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TANAKA WORKS, COLT 1911A1 1941 COMMERCIAL / MILITARY
この特異な刻印のコルトM1911A1ガバメントモデルを扱うにあたり、実銃のエピソードも交えて少し触れていきたいと思う。 第二次世界大戦勃発時、米国政府とコルト社の間のCOLT M1911A1の納入契約において、新規製造分のみでは合衆国政府向けモデルの製造納入分が賄えないことが判明した。 そこで、コルト社は苦肉の策として、1930年代後期に民間向けモデルとして製造したM1911A1のファクトリー・ストックや、民間銃砲店などの流通在庫を回収し、軍用改修して納入する事となった…。 それらは1942年後半から1943年にかけて、米国政府指定の仕様に再仕上げされた。 民生品のM1911A1を軍用に変えるこのプロセスには、シュワルツ・セーフティーを削除し、民間向けの製造符号"Cシリアル"を削り取り、スライドとフレームに改めて軍用シリアルを刻印し、パーカー仕上げとした。 コルト社の記録によると、これらの民生用在庫に割り当てられた軍のシリアル番号は860000~866000の範囲で、C208033~C216266のシリアル番号の6,575挺のコマーシャルモデルが転用されたとある。 特筆すべき点は、その中には銘銃ナショナルマッチ・モデルも多数含まれていたそうであるが、コルト社やスプリングフィールド等の工廠で軍用標準のスライドやバレルへの組み換えも相当数行われたのだそうで、何とも勿体ない話である。 上記のような軍用改変の特徴を基準に、今までトイガンとしてモデルアップされたコマーシャル/ミリタリーモデルと謳われた製品を見てみると、ホビーフィックスやMULE、KSCなどの物は、きちんと軍用シリアルが打たれ、インスペクターマークのG.H.D刻印、軍用のP刻印等がある。 私はこのタナカ製ガバの展示に当たり、軽い気持ちで軍用ガバの刻印バリエーションだから、背景も何となくミリタリーぽさを出したらいいだろうと、安易な気分で画像を撮った。 しかし、よく考えたら…今回の展示品であるタナカのM1911A1に関しては民間のシリアルのままであり、米軍仕様改変の行われたシリアル範囲にも該当しないが、唯一、軍用かもしれない特徴と言えば、フレーム左面トリガーガード前方の逆三角で囲まれたコルト社純正改修の証である"VP"マーク刻印くらいか…。 ただのコマーシャルガバじゃん(笑) まあ、いっか。トイガンとしては軍用ガバの括りで派生したものだし、一説によると、設計者の六人部氏もこの刻印が好みだったので採用したらしく、タナカにとっての発売意図が軍用ガバだったことは明白である(と、言い訳してみる)。 このガスガンが発売されたのは、フレーム右面の刻印"C1989515"からもわかる通り、1989年の発売だ。 ちなみに、このシリアルナンバーは実銃のシリアルデータでも、全くの荒唐無稽な数字ではない。実際、"C1989515"シリアルのコマーシャルモデルは実銃でも存在する。 ま、偶然の一致だとは思うのだが…それは民間モデル仕様のままでアルゼンチン海軍に納入された500挺のうちの1挺である。 と、いう事はこのガスブロガバは、差し詰め…1941年頃のコマーシャル/ ミリタリーモデルと言えなくもない。アルゼンチン海軍ではあるが… 実際のシリアル該当の実銃はスライド上部エジェクションポート後方にアルゼンチンの国章が刻印され、さらにスライド右側のコルト刻印の後方には"REPUBLICA ARGENTINA/ARMADA NACIONAL-1941"と、後彫りの機械彫刻の刻印が2列に亘って施されている…。 ガスガン自体の話に戻るが、このガバ…なんか見慣れたガバの雰囲気と少し違う印象を受ける。 何が?と言われても言語化するのは難しいのだが…他社製トイガンのガバはMGCをはじめマルシン(スズキ)、CAW、MULE、KSC、HFなど数多存在するが、どれも一様に男性的で武骨なイメージなのだが、このモデルに関しては…妙に女性的で『直線のなかの曲線美』のような涼やかな可憐さを感じる。 マルシン(鈴木製作所)の物も確かムーさんの作だった気もするが、あまり同じ匂いを感じさせないのはメーカーの意向が強く反映されているためだろうか…。 ともかく、本作を世に送り出したタナカの社長は、『ムーさんの熱狂的信奉者の最長老』のようなヒトなので、『ムーさんに設計を発注するからには、ムーさんの持ち味が如何なく発揮されるよう、作りたいように作ってもらった』結果なのかもしれない。 もっといえば、六人部デザインの伝統なのか、Gun誌で見た六研の真鍮製ガバ全3期の物と通ずるものがあり、これも別の展示でも言及したムーさんのデッサン技法共通の独特の雰囲気だ。 このガスガンにおいて画期的だったことは、ガスタンクを独立した別体にしたことだろうか。当時のサバゲーブームのさなか、ガスタンクの冷えは致命的なパワーダウンを意味したが、手に握って持ち歩けるのは、ある種の解決策であり利点だったのかもしれない。 また、WAがマグナ・ブローバックシステムという金字塔を打ち立てる以前のこの時代で、ガスブローバックさせることは、当時の各メーカーの悲願であり開発に余念なく切磋琢磨していた。 この製品で面白いのは、BB弾の発射とスライドの後退を賄うガスの放出とを2ステップに分ける、いわゆる2ウェイ方式という独自のメカニズムを採用している点だ。 BB弾発射からスライド後退までの動作は、実際は2段階のガスルートの切り替えで行い、それは1ストロークのトリガーの引き絞りで行うため、軽めに引くとガスルートが切り替わらず、1段階目のガスルートのままでBB弾だけが発射され、スライドが後退しなかったりと、扱いには多少のコツが必要だった。 それも、フルストロークのスライドの後退量ではなかったし、毎度スライドが後退する度にエジェクションポートから内部のユニットが顔を出し、幻滅する部分ではあったが、当時としては、そういう物だと割り切って気にしなかったし、エアコキやフィックスド・スライドのことを思えば、画期的な機構だと思ったものだが…。 そういう意味では、同時期の同じムーさんの作で発売されたマルシンのカート排莢式のガスブロガバは、よりモデルガン的で理想に近かったと言える。 メッキ仕上げに関しては'80年代のモデルガン時代から踏襲されたトラディショナルなメタルフィニッシュだが、適度につやが抑えられている。 この製品の金型段階での平面磨きが素晴らしいためか、注型された製品もヒケが少なく、ホットスタンプで打たれたコルトレターの味わいある書体の刻印も相まって、硬質感のある金属メッキとマッチしている。 被写体として画像にして見ると、なおのこと実銃の透明感のあるコルトブルーのような冷ややかな美しさを感じることが出来る。 完全な想像の話になってしまうが、この頃の六人部氏はマルシンやタナカが発注して来る、こういったプラ弾の飛ぶ、子供じみたガスデッポウの設計を大いに楽しんでいたに違いない。戦前の本物の武器とは何か?知っている世代ならなおの事である。 私はどちらかというと、モデルガン支持の観賞派だが、本音を言えば、日本国の銃刀法という銃規制の抑圧ありきの世界に生きていたためで、国際的見地で見れば、拳銃型をしたモノは、『弾丸を発射するのが目的の道具』というのが共通認識である。 無論、モデルガンでは許されないが、エアガン・ガスガンでは銃身がしっかり抜けていて、例え非力なプラ製BB弾でも弾が飛ぶ…というのは自然なことで、プロダクトデザインの本懐であるように思う…。 話は変わるが、1990年代初頭、アメカジブームを背景にビンテージ・フライトジャケットの完全復刻品(私としては東洋エンターの方が再現度の実力は上だと思うが)が大当たりしたアパレルメーカー(今は無き)ザ・リアルマッコイズが、Begin編集部やら、福野礼一なんかが音頭を取ってモデルガン製造に乗り出した時期があった。 ロックライトと称する耐熱樹脂削り出しの実銃図面で作ったCOLT M1911モデルガンに六研という、伝説の老舗ブランドネームのお墨付きを欲しがった。 資金力やコネにものを言わせてそれは成し遂げられたのだが、その当時、あるミリタリーイベントでお会いしたムーさんこと六人部氏は、「とりあえず、カネになるから受けたけどねぇ…」と、昔気質な遊び好きの職人の狡猾さと、ちょっと冷めた感じで担ぎ出されたことを語っておられたのが印象的だった。 そりゃそうかもなぁ… 実際の開発にはほとんど関わらず、実銃の図面データからCNC切削するならムーさんの持ち味なんて入り込む余地がないものなぁ…。 今でも、フライトジャケットはFEW、モデルガン(ガバ専門)はエランが、相変わらずの高級品路線で引き継いでいるが、ご時世もあってか…あの頃の様な熱量は感じられない。
shinnosuke
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TANAKA WORKS, COLT DETECTIVE SPECIAL 3rd Issue
ディテクティヴという事は、探偵である。 日本で探偵というと、浮気調査や企業実態、特定人物の調査といった、さして人命の危険が生じる案件は考えにくいが、欧米の探偵は警察が関わるような犯罪性や事件性のある物も少なくないという。 ハードボイルドな自身の生存を賭ける場面に遭遇した際は、信頼のおける相棒のようなコンシールドキャリーの存在が重要となる…。 当時、コルト・ディテクティヴの対抗馬はM36チーフス・スペシャルだったというのが相場で、Gun誌などでも頻りに比較対象として来たのだが、ワタクシ的にはどうにも釈然としない…。 実銃目線で見れば、チーフスは装弾数が5発だし、華奢なJフレーム。体格からして比較にならない。装弾数やフレームの頑強さを考えると、どう考えても6ショットのM10の方が公平で妥当な比較対象であると思う。 セルフディフェンス用のコンシールドキャリーとして考えると、この一発の装弾数の違いが命運を分けるケースが少なからずあるように思う。 ということで、S&W M10を展示したなら、次にコルトのスナッブノーズとしては、こいつがお目見えするのが当然の布陣であろう。でも、何故かの3rd。まあ、ミリポリも後期型のM10-8だから、対抗馬も'70年代初期で…という実にフェアな展開だ(笑) しかし、タナカさんも良くぞ、"That is Colt Detective!"な2ndではなく、バレル下にエジェクターシュラウドが付いたヘビーバレルという、良い意味で斬新な3rdモデルのチョイスで勝負に出たものだ物だが、果たして購買意欲の促進に成功したか…については、賛否の分かれるところだ。 古き良き時代を背負いきれなくなった…あの、大義無き戦争の末路、ダメになってゆくコルト・デザイン、もっと言うならば…ダメになっていったアメリカを象徴するような、『ちょっと憂鬱』なデザインだ。 このガスガンが登場したのが1989年頃。当時のタナカお得意のライブカートリッジ式で、マルシンの物と共通のバレル前方に可動式フォーシングコーンのスプリングを止めるバレルワッシャーがあり、実銃のマズルがツルッとした曲面なだけに、ちょっと興ざめな部分だが、その頃のムーさんはこの方式が一番良いと考えたのだろう。 また、シリンダーは当時としては標準の貫通式ではあったが、テーパーの付いた可動式フォーシングコーンがシリンダーノッチの代役を果たせる様、シリンダー前方側は若干口径を狭めるテーパーの付いた段差のような物がある。 この頃は、ASGKの審査が厳しく、警察庁や通産省(現経産省)との銃玩具の規制関係が微妙な時期であったが、この時代のタナカのガスリボルバーには、.38Splの実弾ダミーカートが装填できる。 画像を撮り忘れたが…ガスの注入バルブは、例によってグリップ底面からである。試しに手持ちのボンベでチャージしてみたが、いまだパッキンが死んでいないらしく、カラ撃ちするたび小気味よい「ボシュッ!」という発射音が聞けるし、タンクのガス保持力もあるようだ。 さすが…六人部氏の設計だが、カートにBB弾は込めなかった。やらずとも結果は判ってるので…。 ここはひとつ、純粋にムーさんの生み出したコルト・ディテクティヴの造形をモデルガン的に楽しもうではないか。しかも、唯一無二の3rdモデルだ。 メッキの質はマルシン等とよく似た茶色みがかった当時としては標準のメタルフィニッシュだが、(実は同じものを3挺持っているが)メッキする製品としては造形が複雑だったらしく、モノによっては、所々メッキが上手く乗ってない箇所や、フロントサイトなど薄い部分は微妙に溶けて変形した個体がある。 そういった困難の跡を見るに、当時のメッキ工場の設備や技術的な理由で製品として出荷できるレベルで仕上がる歩留まりも悪かったのではないか…と想像できる。いまのタナカの複数のリアルメッキ仕上げのバリエーション展開の自在さを考えると隔世の感がある。 余談であるが、画像7のスピードローダー2種であるが、右はご存知、実銃用のHKSローダーで、実弾ダミカのフルメタルジャケットがセットされているのだが、シリンダーに差し込み、アルミ製の銀色のツマミを右に回すと弾が解放され装填される。 もう一方は、コクサイがM19などのモデルガン用にHKSローダーをイメージして製品化したアクセサリーだ。見た目は本家に似ているが、シリンダーへのローディング・アプローチのシステムは全く違う独自設計だ。 弾がセットされた前方にスプリング式のロックがあって、装填時シリンダーに強く押し込むと、ロックが解除されブレットが装填されるという凝った造り。 むかしコクサイ製モデルガンのサイドプレートに打たれていて大嫌いだった、"K"と"S"を重ねた花文字モノグラムも、スピードローダーに在るのを見ると、これはこれで良い雰囲気だなぁ…と思えるし、そこはかとない味わいを感じる。 話を戻すが、最近気付いたのだが…六人部さんの造形の魅力は、実銃そのものの寸分違わない完コピ模写ではなく、誤差の範囲でムーさんがカッコいいと思うラインを随所に織り交ぜているためか、実銃とは若干、趣が違うのだが、全体的に見ると、確実にモチーフの銃そのものになっているという、不思議さにあるように思うのだ。
shinnosuke
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2022 Dranker Metalique Style Paint
ご無沙汰を致しております。実に2か月ぶりの更新で、多少なりとも私の展示にご興味をお持ち頂いていたご貴兄がいらっしゃるとしたら、申し訳なく思う次第であります。 何分、公私ともに忙しく展示が疎かになっていたのでありますが、まだ多少のネタが無い訳ではないので、乞うご期待!と言いたい所ですが、何しろ、展示にこぎ着けるには時間と手間が割けないのが現状であります。 さて、今回はビンテージでも何でもない2022年製10月期製造の物で、展示に値するか否かは見る人によって賛否の分かれるところで…。 つい先日、小生50数回目の生誕の日を迎え、これを機に、前々から気になっていた新品のモデルガンを十数年ぶりに買おうと、カミさんを連れて御徒町に出向く事にしたのであります。以下、本文。 10年ぶりくらいの上野御徒町である。風景はあまり変わっていないが、海鮮系の食べ歩きの店が多く、常設の縁日のような雰囲気で、店の売り子はというと、ナニ人だかわからないが、東南アジア系が多く、夕暮れの雑多な街並みに海外勢が浸透している様が、一種、ブレードランナーチックである。 マルゴーを始め、たくさんあったモデルガンや軍装品を扱った老舗たちが姿を消す中、それでも中田商店などは変わらず元気に営業しているのが安心感というか、既視感を留めてくれて安堵を覚える。 モデルガンの方は、ネットで調べ、電話で予め取り置きしてもらっていたので難なく購入できたのであるが、その店も、いまでは数少ないガンホビー専門店で、"Take Five"という比較的日の浅い新店だ。 店主が元マルゴーの店員だった方の店で、かつてのマルゴーと同じ通り辻の場所で、『モデルガン発祥の聖地』としての当地の灯火を絶やさぬよう懸命に運営されているのが頼もしくもあり、有り難かった。 前置きが長すぎて申し訳ない…。 このジッポーもモデルガンと同じセンター通りで見つけた物なので、もう少しお付き合いを(笑) 用件も済んだし、この後は適当な店で晩飯でも…と考えていると、カミさんが、「せっかくだから、私も何か買ってあげるよ」という、感涙物のお言葉を頂いたので、ジッポーを所望した。 ショウウィンドウに並ぶジッポー達を眺め、ひと際目を引いたのが、この角形ドランカー復刻版である。 「はて、こんなのあったっけか?」でも、絵柄自体は割とオリジナルに忠実である。「じゃ、これがいい」と言って、ガラスケースから出してもらった。 こういう、現品を直接出して貰って買う様な、『昭和な買い物』は、久しくしていない。心躍る良い物だ。 もちろん、最後の画像にある箱は、現品の元箱ではない。店員のおばちゃんが店の裏に積んであった空箱を適当に掴んで持ってきた物だ。でも、それをとやかく言わないで黙って買うのが、御徒町流だ。 家に帰り着き、ジッポーを暫く眺めまわしてみると…「んがっ!」と、気付いた。 これ、メタリケじゃなく『塗り』だ。 ショウウィンドウ越しであったのと、老眼が進みだした昨今、現地では気付かなかったが…いわゆる、トリックアートじゃないが、全部ペイントの塗りで表現されていて、メタリケなどの貼り物、彫りは一切されていない物だった。 だから、光を当てると、オリジナルを基準に言えば凹凸が逆なのだ。 よくよく見ると…てっきり彫ってあると思い込んでいた、上下対角線にある、ダイアゴナルラインまでペイントで描いてあるのに気付いた時は、ひっくり返りそうになった。 せめて、これくらいは彫りでやってくれよ…とは思ったが、さすがメーカーだけあって、アーカイブに保管されているオリジナルの版から画像を取り込んだのであろうドランカー柄のシルエットは実に正確かつ忠実で、ワクが額縁調になっている以外、オリジナルや資料画像と見比べても殆ど変わらない。 90年前のデザインであるが、いま見ても傑作だなぁ…と、しみじみ思う。 縦横のワクの比率、図柄の構成、彩色の配分…どれをとっても過不足なく、見る者に安心感を与える構図である。 大切なオクサマからの頂き物。大事に保管して、『当コレクションの1つ』として、末長く君臨して頂くことにした。 20250402
shinnosuke
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MARUZEN Fixed Slide Gas Gun, Smith &Wesson Mod. 4506
マルゼンのS&W Mod.4506、固定スライドのガスガンである。発売されたのが1988年というから、かれこれ37年前の物なのだが、現在のモデルガン的見地で見ても、なかなかのルックスである。 実銃の世界では、サードジェネレーションと呼ばれるラインで、米軍の正式拳銃トライアルから脱落したM645の後継機種に位置するのだが、トリガーガードの形状変更やラップアラウンドの樹脂製ワンピースグリップに変更するなどの改良を施して発売し、2001年まで生産された。 このモデル以前のマルゼン製品の外観レベルは常に他社に出遅れており、商品開発にあたっては、どこかの既存のモデルガンを参考にしていたため、参考品が間違ったディテールがそのまま反映してたり、素材も安っぽく、全パーツが柔らかめの樹脂で出来ているため銃全体がヒケだらけで、強度不足もあって、買って幾らも経たないうちに破損故障が起きる…。 扱いとしては、他のモデルガンメーカーの繰り出す製品に比べクオリティの劣る、所詮…玩具メーカーの作る文字通り、トイガンだった。 だが、ある時を境に「ウチだって本当は良い物が作れない訳じゃない!その気になれば、(コストを掛けたクオリティ高い物を作る商品企画の決済を会社がくれれば)できない訳じゃない!本気の製品はこうだ‼」と、言わんばかりのマルゼン開発者の物凄い意気込みが伝わってくる。 今思えば、この目覚めこそが将来ワルサー社と提携し、実銃図面から起こした完全無比のWALTHER P.38ガスブローバックモデルへと繋がっていく第一歩のように思える。 時代はまだ、ガスブロが登場する少し前で、MGCやマルシン、コクサイ、WAなど…それからデジコンなんてのもあったな…も、固定スライドが当時のオート型ガスガンの主流だった。 本作の外観は当時にしてみれば、本職のモデルガンメーカーを軽く凌駕する出来栄えだった。 まず、スライドやフレームにヒケが無い。実銃をリサーチしたと思われる造形は、隅々までシャープでメリハリのあるラインで構成され、金型の質からして違うし、素材も標準的な硬質のABS樹脂製である。 同社の以前のメッキ物というと、ギラギラした青味のある安価な真空蒸着メッキだったのが、MGCの同時期の製品であるS&W M645と比べても全く遜色のない、ちゃんとしたステンレス調のメッキ。 スライドやフレームの刻印も、この頃からモデルガンメーカーで流行りだしたホットスタンプ刻印で、実銃刻印の文字フォントにまで気を配り、一部アレンジはあるものの非常に忠実で、ほぼリアル刻印という凝り様。シリアル刻印などは数字列の打刻ズレまで再現している(画像5)。 神は細部に宿る…とばかりに、セーフティーレバーのスライド側の溝には、機械加工の痕まで施されて、硬質な金属加工品らしい雰囲気を演出している。 ラップアラウンドのワンピースグリップにも、ちゃんとSmith & Wesson社のロゴ入りで実銃用と見紛うばかりだ。ただ…この頃までは本家の銃器メーカーの商標使用の許諾は受けていなかったと記憶している。今にして思うと、ビジネス・コンプライアンス的にも乱暴な時代だったことが偲ばれる。 それにしても、このガスガンは定価12,000円で採算が取れたのだろうかと思うほど、ステンレスやダイキャストの金属パーツがてんこ盛りに使用されている。 S&Wデザインの系譜、M439から脈々と受け継がれたリアサイトは解るが、フロントサイトも別体のダイカストパーツが奢られ、モデルガンメーカーだったら単なる一体成型のモールドで済ませる部分にまで…ややサービス過剰ではと思われるくらいだ。 ハンマー、トリガーも材質は不明だが、硬質な金属パーツのパーティングラインもすべて取り除かれ、エッジの立った丁寧な仕上げの上に品のある光沢のメッキが施され、実に美しい仕上がりだ。 また、エジェクションポートにも金属製の別体で、".45 AUTO"の刻印(画像4)があり、前方からちょっとだけ見えるアウターバレルにも、きちんとライフリングが再現されている。また、マガジンもMGCと同様、ステンレスのプレス物に残弾表示のカウンターまで刻印されている。 まだまだ挙げればキリが無いのだが…『細部にまで徹底してこだわる』という信念が生み出した、(コスト)オーバースペックな渾身の一作と言えるだろう。 もう、ガスを充填してBB弾を飛ばすことは無いだろうが、良く出来た無可動文鎮モデルとして見ていると、造りの良さから…つい、こいつをベースにマルシンのM39辺りの機関部を組み込んで、スライドの動くモデルガン化できないものかなぁ…とか、自分の工作技術も考えず、夢想してしまうものだ…。
shinnosuke
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1972 Genesee Beer AD
1972年のビールメーカーの広告柄である。 偶然これを入手したのは、もう20年ほど前であろうか…。米国のアンティーク・ディーラーと別件の高額商品のネット取引でのこと。 送料を間違えたか…なにか向こうさんの手違いで、10ドルほど多く支払ってしまったのだが、差額返金の為替ボンドの作成がめんどうだから、それに見合うオマケをつけるのでそれで勘弁して欲しい… とのことで、仕方なくOKしたのだが、何を送ってくるのかも言ってこないのが、なんともいい加減というか大雑把である。 むこうは金で返す気はなさそうなので、断れば何も返ってこない可能性が高い。日本人の商習慣から言えば褒められた物ではないが、海外での"ディール" とはそんなものだ。 同梱されていたお詫びの品がこれなのだが、届いたときは「やられたな…」と思った。 向こうにしてみれば、おそらくジャンクボックスに山と積まれたクズ同然のジッポーをテキトーに掴み、底面刻印を見て2ndロゴだから、それに合う適当なインサイドユニットを押し込んで送ってきたといった感じだった。 外装ケースは1972年のありふれた傷だらけのPoorランクで、本来ならばホイール・シャフトがソリッド・リベット式の改良型インナーが入ってる筈だが、適当さが功を奏して、1962~64年のアイレット(ハトメ)式のものが付いてきた。 まあ、いっかぁ…と、部品取り用として、ながらくストックしていたのだが、当サイトのような"お披露目の場"に巡り合い、久々、動員されたという訳だ。 柄についても少し書いておこう。 この頃の年代ともなると、さすがに旧式のエンドミル線画彫刻から、フォト・エッチングに表現技法が変わっていく。 工程はというと、まず、ジッポーの柄を着けたい部分に感光剤を塗り、絵柄のネガフィルムを張り付けて現像し、絵柄以外の部分のケース全体を黄色っぽい半透明の樹脂シールで覆って養生し、エッチング液に漬ける…という、プリント基板製造の技術を応用した"フォト・レジスト"というやり方だ。 今なら、この程度の加工はお手軽なレーザー彫刻でやってしまう所だろうが。 絵柄のジェネシー・ビールというのは、1878年からニューヨーク州ロチェスターに本拠を置く、"Genesee Brewing Company"の商標で、現在も米国で最大かつ最古の継続的に運営されている独立系醸造所の1つなのだそうで、ジェネシー・クリームエールは1960年に発売されたとのこと。 絵柄の1972年当時の商品パッケージは画像5の様な物で、まんまのデザインだ。 僅かながらのご縁だが…コストコあたりで山積みになって安く売っていたら、一度は飲んでみたいものだ。エール・ビールはあまり好きではないが(笑)
shinnosuke
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1951-53 2nd Steel Model, RCA "HIS MASTER'S VOICE" AD
シンプルに…本体に関する説明を済ませてしまおう。1951~53年の朝鮮戦争時代の大型5バレルヒンジのスチールジッポーである。 この絵柄ほど、日本人にも馴染みのある柄も無いだろう。蓄音機に耳を傾けるニッパーを描いたその絵画は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)やHMV、RCA(現・仏国ヴァンティヴァ)、RCAレコード(現・米国ソニー・ミュージックエンタテインメント)などの企業のトレードマーク、またはブランドとして知られる。 また、かつて日本ではビクター系列特約の電気店の店頭を飾る、実物大ニッパーのグラス製張りぼてディスプレイや、商品購入の贈答用ノベルティーに陶器製の大小様々な置き物や灰皿などが製作され、立体物のグッズとしても、広く大衆に認知される。 ニッパー(Nipper)は、絵画『His Master's Voice』のモデルとなった犬で、実在したニッパーの最初の飼い主はイギリスの風景画家マーク・ヘンリー・バロウドであった。 いつも客の脚を噛もうとすることから、“Nipper”(nip=噛む、はさむ:同名の工具の語源)と名づけられる。 1887年に最初の飼い主、マークが病死したため、弟の画家フランシス・バロウドがニッパーを引き取った。彼は亡き飼い主・マークの声が聴こえる蓄音機を不思議そうに覗き込むニッパーの姿を絵画として描いた。 これがこのトレードマークのルーツなのは間違いない… だが、それらの因果関係が全て美談で成り立っていたわけでない事を知り、複雑な思いが錯綜する…。 先にも書いた通り、二番目の飼い主フランシスも兄と同じく画家で、ニッパーの死から3年後の1898年、エジソン・ベル社のゼンマイ式フォノグラフ(円筒型蓄音機)を熱心に聴くニッパーの姿を絵画にした。 それから、どういう成り行きなのか不明だが…1899年2月11日、フランシスはその絵画を“Dog Looking At and Listening to a Phonograph”(フォノグラフを見つめ聴いている犬)の商標として出願した(画像5)。 そして、フォノグラフを製造するエジソン・ベル社にこの商標をトレードマークとして売り込んだのだが、“Dogs don't listen to phonographs.”(犬はフォノグラフを聴いたりしない)と、にべも無く門前払いされてしまう…。 それでは…と、今度はベルリーナ・グラモフォン社を訪問し、記録媒体の方式が違うグラモフォン(レコード盤式蓄音機)を借りて、もともと絵に描かれていた、エジソン式の黒いフォノグラフ(円筒型蓄音機)を修正して、レコード盤式蓄音機に描き換えて絵を売り込もうと考えた。 詰まるところ、画家も商売とはいえ…なんとも、節操のないことである。 しかし、話を持ち込まれたグラモフォンの社長、ウィリアム・オーウェンは、「どこの蓄音機か分からないような物では駄目だ。蓄音機の全体像をグラモフォンそのものに描き換えるなら、社としてこの絵を買おう」と、条件を付けた。 こうして修正された絵は、ベルリーナ・グラモフォン社の商標として、1900年6月10日に登録された(画像6)。 そして、時代は流れ…ベルリーナ・グラモフォン社も資本の離散集合の末、最終的に現在の日本ビクターやRCA系列の商標となる。 絵画自体が非常に優れた作品であり、バックグラウンドに叙情的なストーリーを持つものだけに…知りたくなかった裏側かもしれない。 出典:ウィキペディア 2025/02/01
shinnosuke
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TANAKA WORKS, Pietro Beretta Model 1934 Metal Finish
イタリアが生んだ世界に誇る銘銃、ベレッタM1934である。 いつの時代でも、第二次大戦で活躍した銃をテーマにモデルガンをコレクションしようと思ったら、外せない一挺である。 どうなんだろう?日本人は本当にこの銃が好きだよね…。 海外の様に拳銃の所持が認められている国では、好きなら銃砲店で実銃の中古を買って、コレクションに加えればいいだけの事なのだが、日本に住む我々には叶わぬこと。 ゆえに、50年以上も前からモデルガンという心理的な代償を生み出して来たわけだが、この機種をモチーフにしたのは一度や二度ではない。 昭和46年(1971年)の第一次モデルガン規制を挟み、金色の亜鉛合金製の物だけでも、3社からモデルアップされている。 当時、上野御徒町界隈のモデルガン商の互助組織であった高級玩具協同組合を脱退し、波乱含みの製造販売一貫路線を歩みだした、小林 太三氏率いるMGC製、その製品の設計を丸パクリしたハドソン産業製、六研の六人部 登氏設計のCMC製といった具合である。 それらは、昭和52年の第二次モデルガン規制で、銃身分離の部品構成のオートマチック型の亜鉛合金製モデルガンに該当し製造販売が禁止となった。 その後、プラ素材のABS樹脂製モデルガン全盛の時代において、ウェスタン・アームズがモデル化しているが、モデルガンとしてのベレッタM1934はそれが最後のモデルとなる。 同社は2000年代に入ってから、動作完璧なご自慢のマグナ・ブローバックシステム搭載の外観も刻印考証も完璧な、『完全版ベレッタM1934ガスブロ』をリリースしたのだが、残念ながら…未だ、手にする機会は得ていない。 【モデルガン産業衰退の救世主としてのガスガン製造】 1989年頃の銃玩具を取り巻く環境というと、20年前の空前のモデルガンブームの余波は跡形も無く、モデルガン購買層の減少が問題となる。次第に一般ユーザーの間にも、MGCやコクサイの倒産話が聞こえ始める。 各社生残りをかけて、自社の保有する過去作のモデルガンの金型を転用したガスガンや、新規設計のガスガン製造に活路を求め始めた…そんな時期である。 トイガンメーカーとしては新規参入のタナカ・ワークスが、昭和64年というか、平成元年(1989年)に、久方ぶりにベレッタM1934をガスガンでモデル化した。 このタナカという会社…どういう会社かというと、トイガンメーカーとしては新参であるが、前身の田中木工製作所としては、老舗モデルガンメーカーCMCのM1ガーランドなど長物の木製ストックを製造していた。 モデルガンの木工パートの下請けとしては、浅からぬ関りと実績を持った会社のようである。 1980年代も終盤、設計に六研の伝説的モデルガンデザイナー六人部 登氏を招聘し、S&W M10、コルトSAA、コルト・ディテクティヴ3rd、コルト.380、軍用ガバ、ルガーP.08、ベレッタM1934など、矢継ぎ早に一連の売れ筋機種のガス・ハンドガンシリーズをリリースし、トイガン本体のメーカーとして名乗りを挙げた。 この製品についても触れておこうと思う。 ムーさんらしい繊細で"らしさ"を感じさせる造形は、かつての真鍮製高級モデルガンや、CMC製金属モデルを手掛けた経験が活かされ、手馴れた感じで巧くガスガン仕様にまとめられている。 スライドの後退ストロークは若干足りないが、スライドのセレーション部分を掴んで勢いよくスライドを引くと、「ガチャキン!」という、ガスブロギミックの澄んだ音色の金属音を発するのが楽しい。 画像6のスライド/ フレームの右面、シリアル№風に刻印されている6桁の数字、"198934"というのが、よくあるモデルガンの慣例に従った設計年度月日の1989年3月4日を指すのか、あるいは、モデル名の"1934"の真ん中に発売年度の西暦下二桁"89"を割り込ませただけなのか…いま一つ判然とはしない。 また、この当時、銃玩具の世界では新工法だったホットスタンプで、スライド刻印を後加工したことへの意欲は感じるが、戦前期の実銃の刻印が太く力強いフォントであったことを考えると、些か、インパクトの弱い仕上がりになってしまったのは誤算だった(画像4)。 メタルメッキの仕上げについては、マルシンのメッキに近い感じのちょっと茶色味がかったメタルカラーだが、このメッキ…指紋とかを着けたまま拭き取らないで長年放置していると、そこからメッキが褪せていき、指紋の跡がくっきりと下地のニッケルメッキの色で残ってしまう。HWモデルガンのブルーイング品並みに結構気を遣う。 この商品、願わくば割りばしマガジンでなかったら、どんなに良かったろうと思う。後の改良品ベレッタM935でマガジンにガスタンクを搭載する、いわゆるWA方式の先駆けのフルサイズマガジンの物が出るのだが、メッキ仕上げの物は無い。 できれば…M1934でやって欲しかったが、これはこれで一つのスタイルとして完成はしていると思う。 画像5の木製グリップには、"PB"の花文字の彫られた大ぶりなアルミ製メダリオンが付いていて、西欧の優美さを感じさせる。 このグリップ下部にメダリオンの付くタイプの木グリは実銃デザインに倣い、かつてのMGC製でも商品化されたが、時代を経た本作でも…往年のガンマニアも納得の正統派なドレスアップ手法をとるところが、ムーさんらしい演出だ。 たまに手に取ってメッキの手入れをして外観を眺め、スライドをガチャガチャいじるだけで結構楽しめる…齢50をすぎたオヤジの手遊びには最適の味わい深いトイガンだ。
shinnosuke
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1979 MIB, Santa Fe Railway AD
'79年のサンタフェ鉄道の広告柄ジッポーである。 絵柄のクライアントについての考察に行ってみようか…。絵柄はインディアンの子供がサンタフェ鉄道のロゴを掲げている可愛らしいデザイン。 アメリカという広大な大陸が、かつての先住民族(ネイティヴ・アメリカン)の物であり、その子供をシンボライズするのは入植者側の良心の呵責であろうか…。 このマスコット・キャラクターがいつ頃から使用されていたのかは不明であるが、同社が保有する機関車や各種車両に採用された形跡はない。 この通称サンタフェ鉄道の正式な社名は、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka and Santa Fe Railway、連邦政府への報告記号はATSF)は、峻険なロッキー山脈をも縦貫する、1945年次の路線総延長13,115マイル (21,107 km)を擁する巨大な鉄道会社である。 この個体についても少し触れておこう…。 まあ、一応は工場出荷時の全てが揃ってはいるので、ミント・イン・ボックスと称しても差し支えは無いと思う。 だが、ボックスの上蓋が結構日焼けして黄ばんでいるので、『時間が止まったかのような完璧なデッドストック』という訳ではないのは見ての通り。 この個体の製造年である1979年は、ZIPPOセカンド・ロゴ最後の年の物なのであるが、ワタクシ的には、この頃の物は実質的に現行レギュラー#200と何ら変わるところがないと思う。 それでも、世間の年代物ジッポーを取り巻くマーケット感は、『セカンドロゴ刻印を使用している物までがビンテージ』という、言わば、ビンテージと呼べる最後の砦という空気が、ボンヤリしたトレンドになりつつある。 たしかに、重箱の隅を突つけば、インサイドユニットの刻印、フリントホイール、カムのリベットのアタマの取り付け方向が互い違いで揃っていない。真鍮ピンからソリッド・リヴェットタイプに変わって、'80年代初期くらいまで一貫してこの向きである。 それだけである。私の様なチャランポランな人間は一考に値することではない様に思う。まあ、本来ジッポーを愛好する者として微細な進化過程をつぶさに検証し、きちんと考察するのが本道なのであろうが、もはや、この年代の物は絵柄を乗せるベース・キャンバスとしての存在と言っていい。 『絵柄あっての存在感』というのは言い過ぎだろうか…。
shinnosuke
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1946-47 Nickel 3 Barrel, CRESCENT CITY AVIATION AD
戦後のニッケルモデルの後期である。ステンレス製のインサイドユニットで、3バレルヒンジ。このヒンジ、改めてみてみると異様にデカい。 なぜ、こんなにオーバースペックなヒンジになったのだろうか…。この後のビッグ5バレルより明らかにデカいし、ヒンジピンも太い。ジッポー史上、最大のヒンジである。 などと、書いてみたが…要はライター本体の事で、大して書くことがないからである(笑) 第二次大戦後のジッポーは、プレスの工作技術やフリントホイールの着火性能の向上は目覚ましい物があるが、ワタクシ個人としては余り興味がない。 年代は古いのだが、この時代で大方の現行ジッポーの特徴が形成されていて、製品としての画一性はあるが、個々に顔が無く…面白みがない。 別の展示の記事でも書いたが、この年代のジッポーの魅力は、既に本体にはなく…彫られた絵柄の面白さに移行している。 という事で…絵柄についての考察をしていこうと思う。 国土の広大な米国は、歴史的に州跨ぎの旅客輸送の主要な交通手段は鉄道ではなく、航空機輸送に頼っている部分が大きい。 都市のあらゆる所に小規模の空港があり、小さな航空事業者による人品の輸送ビジネスが盛んに行われている。ひとえに飛行機の方が設備コストが安く、大資本を必要としないためだ。 ジッポーに彫られた絵柄の飛行機の脇腹にあるエアロンカ(Aeronca Aircraft Corporation)という航空機メーカーは、かつて、第二次大戦中は複座練習機や連絡機を製造していたのであるが、絵柄の機種は戦後の民間向け小型機11ACチーフ'47年改良型(ランディングギアのエアロカウル装備機)である。 広告主であるクレセントシティー・アヴィエーションも最新の同機を導入したことをウリにする航空会社の一つだったのだろう。 それにしても、飛行機を描いた絵柄は見ていて楽しい。空への憧れからか…自然とワクワクする。 特に小型のプロペラ機が好きだ。実機の零戦やムスタング、スピットファイヤ、Bf109などのレシプロ戦闘機も大好物だが、じつはダグラス DC-3(通称ダコタ)が一番好きな航空機であり、輸送機だ。 戦争は航空工学を飛躍的に向上させたが、やはり機銃を積んでいない平時の航空機を見ている方が心和むのは、人智の正しい使い道の象徴だからだろうか…。
shinnosuke
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TANAKA WORKS, S&W M10 2.5 in Real Custom
今回から、まともな形で残った数は少ないが、お気に入りのトイガンの展示をやっていこうと思う。 まず第一回目はタナカの旧カートリッジ装填式のM10…つまり、ミリポリだ。発射性能に関しては多言無用のお約束(笑) それでも、カートリッジをシリンダーに装填するアクションが出来るというのは大事なことだ。同社の最新機構ペガサス・システムはコロンブスの卵ではあったが、叶わぬことだ。 しかし、まあ、法で許されているとは言え…あれほど厳しいモデルガン規制に対し、ガスガンという似て非なるジャンルのトイガンはというと、銃身はすっぽ抜けで真鍮のインナーバレルまで入り、シリンダーもほぼ貫通状態。日本の銃刀法ってのは、なんともザルな法律だ。 タナカのS&W M10ガスガンの"近日発売"広告を見たのは、創刊して間がない頃のアームズマガジンであった。とにかく…これが出た当時、とても嬉しかったことを思い出す。 当時、あまり馴染みの無いメーカーのタナカだったが、S&Wのフォルムを的確に捉え、デッサンも良く、ほぼリアル刻印。それまでモデル化されたM10と言えば、どん臭いデフォルメ満載のディテール、刻印は全てアレンジ刻印のコクサイ製モデルガン一択だった。 このタナカ製ガスガンのCMC製Kフレ的な、S&Wらしさの薫る繊細なシルエットに私のハートは一気にワシ掴みにされた。 それは今思うと当然である。CMCのS&W系を手掛けたのも、タナカの原型を作ったのも同一人物であったのだから…。 昭和52年の第二次モデルガン規制前、全真鍮製のコルトガバメントやピースメーカー、ミリポリなどの素晴らしい超高級モデルガンを少量生産で作っていた幻のモデルガンメーカー『六研』の故 六人部 登氏その人である。 さて、実際の私の所有するタナカ製S&W M10ミリタリー&ポリスについてだが、当然、発売と同時に即購入。 そして、20代前半の若かりし頃の私は、Gun誌などの写真資料を徹底的に解析し、元々、外見的に良く出来たタナカ製M10に最後の詰めのディテール・アップを試みた。 S&W社の実銃工場で最終仕上げのフィニッシャー職人のヤスリ癖の特徴を最大限表現するため、一度、平面出しやシリンダーの真円出しをしてから、ワザとバフダレさせるといった研磨工程や、トリガーガード周りの独特のヤスリ仕上げなど、ツールマークも余すところなく再現した。 ここまでやろうと思ったのは、他でも無い。 これまた、アームズマガジンの巻末にあるショップ広告にABS製モデルガンのメッキを請け負うガンショップが現れたからだ。 確か、北九州のガンホビーショップだったと思う。ロイヤルブルーだか、ベルジャンブルーだったか名前は忘れたが、モデルガンメーカーの既成のメッキと違い、黒くて深みのある半永久的に褪せることのないメタルメッキなのだそうだ。多少、眉唾モノではあったが、これに賭けてみることにした。 元から、ほぼリアル刻印だったし、これで究極のリアル形状と最高の金属感を持った究極のミリポリを作れる…。 切ったヤスったを繰り返した後、その業者に結構高かった加工料金の入った現金封筒と、バレル、シリンダー、フレーム、サイドプレートなど、ABS製の主要パーツの包みを郵送した。 しかし、メッキが上がって来るまでホントーーーーに長かった…。あんまり長いんで詐欺かと思い始めていたが、待つこと10か月目でパーツが返ってきた。 待っただけの事はあって、硬度が高く厚みのある本当に素晴らしい上質のメッキであった。30数年経った今でも全く色褪せる兆候も無い。 今思うと…このメッキ、いわゆる『黒クローム』と呼ばれる工業用クロムメッキですから…そりゃ丈夫なわけですわな(笑) 早速、ケースハードゥン風に染め上げたトリガーやハンマーなどのパーツを組み付け、実銃用のS&W社製M10-7用のサービスグリップとテイラーのグリップアダプターを奢った。 タナカのM10の実銃モチーフは、S&Wのモノグラムの円形刻印がサイドプレートからフレーム左面に移り、バレルピンが省略されたM10-8(ダッシュ8と読む)なのだ。 本来、このグリップが付いているのは矛盾するのだが、M10-8のグリップはチェッカリングの面積が小さく、どことなく品祖なので、形の良かった1個前のモデルの物を採用したという訳だ。 と、さらっと書いたが… こいつはペガサスシステム登場以前のガスガン。グリップフレーム一杯にガスタンクが鎮座している。もったいないが、実銃用グリップの裏面、メダリオンのワッシャーを外し、タンクの交渉する分だけリューターで削りまくった。 埒が明かないので、大型の彫刻刀の丸刃まで導入して、表のチェッカリングを突き破る2㎜手前ぐらいまでガリガリと掘削し、取り付けた。 やっぱり、ムーさんでもカート式ガスリボルバーの設計で一番悩むのは、ガスタンクをどうフレーム内にレイアウトするか…だったのだろう。 グリップフレームの形状も多少のアレンジが必要だったと思われ、実銃通りの形状とはならなかったようだ。 この個体では、むりくり実銃用木グリのアウトラインに合わせただけなので、実銃製造の時の共削りの様な完璧なフィット感は得られなかった。 しかし、このM10、さすがムーさんのデザイン。繊細なシルエットが美しい。 じつはこのミリポリ、コストダウンのためか、全体的にフレームの厚みが実銃より若干薄い。でも、気にならない。 ムーさんの伝説の作品である真鍮製ミリポリも、スタンダードモデルはデラックス版と比べて若干薄いのだが、理由ははっきりしている。 当時、六人部氏が最初にミリポリのスタンダード版を作ろうとした際、採寸した実銃がミリポリ(鋼鉄製の初期型M10)そのものではなく、エア・クルーマンという、初期型のM12をベースにしたアルミニューム・アーロイ製フレームの戦闘機搭乗員用携行銃の米軍払い下げスクラップから採寸した寸法だったからである。 まあ、私のミリポリが若干薄いのと、それらの事とは何の因果関係も無いのだが…そんなエピソードに思いを巡らせつつ、量産品とは言え、このM10も同じムーさんの作ったミリポリ作品の系譜なんだよなぁ…と思うと、感慨深い物を感じるのは大袈裟なことだろうか。
shinnosuke
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1951 2nd Sttel Model, CORBY'S Whisky AD
コービーズというウィスキーをご存じだろうか。1852年創業のカナディアン・ウィスキーである。 尋ねた手前なんだが…私は20年くらい前に蒲田の某ショットバーで口にした記憶はあるのだが…いまいち味の方は記憶にない(笑) この会社、いまも健在…どころか、モルト・ウィスキー愛好者、日々カクテルを作るバーテンダーや洋酒好きなら馴染みのある、アブソリュート・ウォッカ、シーバスリーガル、グレンリベット蒸留所、バランタイン・スコッチウイスキー、ジェムソン・アイリッシュウイスキー、ビーフィーター・ジン、マリブ・ラム、カルーア・リキュール、マム・シャンパン、ジェイコブスクリーク、ストーンリーなど、名だたる酒造会社を傘下に収める巨大企業である。 まあ、それはともかく、この広告柄の鳥…アカコンゴ・ウィンコという南米に生息する鳥なのだそうだ。ネットで調べると、すべからく"ウィンコ"と表記されているが、我々日本人が慣れ親しんだ言い方で言えば、要は…インコだ。 北米のウィスキー会社が、なぜ南米の鳥をキャラクターにしているのかは不明だが、米国のミドルクラス向け雑誌エスクワイアやコリアーズなどの広告で、この赤インコが喋る様子を漫画の様に吹き出しで描いた連作広告がある。 このジッポーのB面に表記のある、JAS.BARCLAY & CO,LTDという、イリノイ州にある米国の現地法人が広告主だ。 たまたま持っていた古本のコリアーズに広告が掲載されていたので、コンビニのコピー機でスキャニングした画像6に記述されている。 このジッポーの柄は、1950年代の実際のコービーズウィスキーのラベルに描かれているキャラクターのインコのイラストを単純な線画に置き換え、エンドミル彫刻した物に赤、黄、緑、黒で彩色している。 エッチング技法導入前の時代で、面では無く…線でこの赤インコを表現するのは、さぞ難しかった事だろう。 しかし、苦労の甲斐あって、無駄のない線でラベルのキャラを見事に描き切っている。 あ、そういえば、この広告柄…海外の有名なジッポーコレクターのコレクション写真集の洋書本にも同じ物が掲載されていたなぁ…。 ちょっとだけ誇らしいです。
shinnosuke
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1941-42 WWⅡ Early Type Steel Model
この年代の物は開戦初期、米軍が大量発注した物ではあるのだが、果たして装備として無償で支給されたかは定かではない。 軍の司令部など各地の建物には、P.X.(ポスト・エクスチェンジ)と言って、酒タバコ、菓子・食料品に雑貨、衣類、はたまた貴金属や時計などジュエリーまで扱う、おおよそ兵士の生活に必要と思われる物資を供給する購買部のような部署があった。 それらは軍人や軍属、その家族など軍関係者なら誰でも利用できたらしいのだが、このジッポーも多分、そんな所で販売されていた物なのだろう。 さて、この個体についてなのだが、一応フルオリジナルである。修理の痕跡はない…が、気になる点がないわけではない。 通常、戦地に赴く者の装備は太陽光を反射し、敵に感知される危険性を回避する無反射処理を施すものである。 この個体も、元々はブラッククラックル(和名で言う、ちりめん塗装)だったのかもしれないが、私が手にした時はすでに塗装された痕跡も無い、『生鉄むき出し』状態だった。 このモデルからインサイドユニットは、スチールの一枚板からの打ち抜き、プレス成形でハコ組みして、端部をスポット溶接で繋いでいる。 工法がここまで急激に変わったにもかかわらず、このモデルは、まだ戦前のブラス製ラウンドトップを踏襲した造りを何とか維持しようとしている。 外装ケースのシルエットラインや、チムニー周りの形状などは見事なまでにブラスチューブの頃とそっくりなのだが、軍務に就いた顧客に対しても、平時からの慣れ親しんだイメージのままで、変わらず愛用して欲しかった…という、願いの現れなのかもしれない。 半円型のホイールステイ、直角に深々とプレスされたカムステイ、素材がスチールに変わっても、変わらぬ形のダルマカムといった具合である。 しかし、画像3でも判る通り、ヒンジ面やその対面は、ブラス製が平面であったのに対し、緩やかな曲面のアールを持っている。 あくまで推測ではあるが、理由としてスチール(軟鉄)という素材は、真鍮に比べ粘りが少ないため、落としてもヒビが入らないように曲面にして強度を持たせるという意図があったのかもしれない。 実際、このモデルは落とした際に生じたと思われる、キャップのコーナーに沿った亀裂が入った物が多く見られる。 この『戦争が終わるまでもてばいい』という政府の政治的意向が反映された、『確信犯的時限品質の危うさ』こそが戦時モデルに内在する特有の魅力の源泉となっているのかもしれない。
shinnosuke
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1940-41 Late Type Round Top Diagonal Line
間借りした、自動車整備工場プリッカー&サンズ社の二階の片隅、カシャーン、カシャーン…と、中古の小型プレス機を響かせて真鍮版からキャップやリッドを打ち抜く…。 ブラスチューブを切り出し、ハンドプレスでチムニーやカム取り付け基部のモールドを成形、部屋に備え付けられたキッチンの電熱コイルでハンダ付け。 近所のメッキ工場でメッキし、手打ちのハトメパンチ機でホイールやカム・スプリング取り付けのアイレット(ハトメ金具)をカシメ付ける… 画像は、そんな1930年代のハンドメイド・ファクトリーとしてのジッポー社の第一幕が下りる寸前の物と言える。 ブラスチューブが使用されたインサイドユニットもこれが見納め…'30年代も終わり、フリントホイールとヒンジ以外、総真鍮製という…潤沢に真鍮が使えた戦前期仕様最後のモデルである。 ご存知、カムクリップ一体型のニッケルシルバー製ヒンジの後期型である。 この数か月後には、真鍮という亜鉛と銅の合金は、コルト1911A1やM1ガーランド、トンプソン、ブローニング機銃などのブレットやカートリッジの工場に優先的に供給された。 ジッポー社は政府が指定した、低品質なスチール材を使用し、『戦時中のみ使えれば良い』不本意な製品を何万個という単位で製造することになる。 そして、簡素ながらも良いアクセントとして施されていた、ダイアゴナルラインを見ることも当分は無くなることとなる。 考えてみれば、ヘタすれば、このデザインが復活したのは'80年代以降の復刻がされるまで見ることが無かったのではないだろうか(きちんと調べたわけではないが)。 少なくとも戦後の'40年代後期のニッケルや、'50年代の真鍮、第二期スチール時代でも見た覚えがない。 ともかく…この年代の物には着火性能に改良の余地が大いにあったが、ライター自体に存在感というか…独特のフォルムに味があった。 喜ぶべきか、嘆くべきかは悩むところではあるが、'50年代以降、ライターという着火具としての性能は完璧に近づいていった。 半面、本体のプロダクトデザインが無味乾燥になっていき、やがてボトムに施された広告柄や、デザインの面白さに魅力のベクトルがシフトしていった様に思うのは僕だけではないと信じたい。まあ、異論があろうとは思うが…。
shinnosuke
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1954-55 Town & Countory "Mallard Duck"
さてと…『野生のマガモちゃん』柄です。トラウトの紹介の時に絵柄の製法については、さんざん書きまくったので、もう、このシリーズについて書ける事は大してないのであるが… この個体の底面刻印が創業時の"UNITED STATES PATENTS"の最初の特許取得番号#2032695が、20年間の特許権保有期限が満了するに当り、再び継続申請した出願番号(取得後の特許番号)の#2517191に移り変わっている。 画像6でもわかる通り、特許出願中を示す文言(PATENT PENDING)が盛り込まれているため、刻印される文字数がジッポー史上、最も多いフルスタンプとなっている。 ちなみに、コールマンのランタン愛好家の世界では、燃料タンクに特許出願中(PATENT PENDING)の文言表示のある、Colemanロゴのシールの付いた200A(赤い色のシングルマントル・ランタンの型番)を略して、『パテペン』と呼ぶそうだが、ジッポーの世界では、特にそういった時期や年式にまつわる愛称は無い。 閑話休題…好みの分かれるところではあるが、私としては刻印文字がゴチャゴチャし過ぎていて、うるさく感じる。米国の製造物に関する表示義務法令で定められているからかもしれないが、元来、アメリカ人というのはどうも…製造物にこういった、より多くの文字数の刻印を打ちたがる傾向がある様に思う。 かつてアメリカ軍の正式拳銃であった"COLT GOVERNMENT MODEL 1911"の歴代のスライド刻印等をみても、社名やモデル名、製造工場所在地、特許取得番号、取得年月日などが、ご丁寧にも延々と刻印されている。 対照的なのは、旧ソ連のトカレフやマカロフ、スチェッキンASPなどのスライドは実に簡素な刻印で、シリアルNo.くらいで本当に殺風景なほど必要最低限の刻印しか打たれていない。 やはり、お国柄なのだろう…。そういった整然とした文字列を意味あり気に刻印する事が、欧米デザインの一部として一種の美意識の表れとなっている様に思う。 話は絵柄の事に戻るのだが、この個体…ケース本体の使用頻度というか、傷みの具合に比して、絵柄がやけにキレイなのだが、本来、ケースがこの状態ならば、もっと擦り切れて色を失っていても不思議の無いコンディションである。 聞くところによると…当時、ジッポー社はこの手のベイクド・セラミックの物に関しては耐久性の低さを承知していて、幾ばくかの追加料金を支払って郵送すれば、リペイントを請け負ってくれていたらしい。 これらのサービスは軍人の部隊章などを張り付けるサービスや、名前のイニシャル刻印などのサービスメニューにあったようだ。 このタウン&カントリーに代表される絵付け技法は広告柄としても活用され、グラマンやビーチクラフト、ガルフ石油などをはじめとする、名だたる大企業や、菓子・食品メーカーなどが色鮮やかな社名ロゴや商品パッケージをモチーフとした広告柄に採用している。 そういった背景から、'60年代後半くらいまでは絵付けが出来る人材が在籍していたと思われるので、製品の絵付け作業の傍ら…片手間で劣化したT&C定番柄のリペイントも引き受けていたのだろう。 なので、確証はないものの…この個体もひょっとしたら、そのリペイントサービスを利用して絵柄を修復した物であったのかもしれない。
shinnosuke
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1949-51 Town & Country "Trout"
この手の柄は古き良きアメリカ人…もっと言えば、欧米人が古典的に好む定番柄である。パブミラー絵画のように、鏡面のポリッシュクロームをベースに、素朴で躍動感のあるタッチで自然や動植物を描いているところが秀逸である。 このタウン&カントリーシリーズのトラウト(鱒)柄は、10数年前に入手したものである。ケースマテリアルはブラスで、インナーはニッケル。時代考証には問題のないマッチング。 いまこの程度のミントコンディションとは言えない物でも入手しようと思ったら、なかなかに出会うのが難しい。 なぜなら、この手法による絵柄は、薄くジッポーに貼り付けられた瀬戸物の様な物なので、琺瑯文字盤の懐中時計同様、落とすと割れたり欠けたりするし、摩耗に弱い。よって、そこそこの値段の物でも柄に難のあるモノが多い。 画像の個体は、若干の焼けはあるものの…本体のジッポーが傷だらけな割にペイントが、ほぼ残っていると言ってよい。鱒が水面を跳ねた一瞬を切り取った一服の絵画である。個人的にこのシリーズの中ではこの柄が一番好きだ。 このシリーズの絵付けの製法は『ベイクド・セラミック』と言って、簡単に説明すれば、エナメル塗料で絵柄をペイントし、七宝焼きの様にオーブンで焼結したもの…という事なのだが、この『エナメル塗料での絵付け工程』というのが、恐ろしく難易度の高い作業工程を経て生み出されていたのだ。 まず、エンドミル刻印機で絵柄のシルエット全体をベースのジッポーの表面のメッキ層一枚分くらいの深さで彫り抜く。 そこに白磁の様なベースカラーの白を置く。その上にエアブラシで柄の基調色を入れ、次に数種類のシルクスクリーン・マスクの版を重ね、描かれる図案の具体性を示す線描を描き出す。最後に極細の筆で細かい陰影やディテールを描き込み、オーブンで焼き上げて定着させる…。 当時、この繊細かつ手間暇のかかる作業をやってのけたのは、ジッポー社本社工場の近隣に住む名も無き女性パートさん達である。おそらく、作業を始めるに当たり、ジッポー社のデザイン室のアート・ディレクターが原画に基づく作業工程や、エアブラシ等の道具の扱い方を指導して育成していったのだろう。 前に何かのジッポー社に関する資料で見たのだが、長机が何個も並べられた学校の教室のような部屋で、真剣な面持ちで絵付けをしている数十人のご婦人方の作業風景の写真を見た事がある。 とは言え…やはり、人の手によって生み出される物には、出来不出来がどうしても生じてしまう…。絵心のあるヒトや几帳面で器用な人と、絵心の無いヒト、不器用で大雑把なヒトとでは、絵柄の仕上がりに歴然の差が出ている…。 正直、ネット上でコレクターが公開しているタウン&カントリーの画像を見ても、上手い人の物とそうでない物が存在する。私の個体は比較的上手な人の物を狙って手に入れたつもりなのだが、如何なものだろう。 近年、何度かプリント物でタウン&カントリーが復刻されている。遠目に見ればよく出来ているように見えるし、たくさんの数の絵柄が揃えば、それなりに見応えはあるのだが、やはり個々の絵柄の色遣いが単調で、どこか安っぽく見えてしまい、単品での鑑賞には堪えない。何個か集めてはみたのだが、納得のいく物ではなかったため、結局はすべて手放してしまった。 やはり、タウン&カントリーはオリジナルに限る。どんなに手を尽しても、二度と再現不可能な『時代が生み出したアート』として、手工芸の極みにあるからではないだろうか。
shinnosuke
