音樂之友 1948(昭和23)年 7月號 7月1日 發行 㐧6巻㐧7號
婦人公論等でご活躍された松田ふみ子さんによる、ある意味「突撃インタビュー」の模様が記されております。
そのシチュエーションは大変珍しいもので、当時の根自子さんの繁忙ぶりが偲ばれます。と、申しますかこれは貴重な演奏旅行の様子を捉え今に伝えるドキュメントと言ってもよいものと云えましょう。
場所は東京驛。
時間は午前7時前、
ぎりぎりで荷物を自ら抱えホームに上がってこられる・・・。
同行はお母様のみ。
なんとか汽車に滑り込むも2等客室は満席で座れないから、よっこいしょっとトランクのはしに腰かけられる。
5時に家を出るつもりが起床したのが5時(笑)^^ 曰く・・・
「私お寝坊でしょ、早起きが一番苦手だわ」
しかも新宿で千葉行きに乗ってしまって秋葉原まで連れてゆかれて大失敗!遅い上に遠廻り…と^^;
聲をたてて笑いあう
・・・
バイオリンケースが2つ・・・WHY?
面白いエピソード。
ゴリ押し売りに来た名古屋の70過ぎのおじいさんの"あの"お騒がせなバイオリン、二十萬圓!(新聞にガセで二百萬圓と掲載されてしまい泥棒に入られ一度盗まれるが戻る。)もうこりごりなので途中名古屋でお返しする…との顛末。
幼少期のこととか、諏訪家のルール、東宝との契約、実質的マネージャーたるお母様のことなどなど4㌻に渡って好意的に、根自子さんのご表情とともに綴られております。
・・・
松田さんの
「私共、根自子さんの藝術を愛するものは、東寶の資本力から彼女がはなれる日を待つている。このような満員電車に乗って立ちん坊で、方々へ演奏旅行に連れ出して、徒に彼女をして疲れさせることを惜しむからである」
という締めの言葉が印象的。
…確かに、新幹線もない時代。会社のマネージャー/付き人さんもなく2等列車で・・・はかくも過酷な、しかも無防備にもあのバイオリンを素で自ら携えて…とは?でありますよね^^;
(因みに最後の一枚は、前々年(昭和21年)の同じく大阪へと向かわれる移動時を捉えた1枚です)
取材は、東京〜大船間 列車内で執り行われた様です。
#諏訪根自子 #nejikosuwa #松田ふみ子
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/111
woodstein
2025/01/20 - 編集済み近衛秀麿、ビッグネームですね。昨年亡くなった父は近衛が指揮した演奏を聴いたことがあったそうなのですが、尋ねたときには、いつ、どこで、何を聴いたのかは忘れてしまっており、残念。オーケストラはたぶんN響だった、指揮する姿は、50歳代であったにもかかわらず、何か還暦過ぎの風情だったそうで、思い込みかもしれないが、それまでの数奇な人生体験のなせる技が伝わってくるような迫力が、そこはかとなく感じられた旨を語っていました。
4人がいいね!と言っています。
nine_o_nine
2025/01/21お父様のご体験逸話、いつも興味津々で拝読させて頂いております。
貴重なナマのご体験談・・・堪りません!ありがとうございます。
諏訪根自子さん視点から入った近衛秀麿氏、根自子さんの戦前録音の印税を還元しなかったり、欧州での大戦末期、大切な楽譜を取りに行ってライプツィヒで捕らえられボロボロのラクダのコートに髭ぼうぼう等々。。。
音楽的逸話は勿論、そう言ったご経験の数々をして醸された風情だったのでしょうね?そんな外貌とは裏腹の◯好きの飽くなき強者ぶりといい^^;
3人がいいね!と言っています。