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ウィリアムズ・BMW FW26 BMW別注
04年のモントーヤは58ポイントでランキングは5位だったが、ミハエルに遥か90ポイントも離されてしまった。不運はカナダGPの5位入賞からブレーキダクトの寸法違反の失格と、アメリカGPでスタート15秒前のシグナル掲示後のTカーの乗り換えで2連続失格を味わった。結果、優勝は最終戦ブラジルGPのみで、見せ場も少なく暴れん坊らしくなく影を潜めてしまった。
J・Pモントーヤ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.31ゆーじ
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アロウズ・BMW A8
F1では2年目でアロウズから参戦したベルガー。チームメイトはブーツェンだった。序盤から中盤はリタイアが多く、ラスト2戦で5位と6位で連続入賞を記録し、評価が上がってベネトンに移籍したことでその後の活躍に繋がっていく。A8はデイブ・ワスの設計で、アロウズ初のカーボンコンポジットモノコックのマシンだった。エンジンはBMW4気筒ターボだが、ハイミマーダーチューンのカスタマーだった。
G・ベルガー ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.31ゆーじ
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ティレル・ヤマハ 024
ティレルでの最終年。開幕前になかなか契約が決まらずやきもきさせられた。おまけに024の開発は進んでしまい、サロに合わせたコックピットデザイン形状になってしまった。それにより右京用としてのシャシーはシーズン中盤に完成した。予選ではサロに5勝11敗。7戦連続のリタイアもあり、完全に存在感を失ってしまった。
片山右京 ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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ザウバー・メルセデス C13 200戦参戦 カナダGP
通算208戦のチェザリス。アルファロメオでデビューしたのは21歳。マクラーレン、そしてアルファロメオに戻り、リジェ、ミナルディ、ブラバム、リアル、スクーデリアイタリア、ジョーダン、ティレル、ザウバーで200戦を達成している。壊し屋と言われていたが、デビュー当時は上位のチームにも在籍し、時にはポールポジション獲得や優勝目前の走りもしていた。結果生き残ってきたのも光る走りがあったからだ。
A•Dチェザリス ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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ザウバー・ペトロナスC20 ファーストポディウム
01年はキミと予選では10勝7敗でポイントでは12対9で共に勝っていたが、キミはマクラーレンに引き抜かれたが、ニックは1勝もすることはなかった。この第3戦ブラジルGPでは予選9番手からスタート。途中から雨が降り出し、インターミディで我慢し乾き始めるとレイン勢を攻略し、99年スパのアレジ以来の表彰台3位をチームにもたらした。エメラルドグリーンの台紙はキミのファーストポイントと同じく目立つ一台だった。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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BAR・ホンダ006 鈴鹿限定 頑張れ日本魂
04年の日本GPは週末に台風22号の影響で土曜日のセッションがすべて中止。日曜日にF1史上初めて予選と決勝が同日開催という忘れられないグランプリになった。その後欲しくなって買ったが13500円と当時は高額だった。台紙に漢字が入っているのは非常に珍しく、白い台紙は存在感を感じる。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2005.1.26ゆーじ
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アロウズ・フォード A2
F1で3年目のパトレーゼ。チームは前年型のA2Bで開幕したが、フランスGPからトニー・サウスゲート設計のA2を投入した。車体全体がまるで一枚の翼のような形状で、弾丸ノーズとフロントサスからカウリングされ、サイドパネルまで繋いで一枚になっていた。一応ダウンフォースを意識した意欲作だったようだ。スポンサーがヴェルシュタイナーの金色の車体で、黄金の弾丸と呼ばれていた。しかし車体の剛性が低く、車重を増加させることになった。そして翌年のA3はオーソドックスなマシンに戻された。
R・パトレーゼ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.1.13ゆーじ
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ルノーF1チーム R24 ルノー別注
04年のアロンソは1勝もできず59ポイントでランキング4位。03年は1勝しているだけに停滞の1年だったと感じた。惜しいレースは唯一のP•Pを獲得したフランスGP。ミハエルの奇策、4回ストップ作戦の速さについていけず2位に甘んじた。おまけにリタイアでもドライビングミスが目立った。コンストラクターズランキングも残り3戦にジャックが乗ったが役に立たず、BARに逆転されて3位に後退した。
F•アロンソ ミニチャンプス Mr.クラフト通販 2004.12.28ゆーじ
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ジャガーレーシングR5 ミシュラン別注
04年のウェバーは目立った活躍はなく、7ポイントでランキング13位。予選ではクリエンに15勝3敗と圧倒はした。マレーシアGPでは予選2位。しかしスタートに失敗して後にコースオフでしたリタイア。日本GPでも予選3位。しかしコックピット内が異常に暑くなるトラブルでリタイアした。最終戦ブラジルGPではクリエンと同士討ちでシーズンを終えた。05年はウィリアムズに移籍した。
M•ウェバー ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.12.28ゆーじ
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BAR・ホンダ006 ミシュラン別注
琢磨が飛躍した04年。しかし予選や決勝で多くのエンジンブローを経験し我慢のシーズンでもあったが、予選では3位を3回記録した。第7戦ヨーロッパGPでは結果リタイアだったが、日本人初の予選のセッションリーダーと決勝でラップリーダーを記録している。そしてアメリカGPではピット作業で足を引っ張られたが、終盤の61周目に第1コーナーでオイルに乗りながらグリーンゾーンを走行しながらトゥルーリを抜き去り、念願の3位での初表彰台を獲得した。しかしドライバーランキング8位で34ポイントは運とチャンスに恵まれなかった結果だったと言えた。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.12.28ゆーじ
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ウルフ・フォード WR1 1977 アルゼンチンGP
ウルフはカナダの石油王のウォルター・ウルフが76年にフランク・ウィリアムズに資金をサポートし、そのまま買収して77年にF1参戦した。ドライバーは実績のあるシェクター。マシンの設計はハーベイ・ポストレスウェイトが務めた。WR1はコンパクトなデザインで、リアウィングはボディからステイを伸ばす工夫が見られた。デビュー戦のアルゼンチンGPで初レース初優勝の快挙を飾る。そしてこの年トータル3勝で1P•P、ドライバーランキング2位を獲得し、コンストラクターズランキングでも4位の活躍ぶりだった。
J・シェクター ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.12.23ゆーじ
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マクラーレン・ホンダMP4/6 ブラジルGP初優勝 セナ展別注
母国ブラジルで勝てないセナの91年のレースも楽なものではなかった。予選ではウィリアムズ2台を相手に終了間際のアタックで逆転P•Pを獲得。決勝でもホールショットを決めてリードをキープする。しかしマンセルが徐々に間隔を縮める勢いを見せるが、25周目のピットインで1速に入らず大きくタイムロスした。その後マンセルが迫ってくるがパンクでピットインした頃、セナはトランスミッションの不調が発生する。追うマンセルは結局残り10周でセミオートマのトラブルでリタイア。セナが楽になるはずが6速にスタックし、雨も降り出した。だが追うパトレーゼもセミオートマの不調でジエンド。セナがなんとか逃げ切り、悲願の母国初優勝を手にした。泣きながらのウィニングランとポディウムでトロフィーを突き上げた姿が印象的だった。
A•セナ ミニチャンプス Mr.クラフト通販 2004.12.18ゆーじ
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ブラバム・BMW BT52B ポールリカールテスト 1983.11.14 セナコレクション
83年のセナはイギリスF3で年間11勝でチャンピオンに輝いた。そしてオフにはいくつかのF1マシンでテストをした。その時に乗ったのがブラバムBT52Bで、この後もブラバムのマシンに乗ったのはこの時だけである。当初はセナのF1デビューはブラバムという流れのようだったが、ピケの反対もあってトールマンからデビューしている。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.12.18ゆーじ
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マクラーレン・ホンダMP4/4 ファーストワールドチャンピオン1988鈴鹿レジェンド
セナが亡くなって10年。その日本GPで発売された鈴鹿レジェンドがこれ。セナとプロストの関係は良好に見えたが、亀裂がハッキリ見えたのが第13戦ポルトガルGPでのセナの幅寄せだと記憶している。そしてプライドが激突したのが日本GPだった。スタートでセナがエンジンストールし、下り坂で生き返って後の追い上げも手に汗握りました。鈴鹿のポディウムで二人は握手をしたが、真の和解だと感じるのは93年最終戦オーストラリアGPのあの握手まで争いは続いていった。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.11.26ゆーじ
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781系900番台
暇な時間があったので動かないモーター車の調整をする。グリスが固まっていたので取り除いて走行可能になりました。
マイクロエースゆーじ
