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日本航空創立20周年の明治エクセル
日本航空が会社創立20周年の記念に作られた明治エクセルチョコレート・・・の空箱。 日航は会社ができたのは昭和26年ということなので、このチョコは昭和46年に配られたもの。 航空会社に知り合いの多かった親父がもらってきたものなので、実際にはどういう場所で配られたのかは分かりませんが、時計とかライターというわけではありませんから、たぶん搭乗客とかに機内で配ったんじゃないかなあ。 明治のエクセルは昭和45年発売の製品だそうで、何本入りだったかは忘れましたが箱の大きさは20本入り煙草とだいたい同じです。 箱裏の写真が行方不明につき、とりあえず表側のみ。 #日本航空 #創立記念 #明治製菓 #エクセルチョコレート #パッケージ
パッケージ 日本航空創業20周年記念 日本航空showa_express
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梅田・阪急百貨店のマッチラベル
比較的数が残っている梅田・阪急百貨店のマッチラベル。 手元には今回の背景が青いパターン以外に、建物の描き方が若干異なり通行人も描かれている黒背景のもの、黒背景と建物の描き方は同じですが通行人の描かれていない緑背景のものなどなど数パターンあり、その中でも青背景のものは比較的よく見かけます。 残存数が多い理由としては百貨店に置かれていただけでなく、三宮阪急食堂や「神戸へ特急25分」といった電鉄直系のもの、宝塚歌劇といった関連事業で配られたマッチの片面がこの百貨店広告で共通だったからではないかと類推しています。 そういったことから、関西電鉄系の中では阪神、京阪(新京阪含む)、南海、大鉄・大軌(現・近鉄)よりも残存マッチラベルの種類は多いように感じます。 なのでレア度は星4個。 ところでこのラベルには営業時間も記されてますが、売り場が午前9時から午後9時まで、食堂は午前11時から午後10時までと、結構な長丁場ですね。 他の種類のラベルでも営業時間は変わっていません。 #マッチラベル #戦前 #阪急 #阪急百貨店 #梅田 #百貨店 #昭和レトロ
マッチラベル 大阪 梅田 阪急百貨店 阪急百貨店showa_express
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喫茶・洋酒 バグダッドのマッチラベル
昔、名古屋にあった喫茶店「バグダッド」のマッチラベル。 結構デザイン的にいい雰囲気出てるかも。 戦前の喫茶店には店名や図柄が中近東っぽいものが何種類かあって、これもその一枚。 これはバグダッドですが、ほかにもモロッコとかエジプトといった中東の地名をそのまんま店名にしたものや、店名がスヰス(スイス)やブラジル、あるいは日本名なのに絵柄がモスクやピラミッド、中村屋のカレーなのに描かれているのはスフィンクスといった、知ってか知らずか、遠いアラビア方面への憧れと言うか、とりあえず異国風のデザインが用いられている例もあります。 今回のバグダッドというお店は千歳劇場南という所在地。 千歳劇場は以前は芝居小屋だったという名古屋の映画館で、現在なら地下鉄伏見駅直結の日土地ビルの裏あたりがその場所。 空襲で焼けましたが戦後復活し、昭和45年まで存在してました。 バグダッドはそのまま南に少し下がって、今の入江町通と桑名町通が交差する南西角にあったようです。 昭和8年の名古屋の住宅地図がネットに出ており、そこに載っていました。 #マッチラベル #戦前 #名古屋 #喫茶店 #昭和レトロ
マッチラベル 喫茶 洋酒 バグダッド 名古屋/伏見showa_express
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今の西新橋1丁目界隈にあった喫茶店
女性の描き方が今に通じる、何となく古さを感じさせないものがありますね。 喫茶店「MIZUIRO」のマッチラベル。 場所は芝桜田鍛冶町とありますので、調べると今の西新橋1丁目界隈のようです。 桜田鍛冶町の町名は関東大震災後の復興による町名整理で昭和7年11月に消滅しているそうなので、このマッチラベルは昭和一桁時代のものとなります。 いやあ、何かいいな、このデザイン。 #マッチラベル #戦前 #喫茶店 #芝区 #西新橋 #昭和レトロ
マッチラベル TEA ROOM MIZUIRO 東京/芝桜田鍛冶町(西新橋)showa_express
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日本にやってきたコンドル(郵便 小型記念スタンプ)
昭和13年の11月30日、ドイツからフォッケウルフFw200旅客機が来日し立川飛行場に到着。 それを記念して押印された小型記念印。 スタンプの要目には 「独逸コンドル機訪日親善飛行に因み、飛行中の同機と飛行コースを描く」 とあり、スタンプの使用日は到着の11月30日から出発日までと設定されていました。 同機は11月28日にベルリンのシュターケン飛行場を15時53分に離陸。 途中、バスラ(イラク)、カラチ、ハノイを経由し立川には30日の午後10時40分に到着し、途中での給油や整備時間を除いた実飛行時間は42時間00分だったそうです。 海外のサイトには立川到着時の写真が載っているほか、文化遺産オンラインには郵政博物館所蔵の歓迎会の写真も数点掲載されています。 親善飛行とありますが、実際には長距離旅客機のデモンストレーションと売り込みが目的だったようで、日本航空輸送と5機の購入契約が結ばれたほか、海軍も哨戒用に興味を示していたとか。 Fw200は愛称がコンドル。 日本に飛来したのは登録がD-ACONのルフトハンザ所属機で機体につけられたニックネームは「ブランデンブルク」。ルフトハンザ機ですが垂直尾翼にはハーケンクロイツが描かれています。 Fw200の試作機として造られた∨1型で、長距離用に改造され飛来時はS1型という形式になっていたようです。 同機は12月6日、帰途に就きましたが、経由地のマニラで燃料管の不具合からエンジン出力が低下し海上に不時着水してしまいドイツに帰ることはありませんでした。 なお、クルーは全員救助されたとのことです。 こちらも海外サイトに着水後とクレーンで引き上げられる写真が出ています。 ※スタンプの本来の使用局は東京中央となっていますが、これは立川。しかも到着が深夜10時過ぎなのに同じ日の押印日付となっています。そこらへんの理由はさすがに分かりません。 #スタンプ #小型記念印 #戦前 #昭和13年 #フォッケウルフFw200 #立川飛行場
小型記念スタンプ 獨逸機訪日親善飛行記念 東京/立川showa_express
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旨い! 飲め! ヱビスビール
飲め!って言われたら飲まないかんでしょうなあ。 というか、ビールなら飲めるんで飲ませていただきましょう! これ、昭和12年5月に東京宝塚劇場で開かれた宝塚少女歌劇月組公演「マグノリア」の公演パンフに載ってた広告です。 宝塚の広告は東京公演の場合は三越や高島屋、白木屋といった百貨店やクラブ、花王など化粧品、それ以外はだいたい美容院とか家庭用常備薬の宣伝が大半で、観客は女性が多いであろうことを想定した内容なんです。 しかも広告が大量で、肝心な出演者などスタッフ名簿や演目に割いているページ数はこのマグノリアの場合は表紙、裏表紙合わせて全36ページのうちざっと数えて16ページ。 つまり残り20ページは広告という作りになってまして、広告料だけで冊子の制作費を賄えたんじゃないかと思えるほどのボリュームです。 そんな中、ヱビスビールの広告。 女性向けが大半の中にあってビールというのは非常に珍しく、手元にある数十冊の東京宝塚冊子の中でも酒はこれだけでした。 しかも、飲め! 勢いがあっていいと思います(笑) なお、本家の宝塚パンフは質素というか広告も数件のみの質実剛健なものでした。 #戦前広告 #ヱビスビール #東京宝塚劇場 #昭和レトロ
戦前広告 ヱビスビール 昭和12年5月showa_express
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戦車の形をした栞(しおり)
戦車の形に切ってある栞。 表には戦車の写真が使われ、裏面には明治製菓の商品名が記されています。 これは明治の製品を買うとお店でもらえたのか、あるいは商品に同梱されていたのか、はたまた購入と関係なく販促で配られていたのか、定かではありません。 手元にはこの戦車を含め3種類あり、あと2つは軍用機と爆弾。 戦車は裏に明治メリーミルク、軍用機は明治チョコレート、爆弾のそれには明治コナミルクとあります。 この戦車の栞の左端にある丸い穴はリボンを通す穴でしょう。 他のにはリボンが付いていましたが、戦車のにはありませんでした。 これは想像ですが、栞はこの3種類だけではなかったような気がします。 陸空ときて海がないのもアレなので、たぶん軍艦のもあったんじゃないかなあ。 なお、写っている戦車は八九式ではないかと類推しています。 1人跨乗していますが、タンクデサントではなくたぶん戦車兵だと思うなあ。 専門外なので全く確証ありませんが。 #戦前 #栞 #明治メリーミルク #八九式戦車 #昭和レトロ
戦前の栞 明治メリーミルク 明治製菓showa_express
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阪急の神戸高架乗り入れ記念スタンプ
神戸市との間でいろいろ揉めまくった末、昭和11年4月1日、ようやく高架線での神戸中心部・三宮への乗り入れを果たした記念に用意された阪急神戸駅の駅スタンプ。 描かれているのは開通と同時に開業した阪急神戸ビルで、2つあるアーチのうち左側に電車が乗り入れる、駅と完全に一体となった構造です。 ウィキペディアによると、完成当時は神戸港に停泊中の船舶からもよく見えた神戸を代表する建物だったそう。 ビルの中には駅以外に電鉄直営の食堂や阪急マーケット、映画館などがあり映画館は当然ながら東宝の上映館でした。 ホームへのエスカレーターにはエスカレーターガールも配されていたらしいです。 建物は阪神大震災で損傷し取り壊されましたが、神戸三宮駅の名称となった現在でも西口は優雅なアーチやシャンデリアなど、当時を彷彿させる面影です。 #スタンプ #阪急神戸駅 #阪急神戸ビル #阪急神戸線 #三宮駅 #神戸三宮駅 #戦前 #昭和レトロ
スタンプ 神戸高架乗入開通記念 神戸showa_express
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何のマッチラベルだか分からない
マッチ箱って、どっちが表でどっちが裏なのかってたぶん決まりはないと思うのだけれども、おそらく店の名前やメーンビジュアルの刷ってある方が表なんじゃないかな。 たとえば、首都圏の立ち食いそば屋で「富士そば」ってあるじゃないですか。 もし、富士そばがマッチを置いていたと仮定して、「富士そば」って店名と美味そうな天ぷらそばの絵や写真の載ってる面、もう片面には都内店舗の所在と電話番号がずらっと印刷されていたとして、この場合どっちが表かっていえば、たぶん富士そばと天ぷらそばの載ってる面が表という理解でいいと思うのです。 マッチラベルってほとんどの場合、箱をばらしてラベルを切り取り、スクラップブックとかに貼って保存してあるんですが、表裏が分かるようにコレクションされてるケースは稀で、その面の情報量が少ないと、もはや何の店なのか、どんな業種なのかってのがさっぱり分かりません。 今回ここに載せた6枚は、そんな中から適当に選んだものですが、いやあ、さっぱり不明ですね。 マッチラベルを印刷するときは表と裏を同時に行うはずだから、使われるインクの色も同じものになると思うんです。色なんか変えてたら金かかりますんで。 隣り合って貼ってあるマッチラベルが同色ならばバラしてあっても「この組み合わせだろうな」と類推できるんですが、そういうケースは稀でして、こういう所属不明で分類不能なものが出てしまうのです。 当時のコレクターの中でも律儀な人はスクラップブックの余白に、収集場所(店名、住所)、収集日、場合によっては誰と会った日にこのマッチを手に入れたか、みたいなことが書いてあることもあるんですが、そんなの例外中の例外ですね。 こうして私の「分類不能/不明」フォルダの中には1000枚以上の身元不明マッチラベルが存在することになるのです。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ
マッチラベル 不明 戦前showa_express
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京王御陵前駅のスタンプ
北野で分岐する京王の高尾線。 今でこそ高尾山口まで行ってる路線ですが、昭和6年から、休止した昭和20年までは、山田駅から先は西斜めに北上し大正天皇の墓所である多摩御陵までをつなぐ、その名も御陵線でした。 路線としては、グーグルなどの地図で見ると分かりやすいですが、山田駅から北西に伸びる道路がJR中央線と河川の南浅川を越えてから南西に緩くカーブを描いて陵南公園の手前で止まるまで、これがおおよその線路跡のようです。 山田の先は途中に武蔵横山駅があるだけで終点の御陵前駅となります。 単線とはいえ築堤や高架を走っていた区間もあったようで、武蔵横山駅は中央線をオーバークロスした直後の位置に設けられていました。 終点の御陵前駅は昭和12年5月には多摩御陵前駅と名称を変更し、昭和20年1月に不要不急路線として休止されるまでそのままでした。 休止時点では国策で合併させられた東急(大東急)の駅でしたが、その年の8月に空襲で駅舎は焼失しています。 戦後も電車が走ることはなく、昭和39年に正式に廃止。その後、北野-山田間は高尾線の区間として復活しています。 現在も住宅地の中に当時の高架線橋脚が数本残っているようですが、焼失した御陵前駅跡に痕跡はなく、現在は内科医院が建っているようです。 ウェブを見れば廃線マニアが路線や駅跡を歩いた探索記が何件かヒットしますので、興味のある方は探してみてください。 このスタンプは昭和10年9月24日の押印日付で、改称前なので御陵前駅となっています。 なかなかに貴重な代物と思われます。 #駅スタンプ #京王 #御陵線 #御陵前駅 #多摩御陵前駅 #高尾線 #戦前 #昭和レトロ
スタンプ 昭和10年 京王御陵線showa_express
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シキシマパン100周年
パスコの名前で知られる名古屋のシキシマパンが2020年6月8日で創立100周年なのだそう。 1920(大正9)年に始まり、現状ではヤマザキに次ぐ国内シェアとのこと。 桜のマークで知られ、その中央にあるアルファベットのPはパン(Pan)のP。 今回のマッチラベルにはキャンデーストアのものが4種類含まれますが、全て同一店舗のものと思われる図柄で場所は名古屋の広小路。 広小路は通りの名前ですが、「(名古屋・栄にある)朝日神社の隣に敷島パンの喫茶店があった」という文献があり、昭和8年の地図を見ると確かに朝日神社の西側に派出所を挟んで「敷島パン」と記載があるので、ここじゃないかなと思っています。 いわゆる栄エリアになります。 この場所はさすがに空襲を経たとはいえ、神社は今も残ってますし、神社の隣の派出所は現在でも県警の幹部交番として存在してますので、おそらくこの場所かなと。 この場所で確定なら現在はビルになっていて、1階はファミマですね。 キャンデーストアというのは森永や明治といった製菓メーカーもやっていた、自社製品を売る(殆どの場合直営の)店舗で、その名のごとく自社のキャンデーなど菓子類を売っているわけですが、喫茶・軽食のコーナーも併設されている、メーカー直営の売店兼喫茶店ということになります。 なので、敷島の場合はパン屋ですので、菓子というよりパンの売店と喫茶店だったのでしょう。 #戦前 #敷島パン #シキシマパン #パスコ #名古屋 #広小路 #マッチラベル #昭和レトロ
マッチラベル 敷島製パン 名古屋/広小路/栄町showa_express
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山陽電鉄兵庫駅のスタンプ
日付が変わってしまい今日は6月7日ですが、昨日は山陽電鉄が設立された日だそう。 設立とは言っても元の会社・宇治川電気の鉄道部門が独立して電鉄会社ができた日ということになります。 ということで、記念に山陽電鉄の戦前スタンプ。 兵庫駅のスタンプですが、この駅は現存しません。 場所は現在のJR兵庫駅の北側の隣接地で、神戸高速の開通で廃止され同線の大開駅に代替されたそうです。 駅のあった場所は高層住宅やスーパーなどになっていますが、敷地が駅のターミナルの形をそのまま残しているようで、グーグルマップで見ると「いかにも」な感じ。 山陽電鉄は乗ったことありませんし、このエリアは地縁、血縁、土地勘皆無ですが、調べたところ、スタンプに描かれているのは「柳原えびす」と「能福寺の平清盛供養塔」ではないかと類推しております。 #駅スタンプ #山陽電鉄 #電鉄兵庫駅 #戦前 #昭和レトロ #廃駅
駅スタンプ 山陽電鉄 神戸市showa_express
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暑くなってきたので水着特集
昭和11年7月の宝塚パンフ表紙裏に載っていた東横百貨店の水着広告。 表紙の裏という一等地の広告だけあって、赤インクも使われて目立ってます。 この号のパンフには三越や高島屋といった常連も水着売り場の広告を出してますが、写真を使っているのはこの東横だけ。力入ってます。 一方、もう一つの常連・白木屋は夏のハイキング・登山用品で他社とは一線を画してますが、他の号ではしっかり写真付きで水着広告を出してますので、それはまた別の機会に。 気になる水着のお値段ですが、残念ながらこの広告には記載がありません。 しかしほぼ同年の関西紙にあった大阪の白木屋の広告によれば 婦人用海水着:55銭 大人用海水着:36銭 子供用海水着:25銭 とのことで、ちょっと不安を感じる安さ。 昭和10年のコーヒー1杯は15銭でビール大瓶は1本33銭だったそうなので、やっぱり安いような気がしますねえ。 なお、浮き輪は50銭でした。 #戦前広告 #東横百貨店 #水着
戦前広告 東横百貨店 昭和11年showa_express
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横浜のスケート場
渋谷の方に向かう東横線が大倉山駅を出発し、直線に入ってすぐ左手にこのスケート場があったらしいです。 電車から見えたかどうかは分かりませんが。 現在の住所としては港北区の大曽根台で、その中でもかなり線路に近い場所で、現在では住宅地になっているそう。 どうやらこのあたりは気温が低かったようで、池に張った天然氷を切り出して売っている人がいたらしく、それがスケート場に変化したようです。 昭和3年から営業が始まり、後に東急の出資が入って昭和11年から昭和22年まで、この広告にある「大倉山天然スケート場」として営業していたみたいですね。 個人サイトの記述によれば、入場料は1時間25銭、貸靴は1時間20銭だったとか。 冬のいっときだけの営業でしたが、都心から一番近いということで、賑わったようです。 東京宝塚劇場での昭和16年2月・月組公演パンフレットに載っていた広告です。 東横電車は東京宝塚には沿線ハイキングなどちょくちょく広告を出しており、これもそのひとつ。 #戦前 #広告 #宝塚 #東京宝塚劇場 #東横電鉄 #東急 #スケート #昭和レトロ
戦前広告 東横電鉄 昭和16年showa_express
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右を向いている花王のロゴマーク
しかも顔がおじさんだし。 今の花王のロゴマークは線がスッキリしていて、公式サイトによれば子供の顔なのだそう。 右を向いていた顔が左を向くようになったのは同社サイトの「ロゴマークの変遷」によると昭和18年から。 向きが変わっても顔はおじさんのままで、それが戦後の昭和23年からは女の人になり、今の見慣れた顔になったのは昭和28年からだそうです。 これは戦前に送られた花王のダイレクトメール。 宛名面にある差出人は「花王石鹸株式会社長瀬商会」で、淀橋区内の顧客に送った(東京)市内郵便。 日本橋局の市内郵便スタンプが押されてますが、日付はありません。 「花王パート」という婦人用洗顔料の広告ですが、チューブに英語で「CLEANSING AND SHAVING CREAM」とあるので、洗顔以外に産毛などを剃る用途にも使えたようですね。 宛名面の下部には発売を告知する次のような宣伝文が記されています(表現は原文のママ): 「花王パートは汚れを落す後から皮膚榮養素が作用きお肌を血色よく滑らかに整へる最も進んだ洗顔料でございます(1字空き)特にお化粧前の御洗顔は不思議な位白粉ののりをよくし又素肌を艷やかに色白くする作用のために清楚第一の女學生方の洗顔美容料としても理想的でございます」 申し込めば試供品が送られることも併記されています。 化粧品関係の宣伝ハガキは当時からカラフルで、資生堂、レート、クラブ、ライオン、カガシなど、どれも多色刷りのものばかりです。 #広告ハガキ #花王石鹸 #戦前 #昭和レトロ
広告ハガキ 花王石鹸 花王パートshowa_express