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ザウバーペトロナス C21 GP USA
目立つバージボードのSTOP AIDSだが、イタリア、アメリカ、日本GPで使われたのだが、なんとこのロゴは無料で貸し出されていたというのだから驚きだ。お金お金と売ることばかりだが、ペーター•ザウバーのこの気持ちがうれしい。そしてこのバージボードに他チームのドライバーがサインをしてオークションをし、その額をすべて寄付したのだからまた凄い。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.5.3ゆーじ
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ザウバー・ペトロナス C21
ライコネンがマクラーレンに抜擢されたがくすぶり続けるニック。02年も飛躍のシーズンにはならなかった。予選ではチームメイトたちを13勝4敗と圧倒したが、ポイントは7で入賞は4回だったが相変わらず完走率は高かった。記憶に強く残るのはA1リンクでコントロールを失って琢磨に突っ込んだことぐらいだった。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.12.5ゆーじ
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ザウバー•ペトロナス C20 マレーシアGP
コンストラクターズランキングに押し上げた原動力は若手二人の活躍もだが、やはり乗りやすかったC20の走りにある。モノコックの左右に張り出したアームを支持するツインキールはC19から導入され、ノーズ下のエアロダイナミクスを安定させた。またC19から35キロも軽量化され、昨年のチャンピオンエンジンのペトロナス01Aは完成の域に達し、例年になくマシンの開発が進んだ一年だった。設計はセルジオ・リンランドとウィリー・ランプだった。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2002.8.11ゆーじ
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ザウバー・ペトロナス C20
ドイツF3と国際F3000でチャンピオンになってF1デビューしたニックだが、プロストでの1年はまったく目立つシーンがなかった。そして2年目はザウバーに移籍してきてライコネンがチームメイトになる。開幕戦のオーストラリアでは5位でフィニッシュしたが、パニスのペナルティで4位に繰り上がっての初入賞だった。ブラジルではインターミディの選択が当たり、3位で初ポディウムを得る。予選ではライコネンに10勝7敗、ポイント数は12対9で共にリードしたが、評価はライコネンが上でマクラーレンに引っ張られた。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.11.28ゆーじ
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プロスト•プジョーAP02 テストカー1999
AP02はレギュラードライバーを買わなかったのでハイドフェルドのテストカーを買った。99年のニックはマクラーレンのテストドライバーの傍ら、国際F3000のチャンピオンにも輝いている。AP02はAP01のショートから一気にロングホイールベースになる。設計はロイク•ビゴワとアラン•ジェンキンスだが、ジョン•バーナードも関わったようだ。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2001.6.8ゆーじ
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プロスト•プジョーAP03
なんでまたニックのAP03? 実は通販で安かったのでアレジのAP03を買ったらこれが届きました。頭に来て電話したら繫がらない。ホームページは閉鎖。連絡ができず終了。後で知ったんですが、お店は潰れる寸前でまだニックでも届いただけマシだったようです。こんなことは後にも先にもありません。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 東京都の某お店。 2001.4.1ゆーじ
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プロスト•プジョー AP03
2000年のプロストグランプリは最悪なシーズンだった。入賞なし、プジョーエンジンはトラブル続き、チームメイトが同士討ち、リタイアはなんと22回だった。メルセデスの秘蔵っ子ハイドフェルドは見せ場がなく、ザウバーに移籍して2001年に輝きを放った。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.3.1ゆーじ
