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西安で購入した拓本。楊貴妃を寵愛したことで有名な玄宗皇帝に信頼され腹心といわれた宦官、高力士の墓碑の原拓本です。書丹者は唐時代の重要な能書家である張少悌となっています。美しい行書気味の文字です。
nekomanma1317
楊津は北魏の孝文帝に使えた官僚・軍人。紀元531年に63歳で死去した。530年、楊津は侍中・司空のまま都督并肆燕恒雲朔顕汾蔚九州諸軍事・驃騎大将軍・兼尚書令・北道大行台・并州刺史となった。
竇師綸:とう しろん は唐の時代初期に活躍した錦糸の設計者らしい。墓誌には感了2年:671年没年と記されている。
この人物の名は 竇師綸 とうしろん と読むのだと思う。 一辺が1メートル以上ある大型の拓本で、蓋の拓本もある2枚組。 墓誌銘は縦44文字、横40文字。合計のマス目は1760文字分あり、ほぼぎっしりだから1700文字は彫られている。気が遠くなる作業だったろう。 上柱国という官職は唐では正二品に相当するそうだからかなりの貴族か官僚で、秦府諮議とか大府少卿とも三州刺史ともあるので大蔵官僚の様な事をしていたのかもしれない。この辺りわかる方教えて下さい。 多分この墓誌銘は最近の西安の開発で発掘されたもの。 西安の拓本店の親父は掛け値なしに1200元=約2万円!ぐらいのことを言っていたが正確な価格はわすれてしまった。 ようやくこの墓誌の人物について判明しつつある。墓誌などに書かれた古代の謎が解けてくる瞬間のワクワク感は唐の時代に旅している様で半端なく楽しい! 竇師綸 とうしろん 唐の太宗に仕えた画家かなんか、とも書かれている。高官は優れた芸術家でもある場合が多いのでそういう事もあるだろう。墓誌は高宗の時代に入っての咸亨年(673)の刻らしい。出土場所時期などは不明。
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