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1984年 トールマンTG 184 S.ヨハンソン
1984年 イタリアGP 決勝4位 1983年にスピリット.ホンダにてF1デビューするも、1984年は全日本F2に参戦、ランキング2位に。F1には、M.ブランドル負傷のティレルチームから第10戦イギリスGPから参戦、イタリアGPを欠場したA.セナの代役でトールマンから出走した。
1984年 sparkWataru Okabe
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1983年 ブラバムBT52B N.ピケ
1983年 ワールドチャンピオン フラットボトム規定を受けて、ゴードン·マーレイが設計したのがBT52。その改良型でシーズン最終の南アフリカGPで3位に入って、リタイアのプロストを逆転しチャンピオンを獲得した。
1983年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1979年 シャドウDN9 J.ラマース
1979年 モナコGP 予選不通過 ボディに描かれたライオンは、手書きであった。時代を超えて最も美しいマシーンの一つである。
1979年 sparkWataru Okabe
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1975年 フェラーリ312T C.レガッツオーニ
1975年 イタリアGP 優勝 フェラーリにとっては1964年以来のワールドチャンピオンを決定したのがイタリアGP。レガッツオーニにとってはシーズン初優勝となったれーすである。
1975年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1984年 トールマンTG183B J.チェコット
1984年 ドライバーズポイント無し。 元2輪のワールドチャンピオン、ヨーロッパF2で活躍後、セナと共にトールマンに入るも、イギリスGPの非計時セッションで事故により重傷をおい、F1の舞台から去ることに。
1984年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1984年 ウイリアムズFW09 J.ラフィー
1984年 ドライバーズランク14位 ホンダのターボエンジンを搭載してシーズンに挑むも、エンジンの信頼性やアルミハニカム構造のシャーシにも問題があり、ロズベルグの1勝にとどまる。
1984年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1983年 ウイリアムズFW08C J.ラフィー
1983年 ドライバーズランク11位 1975年以来のウイリアムズチームに復帰。最高位は4位と活躍できず。
1983年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1982年 ウイリアムズFW08 K.ロズベルグ
1982年 ワールドチャンピオン 前年は0ポイント。移籍当初はNo.2ドライバーであったが、序盤にC.ロイテマンが引退。フェラーリに起きた悲劇など、チャンスを生かして1勝でチャンピオンを獲得する。
1982年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1980年 ウイリアムズFW07 K.コーガン
1980年 カナダGP 予選落ち セオドール·レーシングから参戦するも、予選を通過できず。
1980年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1979年 アローズA2 R.パトレーゼ
1979年 イタリアGP 13位 弾丸と呼ばれたマシーン。成績は振るわず失敗作に終わる。
1979年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1979年 フェラーリ312T4 G.ヴィルヌーブ
1979年 ドライバーズランク2位 シーズン3勝を挙げる。フランスGPでのR.アルヌーとのバトルはF1史に残る最高クラスに挙げられる。
1979年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1978年 ウルフWR1 K.ロズベルグ
1978年 ドイツGP 10位 セオドール·レーシングからの出走。
1978年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1978年 マクラーレンM26 P.タンベイ
1978年 アメリカGP 6位 マールボロカラーからブルーを基調としたカラーリングになった珍しいバージョン。
1978年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1974年 ティレル007 J.シェクター
1974年 スウェーデンGP 優勝 引退したスチュワート、事故死のセベールに代わりにチームに入ったシェクターが初優勝、2位にデパイユとティレルが1·2フィニッシュした。
1974年 MINICHAMPSWataru Okabe
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1977年 ブラバムBT45B H.J.シュトゥック
1977年 ドライバーズランク 11位 第3戦後、死亡したC.パーチェの代わりに第4戦以降レギュラーとなる。
1977年 MINICHAMPSWataru Okabe