1933
少女倶樂部 1933年2月号 より。 「諏訪根自子さんを知らない人は少ない…」正に時代の寵児。そして後年の欧州時代、戦後も共演する事となる原智恵子さん。この時は画家有島生馬50歳誕辰祝賀晩餐會(*前年1932年11月29日 丸の内 東京會舘にて)で共に演奏されている。因みに5年のフランス留学から10月に帰国されたばかりの原さんは、1928年渡仏時 有島氏随行であった。 リウマチ治療中の根自子さん。珍しいショットです・・・演奏家さんにとっては正に命たる腕。父、順次郎さんの言葉を借りれば「子供にとっては余程の過労になったもののようです。」リサイタルや都度都度の会へ向けた過酷な練習がその要因だと、またご本人にとってはきっと同時期に世間の好奇を掻き立てた騒動で心労なども相俟っての事だったのでしょう。ん?…しかし、症状は右腕ではあられなかったけか-_-?(若しくは写真が裏焼?) 『働きながら治せる綜合的原因療法』玉生辰雄さん 著 1933年 より これによりこの年の幾つかのイベントをキャンセルされました。 富士 1933(昭和8)年第六巻 第十二號(12月號)より 外國トーキーニュースに「13歳の天才提琴家が全日本の音樂ファンを恍惚とさせた」と紹介されています。 初のレコードがリリースされ、コロムビアの雑誌広告にも触れられていましたがこれはトーキーニュースだったのですね? 探索の結果、出自特定出来ました!しかし肝心の映像は'23/3/29現在未だ確認出来ておりません。引き続き追い掛けたいと思います。もし水兵(セーラー)服の動くお姿の映像ならば、こんな素晴らしい発見はありませんね? https://muuseo.com/nine_o_nine/items/5 1933(昭和8)年12月8日 日比谷公會堂 / 新交響樂團公演 告知 | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/nine_o_nine/items/5 nine_o_nine 12月8日 日比谷公會堂にての新響とのご共演。そのフライヤー⬆︎と同月の雑誌『月刊樂譜』掲載⬇︎