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ウィリアムズ・ルノーFW18 ワールドチャンピオンコレクション
FW18はエイドリアン・ニューウェイとパトリック・ヘッドの設計。基本的はFW17の進化型だが、新しい車両規定を巧みに利用して欠点を解消した文句なしのチャンピオンマシンだ。16戦で12勝、P•P12回、1•2フィニッシュも6回とシーズンを席巻してヒルがチャンピオンに輝いた。そしてこのモデルカーはこの当時珍しく純正タバコデカールになっていた。
D・ヒル ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.2.16ゆーじ
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BAR・ホンダ 005
モデルカーにはテストドライバーということでカーナンバーは入っていない。琢磨は全戦帯同で膨大なデータをチームに与えた。そして日本GP直前にジャックの欠場で6位入賞を手に入れた。2年連続で鈴鹿を盛り上げた記憶は忘れられない。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.2.16ゆーじ
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マクラーレン・メルセデスMP4-17D 初優勝 マレーシアGP
MP4-17Dはエイドリアン・ニューウェイとマイク・コフランの設計。02年の17のDスペックではなく、デベロッパーのDである。とは言うものの17と形はあまり変わらない。だが中身はほぼ新型で、モンツァ以後にリアエンドを大きく改良したことでエアロダイナミクスが大幅に向上している。計画では18をシーズン中盤に投入予定だったが幻のマシンになり、17Dの実力は十分だったがメルセデスエンジンに足を引っ張られた。このマレーシアGPでライコネンは史上4番目の若さ、36レース目での初優勝だった。モデルカーはトールボックスで、立ち上がりガッツポーズの姿に外したステアリングとHANSまで再現されている。
K•ライコネン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.2.16ゆーじ
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ミナルディ・コスワース PS03
01年はアロウズをドライブし、02年の残留も決まっていたが開幕前にフレンツェンにシートを奪われた。これで引退と思われたがミナルディで帰ってきた。目立った成績はなかったが、フランスGPの金曜日の予選では天気を味方につけてトップタイムを叩き出した。PS03はガブリエル・トレドッツィの設計で、基本的には2年前のPS01を踏襲している。だが鋭角なフロントウィングや、バージボードやディフューザーの開発は予算なりの努力だったのだろう。
J・フェルスタッペン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.1.31ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノー FW18 ヨーロッパGP
95年インディカーチャンプがF1デビュー。まさかの開幕戦でのP•P獲得。決勝後半でオイル漏れがあったが、初レースで2位フィニッシュは立派だった。そして第4戦ヨーロッパGPではミハエルの攻めを終始抑えてF1初優勝を飾った。そしてルーキーながら4勝で11回ポディウムに登った。結果、最終戦日本GPで右後輪が外れてリタイアし、ヒルのチャンピオンが決定したもののシーズンを盛り上げた。まだレース中のミスが多く、予選ではヒルに対して3勝13敗とリードされたのもちょっと残念だった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.1.31ゆーじ
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ウィリアムズ・BMW FW25 BMW別注
03年もチームメイトはモントーヤ。ポイントでは58対82だったが、予選ではなぜか9勝6敗でP•Pは3対1とリードしていた。それで完走率も86.7%と高く、ヨーロッパとフランスGPで連勝したが表彰台には3回しか上がれていない。開幕から10戦連続ポイントを獲得するものの、地味な走りがイメージだった。イタリアGPでは前週のモンツァテストのクラッシュの影響で、金曜日だけ走って急遽参戦を取りやめた。FW25はパトリック・ヘッド、ギャビン・フィッシャー、アントニオ・テルッツィらの設計で、序盤2戦はFW24の後部とギアボックスを使ったハイブリッド仕様。これが不調でブラジルGPから新型ギアボックスを投入し、復帰したフランク・ダーニーの力でエアロダイナミクスとメカニカルグリップは向上したが、苦しみはシーズンを通して続いた。
R・シューマッハー ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2004.1.11ゆーじ
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ジャガー・コスワース R4 ミシュラン別注
2000年誕生のジャガーがやっと存在を示せたのがこの2003年。ウェバーは17ポイントでランキング9位。予選でもチームメイトたちに対して13勝3敗と見せつけた。予選で浮き沈みはあったが、2度の3番手タイムに期待が膨らんだ。目立ったレースはなかったが、ウェバーがいたからこの成績だと言えた。R4はロブ・タイラーの設計。剛性不足の解消とエアロダイナミクスが良くなった。だがコスワースエンジンは72度から90度に変更して低重心化されたが、燃費の悪さが響いた。
M•ウェバー ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.12.25ゆーじ
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ブラバム・ジャッド BT60B
グラハム・ヒルの息子、デーモン。エリートに見えるが31歳の遅咲きでデビューした。成績は8戦で2度の予選通過。結局、ベストはハンガリーGPの11位完走だった。BT60Bは当時のマシンと比較しても古臭さを感じます。ブラバムの歴史も92年で途切れた。
D・ヒル ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.12.25ゆーじ
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BAR・ホンダ 005 鈴鹿サーキット限定ブリヂストン別注
ジャックは前年からデビッド•リチャーズとの不仲が表沙汰になっていた。そして03年の最終戦日本GPを前に来シーズン佐藤琢磨の起用が発表されて、自らこのレースの欠場を決めてチームを去った。全戦出場ではないがバトンに対しての6対17とポイントも離され、予選でも7勝8敗だった。たしかに不運がつきまとい、15戦中8戦でマシン側のトラブルでリタイアしていた。モデルカーはフランスGP仕様に変えている。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.12.4ゆーじ
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ウィリアムズ•BMW FW25 ミシュラン別注
ウィリアムズは序盤戦はFW25の不調やラルフが新たに導入された一発予選に馴染めず調子が上がらなかった。モントーヤも低迷するがモナコで26戦ぶりの優勝を飾ると、イタリアGPまで8レース連続で表彰台に上がった。それによりコンストラクターズ2位に大きく貢献。2勝で82ポイントでランキングは3位だった。だからこそ序盤の不調がどうしても悔やまれる。
J•Pモントーヤ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.12.4ゆーじ
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ジョーダン•無限ホンダ EJ10 F1初テストヘレス 2000.12.7
琢磨のF1初ドライブは2000.12.7のヘレスだった。トップ3のフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズも参加したこのテスト。琢磨は44周してトゥルーリの約2秒遅れで走りきった。この年の琢磨はイギリスF3でランキング3位。そして01年チャンピオンを獲得して02年にジョーダンからF1デビューした。このミニチャンプスのEJ10はドライバー付きだとレギュラードライバーたちではなく琢磨のみ発売された。理由はわからないが。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2003.11.27ゆーじ
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トヨタTF103 ミシュランボックス
CARTチャンピオンになったが29歳と今時にしては遅いF1デビューだったダ•マッタ。16戦で13回の完走で消化ラップ数は全ドライバー中4位と安定感があった。だが予選ではパニスに対して3勝13敗だったが、ポイントは10対6とリードした。そしてルーキーオブザイヤーを獲得した。
C•ダ•マッタ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.11.7ゆーじ
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ジョーダン・ハート 193 1993年日本GP
93年は全日本F3000で活躍していたアーバインが走り慣れた鈴鹿でスポット参戦した。予選ではチームメイトのバリチェロより上の8番手タイム。そして力を存分に発揮して6位入賞を果たす。だが驚いたのはそれだけではなくヒルとの6位争いのバトル中にトップのセナに道を譲らなかった。そしていったん先行したセナを再び抜き返してレース後にパンチをいただいた。だがこの活躍もあり94年のシートを手に入れた。193はゲイリー•アンダーソンの設計だ。サスペンションはフロントのみアクティブサスでリアはパッシブのままだった。エンジンはハートV10にスイッチしたが、プライベーターなのにシンプルさが耐久性を生んで好走してくれた。
E•アーバイン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.11.7ゆーじ
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津田恒美記念館
こういうチケットを保存するのも立派な趣味。まあ捨てられないっちゅうことなんですが。これは2年前に津田恒美記念館が臨時で広島市内で出していた時のチケットです。
ゆーじ
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BAR・ホンダ SHOWCAR2003
03年のショーカーは02年に004がなぜか発売されなかったので、01年の03からバージボードとフィンを外して04年のカラーリングにしたもの。それにしても03はやっぱりかっこ悪く古くさい。一応、サイドポンツーンはラッキーストライクに変更したが、愛着もなくそれ以外は手を付けなかった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.10.11ゆーじ
