高田賢三とは?

高田賢三(1939年2月27日-2020年10月4日・兵庫県出身)は、フランスのラグジュアリーブランド「KENZO(ケンゾー)」の創業者として知られているファッションデザイナー。
文化服装学院を卒業後、単身フランス・パリに渡る。1969年に「Jungle Jap(ジャングルジャップ)」と自ら差別用語を用いたブティックをパリにオープン。1970年春夏コレクションを自身のブティックで行なったが、金欠により日本から和服の生地を取り寄せて服を制作。それが功を奏して、着物地のワンピースが雑誌『ELLE』の表紙を飾った。
1970年、パリ・コレクションにデビューを飾る。新しいものを多く採り入れ、ファッションの既成概念をことごとく打ち崩した。花柄を多用、カラフルな色彩、世界の民族衣装を積極的に採り入れるなど、モード界に多大な影響を与え、70年代のファッション業界をイヴ・サンローランとともに牽引した。
1993年、LVMHがケンゾーの株式を買い取る形で新会社を設立し、高田はケンゾーの創作活動に専念することになったが、2000年春夏コレクションで引退。その後、自身の名を冠した「高田賢三」という新会社を設立し、2002年にブランド「YUME」を発表した。
2021年9月には、ア・ベイシング・エイプの創業者でヒューマンメイドも手掛ける「NIGO®️(ニゴー)」がケンゾーのアーティスティックディレクターに就任したことも話題となった。

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その問いに答えるかのように、山田さんは挑戦を続けている。世界に通用するメイド・イン・ジャパンのファッションブランドを作る。そう決意し、29歳で起業してからこれまでに訪ねた工場は700を超えた。現在は優れた技術とこだわりを持つ55の工場と一緒に“語りたくなる服”を作っている。商品のタグには生産する工場の名前を入れ、販売価格は工場が決めるというユニークな仕組みも取り入れた。丈夫で長く着られるうえに、職人のこだわりを随所に感じる服は、多くの顧客に支持されている。

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