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ジングラス
ジンなどアルコール度数の高い酒を飲むために使われたグラス。ステム(脚)とボール(杯)には六角形が連続したようなカット技法である、ファセットカットが施されている。生地は鉛ガラスでやや青味掛かる。
1780〜1800 イギリスM.S
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ミルクメジャー
1820年代 イギリスで牛乳を計量するために用いられた木製メジャーカップ。轆轤によって一木から削り出されている。
M.S
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越中瀬戸焼 飴釉茶碗
施釉陶器としては北陸地方最古の歴史がある越中瀬戸焼は富山県立山町で焼かれた。16世紀に越中を治めた前田家は瀬戸から陶工を呼び寄せ、同地で茶陶を焼かせたのが始まりと伝わる。そして江戸期になると生活雑器の生産にシフトしていく。立山町瀬戸村の農民は農閑期には陶器を生産した。その遺作を見るに洗練とは程遠く、泥臭さや田臭を感じさせる実用本位の焼物である。しかし、言い換えれば飾らぬ農民たちの逞しさや鄙びた良さがある。 口径約8cm
江戸後期〜末期 越中国(富山県)M.S
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大黒天節分図鐔
江戸時代後期 鐔は刀装具の一つで、手を保護し刀剣の重心を整える役割がある。また、刀剣を飾る重要な部品である鐔は、室町時代から江戸時代にかけて様々な意匠で作られてきた。 この鐔の表には大黒天が節分の豆を撒く様子が描かれ、裏を返すと豆に当たった鬼が今まさに煙となって天へ上る様子が描かれている。中々に洒落の利いた図柄であり、その彫も緻密であるが残念なことに無銘である。
M.S
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型吹き 剣先コップ
剣先コップの剣先とは、コップに施された意匠に由来する。型に入れてガラスを吹き込み成形する『型吹き』と、機械によるプレス成形の二種がある。当然機械によるプレスよりも、型吹きの方が不均一な仕上がりとなる。 当時は雑器で価格も安かったであろう、何の変哲も無い無色のコップであるが、現代のガラス製品には無い不均一さが『味』であり『魅力』である。 また、2枚目の画像の様にゆらぎのある印影の美しさも無色ガラスの魅力と言える。
明治後期〜大正 日本M.S
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型吹き 梅コップ
梅コップの名称は胴部に7つの凸部があり、梅の花の様に見えることに由来する。剣先コップ同様、当時の雑器で型吹きとプレスの二種が存在する。型には木型や金型など種類があり、このコップの表面にはは木型特有の木目や削り目が微細な凹凸となって現れている。
明治後期〜大正 日本M.S
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瀬戸 蝶文豆皿
瀬戸地方で焼かれた豆皿(手塩皿)。向かい合う蝶が型押しによって陽刻され周囲に呉須を入れて浮かび上がらせている。小判形の菊花皿で薄手。そう古いものでは無いが、可愛い豆皿である。
幕末〜明治 日本M.S
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乳白ガラスのエッグカップ
乳白色のガラス生地で宙吹きし、口縁部をミントグリーンの色ガラスで暈している。 イギリスにおける色ガラス製品の生産はブリストル地方が有名で、イギリスアンティークグラスの世界では、こうした色ガラスの製品は一纏めに『ブリストルグラス』と呼ばれる。 しかし、ブリストル産ガラス製品と断言できるものは案外少なく、色ガラス製品の生産に関しては不明な点が多い。 口縁部に段があり、液体を飲むための物としては不自然な形であったため、調べたところ卵を乗せるエッグカップであることが分かった。 R3.10.22 タイトルを『ジングラス』から『エッグカップ』に変更しました。
1780〜1800 イギリスM.S
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ソーススプーン
シカモアという木材から削り出されたソーススプーン。ハンドルには容器の縁に掛けるための突起や、装飾的な蕨型の彫刻がされている。また、杯部の背面にはシェル模様も彫刻されており美しい。 シェル模様はもう少し後の時代のシルバースプーンに多用された装飾で、その出現の早い例と言えるかもしれない。 約300年、ひとからひとへ受け継がれ、磨かれて琥珀色となり、トロリとした質感がある。
1700年頃 イギリスM.S
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ミニアチュール
19世紀の半ば、カメラの普及によって人々は簡単に自身の肖像を残せるようになった。それ以前は絵画に頼るほかなく、一部の裕福な者のみが肖像画を依頼し、画家に描かせる事が出来た。 ミニアチュールとは、非常に小さな画面に写実的かつ細密に描かれた肖像画である。 サインは毛描きで、Herman.1836とあり、1836年にM.Hermanによって描かれた事がわかる。なお、モデルの名も伝わっている。絵は肌の色を美しく見せるため、象牙の薄板に描かれている。
1836年 イギリスM.S
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エナメル彩白孔雀文コップ
エナメル彩によって白孔雀が絵付けされたコップ。口縁と月の部分に水金による金彩がある。 孔雀の対面には舛屋雑貨店の文字が書かれている。
日本 明治後期M.S
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赤暈しウランガラス花縁コンポート
全体を黄色のウランガラスで作り、口縁は赤で暈しを入れている。 非常に華やかなコンポートで、素地のウランガラスは窓際に置くと太陽光でも淡く発光する。 口縁部とフットに5ミリほどの欠けが見受けられ、完品であればと悔やまれる。 口縁部に見られる鮮やかなピンク色の暈しは金コロイドによる発色で『金赤(きんあか)』とされるが、その製法は難しいようだ。 同じピンクからオレンジがかった赤に発色するセレンを使用したガラスは生産性に優れ、安価であることを考えると、コンポートや氷コップ等の量産品にはセレン赤が一般的であり、特注の一点物に金赤が使われたと考える方が、自然のように思える。 これらの赤が金赤か、セレン赤かについては諸説あり断定が困難であるが、十中八九セレンではないかと考えている。【2020.6.23追記】
大正 日本M.S
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ノベルティコップ「布引タンサン水」
兵庫県西宮市にある布引礦泉所で戦前製造されていた布引タンサン水のノベルティコップ。 宙吹きで非常に薄造り。ガラス質は消色剤のマンガンを多量に含み黒味がある。 プリントには布引礦泉所のマークである馬蹄印を中心に「NUNOBIKI TANSAN」の商品名がある。また、これらを囲むように王冠栓が描かれ、その周囲には小さく「PATENT 4008 MARCH 1900」とある。国内特許番号4008は「栓壜装置ノ改良」で、1901年11月に成立した国内初の王冠栓特許である。国内の清涼飲料に対する王冠栓の使用は、1899年の金線サイダーを皮切りに、1900年には王冠栓が多く輸入されて以降、普及したとされている。MARCH 1900について、布引鉱泉所設立が1899年であることもあり、同社製品の王冠栓使用が1900年3月ということも考えられるが、確証はない。いずれにせよ、このコップには王冠という画期的な新発明品の使用をアピールする狙いがあったものと考えられる。【R2.5.25追記】
日本 明治後期M.S
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ノベルティコップ「金線サイダー」
1899年横浜の秋元巳之助が発売した金線サイダーのノベルティコップ。エナメル彩を用い《金線サイダー CHAMPAGNE CIDER 芳香馥郁風味佳良》の文字がある。ガラス質は黒味がかる。
日本 明治後期〜大正M.S
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ノベルティコップ「イナリサイダー」
イナリサイダー・イナリレモンと表記のあるノベルティコップ。イナリサイダーについては詳細不明。戦前に製造されていた地サイダーであろう。 エナメル彩で刷られたマークはひょうたんの中に宝珠、その下にイナリとある。イナリは稲荷であり、宝珠は稲荷(狐)の持物である。 想像を逞しゅうして瓢箪の馬印で知られる太閤秀吉に所縁のある瓢箪山稲荷神社や伏見稲荷大社、満足稲荷神社などに関係するようにも思われる。 日本清涼飲料史の中に、昭和13年の記事として「出征皇軍慰問サイダー献納者芳名」があり、その中に「イナリ屋鉱泉所(神戸)」の名がある。サイダー1箱を献納しており、サイダーを製造していたことがわかる。 果たしてイナリ屋鉱泉所がイナリサイダー製造元であるのか、同資料からはハッキリとしない。(2020.8.15 追記)
大正〜昭和初期 日本M.S
