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フェラーリ F187 ゲルハルト・ベルガー
1987年、フェラーリに移籍してシーズンを戦ったゲルハルト・ベルガー選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合5位) 前年にベネトンで初優勝を果たし、フェラーリに移籍したベルガー選手。序盤は4位入賞もあったりしたが、リタイヤも多く苦戦していました。ポルトガルGPでシーズン初表彰台を獲得し、マシンの戦闘力も上がった中で迎えた鈴鹿 日本GP。ホンダの凱旋レースという完全アウェーの中、ウイリアムズホンダの脱落(ほぼ自滅)で勝機が回ってきたベルガー選手。見事初代鈴鹿F1のウィナーとなり、フェラーリにも久しぶりの勝利をもたらしました。 このミニカーはルックスマートと鈴鹿のコラボ商品で鈴鹿レジェンドロゴが入っています。確か、発売当初は購入しなかったものの、あとからお手頃な時に勝ったような記憶があります。
ミニカー ルックスマート ?shogo
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ロータス 無限ホンダ 107C ペドロ・ラミー
1994年、無限ホンダエンジンを向け入れシーズンを戦ったロータスチームのペドロ・ラミー選手のマシンのミニカーです。 最高位:8位(パシフィックGP) 94年、無限ホンダエンジンを獲得したロータスチーム。だが、チームの運営状況は厳しくなる一方で、シーズン中もドライバー交代が目立つなど、持参金に頼らざるを得ない状況でした。ちーむとしても獲得ポイントは0で、結果ロータスチームはこの年が最後のF1参戦となりました。 ただ、ラミー選手ではないものの、イタリアGPでハーバート選手が予選4位になったのは最後の煌めきという感じだったのかもしれません。 このミニカーはオークションで入手したものでしたね。
ミニカー オニクス ?shogo
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ブリヂストン テストカー(リジェ無限JS41) デイモン・ヒル
1996年にF1参戦に向けてテストを行っていたブリヂストンのF1テストカーのミニカーです。 95年のリジェJS41を使ってテストを行っていたブリヂストン。ドライバーは96年のチャンピオンのヒル選手。マシンはそこそこではありましたが、ドライバーはチャンピオンということもあり、体制としては十分な中でテストを行ってきました。 リジェチーム(プロストグランプリ)、ヒル選手とも97年にはブリヂストンユーザーとなったため、翌年の活躍につながっていきました。 このミニカーはオニクスだけが作っていたので、オークションで見かけたときに購入をしましたね。このミニカーもなかなか見つけられなかった記憶があります。
ミニカー オニクス ?shogo
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ジョーダン 無限ホンダ 198 デイモン・ヒル
1998年、中堅チームのジョーダンチームに移籍したデイモン・ヒル選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(年間総合6位) 前年のアロウズで苦戦を強いられたヒル選手は98年にジョーダン無限に移籍。チームは前年から上位を争う力を見せ、さらに無限ホンダエンジンを獲得し、さらにパワーアップが期待されていました。前半戦はトラブルなどでリタイヤが多かったが、後半戦から一気にリザルトが上位で安定。そして大雨のベルギーGPで上位陣が脱落する大波乱のレースを制し、復活の優勝!チームにも初優勝をもたらすなど、ワールドチャンピオンここにありと見せつけられました。 このミニカーも鈴鹿F1の時にグッズショップで購入したものですが、無限ホンダでヒル選手ということもあり、購入したミニカーですね。96年に勝った(チャンピオンにもなった)選手だったので、引退するまでヒル選手を応援していたというのもあり購入しました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ホンダ RA099 ヨス・フェルスタッペン
1999年、F1復帰に向けてテストを重ねていたホンダのF1マシンのミニカーです。 オールホンダでの復帰に向け、テストを重ねていたホンダ。フェルスタッペン選手を起用してテストを行っていました。当初は無限ホンダエンジンを搭載しているとか、ダラーラとの共作マシンのため"ホンダラーラ"など呼ばれていましたが、トップタイムを記録するなど、これは本気だと回りが警戒していましたね。 ただ結局はBARへのエンジン供給で復帰となり、まさに幻のマシンとなってしまいました。 このミニカーはギフトボックス仕様になっているため、ちょっと他よりも高かったような記憶があります。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ジョーダン 無限ホンダ 199 ハインツ・ハラルド・フレンツェン
1999年、ジョーダンチーム大躍進の主役となったフレンツェン選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合3位) 99年、ウィリアムズチームから移籍してきたフレンツェン選手。前年に初優勝をしたジョーダンチームで再起を図るシーズンとなりました。この年は開幕から波乱のレースが続き、大荒れのシーズンに。フレンツェン選手は開幕戦2位で幸先の良いスタートを切ると、フランスGPでついに優勝。その後もイタリアGPで2勝目を飾るなど、年間6回の表彰台を獲得。ギリギリまでチャンピオン争いを繰り広げ、キャリアハイのシーズンを送りました。それだけにヨーロッパGPのリタイヤが悔やまれるシーズンでした。 このミニカーはミニチャンプスでもなく、ホットホイールから販売されてました。確かこの頃からミニチャンプス独占からマテル社も販売権を獲得してましたね。 このミニカーもオークションで見つからず入手に苦労しました。
ミニカー マテル ?shogo
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プロスト 無限ホンダ JS45 中野信治
1997年、F1フル参戦デビューを果たした中野信治選手のマシンのミニカーです。 最高位:6位(カナダGP,ハンガリーGP) 97年に無限ホンダ、ブリヂストンタイヤとバックに日本のメーカーがそろった体制でF1デビューを果たした中野選手。マシンのポテンシャルは高いものの、チームとしてはパニス選手を優先してテストなどをしていたため、なかなか力を出し切れないシーズンを送っていました。それでも、94年の片山選手以来の入賞を記録するなど、成績も残したシーズンとなりました。マシン自体はチームメイトのパニス選手のシーズン前半の活躍が目立ったマシンですね。 このミニカーはオークションで見つけたミニカーです。そもそも流通数が少ないのか、オークションでもなかなか出回らないので、入手までには一苦労しました。 名前のところが黒塗りになっているのは、ヘルメットが中野選手のものではないから、急遽塗りつぶされたとかそんな噂がありますね。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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リジェ 無限ホンダ JS43 オリビエ・パニス
1996年、無限ホンダとのタッグ2年目を迎えたリジェチームで戦ったパニス選手のマシンのミニカーです。 最高位:1勝(年間総合9位) 前年のJS41の発展型マシンとして96年のレギュレーションに合わせられたこのマシン。ハイライトと言えば、この年のモナコGPでしょう。雨で大荒れとなったモナコGPをサバイブし、見事パニス選手自身,無限ホンダに初優勝をもたらし、リジェチームとしても1981年以来の優勝獲得になりました。 ただ、それ以外は入賞2回とやや苦戦した感じもありましたが、やはりモナコGPの優勝の印象が強すぎでしたね。翌年以降はプロストGPと名前が変わるので、チームとしてもこれが最後の優勝マシンとなりました。 このミニカーはオークションで落札したものです。このマシンはちょうど僕がF1を現地観戦し始めたときのマシンなので、ちょっとほしいなと考えていたものですで、数年前にコレクションに追加されました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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エスポラルース ランボルギーニ ローラ LC90 鈴木亜久里
1990年、チームを移籍し心機一転活躍を期した鈴木亜久里選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(日本GP) 前年の全戦予備予選落ちという屈辱から、チームを移籍した亜久里選手。チームも中堅ラルースチームとあり、活躍が期待されていました。シーズン中盤のイギリスGPで初入賞、その後スペインGPでも6位入賞を果たし迎えた日本GP。9番手グリッドからスタートした亜久里選手は相次ぐ上位チームの脱落もあり、順位をどんどん上げ3位でチェッカー。セナ・プロ対決がスタート直後の1コーナーで終わり沈む空気のサーキットを再び熱狂させてくれました。これが日本人初の表彰台。そして次の表彰台獲得まで14年も待たなければなりませんでした。 このミニカーは鈴鹿レジェンドパッケージとしてミニチャンプスとコラボ。台紙にはもちろん、3位表彰台でほほ笑む亜久里選手の写真が使われています。まさに鈴鹿レジェンドと言える1台ですね。そして、2018年のF1日本GPで亜久里さんからサインをいただき、超お宝になりました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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ロータス ジャッド 101 中嶋悟
1989年、3年目のF1シーズンをロータスチームで戦った中嶋悟選手のマシンのミニカーです。 最高位:4位(オーストラリアGP) 3年目のF1、ホンダエンジンを失ったロータスチームで奮闘した中嶋悟選手。マシンもチームも絶不調で奮わなかったまま、シーズン最終戦を迎えてしまいます。 しかし、この最終戦オーストラリアGP、大雨の中しぶとく生き残りファステストラップを記録。4位入賞を果たし、ここに雨の中嶋伝説が完成しました。 このミニカーはオークションで探しに探してようやく手に入れたミニカーです。中嶋悟選手のマシンをまた一つ揃えられた瞬間でした。ミニカー自体もオーストラリアGP仕様となってます。
ミニカー スパーク ?shogo
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ロータス ホンダ 100T ネルソン•ピケ
1988年、ロータスチームに移籍したネルソン•ピケ選手のマシンのミニカーです。 最高位:3位(ブラジルGP,サンマリノGP,オーストラリアGP) 前年3度目のチャンピオンを獲得し、ホンダエンジンを求めロータスに移籍したピケ選手。しかし、ロータスのマシンの戦闘力は低く、最高位が3位と不振に陥ってしまいました。かろうじて年間総合6位となったものの苦戦を象徴する結果でした。 このミニカーも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売され、なかなか埋まらなかった88年のロータスがようやく埋まった形になりました。
ミニカー 京商 ?shogo
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ロータス ホンダ 100T 佐藤琢磨(鈴鹿デモラン仕様)
2010年の鈴鹿F1でデモランをした佐藤琢磨選手がドライブしたロータス100Tのマシンのミニカーです。 こちらも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売されたミニカーで、佐藤琢磨選手のミニカーということもあり購入しました。 鈴鹿サーキット50周年のシールもあるので、あえて包装は剥がさずに保管してあります。そのため見えにくくなってます。
ミニカー 京商 ?shogo
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ウィリアムズ ホンダ FW11 ナイジェル•マンセル(オーストラリアGP仕様)
1986年のオーストラリアGPを戦ったナイジェル•マンセル選手のマシンのミニカーです。 オーストラリアGP成績:リタイヤ 悲願の初チャンピオンに向け、ランキングトップで迎えたオーストラリアGP。有利な状況でレースに挑んだが、レース途中タイヤバーストによりまさかのリタイヤ。そして、チャンピオンもプロスト選手に取られるなど、悲劇のオーストラリアGPとなってしまいました。 このミニカーはRacing onの30周年記念として販売されたミニカーでした。
ミニカー スパーク ?shogo
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マクラーレン ホンダ MP4/5 アラン•プロスト
1989年、ワールドチャンピオン奪還を目指して戦った、アラン•プロスト選手のマシンのミニカーです。 最高位:4勝(年間総合1位) 前年、チームメイトのセナ選手にワールドチャンピオンを取られたプロスト選手。89年は本格的なセナプロ対決が始まり、あの鈴鹿のシケインでの接触でチャンピオンが決まったという劇的な幕切れとなりました。そして、90年はフェラーリに移籍することが決まっており、マクラーレンラストイヤーをチャンピオンで飾りました。 このミニカーも鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして2009年の日本GPで購入したミニカーです。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
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マクラーレン ホンダ MP4/7 ゲルハルト•ベルガー
1992年、マクラーレン3シーズン目を戦ったゲルハルト•ベルガー選手のマシンのミニカーです。 最高位:2勝(年間総合5位) 92年、マクラーレンホンダは苦戦を強いられ、ベルガー選手もなかなか好成績を出せないまま過ごすが、ホンダ第2期ラストシーズンで最後のオーストラリアGPで優勝し、ホンダとしては勝ってF1から一旦離れる形をもたらしました。ベルガー選手自身も93年はフェラーリに移籍するので、マクラーレン最後のレースで優勝を飾りました。 このミニカーは2009年の鈴鹿レジェンド ホンダコレクションとして販売されたミニカーの1台です。このシリーズの販売で第2期ホンダのマシンがかなり揃うことになりました。
ミニカー ミニチャンプス ?shogo
