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十一って何やねん。十三ちゃうんかい
最初このラベル見たときは漢数字で十一(じゅういち)って書いてあるのかと思いましたよ。 阪急のマークが付いてるから十三だろとマジで考えたのですが、電灯とか電力って書いてあるから、ああこれはプラスとマイナスなんですね。 ラベルの下に描かれているのは阪急の昔のマーク。 阪神急行時代と京阪神急行時代では微妙にデザインが異なるんですが、これはどっちかなあ? 両者の特徴が変に混ざってるので判別が難しいです。 それはさておき、当時の電鉄会社は自社で発電した電気を沿線にも供給しており、そのためにこういった宣伝をしたのでしょう。 当時の鉄道会社にとって売電での儲けは運賃収入と並び大きな収入源となっており、中には電力会社がついでに電気鉄道をやっていた例まであるほど。 なまじ配電を握っていたため、当時大阪-神戸間で熾烈な乗客争奪戦を展開していた阪神による阪急臨時駅前の街路灯消灯事件といった嫌がらせまで起きています。 非常に儲かる事業ではあったものの、戦時中の国家総動員法などにより、電力事業は大手の電力会社(阪急の場合は現在の関電)に統合され、電鉄系の配電事業は消滅しました。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #阪急
マッチラベル 大阪、兵庫 戦前showa_express
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戦前の自動車専用道路
現在の国道2号線(1926年12月開通)を走っていた阪国バス。 正式名称は阪神国道自動車で、1928年設立。梅田から野田阪神を経由して東神戸まで運転していたらしい。 この国道を通るバスは実に37社から路線免許の出願があったものの、同じ国道上に路面電車を通す予定だった阪神国道電軌が取りました。 この路面電車は1927年に開通したが、翌年阪神に買収され阪神国道線(1975年廃止)となりました。 阪国バス自体も1932年には阪神系列となったため、阪国バスは現在の阪神バスの母体ということになります。 梅田から東神戸だけでなく、このマッチラベルにあるように尼崎から省線宝塚駅前までの路線もあり、結構繁盛していたらしい。 宝塚までの路線は阪神系列の宝塚尼崎電気鉄道が鉄道用に整備したものが始まり。 しかしいろんな理由で鉄道の計画は頓挫し、線路用地を舗装して自動車専用道路として整備することとなり、この路線を走ったのが、阪国バスの「省線宝塚駅マデ乗入開通」の区間ということになります。 「東洋一自動車専用道路」とあるとおり、当時としては珍しい自動車専用道路で料金所もあったそうですが、資料によっては「バス専用道路」としているものもあって、どっちが正解なのかは不明です。 この道路はその後、戦時中に兵庫県の県道となり、現在の兵庫県道42号尼崎宝塚線となっています。 なお、有料道路としては日本初なのか関西初なのかは分かりません。 有料の橋などは明治以前からあり、これを有料道の一種とすると日本中に「我こそが日本初」というのが、あまりにも多いらしく、断定ができないからだそうです。 阪国バスのマッチラベルは当時のバス会社の中では比較的多く残っている部類に入り、回数券の案内や行楽など図柄も多様です。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #阪国バス
マッチラベル 大阪、兵庫 戦前showa_express
