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黒脚市松文なつめ型氷コップ
氷コップの世界では「黒脚」や「エナメル脚」と呼ばれる一群で、ステムからフットにかけて黒色(厳密には濃い紫)のガラスを用いた氷コップを指す。 黒脚の氷コップは多くが棗(なつめ)型か椀形である。明治創業の佐々木硝子が発行した昭和10年代の商品カタログには「新時代の流行品」とあり、昭和一桁のころ制作された、氷コップでは比較的新しいもののようである。 杯部にはあぶり出しで様々な文様が施され、黒脚との対比によって、モノクロのすっきりとした美しい氷コップとなっている。 黒脚の流通量は比較的多く、氷コップの中では求めやすいものであるが、あぶり出しの文様によって値段が変化する。 ここに紹介した、市松文や鱗文はポピュラーな品であり求めやすい。 近年、復刻品として類似する製品が市販されているが、オークションなどでは時代物として売られていることがあり注意を要する。 あぶり出しの文様、フットからステムにかけてのライン、フット裏のポンテ跡の処理痕などをみて判断してほしい。 和ガラス関連の書籍に掲載されている作品と比較するのもよいと思われる。
昭和元~10年代 日本M.S
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魚子に格子文コップ
鉄の二つ割り型を使用し型吹きしたもの。上部にはダイヤカットを模した帯状の魚子(ななこ)文、下部には菱形を連続させた縦縞を六条配している。また、底部にはやはり星型のカットを模した文様がある。 アールデコを意識した文様となっており、当時の流行が偲ばれる。ガラス質は気泡が少なく、透明度が高い。眺めて良し、使って良しのコップである。
大正〜昭和初期 日本M.S
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青色プレス剣先コップ(小)
高さ6.0㎝の小さなプレスの剣先コップである。小さなサイズと色ガラスである点が珍しい。鮮やかな青色のこのコップには同型で水色、茶色、若草色、透明などの種類があるようである。残念ながら他の色は持っていないが、入手できる機会があれば揃えてみたい。
明治末~大正 日本M.S
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青糸巻文ラッパ形氷コップ
乳白ガラスに青ガラスを巻き取った涼しげな氷コップである。脚部は黄緑色でウランガラスを用いている。 杯部がハの字形に広がる「ラッパ形」と呼ばれる形状で、脚は通常か少し細い。 「青」「白」「黄」の三色が使われているコップであるが、このような三色以上を使用した氷コップはその華やかさから人気が高い。 杯部は放射状に掻き上げられており、青色の糸巻部分が波のように見える。 海を連想させる氷コップである。
大正〜昭和初期 日本M.S
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青暈しコップ
空色と乳白ガラスを練り合わせ暈したコップ。ガラス質は気泡が多い。 コップの縁の処理は、火切りといって口縁を切り離したあと、切り口を釜の火に翳して溶かし、滑らかに処理したものが多い(火切りが不十分なものも多い)が、これは研磨による処理がなされている。口縁研磨処理のものは明治期のガラスに多い。
日本 明治後期M.S
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透きガラス椀形氷コップ(群青脚)
透きガラスを用いた杯部に群青色の脚部を持つ氷コップである。 杯部に暈しなどの加飾をせず、透きガラスと色ガラスを対比させた涼しげな作例。 群青色の脚部が美しい。 このような群青色の脚部を持つ氷コップは、黒脚(エナメル脚)と同様に昭和一桁頃の比較的新しいものと思われる。
昭和10年代 日本M.S
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透きガラス地乳白暈し渋紙手笠
渋紙手と呼ばれる意匠の電笠である。渋紙手とは染物の型紙を作る際に使用する渋紙の質感に似てヒビ割れた模様が表面に現れたものをいう。ガラス技法ではヒビ焼きとも呼ばれるが、これはガラスがまだ熱いうちに水につけ急冷し、ヒビを生じさせた後再度過熱して溶着させるとヒビ部分がメロンの皮のように皺となって現れる効果を利用したものである。 渋紙手の技法は、氷を連想させることからアイスペールに多用されるが、電笠に使用される例は案外少ない。 光を灯すと仄かな光でもクラック部分が乱反射して明るく感じるほか、襞も繊細で涼やかさがあり気に入っている。自室の照明として活躍中である。
高さ:11センチ 幅:19.5センチ 大正〜昭和初期 日本M.S
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軍事文様コップ
10面の切子を施した後、赤色塗料で野砲、青緑色の塗料で戦艦、山吹色の塗料で歩兵二人をプリントしている。 昭和初期に多く見られる切子コップと同様のカットがされている点、プリントされた戦艦の艦橋が大型化している点などから昭和10年前後の作品であろうか。 戦意高揚を目的とした絵柄だが、切子+三色刷りと手の込んだ製品で、当時それなりの値段がしたものだろう。日中戦争の戦況が激化すると共にガラス産業も軍需生産が中心となり、ガラス器の生産はごく限られたものとなった。このような製品は少なくとも日中戦争初期のころまでのごく限られた期間に製造されたものと考えられる。 このように軍事が描かれたコップは少なく珍品である。
昭和初期 日本M.S
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越中瀬戸焼 飴釉茶碗
施釉陶器としては北陸地方最古の歴史がある越中瀬戸焼は富山県立山町で焼かれた。16世紀に越中を治めた前田家は瀬戸から陶工を呼び寄せ、同地で茶陶を焼かせたのが始まりと伝わる。そして江戸期になると生活雑器の生産にシフトしていく。立山町瀬戸村の農民は農閑期には陶器を生産した。その遺作を見るに洗練とは程遠く、泥臭さや田臭を感じさせる実用本位の焼物である。しかし、言い換えれば飾らぬ農民たちの逞しさや鄙びた良さがある。 口径約8cm
江戸後期〜末期 越中国(富山県)M.S
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赤縁脚付鉢
口径10.5センチほどの小振りな平椀型の鉢である。口縁部に赤を被せ、縁を折ったもので、氷コップやコンポートなど、あらゆる当時のガラス製品にこの加工が見られる。また、赤のほかにも青や緑などの色ガラスで同様のものがある。 縁を折ることで、赤の色が帯状に強調されて見えるといった美観の向上効果や、口縁部が厚くなり割れや欠けに対して強度を上げることができるなど、用と美を兼ね備えた技法である。縁を折る加工は、日本のガラス産業がお手本とした英国のガラス製品にも見られ、18世紀のワイングラスのフットに同様の加工がみられる。 この作品はシンプルながら美しく、ことあるごとに手に取ってみたくなるような不思議な魅力がある。
大正〜昭和初期 日本M.S
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赤縁脚付アイスクリームコップ
ベル形の氷コップをそのまま小さくした形のアイスクリームコップ。 アイスクリームは明治時代に「アイスクリン」という名称で売り出されたが、牛乳・砂糖・卵など、当時高級であった材料をふんだんに使い、冷却保存も難しいことから、なかなか庶民の口に入るものではなかったようである。その後、大正から昭和初期にかけて冷蔵技術が発達したことや、砂糖の生産量も増えたことにより、大衆化した。大正頃には牛乳を使用した一杯10銭の高級アイスクリームと、一杯五厘で牛乳を使用しない廉価なアイスクリームがあったようである。 本品は、明治末~大正にかけて作られたアイスクリーム用のコップで、現代のティースプーン山盛り一掬いほどのアイスクリームしか盛ることのできないような、大変小さな器である。高さは約6.7㎝、口径約5.0㎝程度で、小さい上にかなり上げ底されている。前オーナーの話では大正から昭和初期にかけて氷水屋を営んでいた方から纏めて譲っていただいたものとのことで、ガラスの質に共通点が見られることから、同じ工房の作と思われる。 アイオスクリームコップは上げ底であるほど時代は古いとされており、確かにその傾向がある。しかしながら、ここにある数脚を見ても底の厚さは不均一であり、一脚だけを見て時代を判断することは難しいように思う。 アイスクリームコップは数が少なく、その上近年は復刻品や贋作もあり、入手が難しくなっている(氷コップも同様)。 アイスクリームコップにはここに紹介した、脚付のもののほかに、口が開いた筒形のもの、筒形に取っ手が付いたもの、平椀に取っ手が付いたもの等いくつかの種類があり、面白い。
明治末~大正 日本M.S
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赤縁暈し椀形氷コップ
赤と乳白を暈した椀形の杯に透明脚を持つ氷コップである。 数多く作られ、現存数も多く一般的な氷コップであるが、杯部の薄く丁寧な作りや赤から乳白へのグラデーション、脚部のフォルム、脚の取付位置に至るまで歪みが少なく非常に美しいプロポーションである。数ある氷コップの中でもここまで整ったものは数少ないだろう。 手吹きによる歪みも魅力であるが、やはりこのような美人を見つけると嬉しい。
大正〜昭和初期 日本M.S
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赤縁乳白ぼかし氷コップ(ベル型)
よくあるベル型の氷コップであるが、赤を被せた上にごく薄く乳白の暈しを加えており、光を透過させた時に深みのある美しい赤色が表れる。同種の氷コップは多々あるが、特に乳白の暈しが淡く、赤と交わりストロベリーをイメージさせる色合いに仕上がっている点が面白い。赤ガラスは表面に気泡の破れ等が見受けられる。また、フットの径が通常より大きくしっかりした造りとなっている点にも個性がある。
大正〜昭和初期 日本M.S
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赤暈しウランガラス花縁コンポート
全体を黄色のウランガラスで作り、口縁は赤で暈しを入れている。 非常に華やかなコンポートで、素地のウランガラスは窓際に置くと太陽光でも淡く発光する。 口縁部とフットに5ミリほどの欠けが見受けられ、完品であればと悔やまれる。 口縁部に見られる鮮やかなピンク色の暈しは金コロイドによる発色で『金赤(きんあか)』とされるが、その製法は難しいようだ。 同じピンクからオレンジがかった赤に発色するセレンを使用したガラスは生産性に優れ、安価であることを考えると、コンポートや氷コップ等の量産品にはセレン赤が一般的であり、特注の一点物に金赤が使われたと考える方が、自然のように思える。 これらの赤が金赤か、セレン赤かについては諸説あり断定が困難であるが、十中八九セレンではないかと考えている。【2020.6.23追記】
大正 日本M.S
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赤いリボンの少女のシャーレ、ガラス頭のまち針
絵具で赤いリボンの少女の絵を描いた、黄色味を帯びたガラス質のシャーレに、頭がガラスで出来たまち針が入っている。 こういったものは時代判別に困るが、絵の雰囲気から察するに大正から昭和初期にかけてのものだろう。 ガラス頭のまち針は、和ガラスコレクターで知られるアルフィー坂崎幸之助氏の著書「和ガラスに抱かれて」に同類品の掲載があるが、ここでも時代は不詳とされている。青、水色、橙、緑、紫の各一本、それぞれ意匠の違う花模様が型押しされており、いくつか数が集まると華やかで面白いものである。 また、ガラスの丸頭のまち針も、黄色、赤、緑が計4本ある。 少女の絵は明治期のガラス泥絵のようなものではなく、ペンキのような塗料で描かれており、経年による絵具の収縮によって亀裂、剥離が起こっており、取り扱いに注意を要するので、なるべく触らずガラスケースに並べて楽しんでいる。
大正〜昭和初期 日本M.S