私の出身高校(戦後)の地元の国立大学合格者数
初版 2024/11/04 03:25
改訂 2024/11/04 06:46
私の出身高校はどちらかと言えば戦後派だ。戦前よりも、戦後に新制高校となってから更に勢いを増した感がある。そこで、地元の国立大学である熊本大学合格者数について調査してみた。熊本大学は九州内では九州大学に次ぐ大学である。公式な記録では、先ずは戦後の学制改革から6年後の昭和29年度の卒業生が60名、7年後の昭和30年度の卒業生が71名、熊本大学に合格している。次の昭和31年度が57名。その後は40名~50名代の間で推移していく。転機となったのは昭和48年度だ。この年度、熊本大学に78名が合格した。昭和50年度も67名が熊本大学に合格している。その後、69名、65名と入学し、昭和54年度に81名が合格し、母校の新記録となった。因みにこの年度は共通一次がスタートした年度だ。この記録を母校は4年で更新し、昭和58年度には82名が熊本大学に合格している。その後、60名代が数年続いて、また、昭和62年度に82名が熊本大学に合格している。その後、平成2年度80名、平成5年度74名などを記録したが母校の最高記録の82名という記録を更新するのは平成9年度まで待たなければいけなかった。平成9年度には83名が熊本大学に合格している。
ここで、九州内(県庁所在地以外)の有名校とその高校が所在する県の国立大学に入学した人数を比較し、資料が欠如していない限り、白黒を付けてみた。(但し、各国立大学によって合格人数も違うのであくまでも参考までにして欲しい。)
1955年~2008年
佐賀県
鹿島高校39勝
唐津東高校37勝1敗
武雄高校38勝
鳥栖高校34勝3敗1分
長崎県
諫早高校29勝16敗
大村高校46勝2敗
佐世保北高校43勝
大分県
中津南高校40勝
別府鶴見丘高校39勝2敗1分
宮崎県
延岡高校26勝
都城泉ヶ丘高校37勝1敗
こう見ると、母校のある市は県下で第4の市だ。それにしては、戦後の躍進は目覚ましい物があったと思う。母校の先生方に感謝したいと思う。