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マクラーレン メルセデス MP4/13 ミカ・ハッキネン
1998年、マクラーレンで6シーズン目となったミカ・ハッキネン選手のマシンのミニカーです。 最高位:8勝(年間総合1位) 前年の最終戦で悲願の初優勝を果たしたハッキネン選手。98年はどれだけ勝てるかと期待されましたが、開幕戦で他を圧倒する速さを見せつけ優勝し、そのまま一気にチャンピオン争いの主役となりました。足元を支えるブリヂストンの躍進もあり、スターダムのトップへと駆け上ったハッキネン選手。中盤からはシューマッハ選手が迫りましたが、最終戦の鈴鹿でハッキネン選手が優勝しチャンピオン獲得しました。 このミニカーはGRANDPRIX名古屋栄店(当時Racing Gear名古屋店)が企画したブリヂストンパッケージのミニカーで、発売当初には買えませんでしたが、数年前の鈴鹿F1で少しお手頃になっているところを購入しました。チャンピオン決定の時に、最終コーナースタンドでハッキネンファンのフィンランド人の方がスタンドでシャンパンファイトしていたのを今でも覚えてます(笑)
ミニカー ミニチャンプス 5000円位shogo
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アロウズ ヤマハ A18 デイモン・ヒル
1997年、チャンピオンをひっさげアロウズに移籍したデイモン・ヒル選手のマシンのミニカーです。 最高位:2位(ハンガリーGP) 前年チャンピオンを獲得したものの、ウイリアムズを追われたヒル選手。移籍先はまさかのアロウズでした。前年コンストラクターズ9位に沈んだ下位チームへの移籍とあり、開幕戦はまさかの予選20位。しかし、ブリヂストンタイヤの成長もあり、ハンガリーGPでは終盤までトップを走るパフォーマンスを見せ、チャンピオンここにありというレースを見せました。しかし、アロウズのポテンシャルに見切りをつけ、翌年はチームを移籍することになりました。 このミニカーは今のGRANDPRIX名古屋栄店(当時はRacing Gear名古屋店)が企画したブリヂストンパッケージの限定ミニカーです。大学生だった当時、名古屋まで整理券を求め行ったのを覚えてます。
ミニカー ミニチャンプス 8000円位shogo
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フェラーリ 412T2 ジャン・アレジ
1995年、フェラーリでの参戦5シーズン目を迎えたジャン・アレジ選手のマシンのミニカーです。 最高位:優勝(年間個人総合5位) フェラーリでの5年目を迎え、それまでにポールや2位は獲得してきており、あとは優勝だけと期待されてきたアレジ選手。しかし前年までなかなか優勝できずにファンもやきもきしていましたが、カナダGPで念願の初優勝を果たしました。しかも自身の誕生日で初優勝達成とメモリアルな優勝となりました。しかしこれが最後の優勝になってしまうなど、当時はファンも関係者も自身も予想していなかったでしょうね。 このミニカーは鈴鹿F1で販売されていたミニカーでアレジさん本人のサイン入りのものです。
ミニカー ルックスマート 18000円位shogo
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フットワーク アロウズ 無限ホンダ FA13 鈴木亜久里
1992年、日本人オーナーチームで日本のエンジン、日本人ドライバーという準日本チーム体制が整ったフットワークアロウズチームに移籍した鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:7位(スペインGP) 前年の資金難に苦しんだラルースチームから移籍し、無限ホンダパワーを得たフットワークアロウズから参戦した亜久里選手。開幕戦からニューマシンで走り、序盤はトップ10フィニッシュを重ねるものの、そこから成績は今一つ伸びずついにはシーズンノーポイントという結果に終わってしまいました。一説によるとマシンと亜久里選手の体格がイマイチ合わずそれが苦戦の元になっていたとか。それでも表彰台経験のある亜久里選手と元はホンダV10がベースになっている無限ホンダエンジンの組み合わせはやはりファンの期待を高める組み合わせとなっていました。 このマシンは雑誌レーシングオンの中とのコラボで始まった鈴木亜久里コレクションの第1弾のミニカーとなったものだったと記憶しています。90年代前半のF1マシンはなかなかミニカーになっていなかったので、販売がわかった時はなんかうれしかったですね。
ミニカー スパーク 9000円位shogo
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ザクスピード ヤマハ 891 鈴木亜久里
1989年、全日本F3000王者としてF1フル参戦を果たした鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:-(全戦予備予選落ち) 88年の日本GPでF1デビューを果たし、この年はヤマハエンジンと共にF1フル参戦を実現した亜久里選手。ところがザクスピードチームのマシンは戦闘力がなく、ヤマハエンジンも戦闘力がなく、チームメイトのシュナイダー選手共々毎戦予備予選落ちする事態に。日本GPは何としても亜久里選手の予備予選突破を実現するために、チームが日本(確かSUGO?)で事前テストを行うなど急ピッチで開発を進めるものの亜久里選手は日本GPでも、最終戦でも予備予選を突破できず、ついには全戦予備予選落ちという憂き目にあってしまうのでした。ちなみに日本GPではシュナイダー選手は予備予選を突破しているので、皮肉なことになってしまいました。 このミニカーは今は倒産してしまったRacingGearというF1グッズショップとスパークのコラボ商品でまさかまさかのザクスピードヤマハの商品化とあり、購入を即決しました。やはり日本人F1ドライバーのミニカーはすぐに買ってしまいますね(笑)
ミニカー スパーク 8000円位shogo
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エスポラルース ランボルギーニ ローラ LC90 鈴木亜久里
1990年、チームを移籍し心機一転活躍を期した鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(日本GP) 前年の全戦予備予選落ちという屈辱から、チームを移籍した亜久里選手。チームも中堅ラルースチームとあり、活躍が期待されていました。シーズン中盤のイギリスGPで初入賞、その後スペインGPでも6位入賞を果たし迎えた日本GP。9番手グリッドからスタートした亜久里選手は相次ぐ上位チームの脱落もあり、順位をどんどん上げ3位でチェッカー。セナ・プロ対決がスタート直後の1コーナーで終わり沈む空気のサーキットを再び熱狂させてくれました。これが日本人初の表彰台。そして次の表彰台獲得まで14年も待たなければなりませんでした。 このミニカーは鈴鹿レジェンドパッケージとしてミニチャンプスとコラボ。台紙にはもちろん、3位表彰台でほほ笑む亜久里選手の写真が使われています。まさに鈴鹿レジェンドと言える1台ですね。そして、2018年のF1日本GPで亜久里さんからサインをいただき、超お宝になりました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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BAR ホンダ 007 佐藤琢磨
2005年、前年の大活躍から更なる飛躍が期待された佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:8位(ハンガリーGP) 前年の活躍から一転、マシンの戦闘力不足に技術規定違反によるチームの出場停止など様々な不運に見舞われ大ブレーキとなってしまった琢磨選手。ポイント獲得ができない焦りからか、接触などが多くみられ獲得ポイントは僅か1pt。さらには、チームメイトの契約問題のゴタゴタの被害を被り、翌年ホンダフルワークスとなるはずだったこのチームから離れることとなってしまいました。2005年の日本GPは予選までは天候などを味方につけたものの、決勝はまたしてもスタート直後に他車との接触で順位を落とし、別の周でトヨタのトゥルーリ選手をリタイヤに追いやったとして失格となってしまいました。とにかく、すべてやることが悪い方向に行く苦しいシーズンとなってしまいました。 このミニカーは2005年の日本GPで発売された鈴鹿限定パッケージのミニカーです。当時は昨年型のマシンも同じパッケージで売られていて見分けがつきにくかった記憶があります。まあ、ちゃんと区別をつけて買えたので問題はないのですがね。
ミニカー ミニチャンプス 4410円shogo
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BAR ホンダ 006 佐藤琢磨
2004年、F1フル参戦カムバックを果たし飛躍を遂げた佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(アメリカGP) この年の佐藤琢磨選手の大活躍は、日本人ドライバーが初めて優勝に近づいたシーズンと言っても過言ではないかと思います。日本人初の公式セッショントップタイム、日本人初の予選トップ3獲得(スペインGP)、日本人初のフロントロー獲得(ヨーロッパGP)、そして日本人2人目の表彰台獲得(アメリカGP)。この年もミハエル・シューマッハ選手が早々に年間チャンピオンを決めるものの、日本人F1ファンにすると、琢磨選手の活躍に様々な期待が膨らんだシーズンだったかと思います。 私自身も正直、シーズンの流れより琢磨選手の活躍しか頭に入っていないシーズンですね(笑) この年の日本GPは台風直撃によりF1史上初1デー予選&決勝という異例の事態になりました。予選4位、決勝4位と良い成績だったにもかかわらず、ファンも琢磨選手自身も少しガッカリな日本GPだったと記憶してます。 このミニカーは鈴鹿サーキットとミニチャンプスがコラボして作った限定パッケージの商品で、ここから数年間はジャパンパワーと題してコラボミニカーが毎年出ていました。 私自身は夏に東京での車のイベントで先行予約をして、日本GP当日にバッチリ入手しました。 後にも先にも、別イベント会場で先行予約があった限定ミニカーはこの年のものしかなかったと記憶してます。
ミニカー ミニチャンプス 4410円shogo
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ジョーダン ホンダ EJ12 佐藤琢磨
2002年、前年のイギリスF3、マカオGPなどF3のタイトルを数多く取り、満を持してデビューした佐藤琢磨選手のマシンのミニカーです。 最高位:5位(日本GP) 当時F1ドライバーの登竜門的存在だったイギリスF3とマカオGPを日本人で初めて制した琢磨選手。その分F1デビューイヤーの活躍も期待されていましたが、マシンに苦しみ最終戦の前までまさかのノーポイント。しかし、日本GP直前のテストが功を奏し、予選7位、決勝5位の活躍でファンを大興奮させたのは立派な鈴鹿伝説の1つですね。当時中学1年生だった自分も、大興奮だったのを今でも鮮明に覚えてます。 このミニカーは2005年のファン感謝デーの限定商品として販売されていた商品。ファン待望の商品だったこともあり、土曜日の朝から長蛇の列でした。そして、事件が発生。待機列の前方に並んでいた人でさえ売り切れになってしまう謎の事態。当然ブーイングの嵐で、私も当時列に並んでいた張本人でした。 このパッケージのEJ12を手にすることができず諦めていましたが、数年前愛知県内のミニカー屋さんで偶然にも発見。しかも当時の定価で販売していたので即購入しました。 しかし、あの警察まで出動した事件。サーキットホテルの入り口は少し早くオープンすることからそこから入った人が買い占めたという噂も出ましたが、真相は何だったんでしょうね・・・。
ミニカー ミニチャンプス 4500円くらいshogo
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ウィリアムズ ホンダ FW11 中嶋悟
ホンダF1のエンジンテストを前年に引き続き担当していた中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 1986年も鈴鹿サーキットでホンダF1のエンジンテストを行ってきた中嶋悟選手。当時最強となっていたウィリアムズF1をドライブしてテストを行っていました。 このミニカーもFW09Bと同じくFORZAさんが企画し、金子カメラマンの写真が使われてます。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ウィリアムズ ホンダ FW09B 中嶋悟
中嶋悟選手が国内でホンダF1のエンジンテストをこなしていた時のマシンのミニカーです。 この頃はホンダF1のエンジンのテストが鈴鹿サーキットで行われることがあり、中嶋悟選手がテストを担当していました。1985年のシーズンイン前のテストで走行を重ねていたマシンです。 このミニカーはFORZAさんが当時企画したミニカーで、F1をずっと写真に収め続けている金子カメラマンの写真が使われてます。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ロータス フォード 91 中嶋悟
中嶋悟選手が初めてF1マシンのテストをしたマシンのミニカーです。 当時ロータスチームのスポンサーだったJPSのトロフィーレースを制し、ロータスF1のテストが実現。初のテストが1982年ですが、その時はまだホンダはF1に復帰しておらず、デビューまで5年待つことになりました。 このミニカーは、大阪のミニカーショップ ロムさんが企画したミニカーです。デビュー前の中嶋悟選手のマシンとあって、購入しました。
ミニカー スパーク 10000円位shogo
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ロータス ジャッド 101 中嶋悟
1989年、3年目のF1シーズンをロータスチームで戦った中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(オーストラリアGP) 3年目のF1、ホンダエンジンを失ったロータスチームで奮闘した中嶋悟選手。マシンもチームも絶不調で奮わなかったまま、シーズン最終戦を迎えてしまいます。 しかし、この最終戦オーストラリアGP、大雨の中しぶとく生き残りファステストラップを記録。4位入賞を果たし、ここに雨の中嶋伝説が完成しました。 このミニカーはオークションで探しに探してようやく手に入れたミニカーです。中嶋悟選手のマシンをまた一つ揃えられた瞬間でした。ミニカー自体もオーストラリアGP仕様となってます。
ミニカー スパーク ?shogo
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ロータス ホンダ 100T 中嶋悟
1988年、F1 2年目を迎えた中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(ブラジルGP) デビューイヤーで最高位4位を獲得し、2シーズン目の活躍が期待された中嶋悟選手。しかし、マシンの出来が良くなく、ホンダパワーを持ってしても入賞わずか1回。中嶋選手が参戦した5年の中でも、結果的にこの年が1番獲得ポイントが少ないシーズンとなってしまいました。 それでも、この年の日本GPではスタートでストールするものの鬼気迫る走りで7位完走。ファンを魅せました。 このミニカーは2010年のF1で限定販売されたものだったと記憶してます。このミニカーも人気ですぐに完売だったと記憶してます。
ミニカー 京商 5500円位shogo
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ロータス ホンダ 99T 中嶋悟
1987年、F1デビューを果たした中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(イギリスGP) 87年、日本人初のフルタイムドライバーとしてF1を戦った中嶋選手。序盤から上位完走、入賞を重ねるなどホンダパワーの後押しも受けてシーズン通じて活躍しました。そして、10年ぶりに復活したF1日本GPでは、凱旋レースを6位入場で飾りファンを感動させてくれました。 このミニカーは2009年の鈴鹿F1で鈴鹿レジェンドホンダコレクションとして発売されたミニカーで、中嶋悟さんのデビューマシンがミニカーになったので、1番人気であっという間に完売になったミニカーでした。
ミニカー ミニチャンプス 5500円位shogo
