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奥の細道シリーズ 大垣
奥の細道シリーズ切手 第10集 大垣 蛤のふたみに別行秋ぞ 芭蕉は陰暦八月二十日過ぎに大垣に着き、そこで「奥の細道」の旅は終わりました。しかし漂泊の人芭蕉はさらに旅を続けます。この句は大垣の人々への留別の句であり、「奥の細道」の結びの句でもあります。大意は「蛤の蓋と身が離れにくいように、私にとって別れがたい大垣の人々だが、ここに別れて私は伊勢の二見が浦を見に行く。折から季節も秋が行こうとしており、別れのさびしさが一層身にしみて感じられることだ。」
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 大垣 蛤
奥の細道シリーズ切手 第10集 大垣 蛤 蛤のふたみに別行秋ぞ 芭蕉は陰暦八月二十日過ぎに大垣に着き、そこで「奥の細道」の旅は終わりました。しかし漂泊の人芭蕉はさらに旅を続けます。この句は大垣の人々への留別の句であり、「奥の細道」の結びの句でもあります。大意は「蛤の蓋と身が離れにくいように、私にとって別れがたい大垣の人々だが、ここに別れて私は伊勢の二見が浦を見に行く。折から季節も秋が行こうとしており、別れのさびしさが一層身にしみて感じられることだ。」
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 種の浜
奥の細道シリーズ切手 第10集 種の浜 さびしさやすまにかちたる浜の秋 芭蕉は陰暦八月十六日に敦賀湾の北西部にある色の浜に遊びました。「浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり、ここに茶を飲、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ感に堪たり」でした。この句はそのときの感銘をのちに思い起して詠んだもの。須磨は「源氏物語」に「またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり」とあり、古来さびしい秋の情趣の地として有名でした。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 種の浜 浜の秋
奥の細道シリーズ切手 第10集 種の浜 浜の秋 さびしさやすまにかちたる浜の秋 芭蕉は陰暦八月十六日に敦賀湾の北西部にある色の浜に遊びました。「浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり、ここに茶を飲、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ感に堪たり」でした。この句はそのときの感銘をのちに思い起して詠んだもの。須磨は「源氏物語」に「またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり」とあり、古来さびしい秋の情趣の地として有名でした。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 金沢
奥の細道シリーズ切手 第8集 金沢 あかあかと日は難面も秋の風 「奥の細道」には金沢のあとに「途中唫」と題してこの句が掲げてあります。「長い夏の旅を歩き続けて来て、いま赤々と照りつける残暑の日ざしは、秋などそしらぬ顔だが、さすがに風はもう秋だけに秋風らしい爽やかさが感じられる」という句意で、「古今集」の有名な「秋立つ日よめる/秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行」が芭蕉の頭にあったことは否定できないでしょう。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 金沢 赤映
奥の細道シリーズ切手 第8集 金沢 赤映 あかあかと日は難面も秋の風 「奥の細道」には金沢のあとに「途中唫」と題してこの句が掲げてあります。「長い夏の旅を歩き続けて来て、いま赤々と照りつける残暑の日ざしは、秋などそしらぬ顔だが、さすがに風はもう秋だけに秋風らしい爽やかさが感じられる」という句意で、「古今集」の有名な「秋立つ日よめる/秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行」が芭蕉の頭にあったことは否定できないでしょう。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 倶利伽羅
奥の細道シリーズ切手 第8集 倶利伽羅 わせの香や分入右は有磯海 芭蕉は酒田を立ってから、残暑の酷しい北陸道を西南に歩き、やがて季節は秋に入りました。越中(富山県)の国はもう早稲が実っていました。北陸道は新湊あたりから海岸を離れ、高岡を経て倶利伽羅峠にかかります。越中と加賀(石川県)との国境です。倶利伽羅峠からは右手に越中の歌枕有磯海の海岸がよく見えます。早稲田が実っている間を分け入るように歩みを進め、はるかに有磯海を望み見た時の心の弾みがこの句のどこかにあります。もう一息で加賀百万石の城下町金沢です。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 倶利伽羅 わせの春
奥の細道シリーズ切手 第8集 倶利伽羅 わせの春 わせの香や分入右は有磯海 芭蕉は酒田を立ってから、残暑の酷しい北陸道を西南に歩き、やがて季節は秋に入りました。越中(富山県)の国はもう早稲が実っていました。北陸道は新湊あたりから海岸を離れ、高岡を経て倶利伽羅峠にかかります。越中と加賀(石川県)との国境です。倶利伽羅峠からは右手に越中の歌枕有磯海の海岸がよく見えます。早稲田が実っている間を分け入るように歩みを進め、はるかに有磯海を望み見た時の心の弾みがこの句のどこかにあります。もう一息で加賀百万石の城下町金沢です。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 出雲崎
奥の細道シリーズ切手 第7集 出雲崎 荒海や佐渡によこたふ天河 大意は「出雲崎から眺めやる日本海の荒海のかなたに佐渡が島がある。そこは古来多くの人々が流罪にあって悲運を歎いたり、また黄金が掘られたりして、人間の喜怒哀楽が渦巻いてきた島である。しかし今、夜空を仰ぎ見ると、そんな人間の些事とは無関係に、広々と澄んだ秋の夜空をかぎって、天の川が佐渡が島にかけて大きく横たわっている。地上には激しい波音をたてる荒海、蒼古悠大な、古典的味わいがある」。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 出雲崎 荒海
奥の細道シリーズ切手 第7集 出雲崎 荒海 荒海や佐渡によこたふ天河 大意は「出雲崎から眺めやる日本海の荒海のかなたに佐渡が島がある。そこは古来多くの人々が流罪にあって悲運を歎いたり、また黄金が掘られたりして、人間の喜怒哀楽が渦巻いてきた島である。しかし今、夜空を仰ぎ見ると、そんな人間の些事とは無関係に、広々と澄んだ秋の夜空をかぎって、天の川が佐渡が島にかけて大きく横たわっている。地上には激しい波音をたてる荒海、蒼古悠大な、古典的味わいがある」。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 象潟
奥の細道シリーズ切手 第7集 象潟 象潟や雨に西施がねぶの花 象潟は今の秋田県象潟町にあった潟湖で、小島の点在する景勝の地でしたが、のちに地震で土地が隆起し陸地となりました。芭蕉の当時は「江の縦横一里ばかり(中略)松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」でした。西施は中国の美人。雨の象潟の風光を、雨に濡れるねむの花のような、哀れなやさしさがあり、美人の西施が物思わしげに眼をつぶっている趣があるとしたもの。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 象潟 ねぶの花
奥の細道シリーズ切手 第7集 象潟 ねぶの花 象潟や雨に西施がねぶの花 象潟は今の秋田県象潟町にあった潟湖で、小島の点在する景勝の地でしたが、のちに地震で土地が隆起し陸地となりました。芭蕉の当時は「江の縦横一里ばかり(中略)松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」でした。西施は中国の美人。雨の象潟の風光を、雨に濡れるねむの花のような、哀れなやさしさがあり、美人の西施が物思わしげに眼をつぶっている趣があるとしたもの。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 月山
奥の細道シリーズ切手 第6集 月山 雲の峯幾つ崩て月の山 芭蕉は陰暦六月三日、元合海から船に乗って最上川をくだり、狩川から陸路羽黒山神社 に至って十二日まで滞在しました。滞在中六月六日から一泊で月山・湯殿山の二社の参詣の登山をしました。この句は羽黒山神社に帰った翌日、別当代会覚の求めで短冊に書いた句。大意は「仰ぎ見る月山には弦月が淡い光を投げかけており、高い雲の峰は夕日に映えているが、この雲の峰は夕方までに幾つ崩れては湧き、湧いては崩れたことであろうか」。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 月山
奥の細道シリーズ切手 第6集 月山 雲の峯幾つ崩て月の山 芭蕉は陰暦六月三日、元合海から船に乗って最上川をくだり、狩川から陸路羽黒山神社 に至って十二日まで滞在しました。滞在中六月六日から一泊で月山・湯殿山の二社の参詣の登山をしました。この句は羽黒山神社に帰った翌日、別当代会覚の求めで短冊に書いた句。大意は「仰ぎ見る月山には弦月が淡い光を投げかけており、高い雲の峰は夕日に映えているが、この雲の峰は夕方までに幾つ崩れては湧き、湧いては崩れたことであろうか」。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
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奥の細道シリーズ 大石田
奥の細道シリーズ切手 第6集 大石田 さみだれをあつめて早し最上川 芭蕉は立石寺から最上川上流の船付場である大石田へ出ました。この句の初案「さみだれをあつめてすずしもがみ川」は、この地での作ですが、「奥の細道」では船で最上川くだりをしたあとのところに、「すずし」を「早し」に改作して載せてあります。日本三急流の一つである最上川の川くだりをした体験が預かっているようです。「奥の細道」には「水みなぎって舟あやうし」としてこの句を掲げてあります。
切手 郵政省 1980年代ts-r32
