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1997 TAMIYA CATALOGUE
タミヤ総合カタログ 1997 1996年11月30日 第1刷
カタログ TAMIYA 700円 1997年ts-r32
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1992 TAMIYA CATALOGUE
タミヤ総合カタログ 1992 1991年11月24日 第1刷
カタログ TAMIYA 600円 1992年ts-r32
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1991 TAMIYA CATALOGUE
タミヤ総合カタログ 1991 1991年2月15日 第3刷
カタログ TAMIYA 600円 1991年ts-r32
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1990 TAMIYA CATALOGUE
タミヤ総合カタログ 1990 1989年12月1日 第1刷
カタログ TAMIYA 600円 1990年ts-r32
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PORSCHE 936-78
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.12 ポルシェ・936 FIAが1976年当時定めた2座席レーシングカー(競技車両B部門第6グループ)規定に合わせ1976年にデビュー。 エンジンはレギュレーションのターボ係数×1.4で3リットルに収まるよう排気量2,142cc。空冷の水平対向6気筒エンジンにシングルターボで540馬力を発生。 ル・マン24時間レース成績 1976年 ジャッキー・イクス/ジィズ・ヴァン・レネップ組が優勝。 1977年 ジャッキー・イクス/ユルゲン・バルト/ハーレイ・ヘイウッド組が優勝。 1978年 2位。 1980年 2位。 1981年 ジャッキー・イクス/デレック・ベル組が936-81で優勝。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1970年代ts-r32
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NISSAN SKYLINE GT-R NISMO (BNR32)
タミヤ 1/10 電動RCカー 日産・スカイラインGT-R NISMO (BNR32)
ラジコン 1/10 TAMIYA 1990年代ts-r32
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HKS NISSAN SKYLINE GT-R Gr.A
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.135 未製作
1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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AXIA SKYLINE GT-R Gr.A
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.109 未製作
1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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ZEXEL SKYLINE GT-R Gr.N
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.105 1990年のスパ・フランコルシャン24時間レースのFISA-Nクラスに参戦、福山/服部/A.C.ベルネイの55号車は2位の成績を収めました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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CALSONIC SKYLINE GT-R Gr.A
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.102 1990 全日本ツーリングカー選手権 (JTC) No.12 日産・スカイラインGT-R BNR32 チームインパル 星野一義/鈴木利男 デビューイヤーである1990年シーズン、チームインパルは全6戦中、鈴鹿での2位を除く5戦で優勝、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得しました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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NISSAN SKYLINE GT-R
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.90 日産・スカイラインGT-R 3代目 BNR32型(1989年-1994年) 1989年8月21日発売。 KPGC110の生産終了より16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動の集大成として開発されたR32型GT-Rは、ATTESA E-TS、Super HICASといった最新デバイスに加え、専用設計されたエンジン RB26DETTを搭載し、日本初の300PS車として発売される予定でしたが、自主規制により、カタログ上は280PSとされました。 RB26DETTの排気量は、2.6Lという中途半端な排気量設定がされていますが、これはグループA規格で行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)のレギュレーションに対応させたことが理由。 GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後ブリスターフェンダーの幅拡大、アルミ製のフロントフェンダーとボンネット、スリット式フロントグリル、専用フロントバンパー、専用リアスポイラー等。内装も、シート、ステアリング、インストゥールメンタルパネル、センターコンソール等が異なり、乗車定員も4名とされました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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TOYOTA SPRINTER TRUENO GT-Z
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.72 トヨタ・スプリンタートレノ 5代目 AE92型(1987年 - 1991年) 1987年5月に登場。このモデルからFF化され、ボディは2ドアノッチバッククーペに1本化されました。 FF化は販売面では功を奏し、トレノとしては未曾有の販売台数を記録しました。 GT-Zはスーパーチャージャー付き4A-GZE型エンジン搭載で出力は145ps/6,400rpm、トルクは19.0kgm/4,400rpm。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1980年代ts-r32
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McLAREN HONDA MP4/4
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.22 マクラーレン・MP4/4 マクラーレンが1988年シーズンに投入したマシン。 MP4/4の設計は1987年夏の終わりごろから本格的にスタート。エンジンをTAG(ポルシェ)からホンダに変更しましたが、これが明らかにされるのが遅かったため、6か月でデザインを完了させ、シェイクダウンは開幕戦の11日前でした。 開発着手の遅れの影響が懸念されていましたが、開幕当初から他チームを圧倒する速さと高い信頼性を発揮、全16戦中、イギリスGPを除く15回のポールポジションと、イタリアGPを除く15回の勝利、ワンツーフィニッシュは10回を数え、獲得したコンストラクターズポイントは199点で、2位フェラーリ(65ポイント)の3倍以上の、F1史上でも類を見ない記録を打ち立てました。 アラン・プロストとアイルトン・セナの両マクラーレンドライバーによって争われたドライバーズチャンピオン争いは、7勝のプロストに対し8勝を挙げたセナが自身初のドライバーズタイトルを獲得しました。 ターボエンジン最終年のこの年、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられ、ターボエンジンに求められる燃費性能はより厳しくなりましたが、ホンダは低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒しました。 エンジン:ホンダRA168E 1,494cc 80度V6ターボ ホイールベース:2,875mm 前トレッド:1,824mm 後トレッド:1,670mm
プラモデル 1/20 TAMIYA 1988年ts-r32
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BENETTON FORD B188
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.21 ベネトン・フォードB188 ベネトンが1988年シーズン用に開発したマシン。設計はロリー・バーン。 1988年を最後にターボエンジンが禁止され、1989年からは自然吸気エンジンのみで争われることになり、ベネトンチームは1年早く自然吸気エンジンを搭載することとし、DFZの改良モデルとなるDFRを搭載しました。このエンジンは1988年シーズン、ベネトンだけに供給されました。 派手なカラーリング、ペンシルノーズ、サイドポンツーン上のエアインテーク、大きなフロントウイングと小さなリアウィングが特徴。 1988年シーズンは最上位は3位でしたが、3位をブーツェンが5回、ナニーニが2回記録し、コンストラクターズランキングは3位の成績でした。 エンジン:コスワース・DFR V型8気筒・90度 3,500cc ホイールベース:2,692mm、前トレッド:1,816mm、後トレッド:1,682mm No.19はアレッサンドロ・ナニーニのマシンです。
プラモデル 1/20 TAMIYA 1988年ts-r32
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LOTUS HONDA 99T
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.20 ロータス・99T 1987年シーズンのマシンで、設計はジェラール・ドゥカルージュ。 ドライバーはアイルトン・セナと中嶋悟。 1987年シーズン、ロータスはエンジンをルノーV6ターボから、ホンダV6ターボに変更し、セカンドドライバーには日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟を迎えました。メインスポンサーは長年のパートナーだったJPSからキャメルに代わり、ボディーはキャメルイエローになりました。 モナコGPとアメリカGPで、セナが2連勝。イギリスGPでは、セナが3位、中嶋が4位に入賞し、1位のナイジェル・マンセルと2位のネルソン・ピケのウィリアムズ勢とともにホンダエンジンの1-2-3-4フィニッシュを成し遂げました。このレースの興奮は今でも鮮明に覚えています。 エンジン:ホンダRA167E 1,494cc 80度V6ターボ ホイールベース:2,730mm 前トレッド:1,791mm 後トレッド:1,641mm
プラモデル 1/20 TAMIYA 1980年代ts-r32
