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  • 6F 🔵【閲覧No9 7780人以上】伝・前田対馬守家伝来「前田利家の長女と前田長種(尾張前田家と織田信長家臣)」の系譜)/加賀藩初代藩主・前田利家の「桶狭間の戦いの凱旋図」/ 大英博物館の学芸員に写真が渡る/( 公財)前田育徳会の調査書あり。
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🔵【閲覧No9 7780人以上】伝・前田対馬守家伝来「前田利家の長女と前田長種(尾張前田家と織田信長家臣)」の系譜)/加賀藩初代藩主・前田利家の「桶狭間の戦いの凱旋図」/ 大英博物館の学芸員に写真が渡る/( 公財)前田育徳会の調査書あり。

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加賀藩の祖・前田利家の掛軸。江戸後期の白描画の一種。織田信長の命に背き、前田利家が武功を挙げた有名な「桶狭間の戦い」。



加賀前田家宗家の財産を管理する前田育徳会(東京)によると、根拠は確認できないが、2009年の石川県立美術館紀要・第19号の中に、絵師・岸駒の原本を元に、幕末、前田利家没後250年忌にあたる年(嘉永元年、1848)に、前田家の志気を揚げるため、主に、この様な絵が、前田家の家臣宅に伝えられ、祀られていたということです。

そして、正月に、床の間に飾った様で、多くの数(少なくとも10点)は、現存していますが、調査した博物館の学芸員によりますと、この様な「墨絵」の絵は、初めてらしく、様々な可能性を秘めているそうです。

絵の利家の兜などには、加賀藩二代藩主・前田利長や加賀八家など、前田利家の子供の代に使用された家紋が書かれていました。

朱印に「源洞」とあり、
調べた所、加賀前田家で「源~」の法名を使用するのは、
加賀前田家の重臣で、加賀八家の前田対馬守(前田利家の一女・幸姫と婚姻した織田信長・信忠の家臣・前田長種の家系)のみです。

また、源洞は、国宝・瑞龍寺(富山県高岡市)の織田信忠の墓碑に刻まれた銘「源洞」と同じでした。

銘は「東固」で、直筆。

どことなく、葛飾北斎の絵のタッチと酷似しています。

#戦国武将#掛軸#前田利家#織田信長#葛飾北斎#加賀藩#美術#