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環状羊歯文コップ
土型か金型による、型吹き技法のコップにグラビュールによる加飾を施したもの。 環状に連続する羊歯文を描いているが、こうした文様は明治期から大正期にかけて流行した。 このコップに見るようなごく浅いグラビュールはアブレードと呼ばれる技法である。 ガラス質は明治期のガラスに多い黒みを帯びたもので、特に底部が薄く繊細である。 このグラスは最近まで食器棚に収まり使用されていたということである。 無数の微細な擦り傷はあるが、欠けの一つもなくよくぞ100年近く現役であったと感心する。
明治後期 日本M.S
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ノベルティーコップ「アリマサイダー」
白色のエナメルで、ぐるりと廻るようにアリマサイダーの表記と、鼓をデザインしたマークが印刷されている。また、ロゴマークを帯状に水流文が取り囲む、なんとも和風で可愛らしいデザインのコップである。 アリマサイダーとは、日本を代表する温泉地の一つである、有馬温泉に縁のあるサイダーで、その歴史は古い。日本で最も早い時期に瓶入り炭酸水を販売したのが、兵庫県有馬の「有馬炭酸水」と、京都の「山城炭酸水」であった。有馬の炭酸泉は明治10年代には観光地となっており、コップ一杯1銭で提供されていたようだ。その後、瓶詰めされ販売されたが、栓が飛ぶほど強炭酸であったことから「てっぽう水」と呼ばれた。 明治34年(1901)に大阪・堺の酒造業者、鳥井駒吉が「有馬鉱泉合資会社」を設立し、ガス入りミネラルウオーターを製造、神戸居留地の外国人や海外航路向けに製造販売を始める。その後、明治41年(1908)に加糖したサイダーの販売を開始し、大正初めには「有馬シャンペンサイダー」や「鼓シトロン」などのラインナップで好評を博したが、大正13年(1924)には金泉飲料に買収され、金泉飲料も翌年には日本麦酒鉱泉株式会社に買収されるといった形で、大正15年(1926)には終売となった。 このコップは、大正期の有馬鉱泉合資会社のもので、明治41年から大正15年までと年代の特定ができる。ガラス生地を見るに大正に入ってからのものだろう。 2002年には、地元企業が有馬温泉のお土産として、有馬シャンペンサイダーを再現した、「ありまサイダー」を復刻させている。
明治41年(1908)~大正15年(1926) 日本M.S
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ノベルティーコップ「キンマリサイダー」
白色のエナメルを用いて、手毬のマークとキンマリサイダーの表記、また裏側には関西食糧合名会社の社名が表記されたコップである。元箱付きで六客まとまって入手したもの。 キンマリサイダーについては、「日本清涼飲料史」に記載のある昭和9年開催の全国清涼飲料品評会出品目録にその名がある。関西食糧合名会社は奈良県からの出品となっており、所在地が奈良県であったことがわかる。主に関西圏に流通したサイダーなのであろう。 隷書体のロゴに大正・昭和初期の時代感が出ており、手毬のマークが可愛らしい。
M.S
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ノベルティーコップ「ミカドサイダー・ミカドレモン」
白色のエナメルによる、王冠のマークにミカドサイダー・ミカトレモンの表記が廻るノベルティーコップ。レモンのみ「ミカト」となっているのは、単に誤記であろう。おおらかな時代である。大正~昭和初期にみられるごく一般的なガラス素地で、気泡もそれほど目立たない。 ミカドサイダーは「日本清涼飲料史」によると、日東鉱泉株式会社の製品で、昭和3年に上野で開催された大礼記念国産振興博覧会において、最高賞である「優良国産賞」を受賞している。三ツ矢サイダー・キリンレモン・金線サイダー等に並んでの受賞であるから、品質の高い製品であったようだ。しかしながら、昭和9年に開催された全国清涼飲料品評会出品目録には、ミカドサイダーの名も日東鉱泉株式会社の名も無い。この間に廃業もしくは吸収合併され、ミカドサイダーは終売した可能性がある。 ミカドの名にふさわしく王冠がマークとして用いられているが、美しいデザインで見ていて楽しい。また、プリントの状態も良く薄造りな点が好ましい。
大正〜昭和初期 日本M.S
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ノベルティーコップ「恵比寿ビール・サッポロビール」
これも広義のコップに含まれると判断し、タイトルをノベルティーコップとしたが、これはいわゆる「可杯(べくはい)」と呼ぶものである。可杯とは、自立しない杯のことで酒を注がれれば飲み干すまで杯は置けない。 恵比寿ビールとサッポロビールのロゴマークの組み合わせから、明治34年に設立された大日本麦酒株式会社のものであろう。ガラス生地を見るに、大正から昭和初期にかけてのものと考えられる。 可杯という特殊な器形ゆえに、料亭や茶屋などの宴席で使われたのだろう。 これまで、同種のものは見たことが無く、記憶にある限り和ガラス関係の書籍にも掲載がない。 現状、私が所有する戦前のノベルティーコップの中で、一番の珍品である。 このように、自立しない不安定なコップが、これまで割れず残ってきたことに驚きを隠せない。
大正〜昭和初期 日本M.S
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ミニチュア型押し台付きリキュールグラス
以前紹介した、型押し台付きリキュールグラスと同種の作である。この手は明治期の作と古く、それなりに現存少ないものではあるが、特別レア品というわけでもない。しかしながら、この杯はその大きさから非常に珍しい部類であろう。 通常、この手の杯の多くが高さ8cm前後なのだが、この杯は高さ5.5cmで非常に小さい。また口径も2.8cmと、これまた小さく、容量はまことに少ない。一種の雛道具や玩具といったミニチュアであるか、実際に杯として使用したものであるかはわからないが、杯部に水垢らしき曇りがあることを考えると、後者であるかもしれない。
明治後期 日本M.S
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ノベルティーコップ「カスケードビール」
薄く黄味かかったガラス質のコップに白のエナメルでCascade BEERのロゴと企業マークがある。また、その対面には高級ビール カスケードの表記がされている。 カスケードビールは横浜の日英醸造株式会社が1920年(大正9)に発売したもので、ビールメーカーとしては後発であったが高級ビールと銘打って新たに参入したものである。 しかし、当時のカフェやバーの料金表を見るに、他銘柄と金額的な差はない。価格が高いということではなく、他と画する『高級』な素材・製法を用いて醸造したビールということなのだろう。 残念ながら大日本麦酒によるビールシェア独占状態の中にあって販路を切り開くことが出来ず、1927年寿屋(現サントリー)に買収された。 その後、『新カスケード』の名称で再版されたが、1931年(昭和6)当時の首相である田中義一のあだ名から『オラガビール』と改称した。 そのオラガビールも時代の波に飲まれ1948年(昭和23)に販売停止となった。 このコップは、寿屋買収前の日英醸造時代のもので、1920年(大正9)~1928年(昭和3)の約8年間とその製作年代を特定できる。
1920年(大正9)~1928年(昭和3) 日本M.S
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ノベルティーコップ「シトロン・アサヒビール」
柑橘類であるシトロンの果実にCitronの表記があるマークとその対面にアサヒビールのマークがある。 しっかりした造りで手取りが重い。 シトロンのマークは現在も販売されている『リボンシトロン』の発売当初(1909年/明治42)に使用されたマークで、1915年には公募で「リボンシトロン」に名称を変えている。リボンシトロンは柑橘系清涼飲料として、戦前に人気を博した。 このマークはリボンシトロンに名称変更後もノベルティーコップなどには引き続き使用された様であるが、比較的数は少ないように思える。 大日本麦酒株式会社は1906年、大阪麦酒(アサヒビール)・日本麦酒(恵比寿ビール)・札幌麦酒(サッポロビール)の三社が合併して誕生した企業であり、昭和8年以降には他のビールメーカーも取り込んで巨大企業となる。 大日本麦酒のノベルティーコップはバリエーションが豊富であるが、企業の成長に伴ってコップに表記された銘柄の数が増えていく傾向にあり(もちろん例外もある)、コップの時代判断に役立っている。 二種の銘柄のみを記載した点を考慮に入れて、大正期の物と考えるが、いかがだろうか。
大正〜昭和8 日本M.S
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丸に万(いちりき)とあるコップ
丸に万(まん・いちりき?)の屋号と登録商標とあるコップで、底や器壁は厚くずっしりとした手持ちのものである。残念ながら、口縁に欠けがみられる。 厚手に出来ている点や、屋号入りの点において、取引先や客に配られたノベルティーとするより、店舗で実際に使われたものと考えている。 この不思議な屋号、丸に万であるが、読み方はマルマンかイチリキではないだろうか。 丸の中の文字が『万』とすると二画目が三画目を突き抜けている点で相違があり、やはりイチリキと読むべきだろう。 一力といえば、京都祇園にある格式ある茶屋『一力亭』が有名である。 一力亭ではこのコップに見られる印を使用しているが、このコップがはたして一力亭のものであるかは確証がない。
大正〜昭和初期 日本M.S
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乳白ガラスの笄
両端に乳白に赤を混ぜたガラスをあしらった笄(こうがい)である。 笄は髪飾りの一種で、古くは髪をまとめるために使用されたが、時代が下ると簪と同様に髪を飾るものとして機能するようになった。 江戸時代にはガラスで作られた笄が登場しているが、当然高価であった。 明治大正頃にはガラスは一般に普及し、このような装身具にも多用されることとなる。 多くは水晶や瑪瑙といった宝玉類の代用としてガラスを用いている。 本品も瑪瑙を模したものと考えられる。 瑪瑙も美しいことに変わりはないが、時に青白く、時に赤橙色に透ける乳白ガラスは独特の魅力があり、美しい。
大正〜昭和初期 日本M.S
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コープランド カップ&ソーサ―
イギリス、コープランド社製のティーカップ&ソーサー。 カップのねじり模様や金彩、盛り上げ金、白とターコイズのジュール打ち、鮮やかなネイビーブルーと、いとも豪華で繊細なカップである。 口縁部の金彩が経年使用により剥げているが、その欠点を補って余りある美しいデザインである。 と、あまり褒めすぎると自画自賛で嫌気がさすので、ここで止めにしますが、私の宝物の一つです。 金のバンドからターコイズの連珠が下がる、いわゆる瓔珞(ようらく)文の意匠で、イスラム風を意識した作品の一つ。 19世紀後期から20世紀初頭にかけて、コープランド社ではこのようなイスラム意匠のカップを多く制作した。 余談であるが、このカップを入手してしばらくたったある日の事、ソーサーの模様が何となくターコイズの首飾りをした白熊に見えて以来、白熊の顔にしか見えなくなりました。
19世紀末~20世紀初頭 イギリスM.S
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計量コップ
九州には現在も酒屋の一角で飲酒ができる『角打ち』という酒類販売のスタイルが残っているが、古くは江戸時代から、酒屋の店頭で酒を提供していたようである。江戸の頃は、升をもって酒を計量し、そのまま提供したことから升酒や升飲みと呼ばれたようだ。時代が下って近代になるとコップで提供するようになり、名称もコップ酒、コップ飲みに変わった。 このコップは白のエナメルで三次小売酒販組合と書かれ、エッチングで100mlライン、すり切れ一杯で200mlを表す表記がなされている。底や器壁も厚く、ある程度乱雑に扱っても割れないような作りになっている。こうした特徴から、酒屋での立飲みや居酒屋などで使われた酒販業務用のコップと考えられる。 こういったコップはたまに見かけるが、ml標記のほかに合や勺といった尺貫法による標記のものも存在する。
大正〜昭和初期 日本M.S
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ノベルティーコップ「サクラビール」
帝国麦酒株式会社が醸造した『サクラビール』のノベルティーコップ。 正面に桜のマーク、その下に筆記体でSakura BEERの名称があり、その裏面にはサクラビールの文字を白のエナメル刷りで入れる。 サクラビールはアサヒ、サッポロ、恵比寿、カブトなどの他社主要銘柄と肩を並べる人気のビールであったようだ。 1912年(明治45)鈴木商店と地元資本により帝国麦酒株式会社が誕生し、大正2年7月にサクラビールの販売を開始した。大正13年、鈴木商店が破綻するも櫻麦酒株式会社として操業を続けたが、昭和18年に大日本麦酒株式会社と合併に至った。 サクラビールのノベルティーコップはバリエーションが多く、その中でもこのコップは代表的なものである。 2020年6月現在、北九州市門司の旧サッポロビール九州工場では、当時のレシピによるサクラビールの復刻醸造がなされ、さらにはサッポロビールより『サクラビール2020』と銘打って当時のレシピをもとに、現代のアレンジを加えた商品が限定醸造され販売されている。ビールファンにはうれしい限りである。
大正〜昭和初期 日本M.S
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ノベルティコップ「三ツ矢サイダー・ユニオンビール」
三ツ矢のマークを中央に、左上に丸で囲んだユニオンビールの商品名、右下に四角で囲んだサイダーの文字をエナメル刷りしている。 1921年、カブトビールを製造する加富登麦酒が、三ツ矢シャンペンサイダーの帝国鉱泉と日本製壜を併合し、社名を日本麦酒鉱泉に改めた。その後1925年には横浜の金線飲料を併合。ユニオンビールを主力にカブトビール、三ツ矢シャンペンサイダー、金線サイダーを製造販売し、巨大な飲料メーカーとなったが、1933年双璧でもある大日本麦酒株式会社に併合された。 コップに記されたのがユニオンビールと三ツ矢シャンペンサイダーの銘柄のみという点で、1921年から1925年に製造のものと考えたいが、少なくとも1933年の併合までの製品であろう。
1921年(大正10)~1933年(昭和8) 日本M.S
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型吹き霰コップ
型吹き技法で作られた霰(あられ)コップ。胴部に施された無数の霰文様は滑り止めという実用性があり、まさに用の美である。胴部は三ツ割の金型を用い、口縁部は木枠であったようでトロリとした質感が魅力となっている。高さ7センチ、口径5.5センチほどの小ぶりのものである。
明治後期 日本M.S
