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3式戦「飛燕」1型丁…244戦隊/戦隊長 小林少佐機(24号機)
このシリーズの完成第8号機。(作った順です) 昭和19年11月、24歳で244戦隊の戦隊長として着任した小林 照彦 少佐の乗機のうち「24号機」です。小林戦隊長の乗機はこの24号機を含め、295号機、62号機、この24号機と、機番不明の1機と、計4機あったと言われています。 このうち、この24号機(製造番号4424番)が、5か月間と最も長い期間に戦隊長が乗機として搭乗した機体で、この模型で再現しているカラーリング(迷彩に白帯)だけでなく、無塗装に赤帯、迷彩に赤帯(翼前端が赤色の識別帯・この時期以降は垂直尾翼に「必勝」の文字入り)、迷彩に青帯など、時期によりその姿を4回も変えています。(※最後の青帯の姿で、昭和20年6月、高島少尉が搭乗して沖縄方面へ特攻…。) 小林少佐率いる244戦隊は、対B29迎撃戦で戦果を挙げ、小林戦隊長も何度か撃墜されるもその都度生還し、体当たりでのB29撃墜を含め、生涯で12機の撃墜スコアを誇るエースの一人でした。 戦後は航空自衛隊のパイロットとしても活躍、残念ながら昭和32年6月に浜松基地で事故により墜落、殉職されました。最終階級、2等空佐、享年36歳。 模型はハセガワ製1/72の丁型キットです。古いキットですが、ロングノーズの丁型のシルエットがよく表現されており、シンプルで作りやすいキットです。 【模型製作メモ】 機体: 下地=Mr.サーフェイサー(グレイ)、タミヤAS-12シルバーメタル(缶スプレー)、パネルの一部をタミヤTS-83メタルシルバーと、TS-17アルミシルバー(いずれも缶スプレー)でコントラストを付けています。 機体の迷彩:ファインモールドの迷彩デカール切り貼り フラップ:タミヤエナメル明灰白色(筆塗) 尾翼:タミヤエナメル 光沢レッド(筆塗) 機首上面:タミヤ半艶ブラック(スプレー) キャノピー:タミヤエナメル シルバー(筆塗) 機内:タミヤアクリル カーキ(筆塗) プロペラ:タミヤエナメル フラットブラウン(筆塗) タイヤ:タミヤエナメル タイヤブラック(筆塗) 迷彩デカール後にいったんつや消しスプレーを、その他デカールを貼付け後、つや消しスプレーコーティング
ハセガワT. S
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3式戦「飛燕」1型丁…244戦隊/本部小隊 板倉少尉機(62号機)
このシリーズの完成4番目だけ、244戦隊ではない「2型改試作型」なので飛ばしまして、公開4番目は通算の完成5号機です。 飛行第244戦隊・本部小隊の板倉 雄二郎 少尉機(62号機)、機種は1型の最終型、ややロングノーズになった「1型丁」型です。 模型は往年の名作キット、ハセガワ社製1/72です。 この62号機は、機体製造番号5262号(下二桁を部隊の機番で表示することになっていました)、全身濃緑の塗装に、前から後ろまで一直線の白線が描かれています。(この白線は後に濃緑で塗りつぶされました。) 本部小隊のため、震天制空隊と同様に尾翼全体が赤くカラーリングされ、244戦隊の部隊マークが白で描かれています。 昭和20年3月以前の板倉少尉機を再現したもので、この機は、昭和20年4月以降は小林戦隊長が搭乗したと言われています。その際は細い白線が2本、前から後ろまで描かれました。 このモデルは、lifelike社のデカールを基に、白線部分などをちょっとアレンジして仕上げました。 【模型製作メモ】 機体: 下地=シルバーサーフェイサー(丸サフ)、タミヤAS-12アルミシルバー(缶スプレー)、タミヤAS-17濃緑色(日本陸軍)、全体をタミヤ墨入れ黒でウォッシング 尾翼:タミヤエナメル 光沢レッド(筆塗) 機首上面:タミヤ 半艶ブラック(スプレー) キャノピー:タミヤエナメル 濃緑色(日本陸軍)(筆塗) 機内:タミヤアクリル自作機内色(筆塗) プロペラ:タミヤエナメル フラットブラウン(筆塗) タイヤ:タミヤエナメル タイヤブラック(筆塗) デカール:キット付属+Lifelike デカール貼り後、つや消しクリアスプレー 増槽は、タミヤアクリルXF‐73「濃緑色(陸自)」をエアブラシにて
ハセガワT. S
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3式戦「飛燕」1型丁…244戦隊/震天制空隊 四宮中尉機(57号機)
こちらがこのシリーズの完成第1号機です。(これから、作った順に載せていこうと思います。) 飛行第244戦隊・震天制空隊の四宮 徹 中尉機(57号機)です。 往年の名キット「ハセガワ製1/72」で、今の目で見れば物足りないところも多いかと思いますが、私のような出戻りモデラーにはピッタリ、とてもシンプルで作りやすかったです。 (※製作当時、ある資料を基に1型丁で作ったのですが、後に読んだ別の資料では“1型丙”という説もあり、どうもいろいろ見ると“丙”型が正しいようです。ま、今更しかたない…と。。。) この“震天制空隊”とは、第244戦隊の戦闘機3個飛行隊に加えて編成された「体当たり攻撃」を専門に担当する飛行隊でした。(当初は「はがくれ隊」と命名、後に改名。) 10,000m以上の高空を飛行するB29を撃墜することは、高性能エンジン、ターボ過給機、与圧コックピット等の技術が遅れていた当時の日本の戦闘機には困難なことでした。そこで、機銃で攻撃することを諦め、体当たりでの一撃必殺の攻撃を狙って編成されたのが震天制空隊です。 震天制空隊では高空を飛行するB29に追いつけるよう、機銃を下ろし(無線機も下ろした機もあったらしい)武装なしの軽い機体にして高空性能を上げていたそうです。 ただし、いわゆる後の特攻と異なり、決死の体当たり攻撃とは言っても、機体をB29にぶつけてその翼等を破壊して飛行不能にした後、自らは体当たり機から落下傘で脱出することが前提でした。しかし、上空での航空機同士の衝突は激しいものであったため、脱出に失敗し戦死となるケースも数多くあったようです。 244戦隊では、震天制空隊の機体の垂直尾翼には244戦隊マークは描かれず、尾翼全体が真っ赤に塗装され、その垂直尾翼に搭乗者の名前の頭文字がカタカナで書きこまれています。 この機は四宮中尉なので「シ」です。 また、両主翼の翼端が赤く塗装されているのも、この四宮中尉機くらいだと思います。 無塗装のジュラルミンの機体には、四宮中尉の趣味なのか特に派手な赤い電光マークが機種から尾翼にかけて書き込まれており、敵機に稲妻のごとく突入する気概を表したのでしょうか。 実機の逸話ですが、昭和19年12月3日、東京・武蔵野市の中島飛行機発動機工場を狙って帝都上空に侵入したB29編隊に対し、震天制空隊の四宮中尉はこの57号機をもって突入、前方から目標のB29に突進し正面衝突寸前で左に自機をひねり込み、自機の左翼を敵機の右翼にぶつけて破壊し撃墜に至りますが、自らも左翼を先端から2mも失いほとんど片翼状態となり、なんとかその機をあやつり基地に生還するという離れ業を演じます。(その機体は銀座の松坂屋デパートに国民の戦意高揚のために展示されました) 奇跡の生還を果たした四宮中尉でしたが、昭和20年に入り…、不利に傾いた戦局のもと、陸軍はエース・四宮中尉に対しても非情な命令を下します。 彼も“特攻隊”行きを命じられたのです。 調布で親しんだ「飛燕」ではなく、旧式な1式戦「隼」を与えられた四宮中尉は、調布から関西を経て九州に前進、昭和20年4月29日、特攻隊「第19振武隊」の隊長として部下数機を率いて鹿児島・知覧基地を飛び立ち、沖縄方面の米機動部隊に突入、未帰還となったのでした。 【模型製作メモ】 機体: 下地=シルバーサーフェイサー(丸サフ)、タミヤAS-12アルミシルバー(缶スプレー) フラップ:タミヤエナメル明灰白色(筆塗) 尾翼:タミヤエナメル 光沢レッド(筆塗) 機首上面:ファレホ フラットブラック(筆塗) キャノピー:タミヤエナメル シルバー(筆塗) 機内:タミヤアクリル自作機内色(筆塗) プロペラ:タミヤエナメル フラットブラウン(筆塗) タイヤ:タミヤエナメル タイヤブラック(筆塗) デカール:キット付属+Lifelike デカール貼り後、半つやスプレー→つや消しスプレー
ハセガワT. S
