【チェス その15:ミニチュア肖像彫刻 インド統治のチェス・セット(The Raj Chess Set)】
ディアゴスティーニやアシェットコレクションなどの先駆けともいえる、テーマ・コレクション通販の老舗、フランクリン・ミント社により1990年に限定販売された【インド統治のチェス・セット】です。
1857年に勃発した『インド大反乱(我々世代だと世界史で『セポイの反乱』で習ったでしょうか)』に材を取り、一連の争いに所縁のある実在の人物を模したピューター製のチェス駒が特徴です。
「ミニチュア肖像彫刻」と名を打つ精細なコマは、ひとつひとつがすべて手作り・手彩色で作られた芸術的なものとなっています。
当然、値段もBIGです😅
注文者には、この手作りコマが1個ずつ定期的に届き、その値段はなんと1個6,800円!😱
チェス駒は全部で32個なので、それだけで217,600円ナリ……😱😱
定期購入で32個をすべてそろえた場合は、重厚な一本脚テーブル状のチェスボードがオマケでもらえたという……😱😱😱
館主が入手できた本アイテムは、コマもチェス・テーブルもそろった美品ですが、唯一、チェス・テーブルの一本脚が破損しており、自立しない……ということで、まあ比較的安価に落札できたものになります😊
コマもチェスボードもほぼ完品でしたし、脚なんか直せばそれまでだし……とはいえ、当館のアイテムの中では最高額の部類に入るでしょうか。
せっかくなので、これらのチェス駒は個別に展示・紹介していきたいと思います。
そのモチーフとなった人物についての概略がブックレットで解説されているし。
以下は、背景となっている『インド大反乱』の勃発から終焉までの概説です。
ブックレットからの引用ですが、長いので読まなくてもOK😅
うまく要約されているので、興味のある方は一読くださいませ。
* *
1857年のインド大反乱は、2世紀に及ぶイギリスのインド支配を揺るがした忘れがたい歴史のひとこまです。両軍の残虐極まりない行為が汚点となって残る苛烈な戦いでしたが、反面、叙事詩にうたわれたような勇気、自己犠牲、献身を示すさまざまなドラマを生む舞台にもなりました。現代人の目には奇異に映るかもしれませんが、巨大で豊かな国インドは、ある商業的な組織に長いこと支配されていたのです。しかし、この反乱の鎮圧をきっかけに、この支配に終止符が打たれ、インドは大英帝国の一部となり、イギリス国王の支配下におかれることになりました。
栄光の東インド会社は、17世紀、インド沿岸部にあった小さなイギリスの貿易租借地で生まれました。当初は純粋な貿易会社としてスタートしましたが、長いこと土着の政治勢力と絡み合い、拮抗するフランスとの植民地争いに明け暮れるうちに、徐々に権力と影響力を拡大し、ついにはインド亜大陸の大部分を治める正式な行政機関に発展しました。残存していた旧来の諸王国や、バンジャブ、ネパールのような境界州は粉砕されたり、従属国や同盟国となって細々と命脈を保ちました。インドの大部分において、税金を徴収し、法を執行し、さらにインドで採用した傭兵からなる大英帝国指揮下の連隊である大軍隊をあやつっていたのは、他ならぬ東インド会社の役人たちだったのです。深刻な国境紛争の期間を除くと、インドには正規のイギリス軍連隊はほとんど駐屯しておらず、わずかなその軍勢も広範囲に分散していました。
インド北部および中央部、特に当時東インド会社のベンガル地区として統治されていた地方では、多くの不平不満が渦巻き、複雑に絡み合っていました。端的に言えば、1850年代には、諸侯や地主、農民、聖職者などインドのすべての階層の人々が、伝統的な文化や特権、宗教の信仰などに対してイギリスの脅威を感じ、徐々に憤りをつのらせていたのです。イギリス人の側からすれば、利益をもたらすことが自明の社会的な諸改革も、保守的なインド社会にとっては反感の種であり、実際、インドの伝統的社会をなんとか理解しようと努めたイギリス人はほとんどいませんでした。一触即発の危険を孕んでいる宗教的な問題にも、きわめて無神経な対応をしたため、イスラム教徒、ヒンズー教徒双方に、彼らの宗教生活に強大なキリスト教勢力が襲い掛かろうとしているという誤った、しかしやむをえない疑いを抱かせることになりました。あからさまな拡張主義の時期に、東インド会社は、見え透いた口実を弄して土着の諸侯たちの領地を次々に併合していきました。そして1857年春、統率のとれていなかった東インド会社ベンガル軍のインド人連隊の士気の低下は、不穏な空気を生む温床となり、上巻による不当な扱いから生じた種々雑多な不満がそれに拍車かけました。決定的なものが何だったのか定かではありませんが、新しく支給される薬包に牛や豚の脂が塗ってあるという噂が広く流布していたことは確かです。当時、薬包は兵士が歯でかみ切らなければならず、牛や豚の脂の塗ってある薬包を口の中に入れるということは、ヒンズー教徒、イスラム教徒にとってのっぴきならない宗教的な穢れを意味したのです。薬包の使用を拒絶したセポイ(インド人傭兵)を厳罰に処したことが、反乱に火をつける結果となりました。
1857年5月10日、デリーの近くのメーラトで、3連隊が怒りにかられ上官の将校たちを殺害、非常な残酷さでイギリス人家族を皆殺しにし、反乱を広めるため各地に分散していきました。イギリス軍の守備隊がいなかったデリーは翌日陥落しました。そして、ボンベイ、フェロゼブル、バレイリーをはじめ多くの駐屯地で次々に反乱の火の手があがったのです。イギリス上層部の対応は迅速さを欠き混乱をきわめたうえ、信頼のおける舞台はほとんど皆無でした。6月には、反徒たちは旧支配者の大物、ナーナー・サーヒブと連合し、凄惨な攻城戦の末に少数のイギリス部隊を降伏させ、カーンプルを開城させました。そのイギリス部隊の兵士たちは、身の安全を保障されて出てきたところを殺され、女や子供たちも2週間の虜囚生活の後、夫や父と同じ運命を辿ることになったのでした。カーンプルでの残虐非道な行為がイギリスの世論を大いに煽り立てたため、その後の戦闘では、イギリス軍は敵を捕虜として捕えることを不満とし、うわべだけの尋問をしたうえで捉えた反徒たちを即刻縛り首にするか、機関砲で吹き飛ばしてしまいます。
1857年6月は、ビクトリア朝時代に叙事詩として民衆にあまねく知れ渡ったもうひとつの籠城戦が幕開けした時でもありました。その頃、ラクナウでは多くの守備隊とその家族たちが、先見の明のある司令官に率いられて5か月後に幕を閉じることになった血なまぐさい試練に突入していたのです。一方、ようやく到着したイギリス軍縦隊、すなわち王党の東インド会社と女王陛下の軍隊、そして常に忠実なるシク教徒とグルカ人の同盟軍からかき集めた軍勢は、デリー・リッジめざして進攻し、ついにデリーを反徒たちの手から奪還したのです。
7月から8月にかけて、果敢なハブロック将軍はラクナウを救援しようと努力しましたが、奮闘のかいなく失敗してしまいます。しかし、9月になると壊滅寸前のラクナウのために援軍がようやく来るようになり、有能なコリン・キャンベル卿が新任の総司令官として着任し、11月には、とうとうラクナウが解放されました。そして、12月には、カーンプルの近くで反乱軍の最も有能なリーダー、タートヤ・トーペーの軍を打ち破りました。
1858年の前半には、キャンベル卿は北部インドで次々と精力的な戦闘を展開してゆき、彼の有能な副官、ヒュー・ローズ卿が中部インドの各地でめざましい活躍をし、タートヤ・トーペーとジャーンシー王国の王妃に率いられた軍勢を潰滅しました。この頃には、イギリス軍は本国からの軍隊で増強されており、さらにシク教徒やグルカの同盟軍から派遣された兵士たちの測り知れない貢献があったにもかかわらず、イギリス軍は圧倒的に人数のうえで劣っていました。反徒たちと彼らの支援者たちは勇敢で戦術的に長けていましたが、実質的な統一に欠け、訓練を積んだ司令官もいませんでした。反乱軍は戦闘に次々に敗北していき、1858年後半にはすでに散り散りになったグループでゲリラ戦を行なうまでに弱小化していました。そして、1859年7月、ついに平和の再建が宣言されたのです。
制圧したインド人たちに対して断固たる制裁措置をとるべきだと息巻く主張は、ビクトリア女王の強力な後ろ盾を受けたキャニング総督の人道的で現実的な政策に抑えられました。インドはイギリス王冠のもとに統治されることになり、いつしか、大反乱の痛ましい傷跡も癒えていきました。
ともあれ、人間がとことん苦しむという多大な犠牲を払って、イギリス人もインド人も数々の教訓を得たのです。
(以上、ブックレットより)
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かわせみ
2022/5/24 - 編集済みこの上目遣い良いですね。
ほのぼのします。(*^^*)
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さるら。
2022/5/24ありがとうございます😊
この、のほほんとした感じ、イイですよねー。
修復の手を入れるべきか……悩みます🤔
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