目のところを開いてみたら思いの外、図版だけみてその名前が言い当てられないものでいっぱいだった。だいぶ前にモノ日記の(中断したままになっている)「ザボンと文旦」稿 https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/diaries/19 のなかで引用した一冊もの図鑑の別ヴァージョン6巻組の端本。彩色図版は特に、あのメタリックな羽の色つやがうまい塩梅に表現されているとおもう。 1枚目の上半分にあたる2枚目アオバトのうち上段のふたつは日本産、下段のふたつは南洋諸島の産。1枚目下半分を拡大した3枚目は左側のボタンバト・カルカヤバトがマレー半島からスンダ列島にかけて分布。右上のカラスバトは国産種で、この図鑑には「本州・四國・九州の南部沿岸の諸地方並〈ならび〉に琉球の北部に分布してゐる。」とあるが、現在では離島にしかいないらしい。 https://db3.bird-research.jp/news/wp-content/uploads/2016/04/13_4_janthina.pdf 右下のカワラバトは街中でもっとも普通にみられるドバトや伝書鳩などの原種。この本の解説では「我國にては、往時は本州より沖繩までの各地に、棲息せし種類なれど、現時は四國・沖繩などの海岸に少數を見るに過ぎぬ。」と書いてあるが、山階鳥類研究所『ドバト害防除に関する基礎的研究』 http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato には、日本鳥類學會会長を務められた黑田長禮の図鑑『鳥類原色大圖說』の中で見間違いとされている、とある。 http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato/hato11.html で、同書第三卷(昭和9年(1934年)刊)を引っ張り出してみたらたしかに、「743 かはらばと」のところに「嘗て本州・琉球・臺灣等より報吿あるものは總べて家禽となれる「どばと」中にて「かはらばと」に類似の羽色のものを誤稱せるによる。」と書かれていた。当時の博物ギョーカイと鳥類ギョーカイとで意見が割れていた、ということだろうか。 4枚目はどれもカワラバトを品種改良したもので、原形とは似ても似つかない愛玩種もある。上半分を拡大した5枚目の左上が伝書鳩で、解説には「我國へは、白耳義〈ベルギー〉の品種が輸入され、其〈その〉雜種又は原品も輸入せられてゐる。」とある。右上のドバトの方には、「現今數百の品種があり、愛玩用・食用・傳書用として、利用される有用の鳩である。何れも原種カハラバトより淘汰改良をうけて生ぜしもので、羽色にも種々あり、黑色・白色・黃色・黑白斑・蒼色二引・鞍掛などがある。我國では、多く神社・佛閣に飼養せられてゐる。」と解説されているが、昭和中期以降有害駆除がはじまったそうで、人間が手前勝手にこの島に持ち込んでおきながら今やすっかり害鳥扱いだ。 http://www.yamashina.or.jp/hp/kenkyu_chosa/dobato/hato221.html 5枚目のやや地味なひとたちは左上から、俗にヤマバトとも呼ばれる、当時「鳩類中最も普通に見る種類」のキジバト、その隣が屋久島から琉球諸島にかけて分布しているリュウキュウキジバト、2段目左が台湾や支那に多いカノコバト、次のジュズカケバトは現在では中央アフリカ産のバライロシラコバトから派生したとされているようだ http://www.ax.sakura.ne.jp/~hy4477/link/zukan/tori/juzukakebato.htm が、当時は「原産地は、北亞弗利加〈アフリカ〉か、印度・小亞細亞〈アジア〉であるとの說がある。」という認識だったようだ。次の「べにじゅずかけばと」というのは解説に書かれている学名と「「スマトラ」・爪哇〈ジャワ〉に産し、飼鳥として舶來する。」という一節からして、スンダ列島にいるオオベニバトのことのようだ。昭和31年(1956年)に埼玉県の鳥に指定されたシラコバトについては、「小亞細亞・土耳古〈トルコ〉・印度・「ビルマ」・支那等に、棲息してゐる。往時は我國にも、廣く各地に分布せしも、現時は、埼玉縣・千葉縣に亙る、江戸川筋の御獵場と其附近に限り、棲息するを見るのみである。」と書いてある。なおこれもまた、当時は「じゅずかけばと」と呼ばれていたらしい。コブバトは南洋、ベニバトは「「ビルマ」・交趾支那〈こーちしな〉・「ヒリツピン」・支那・西比利亞〈シベリア〉東南部地方、滿洲等に分布し、我國にては、臺灣にのみ多く棲む。」とあるが、現在は南西諸島にもいるようだ。 https://www.birdfan.net/pg/kind/ord10/fam1001/spe100106/ 7・8枚目はモノクロ図版だが、よくみると実は墨単色刷りではなく二色版でことがわかる。「すずめばと」は「南米「コロンビヤ」・墨國〈メキシコ〉の東南部に棲息してゐる。」とあるが、学名からして今いうフナシスズメバトで、「南「アリゾナ」・南「テキサス」・「カリフオーニア」・墨國等に分布してゐる。」とある「しゅばしすずめばと」の方が今日のスズメバトのことらしい。ケアシスズメバトは中南米の暖かい地方の産で、当時飼い鳥として輸入されることもあったようだ。チョウショウバトはマレー・フィリピン・スンダ列島・タイなどにいて、古くから日本へも飼い鳥として持ち込まれていたそうだ。ベニカノコバト・ウスユキバトはオーストラリア方面から輸入されていた当時の人気品種。ヒムネバトはフィリピン産で、こちらは稀に輸入されることもあったという。キンバトは印度からニューギニアにかけて分布していて、琉球南部や台湾にもいる、と書いてある。ショウキバトとレンジャクバトはオーストラリア産、シッポウバトはアフリカ産、当時は「さざなみすずめばと」と呼んだサザナミインカバトは南アメリカ産で、いずれも輸入飼い鳥として人気があった。カンムリバトはニューギニア西部とその周辺にいると書いてあるが、19世紀初頭に描かれた絵巻物『外國珍禽異鳥圖』にも出てくる。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286746/3 キンミノバト、ソデグロバトはいずれも東南アジアの産だが、当時愛玩用として 稀に輸入されていたという前者は島部にしかいないそうだ。http://www.ax.sakura.ne.jp/~hy4477/link/zukan/tori/kinminobato.htm 1920年代、大正後期から昭和のはじめにかけて飼い鳥ブームが起こり、さまざまな珍しい鳥がさかんに輸入されたから、図鑑にもそうした興味を惹きつける図版が必要とされたにちがいない。
内外動物原色大圖鑑 第二卷 昭和13年(1938年) 昭和11年(1936年) 原色版図版研レトロ図版博物館
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生物ドローンカメラ@昭和初期の中等教育用理科図解参考書
最近はドローンを使って一般人でも割と気軽に空撮ができるようになったが、かつては伝書鳩に專用のカメラを取り付けて撮影させていたことがあった。明治40年(1907年)、ドイツ人薬剤師J.ノイブロンナーが初めて考案した「鳩カメラ」は、パノラマ撮影用だったそうだ。 http://blogbu.doorblog.jp/archives/52402641.html いわば「生物ドローンカメラ」といったところだが、いくら軽量機とはいえかなりデカいし、こんなじゃまくさいものを取りつけられて、ハトにはさぞや災難だったことだろう。 今回は、前にジュラルミンのところ https://muuseo.com/home/734046 を取り上げた昭和十年代の中等教育理科の図解参考書から、その「寫眞機」項に載っている図版を眺めてみることにしよう。ここに鳩カメラが出てくる。1枚目のページ中の「3」のハトと6枚目のページの左上のハトは構図がそっくりでカメラの向きとか右側に鉛管がくくりつけられている脚とかも似通っていて、ぱっと見まるっきり同じ写真のようにも見えるが、よ〜く視ると前者は頭から何か被せられているようだ。 8枚目にご参考までに掲げておいた「航空寫眞」解説には、「之〈これ〉は歐洲大戰以來,大いに發達して來たものであるが,今日では,平時に必要缺〈か〉く可〈べか〉らざるものとなつて來た」とあるが、図版の方はキャプションに「軍用鳩の體につける寫眞機」とあるように、新聞社などの民間企業ではなく陸軍の鳩を撮ったものとおもわれる。背負いケージや車輪つきの鳩小屋の図が写真ではなくイラストなのは、恐らく「撮影場所を特定されては困る」とか、何かしら軍機に引っかかるからなのだろう。
解說實驗應用理科講義 昭和13年(1938年) 昭和13年(1938年) 網版+活版刷り図版研レトロ図版博物館
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ジュラルミンと飛行船@昭和初期の中等教育用理科図解参考書
中学校・師範学校でおこなわれる5年制の中等教育では、昭和6年度(1931年度)より実施された改正中學校令施行規則により大幅な教科の変更があったが、それまでの「博物」「物理」「化學」に加えて「一般理科」「應用理科」を設け、ひっくるめて「理科」という科目になった。最終学年におかれた応用理科では、それまで学んできた理科知識と実際の世の中のあれこれとのかかわりをより具体的につかむことに主眼がおかれていたようだが、その理解をたすけるために編まれた図解参考書のなかから、合金のひとつジュラルミンのところを今回はみてみることにしよう。 軽くて引っ張り強度のたかいアルミニウム合金は今日でも航空機を造るのにかかせない材料だが、その最初のものは明治39年(1906年)ドイツで生まれた、アルミニウム・銅・マンガン合金にマグネシウムをちょこっと加えて焼き入れしたものだった。加熱処理をしてから時間をおくと強度が格段に増す「時効硬化」が、たまたま実験途中に週末がはさまったために発見されたのだそうだが、この合金がまず実用されたのが同国のフォン・ツェッペリン伯が19世紀末に考案し、自ら会社を立ち上げて明治33年(1900年)に第1号機を造った新しい乗りもの・飛行船の機体だった。当初は鉄骨で組み立てる考えだったのが、軽量化をはかるためアルミニウム材を用いる方針に切り換え、その時に最も強度のあった亜鉛アルミニウム合金を使ったという。それよりもすぐれた材質である自国の技術者による特許ジュラルミンに早速跳びついたのは自然なことだったろう。なお、ジュラルミンの語源はフランス語の「かたい」を意味する「Dur-」を冠した、という話は意外だが、これは国際展開を見据えてのことだった、ときけばなるほどと納得がいく。 https://www.uacj.co.jp/review/uacj/vol4no1/pdf/vol4no1_15.pdf ジュラルミンは明治44年(1911年)からイギリスでも生産がはじまり、また第一次欧州大戦中の大正5年(1916年)にはドイツ軍の飛行船が同国内で撃墜され、以降その残骸を参考に日本を含む各国で飛行船の製造がはじまった。一方ドイツではその翌年大正6年(1917年)から飛行機の材料としてもジュラルミンが使われはじめた。この本が出た前年の昭和12年(1937年)には、アメリカに寄港中のヒンデンブルク号の有名な事故が起き、それからいくらもしないうちにドイツの飛行船はすべて解体されて飛行機の材料になってしまったというから、ここに書かれている内容は早くもやや時代遅れ、ということになってしまいそうだが、そんなことはさておいてこの飛行船内部を描いた図版イラストが文句なくかっこいいのだ。大正〜昭和初期の教科書などにも飛行船の機体の図はときどき載っているが、内部の様子がわかるものは多くない。それに、これもジュラルミンを使っているらしい巨大な格納庫に収まっているところ(3、4枚目)や、その内部で骨組みの組み立てをおこなっている場面の図(5枚目の下、7枚目)はほかには目にしたことがないようにおもう。その上の図版(5枚目の上、6枚目)にはキャプションがないが、これは操縦席部分だろうか。 なお、8枚目の丸いのはジュラルミンの球ではなくて、合金の顕微鏡写真を模写したもののようだ。熱加工の過程で粒子の状態が大きく変わっているのがわかる。
解說實驗應用理科講義 昭和13年(1938年) 昭和13年(1938年) 三色版刷り・活版+銅版刷り図版研レトロ図版博物館
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初めて日本に導入されたプラネタリウム@昭和初期の子ども向け天文学入門書
大正十三年に創刊され、今も続く子ども向け科学雑誌『子供の科学』の初代編集長が書いた、やさしい天文学の本の巻末附録として載っている、大阪の「電氣科學館」へ我が国最初、世界でも二十四番目に設置されたプラネタリウムの写真とその説明。 同館は現在の大阪市立科学館の前身で、最上階に「天象館」というプラネタリウム施設が置かれて人気を博したという。そのドーム内部の巨大な投影機や客席の写真はときどき見かけるが、「講壇」つまり解説席の内側、しかもそこにある操作装置部分が写っているものはかなり珍しいのではないかと思う。ここにも書いてあるが、本書の出た前の年に据え付けられたばかりの、かなり早い時期の姿でもある。 #レトロ図版 #プラネタリウム #電気科学館 #大阪 #昭和初期
子供の天文學 昭和13年(1938年) 昭和13年(1938年) 網版+活版刷り図版研レトロ図版博物館
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光の加減で見た目の変わる金属鉱物図@昭和初期の鉱物図鑑
図版研「架蔵資料目録」ブログ記事 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/471743654.html?1574693439 でも紹介した、昭和初期の鉱物図鑑に載っている標本写真図版のうち、特殊インクで金属光沢を表現したものをいくつか。正面からフツーに撮ったときと、こうして外光に当てながら斜めから接写したときとでは見え方が違うのだ。 といっても、これはやはり現物をお手にとってためつすがめつしていただかないと、「おぉ、見る角度によって光り方が変わる!」という実感はなかなかおつかみいただけないと思うので、なんとももどかしい限り。 この図鑑の大東亜戦中に出された別ヴァージョンは、図版研の本『鑛物標本』で同時期の集合標本と引きくらべてご覧いただく、という趣向で使っている。だいぶ戦況が悪化して物資不足に悩まされた時期にあっても、この「光沢」再現の試みは変わらず続けられていたところに、著者の心意気を感じてしまうのだった。 #レトロ図版 #鉱物図鑑 #鉱物写真 #鉱物標本 #昭和初期
原色日本鑛物圖譜 昭和13年(1938年) 昭和11年(1936年) 三色版(+特殊インク)刷り+活版刷り図版研レトロ図版博物館
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光電スイッチ式自動ドア装置@昭和初期の電機製品カタログ
東芝の前身企業のひとつ東京電氣の製品開発部門の研究所が昭和十年代に出したカタログに載っている、光電スイッチを採用した自動ドア装置の図。建具そのものは木製枠のガラス框扉に見える。感知部の光源は説明文を読んでも「特殊電球」としか書かれていないのでよくわからないが、赤外線ではなくて可視光と思われる。 我が国の自動ドアの歴史について安直に調べよー、とググってみても、「建物には当時の日劇前の東芝営業所玄関に、光線スイッチ起動による自動ドアが設置され、銀座マンの話題を呼んだが大衆にとっては、高嶺の花であった。」という某大手メーカーの言説(現在は削除されているようだ)の一部がコピペされているばかりで、その姿形などはどこにも見当たらないが、東京電氣の営業所か研究所に併設されていたのだろうショウルーム内部らしきこの写真のものに、恐らくは似通った装置だったと思われる。 あるいは、これこそがその「営業所玄関」の写真なのかもしれない。入口と出口とが分かれているところからすると、どうやら一方通行だったようだ。手前にある背の低い円柱の内側にセンサが仕込まれているようだが、脇に鎖が張られているのは多分扉が手前側に開くので、お客がそれにうっかりひっぱたかれないようにするためではないかしらん。 今では当たり前のようにそこら中に設置されている自動ドアも、国内で普及したのはようやく昭和三十年代になって、というから、戦前の実物の詳細な図版はやはり珍しいといえるだろう。 #レトロ図版 #自動ドア #光電スイッチ #光センサ #電機製品 #昭和初期
研究所製品綜合型録 昭和13年(1938年) 昭和13年(1938年) 網版刷り図版研レトロ図版博物館
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アゲハチョウ科+シロチョウ科+タテハチョウ科のいろいろ@昭和初期の小型昆虫図鑑
大正〜昭和初期の昆虫標本造りの名手による国産(といっても当時の版図なので、台湾産を含む)蝶類標本の写真図版から、鳳蝶〈アゲハテフ〉科・粉蝶〈フンテフ〉科(=現在のシロチョウ科)・蛺蝶〈タテハテフ〉科の一部を。 「第九圖版」のうち解説文ページを割愛した分は、6. エルタテハ(雌)Polygonia l-album samurai Fruhstorfer 1932年北海道夕張産、7. キベリタテハ(雌)Vanessa antiopa Linnaeus 1932年北海道夕張産、8. コムラサキ(雄)Apatura ilia substituta Butler 1932年東京井之頭産、9. オホイチモンジ(雄)Limenitis populi ussuriensis Staudinger 1931年北海道草雲溪産。 非常に保存状態のよい標本をきっちり接写し、色再現性にこだわった仕上げは戦前日本の製版印刷技術の高さを物語っていると思う。背景の配色も含め、鮮明でありながらもヴィヴィッド過ぎない色調のやわらかな風合いがまた魅力。 #レトロ図版 #昆虫図鑑 #蝶 #アゲハ #シロチョウ #タテハ #原色図鑑 #昭和初期
原色千種昆虫圖譜 昭和13年(1938年) 昭和08年(1933年) 三色版刷り+活版刷り図版研レトロ図版博物館
