- sarura_L.E.D. Museum
- 17F 宝物の部屋
- 【ヴィルヘルム・シュタイニッツ(1866~1886)(1886~1894)】 fanta館長さまからのチェス切手
【ヴィルヘルム・シュタイニッツ(1866~1886)(1886~1894)】 fanta館長さまからのチェス切手
1836年プラハに生まれ、10歳の時にチェスを始めました。
フランス第一の名門校工業術大学を中退しチェスに全てを投入する生活に入りました。1862~1864年、世界の強豪とのマッチに次々と勝ち、残りはアンデルセン唯一人です。
1866年ついにアンデルセンとのマッチが実現し8対6の激闘を演じ勝利をものにしました。
1866年ツケルトートとのマッチに10勝5敗5引き分けで勝ち、チャンピオンの地位を公式に確立しました。
1894年ラスカーに5勝10敗で敗れチャンピオンの座を失い、2年後のリターン・マッチも2勝10敗の完敗を喫しました。4年後の1900年ニューヨークでこの世を去りました。
現在のチェスの理論や布局定跡は、シュタイニッツの提起した仮説「均衡理論」を原点に展開、発達したものです。
(以上、『図解早わかりチェス』より)
* *
ヴィルヘルム・シュタイニッツ(1836~1900)は、非公式の世界チャンピオンだったアドルフ・アンデルセンに勝利してチャンピオンとなった後、1886年に開催された初の世界選手権戦でも勝利したことにより、公式の初代世界チャンピオンとなったオーストリア帝国プラハ出身(のちにアメリカの市民権を獲得)のチェス・プレイヤー。
チェスのオープニングの1つである『ルイ・ロペス』の変化の1つである『シュタイニッツ・ディフェンス』にその名を残しています。
写真2枚目がその基本形。
棋譜に表すと、
1.e4・e5(白ポーンe4、黒ポーンe5)
2.Nf3・Nc6(白ナイトf3、黒ナイトc6)
3.Bb5・d6(白ビショップb5、黒ポーンd6)
……となり、攻め手の『ルイ・ロペス』の展開(3.Bb5まで)に対して、ポーンを進める(d6)ことで中原に対してプレッシャーを掛けます。
1894年にはエマーヌエール・ラスカーに敗れ、世界チャンピオンから陥落。2年後のリターンマッチにも敗れ、チェスの第一線から退きました。その後、精神を患うようになりチャンピオン陥落から6年後の1900年にニューヨークで死去。
晩年までチェス・プレイヤーであったことに誇りを持ち、ある大会で優勝した際には「自分は老いぼれたライオンだが、口の中に指を入れられれば嚙み千切ってやる」との名台詞を残したといいます。
#チェス
#グランドマスター
#世界チャンピオン
#チェス切手
https://muuseo.com/sarura_004/items/1535
