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交通公社の時刻表 時刻表 1964年 2月号
交通公社の時刻表 時刻表 1964年(昭和39年) 2月号 東京オリンピック開催年の時刻表。時期的に大きな動きはありませんが、当時を偲ぶことができる紙面内容です。 表紙は特急つばさ号の側面の写真。当時のつばさ号ですから、キハ80系列車でしょうか。 スキー列車の一部ですが、当時は「銀嶺」というのがスキー列車の代名詞のなか、中軽井沢駅行には「銀盤」号があります。これって、スケート臨時列車って理解していますが、あってますよね。写真にはないんですが、銀線号もあり、これもスケートだと思っています。 当時の東海道本線の列車。151系特急電車がまだ活躍している時代、時刻表にはこだま号、はと号といった電車列車に「展望」のマークが。先頭車はボンネットながら展望という記事は、一等車パーラーカーを指しています。ネット上の記事では、新幹線のグランクランスよりも儲かったとか。 時刻表のお楽しみページでは、あなたは何型ですか?と、時刻表ファンを勝手に分別している企画がありました。私はコレクション型かもですね。 #時刻表 #キハ80系 #つばさ号 #151系 #パーラーカー
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第二次世界大戦開戦直前のヨーロッパ鉄道時刻表の復刻版 Cooks Continental Timetable Aug. 1939 復刻版
Cooks Continental Timetable Aug. 1939 復刻版 英国Cooks社が出版していた時刻表を、David & Charles Publishersという出版社が復刻版として発売したものです。 ハードカバーのしっかりとした時刻表。復刻版らしい風貌でw タイトルに書かれている通り、この号は、1939年8月号であり、1939年9月のドイツのポーランド侵攻を開戦と見た場合、その開戦直前の号となります。 2つの大戦のはざまの時期は、ヨーロッパの国際列車の隆盛期と言えます。特にドイツ帝国の鉄道網拡大策の3B 政策(Bはベルリン、ビザンティウム(今のイスタンブール)、バクダード)の結果として、ロンドンからバクダートはじめ、テヘラン、モスルまでもが鉄道(一部航路、バス)で結ばれたという今では信じられない時代でした。オリエント急行は、まさに「東方の」とさす言葉ですが、ヨーロッパ各地からトルコのイスタンブールをはじめ、中東各都市と結ぶ国際列車として名を馳せていました。 そのオリエント急行の時刻表を4点 ・オリエント急行 ・シンプロンオリエント急行 ・アールベルグオリエント急行 ・オーステンドウィーンオリエント急行 日本でいうオリエント急行は「豪華列車」の側面が大きく取り上げられますが、旅客機による移動が一般的出なかった時代では、寝台と食堂車を備えた国際列車がとても重宝されており、目的地、経由地によってオリエント急行のバリエーションが増え、複雑に解併結するダイヤで運行されていました。 #時刻表 #オリエント急行 #復刻版 #第二次世界大戦 #3B政策
時刻表冊子 海外 Cooks Continental Timetable Aug. 1939 David & Charles Publisherstime_table
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交通公社の時刻表 1977年 10月号(お得意様用)
交通公社の時刻表 1977年(昭和52年) 10月号(お得意様用) 日本交通公社が配布していた取引様向けの時刻表。表紙は当時の交通公社が展開していたと思われる西九州キャンペーンにちなんだもの。市販では日豊本線を走るにちりん号が表紙だったようです。 さてこの号でのお知らせですが、新幹線半日運休、東海道線・福塩線での時刻修正、シルバーシート設置先駆の拡大、駅名の改称(奥羽本線 温海駅からあつみ温泉駅へ)などありますが、後世に残るものといえば「特急・急行列車用グリーン料金の大幅改定(値下げ)でしょう。 この記事だけを見るととても良心的な対応に見えますが、1975年11月に実施された特急・急行料金、グリーン、寝台料金の大幅値上げで利用客離れを引き起こしたため、やむなく1977年9月20日に特急・急行のグリーン車、A寝台車料金を30%値下げしたというもの。すでに始まっていた客離れに歯止めがかかったのかは、10年後に国鉄民営化を迎えたという結論からも分かる通り。 ピックアップしたのは、ビバ.ホリデー号について。 付録ページに掲載された情報では、臨時列車が運転された模様。 筆者は、紙面内に「ビバ.ホリデー」の文字が見られると小躍りしていましたが、実態は定期列車にビバ.ホリデー用の増結車両を連結したものだったよう。残念。。ちなみにこのビバ.ホリデーには、 ・ビバ.ホリデー栗ひろい号 ・ビバ.ホリデーいも掘り号 ・ビバ.ホリデーみかん狩り号 ・ビバ.ホリデー秋の味覚号 →いろいろ文献あたってみましたが、おそらくかつての「ワッペン列車」が・ビバ.ホリデーに化けたような気がします。 #時刻表 #にちりん号 #国鉄値上げ #ビバ.ホリデー号
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交通公社の時刻表 1979年 1月号
交通公社の時刻表 1979年(昭和54年) 1月号 表紙は鎌倉駅の旧駅舎。写真にある時計台は、1984年の駅の改装をきっかけに、いまでは西口の待ち合わせスペース(公園?)に移設されています。 この号でのお知らせには、新幹線の工事に加え、黒磯駅構内工事の影響をうける夜行列車の運休、時刻変更が掲載されています。 車両シリーズは381系特急型電車。当時は中央西線のしなの号と、紀勢本線のくろしお号の2路線で活躍。伯備線のやくも号は当時ディーゼル特急でした。ちなみに伯備線電化開業は1982年7月となっています。 ピックアップしたイベントですが、「特急新雪3号でお楽しみプレゼント」。俗に言う平日運行列車の利用促進企画が打たれていました。車内イベントを事前に紙媒体を使って告知していたことに時代を感じますし、抽選方法も車両ごとに全員参加の抽選をしていたとのことですから、なかなか手が込んでいた企画だったようです。 #時刻表 #鎌倉駅 #381系 #しなの号 #くろしお号 #新雪号
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時刻表 1977年 3月号 (日本国有鉄道)
時刻表 1977年(昭和52年) 3月号 (日本国有鉄道) 表紙は北陸本線をはしる特急はくたか号。当時は、上野〜金沢間を長岡経由で結んでいた特急でした。 国鉄の業務用時刻表です。背表紙などに一部職員向け情報がある以外は、交通公社の時刻表と同じ。 白黒のグラビアながら、国鉄ページでは表紙と連携する形で北陸本線を取り上げています。雷鳥、加越、しらさぎと多数のL特急列車が設定されていました。当時のダイヤも取り上げています。 また、表紙にも記載のある「春の時刻改正」については、基本はエリア限定の小規模なものでした。 四国、山陰、南近畿において、所要時間短縮、新型車両の投入、接続改善、特急増発と、輸送改善が図られています。 そのほか、職員向けの「手引き」として、一枚のキップから という宣伝キャンペーンについて記事があります。コンセプトや媒体説明があります。当時の国鉄は値上げに次ぐ値上げが行われており、モータリゼーションとも相まって、いかに魅力的なサービスを提供できるかのトライアルをそれなりにやっていたようです。「それなり」とは現場では労組活動は以前活発な時期ですから、表面上の取り繕いでもやっておかねばという事情があったと推察します。 #時刻表 #国鉄 #北陸本線 #はくたか
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長野原線(現:吾妻線)延伸と改名など 交通公社の時刻表 1971年 3月号
交通公社の時刻表 1971年(昭和46年) 3月号 表紙は日豊本線を走る、寝台特急富士号。当時の鹿児島〜宮崎付近は非電化で、写真の通りDF50牽引による客車列車が多数設定されていたようですね。当時の時刻表紙面も取り上げてみましたが、富士号以外にも、ディーゼル特急にちりん号、急行南風号、えびの号、高千穂号、やたけ号、急行青島号と、懐かしさというか珍しい列車が満載です。 お知らせページでも取り上げられているように、長野原線が1971年3月7日に長野原〜大前間が延伸開業し、同時に線名が従来の長野原線から、現在の吾妻(あがつま)線に改名されました。 さてピックアップした列車ですが、特急とうほく号。一見なんでもない特急列車名ですが、上野から臨時やまびこ号とセットで設定されたレアな特急列車名。そもそも当時の臨時列車は急行で設定されることが多い中、臨時の特急が設定された列車は、意外に少ない。私が知る限り、1970年代初頭でしか設定されていない列車名です。 #時刻表 #富士号 #DF50 #吾妻線 #とうほく号
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オーストリア国内総合時刻表 1969年4月28日〜1970年5月30日
オーストリア国内総合時刻表 1969年4月28日〜1970年5月30日 ヤフオクで見つけた1969年のオーストリア国内の鉄道時刻表です。 が、ほぼドイツ語での記事なので、時刻表であることはわかるのですが、発行元など詳細な情報は不明。 ドイツ語を辞書片手に翻訳してみましたが、表紙からは時刻表であること、裏表紙は信用銀行の広告かな?と。 紙面について、子供の頃、オーストリア国鉄の優等列車といえば「トランザルピン号」だと絵本だか、子供向け鉄道本で知りました。この国際列車に使用されていた4010系はすでに現役退いているのですが、未だにこの電車のイメージが強く残っています。 そのトランザルピン号が掲載されている紙面を取り上げてみました。 スイス国鉄時刻表と紙面構成が似ており、国際列車TEEの全列車のダイヤが掲載されていたので、当時のヨーロッパ鉄道の様子を妄想するお供になります。 #時刻表 #オーストリア #トランザルピン #4010系 #TEE
時刻表冊子 海外 オーストリア国内総合時刻表 1969年4月28日〜1970年5月30日 不明time_table
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スイス国鉄時刻表 1968年4月〜1969年5月
スイス国鉄時刻表 1968年4月〜1969年5月 たまたまオークションで見つけて即落札しました。 手元にある1960年代のトーマス・クック時刻表は、1969年のみでしたので、スイス国鉄ながら、当時の国際列車のダイヤを知りたくて入手。 期待通り、スイス国鉄のみならず、欧州中のTEEのダイヤが掲載されていました。やった! 紙面には、ローカル列車からTEEまでしっかり掲載されていて、なんかお得感が満載! ・TEE ティチーノ号 ミラノ〜チューリヒ間の電車特急。 ・TEE ラインゴルト号 ・TEE レマノ号 これらの列車、どこかで深堀りしたいな〜。 #時刻表 #スイス #TEE #ティチーノ #ラインゴルト #レマノ
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鹿児島本線全線電化開業など 交通公社の時刻表 1970年 10月号
交通公社の時刻表 1970年(昭和45年) 10月号 全国ダイヤ大改正号のタイトル通り、新たなダイヤ、車両、サービスがスタートしています。 表紙は鹿児島本線を走る583系電車電車きりしま号。写真の寝台列車はこのダイヤ改正をもって運転開始したもの。鹿児島本線全線電化開業で鹿児島まで電車特急が走るようになります。きりしま号と同時に電車特急化されたのは有明号でした。当時は485系電車はまだ九州島内特急には「回ってこない」時代だったのですね。 そのほか、寝台特急あけぼの号が定期化され、上野〜青森間で運行開始されています。1970年夏から臨時寝台特急列車として上野〜秋田間を運転開始されて、10月から定期化された経緯があります。臨時列車は予行運転だったのかもしれませんね。 最後に、ピックアップした紙面ですが、東北本線の臨時特急もりおか号。ご存知でしたか?このような名前の特急列車が存在していました。この号では登場しませんが、同区間ながら、時期が変わると、特急とうほく号として運転されていたことも有るようです。詳細はここで明記はいたしません。 #時刻表 #583系 #有明号 #あけぼの号 #もりおか号 #とうほく号
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交通公社の時刻表 1971年 6月号
交通公社の時刻表 1971年(昭和46年) 6月号 表紙は奥羽本線を走行しているキハ82系特急型気動車のつばさ号。 紙面を取り上げてみました。当時は山形までは電化開業していましたので、特急やまばと号は電車特急となっていた時代。 夏の臨時列車設定、増発のお知らせページがありました。 新製車両を使用した毎日運転の特急として、しおじ71・72号、雷鳥71号、やまびと71号。当時大量に増備が続いていた485系を「新製車両」と呼んでいた時代。 ピックアップしてみた特急列車は、北海道・函館本線の特急エルム号。私の世代ですと、寝台特急として活躍していた時代を知るのみですが、ディーゼル特急として活躍していた時代がありました。1969年に特急北斗号から独立する形で登場したのですが、2年弱で、「元さや」の北斗に統合されています。 #時刻表 #国鉄 #つばさ号 #キハ82系 #485系 #エルム号
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「グリーン車」の名称が誕生した国鉄運賃・料金改定実施お知らせなど 交通公社の時刻表 1969年 5月号
交通公社の時刻表 1969年(昭和44年) 5月号 表紙は紀勢本線を走るキハ80系特急ディーゼル。くろしお号とのこと。 4月25日新幹線三島駅開業のほか、東京〜伊豆急下田間に特急が新設。特急あまぎ号です。当時は157系を使用していたのですよね。 また、国鉄運賃・料金改定のお知らせが、表紙をめくった次のページに挿入されています。この改定で誕生したのは「普通車指定席、自由席」「グリーン車」「B寝台」「A寝台」という名称です。従来の1等、2等の2本立てだった運賃、料金構成を2等を基準として一本化した結果です。時刻表の新しい記号も一覧が乗っています。 その他、東名高速道路のハイウェイバスが1969年6月から運転開始とのお知らせページもあります。この開業では、昼行バスだけでなく、東京〜京都、大阪の夜行便も設定されていました。全席リクライニングシート、冷暖房完備、トイレつき。当時の国鉄の技術の推移が詰まったサービスだったんですね。 #時刻表 #鉄道グッズ #あまぎ号 #157系 #東名高速バス #グリーン車
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東海道新幹線三島駅開業など 交通公社の時刻表 1969年 4月号
交通公社の時刻表 1969年(昭和44年) 4月号 表紙は伊東線を走る157系特急電車あまぎ号です。 この年の4月25日に新幹線三島駅開業に伴う新幹線と、特急誕生に伴う伊東線のダイヤ改正が行われました。誕生した特急は「あまぎ」号。157系使用は1976年までつづき、その後183系に置き換えられています。 新幹線三島駅開業前の路線図と時刻表紙面。三島開業前は熱海駅で折り返し列車が設定されていたんですね。 #時刻表 #鉄道 #157駅 #あまぎ号 #三島駅 #東海道新幹線
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交通公社の時刻表 1970年 1月号
交通公社の時刻表 1970年(昭和45年) 1月号 表紙は信越本線を走るあさま号。現在では「しなの鉄道線」となっている区間ですね。 1970年は、大阪万国博覧会が開催される年とあって、万博のコンセプトはじめさまざまな情報がグラビアページでも大々的に取り上げられていました。 また、周遊券のシンボルマークが誕生というお知らせもありました。いまは使われていないですよね。。 その他、この時期のスキー、スケート列車でレアなものを1つピックアップ ・八高草津スキー号 八王子から群馬県草津の最寄りとなる長野原まで、八高線を経由して運転されたスキー列車です。八高線経由だけでなく、夜行列車という形で設定されたのは珍しく、1971年以降で設定された履歴は確認できていません。 #時刻表 #鉄道グッズ #あさま号 #大阪万博 #八高線 #周遊券
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交通公社の時刻表 1969年 1月号
交通公社の時刻表 1969年(昭和44年) 1月号 表紙は、信越本線を走る、特急あさま号。181系特急電車でしょうか。当時の信越本線の優等列車の時刻表も掲載してみました。あさま号ですが、東京始発も設定されていたんですね。 この号では多数のスキー、スケート列車が掲載されていました。 そのスケート列車に着席約束をする「座席お約束票」と案内がありました。具体的なシステムについて無知なのですが、今のように座席管理システムが十分でないころのアナログながら、確実な仕組みだったんでしょうか。 スキー列車の代名詞、銀嶺号が多数設定されていた時代ですが、珍しいところとして「くろゆり銀嶺号」、「塩沢銀嶺号」など。またスキー列車ではないものの、六日町ゆけむり号、浦佐ゆけむり号、五日町ゆけむり号といった、ゆけむりシリーズも見逃せません。 また、年末年始の上野駅、東京駅ホームの混雑緩和対策として、上野、東京駅発の列車の一部が、他の駅出発、終着させる対応がこの頃はポピュラーだったようです。 始発駅には、品川、大宮、松戸といった駅名。終着駅には加えて、赤羽、日暮里という駅名も登場します。 #時刻表 #鉄道グッズ #国鉄 #あさま号 #181系 #銀嶺号 #ゆけむり
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成田線の電化完成など 交通公社の時刻表 1968年 3月号
交通公社の時刻表 1968年(昭和43年) 3月号 表紙は山陰本線を走行する特急まつかぜ号です。 この号では、春の臨時列車増発のお知らせに加え、成田線電化開業(佐倉〜成田)に伴う総武本線と成田線のダイヤ改正が取り上げられていました。電化も一部区間に限られていたので、例えば従来の急行もディーゼルのままですし、客車列車もまだまだ活躍している時代でした。 その他ピックアップしたのは、春スキー列車情報として、雪国シリーズについて。銀嶺とは別枠に設定された列車ですが、銀嶺との明確な違いはつかめていません。ただ、座席お約束票の配布対象がほぼイコールで雪国号シリーズであること。設定されていたのは ・急行奥羽雪国号 ・急行上越雪国号 ・急行信越雪国号 でした。 #時刻表 #国鉄 #鉄道グッズ #まつかぜ号 #成田線 #スキー列車
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