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今日は帝劇、明日は三越
とは言うものの、大正時代のコピーで謳われる三越は日本橋本店のことで、銀座の三越は1930(昭和5)年開業。 百貨店の広告マッチの図柄で建物を描いているものは、大半が地上の斜め前方から捉えたものなので、このように上から俯瞰したデザインになっているものは珍しい部類に入ります。 銀座三越の場所は変わっていないから、図柄の中で左上が京橋方向、右上が歌舞伎座方向ということになりますね。 #マッチラベル #戦前 #三越
マッチラベル 東京/銀座 戦前showa_express
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名古屋=鯱
昭和10年の5月に押された松坂屋本店のスタンプ。 名古屋発祥の百貨店で、名古屋=名古屋城=金のしゃちほこ、という当該エリアによくある図式で、鯱(しゃち)が描かれています。 名古屋は鯱が好きなので、J1の名古屋グランパスも鯱ですし、印章で有名な「シヤチハタ」も漢字で書けば鯱旗で、本社は名古屋です。 名古屋にはほかにもカレーうどんの名店「若鯱家(わかしゃちや)」、昔は東急グループだった観光バスやタクシーの「鯱バス」「鯱タク」というのもありますし、名古屋の守山が本拠の陸上自衛隊第10師団は「金鯱(きんこ)師団」とも呼ばれ、隊旗には鯱が描かれています。 そういや戦前に存在した名古屋のプロ野球チームも名称は「金鯱軍(きんこぐん)」でした。 これほどまでに名古屋=鯱なのです。 なので、スタンプに鯱が(ついでに)あしらわれているのは自然なことです。 さて、百貨店の方ですが、2000年に名古屋駅に高島屋(ジェイアール名古屋タカシマヤ)が開店するまでは、市内には松坂屋以外にオリエンタル中村(現・名古屋三越)、丸栄(2018年閉店)、名鉄百貨店、といった百貨店がある(あった)のですが、伝統と由緒のある松坂屋で買い物をすることが昔からステータスだったらしく、代々の名古屋人には現在も受け継がれているそう。 事情通によると、同じ百貨店であってもオリエンタル中村は「まあ普通」の存在で、丸栄は「気兼ねなく、おばちゃんがつっかけで買い物に行く場所」、名鉄百貨店は「電車で近郷近在からやってきた人たちが行く(名古屋の人はわざわざ行かない)垢抜けないお店」という扱いで、松坂屋こそは「ここ一番の良い(高い)買い物をするための店」という存在だったらしいです。 極端な話、同じ商品であっても松坂屋の包装紙で包まれているものをもらったら、それだけで価値がある=ステータス、と言っても過言ではなかったそうで、それは圧倒的パワーを誇る高島屋が存在する現在であっても、一部の名古屋人にとっては普遍的事実らしい。 それがまさか大丸と一緒になってしまうとは。 それを言い出すと三越と伊勢丹も一緒になってしまいましたが、時の流れというのは恐ろしいものです。 #スタンプ #戦前 #松坂屋
スタンプ 名古屋 昭和10年showa_express
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名物の野球とは何なのか
神戸・元町で高砂屋ってあるので、デパ地下にも入ってる今の「本高砂屋」のことだと思います。 本高砂屋って屋号になったのは昭和20年で、それまではただの「高砂屋」だったと同社のサイトにも出ていました。 問題は「名物」のところにある「野球」! 「滋養ポテト」や「きんつば」は、分かる。 野球って何すかね? 同じサイトの沿革には「野球カステラとラグビー饅頭が人気だった」とあるのですが、どんな代物なのかは記載も写真もないので不明です。 また、神戸の郷土史を調べているサイトに、ほぼ同じ時代のものと思われる他の図柄のマッチラベルが出ており、そこには高砂屋の「野球せんべい」の絵が出ていました。 絵が小さすぎて分かりにくいのですが、その「野球せんべい」はホームベースの形をした箱に入っているように見えます。 今も「野球せんべい」とか「野球カステラ」という名の商品は高砂屋と全く関係ない(と思われる)店から出てるみたいですが、素性の分からん商品は参考にならないし。 ということで、名物の「野球」は「せんべい」か「カステラ」か、あるいは両方のことでしょう~ #マッチラベル #戦前 #高砂屋 #菓子 #昭和レトロ
マッチラベル 神戸/元町 戦前showa_express
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今じゃ東京ミッドタウン日比谷
その昔は「三井紅茶」という名前だったらしい「日東紅茶」。 なぜに日東なのかは公式サイトにも記載がないので分かりませんでした。 戦前、庶民には高嶺の花だったという紅茶をより広くPRするため、昭和13年に日比谷に開設した喫茶店がこのコーナーハウス。 戦後もミッドタウンになる前の日比谷三井ビルディングの中にテナントで残ってましたが、ビルの解体とともに姿を消しました。 #マッチラベル #戦前 #日東紅茶 #三井農林 #喫茶店 #昭和レトロ
マッチラベル 東京/日比谷 戦前showa_express
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投票に行かないと粛清されちゃうのは嫌だなあ
選挙権があるのに投票に行かない奴は消毒だ! 投票率を上げるためとはいえ、シュクセイされちゃうのは嫌だなあ・・・仕方ない、投票所に行こう。 というわけではなく、シュクセイの字は「粛清」ではなく「粛正」。 買収とか贈収賄による不正を廃し、清き一票で人を選ぼうという「選挙粛正運動」。 それをPRしているのが、このマッチラベルで、これは芝区役所と表記されていますが、市や県単位のもなどいろいろ残っています。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #選挙
マッチラベル 東京 戦前showa_express
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大雑把過ぎる5000系
あまりにも大雑把な5000系の描かれた東西線全通記念の乗車券。 ヘッドライトぐらい描けよなあ・・・ 東陽町から西船まで延びて両端で国鉄との乗り入れが始まっったわけですが、混雑する国鉄総武中央線のバイパスが目的だったから、開通当初の延伸区間沿線は人なんてろくに住んでおらず田んぼだらけ。 当然土地も安いから地下ではなく高架で建設したわけです。 昭和40年代後半に親戚の一人が浦安に越しまして。 ディズニーランドもあるわけなく、みんなで「うらやす? 何やそれ? 初耳~」などと笑っていたんですが、こんなに有名になっちまうとは! #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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現在のキーコーヒー・・・なのかは不明
キー(KEY)コーヒーは現在も普通に手に入る日本の代表的なコーヒーブランドですが、1928年に横浜で創業したときは木村商店の屋号で、昭和3(1928)年に木村コーヒー店になったそうです。 企業沿革にも奉天出張所開設(1935年)と出てますから、このマッチラベルはたぶん現在のキーコーヒーの物と見て間違いないとは思うのですが、沿革には台湾農場や京城支店のことは出てはいません。 ただ、農場もつくって外地にも支店を複数出すのは企業体力がないと無理だろうから、ほぼキーコーヒーで間違いないとは思います。 #マッチラベル #戦前 #キーコーヒー #昭和レトロ
マッチラベル 広域 戦前showa_express
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御召艦比叡
Naval Reviewだから観艦式の記念マッチですね。 1936年の神戸だから比叡が2度目の御召艦になった特別大演習。 この4年後の紀元2600年特別観艦式が旧帝国海軍最後の観艦式で、YouTubeで探すといろいろヒットしますが、1936年のは1本しか見当たりませんね。探し方が悪いのかな・・・ 観艦式記念のマッチラベルは結構種類があります。 カフェーや食堂に「○○会館」といった大型施設から町の商店、喫茶店などさまざま。 百貨店の宣伝のついた路面電車の記念乗車券とかもあって、歓迎ぶりがうかがえます。 水兵さんとかが上陸すれば、すなわち商機ですしね。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #神戸 #観艦式
マッチラベル 神戸 1936年showa_express
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船で行く伊勢神宮参拝
戦前の旅行雑誌「旅とカメラ」(昭和13年3月臨時増刊)に載っていた、お伊勢参りチャータークルーズの広告。 竹芝-鳥羽の往復で、現地での一泊と食事、バス代など含め12円50銭とあります。 船は東京湾汽船(現・東海汽船)の橘丸で、一部に流線型を採用し「東京湾の女王」と呼ばれたらしい。
戦前広告 昭和13年 旅とカメラshowa_express
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営業100キロ突破記念~千代田線バージョン
営団地下鉄の営業100キロ突破記念乗車券の千代田線バージョン。 昭和44年12月20日に北千住-大手町で開通した千代田線は、6000系が竣工していなかった関係で、東西線と同様の5000系で営業をスタート。 この乗車券の絵柄を見ると長めの編成に見えるけど、開通当初は3両編成(10編成:計30両)でした。 しかし1年後の昭和45年12月14日には中間2両を増備し5連化。 ただ編成数は変わらず10編成。 昭和46年になり3月20日の大手町-霞ケ関延伸開業と、4月20日の北千住-綾瀬延伸及び常磐線直通運転をもって10連化されました。 5000系は5連2本を繋げ10連化(10連×5本)し、6000系は13編成新造し、千代田線は両系列合わせ18編成の陣容となりました。 千代田線の5000系は東西線のお古ではなくレッキとした新造車で、製造年も6000系と2年しか違わないにも関わらず、乗客からは「ハズレ」的な印象で見られていたようです。 代々木上原開業後も残っていましたが、小田急への直通はありませんでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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大晦日終夜運転のマッチラベル
大晦日おなじみの鉄道終夜運転。 果たしていつから始まったのかはよく分かりません。 個人のブログなど徘徊すると大正8年の省電とか大正12年の京阪とか諸説あるようですが、真贋は不明です。 電鉄系のマッチラベルを集中的に集めてはいるのですが、終夜運転ものはこの愛知電鉄のしかありませんでした。 終夜運転でなく徹夜運転と記されてますが、なんか終夜より徹夜の方が一生懸命感が伝わってきますね。 愛知電鉄は現在の名鉄の神宮前から東の区間を開通させた私鉄。 「豊川まで」とありますので、豊川稲荷への初詣輸送をPRするものですね。 ただ、愛電単独で豊川に線路を伸ばしていたのではなく、すでに豊川を通っていた豊川鉄道に、愛電の伊奈の先で線路を豊川鉄道の小坂井駅に繋げて直通運転していたもので、この区間は資料では小坂井線というらしい。 この直通が始まったのは大正15年の4月。 愛電は昭和2年には伊奈から先、今の豊橋まで線路が伸びて全線開通となりましたが、そのとき入った電車が「電7形」という形式。 で、このマッチラベルの電車が「電7形」かというと、最近発行された「名古屋鉄道車両史」の上巻に出てる写真と見比べると、前照灯の位置が違うような。 「電7形」のヘッドライトは電車正面の「へそ」の辺りに付いてるのですが、この図柄ではそれが描かれていません。 まあ、大雑把な絵なのでアレですが、特徴的な「へそ」の前照灯を描かないわけもないだろうから、これはその後昭和3年に製造され、ヘッドライトが「おでこ」部分にあって、尾灯も絵のように左下1灯だったデハ3300形なのかなと、勝手に類推しております。 デハ3300は「あさひ」号と呼ばれ、神宮前-豊橋を60分で走破する超特急にも使われたそうです。 豊橋まで60分なら豊川も似たようなもんでしょう。 ということなので、豊川乗り入れが大正15年だけど、電車がデハ3300という前提で、このマッチラベルは昭和3年以降のものなんじゃないかな。 2枚目は年が明けて初詣の案内です。 #マッチラベル #愛知電鉄 #名古屋鉄道 #初詣 #終夜運転 #豊川稲荷
初詣 マッチラベル 愛知電鉄showa_express
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CAFE PARIS
山形/鶴岡にあったCAFE PARISのマッチラベル。テンプレ的デザインで似た図柄のカフェーマッチは多い。
マッチラベル 山形県鶴岡市 戦前 カフェーshowa_express
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百貨店「ほてい屋」のマッチラベル
四谷にあった百貨店「ほてい屋」のマッチラベル。創業は1877年とのこと。 その後、新宿に進出し1926年に現在の新宿三丁目交差点角の店舗が営業を開始したものの伊勢丹に買収され、それが現在の伊勢丹新宿店。 マッチラベルの左下が折れてるのがちょっと残念。 無理にのばすと破れてしまうのです。
マッチラベル 東京/四谷 戦前showa_express
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昭和恐慌が終わったので
昭和8年に行われた第1回大阪商工祭。 それを記念したチェリーのパッケージです。 昭和恐慌が終わって、さあ、商都大阪を盛り上げようと企画されたイベントで、期間は同年11月2日から4日までの3日間だったそうです。 大阪商議所のサイトによれば、市内全域で大売り出しが行われ、大阪城から天王寺まで時代行列が練り歩き、公会堂では講演会、街には花電車や花バスが走り、夜には打ち上げ花火や提灯行列まで行われたといいますから、かなりの熱気に包まれていたんでしょうね。 描かれているのは大阪城の主だった太閤秀吉の千成瓢箪。 2枚目と3枚目にはマッチラベルもありますが、こちらは11月1、2日とありますので、別の年のものかと思われますが、何年なのかは分かりません。 #タバコパッケージ #マッチラベル #戦前 #大阪商工祭
タバコパッケージ 大阪 昭和8年showa_express
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亜欧連絡飛行の神風号
TEA ROOM KAMIKAZEのマッチラベル。 カミカゼと言っても戦前のものなので、特攻ではなく日本-ロンドンを飛行した朝日新聞の神風号のことでしょう。 陸軍から97式司偵の払い下げを受け、昭和12年4月6日に立川を離陸し10カ所を経由して94時間17分ちょっとでロンドンに到達したそうです。 #マッチラベル #戦前 #喫茶店 #飛行機
マッチラベル 不明 戦前showa_express
