【ホセ・ラウル・カパブランカ(1921~1927)】fanta館長さまからのチェス切手

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ホセ・ラウル・カパブランカ(1888~1942)はハバナ出身で、「チェス・マシーン」や「チェス・コンピュータ」と称されるほど、指し手にミスの少ないチェス・プレイヤーとして名を馳せました。
4歳の頃に、父親とその友人がチェスを指しているのを見ていてルールを覚え、その3日後には父親を破るほどに上達したといいます。
13歳でキューバ・チャンピオンとなり、1909年当時アメリカ最強と言われたグランドマスター、フランク・マーシャルに勝ち、一躍有名となりました。
1914年当時の世界チャンピオン、エマーヌエール・ラスカーに挑戦状を送りましたが、第一次世界大戦の勃発とラスカーが対戦拒否したために先送りされ、7年後の1921年に24番勝負として開催されました。
14局を闘ったところで0勝10分け4敗だったラスカーが中途放棄し、4勝10分け0敗でカパブランカが世界チャンピオンとなりました。
タイトルを失ったラスカーは、「チェスの強い人間はたくさん知っているが、チェスの天才は彼一人だけだ」と讃えています。

チャンピオンの座についてから6年後の1927年、挑戦者のアレクサンドル・アレヒンに敗れ、チャンピオンの座を失ったものの、その後も国際大会で活躍。
1942年にニューヨークで死去しますが、まだ53歳の若さでした。

カパブランカからタイトルを奪ったアレヒンは、カパブランカとは犬猿の仲で知られていましたが、彼の訃報を聞いて「二度と現れない偉大なプレイヤーを失った」と宿敵の死を嘆きました。

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https://muuseo.com/sarura_004/items/1550

【エマーヌエール・ラスカー(1894~1921)】fanta館長さまからのチェス切手
シュタイニッツと同じユダヤ人で、ドイツに生まれ10歳の時、兄からチェスを覚えました。 ベルリン大学数学部で勉強したラスカーは26歳の時、シュタイニッツを破り世界チャンピオンとなりました。 27年間も世界チャンピオンの座を守ったことは他の分野を通じて大記録です。 1921年、53歳のとき、カパブランカとのマッチでは4敗10引き分け(24番勝負)で王座を放棄し、若い挑戦者に席を譲りました。 後年のラスカーは競技会に積極的に参加し、素晴らしい成績を残しています。 第二次大戦中ヒトラーに追われ、1941年ニューヨークで還らぬ人になりました。 ラスカーは数学及び哲学博士としても大きな足跡を残しています。アインシュタインは自伝の中に「この並外れた人が科学だけに専念しなかったこと」を大いに口惜しがっている文章があります。 チェス執筆者として雑誌、書籍にたくさんのチェスの文章を残しています。 (以上、『図解早わかりチェス』より)    *     * エマーヌエール・ラスカー(1868~1941)は、ユダヤ系ドイツ人の数学者にしてチェスプレイヤー。1894年にシュタイニッツを破り世界チャンピオンの座を獲得、以後カパブランカに敗れる1921年まで27年間もチャンピオンに君臨しました。 ラスカーは、人間同士のチェスにおいては互いの心理状態を重要な要素のひとつと捉えていました。 オープニング(序盤戦)の準備には余り重きを置いていなかったようですが、一方では劣勢な展開で相手の裏をかく狙いがあったとも言われます。 チェスの他にも『囲碁』にも通じていて、そのゲーム的広がりに関して「チェスは地球上に限定されているが、囲碁はさらに宇宙的だ」という主旨のコメントを残しています。 #チェス #グランドマスター #世界チャンピオン #チェス切手 https://muuseo.com/sarura_004/items/1543
https://muuseo.com/sarura_004/items/1550

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    fanta

    2022/6/1 - 編集済み

    やはり本国のキューバから、
    けっこう出されてるんですね切手😁

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      さるら。

      2022/6/2

      ありがとうございます😊
      キューバにとっては英雄にも等しい人物のようですね。

      結構なものを頂きまして、ほんとありがとうございました😆

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