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パナソニックトヨタレーシング TF104
シーズン途中でルノーから放出されたトゥルーリはラスト2戦をトヨタで参戦した。日本GPでは幸先良く予選一回目ではトップタイムをマークし、04年最高グリッド6番手を獲得したが、いずれのレースでもノーポイントだった。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.8.1ゆーじ
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ジャガー・レーシングR5 モナコGP仕様
04年のモナコGPではジャガーがチームあげてハリウッドの映画「オーシャンズ12」の宣伝をした。R5にはタイトルロゴが描かれていて、専用のカラーリングで走った。そしてスポンサーのシュタインメッツが提供した280万円の本物のダイヤモンドをノーズに付けたのだが、決勝でクリエンがクラッシュしてリタイア。その時にダイヤモンドを紛失するトラブルが発生してしまった。
M•ウェバー ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.7.21ゆーじ
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ミナルディ・コスワース PS04B
2000~01年はチームは違うが琢磨とイギリスF3をたたかったブルーニ。03年はミナルディのテストドライバーを経験して04年にレギュラーシートを手に入れた。しかしチームメイトのバウムガートナーに予選で10勝8敗とリードしたが、入賞までは届かなかった。PS04BはPS02の改良型で3年落ちのエンジンだった。トップチームのエンジンから見ると200馬力ほど低いと言われ、さすがに勝負にはならなかった。
G・ブルーニ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.6.21ゆーじ
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BAR・ホンダ2004コンセプトカー TSコレクションNO2
005から006への過渡的マシン。バトンだけではなく琢磨もコースレコードを出すなどのパフォーマンスを見せた。ラッキーストライクロゴに変えたことでまたかっこよく見える。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.6.3ゆーじ
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マクラーレン・TAG MP4/2 ワールドチャンピオンコレクション
マクラーレンが16戦12勝と圧倒した84年。チャンピオン争いはラウダとプロストが争った。ラウダは計算高くプロストが7勝に対して5勝だったが、結果0.5ポイント差で3度目のチャンピオンに輝いた。またP•Pを獲得せずにチャンピオンになるという珍しい記録だった。モナコの雨のハーフポイントがなければチャンピオンが入れ替わるわけだが、あのセナやベロフの猛追がありながら赤旗終了というのもまたドラマだった。
N・ラウダ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.21ゆーじ
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マクラーレン・ランボルギーニMP4/8B 1993.9.28エストリルテスト セナコレNo.23
ホンダが92年限りで撤退したため、93年はフォードのカスタマーを使うしかなかったマクラーレン。シーズン途中でベネトンと同じワークス仕様を積んだが来シーズンに向けてエンジン探しが始まった。その時にエストリルテストで搭載したのがランボルギーニで、セナもハッキネンもパワフルで素晴らしいことを語っていた。だが実際は強力な冷却が必要など問題も多く、長いエンジンと燃費の悪さは拭えなかった。だがMP4/8Bは真っ白な車体でリア部分がV12エンジンの搭載で太くなっているなど、本選仕様と違っていた。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.21ゆーじ
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ジョーダン・フォード EJ14
ロン・デニスの秘蔵っ子もF1で5年目。ザウバーから流れ着いてジョーダンへ。EJ14はジョン・マクイラムの設計で、フロントサスはシングルキールでフロントウィングはハの字。エンジンはフォードのバッジを付けたコスワース製で、おまけに一年落ちでトップチームから100馬力以上低いと言われた。だが非力ながらニックはモナコ7位、カナダ8位と3ポイントを獲得。予選ではパンターノとグロックに対して15勝3敗と力を見せつけた。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.29ゆーじ
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BAR・ホンダ2004コンセプトカー
03年11月25~27日に行われたバルセロナテストにBARチームは005から006への過度マシンとして、04年のレギュレーションに合わせたコンセプトカーを持ち込んできた。モデルカーは005に見えるが、実物リア回りを006仕様になっていたようだ。このマシンは真っ黒なカラーリングから通称「カラス」と呼ばれた。エンジンも来季用を積み、トランスミッションもホンダ製の新型が積まれた。おまけにカラスは005では考えられない速さでコースレコードの更新をしていった。
J・バトン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.29ゆーじ
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ジョーダン・ホンダEJ12 日本GP TSコレクション
琢磨のF1デビューイヤーの02年は決して明るいシーズンではなかった。開幕戦のオーストラリアGPでは予選前のマシントラブルでフィジコのマシンで予選を走り、107%ルールをクリアできなかったが最後尾からスタート。一時は6位を走ったが、マシントラブルでリタイア。第2戦マレーシアGPではスタート直後になんとフィジコに追突。オーストリアGPでは母親が観戦している前でコントロールを失ったハイドフェルドに側面から激突されてヘリで運ばれた。モナコGPではフィジコを抜かせようとラインを変えて滑り、タイヤバリアに激突。後半戦に入り調子が上がり、6連続で完走して見せた。そして母国日本GPでは予選でトップ3の下の7番手からスタートして5位入賞で鈴鹿を盛り上げた。しかしジョーダンを解雇される苦い経験をして02年を終えた。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.1ゆーじ
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ザウバー・ペトロナス C23
ウィリー・ランプ設計のC23は明らかに前年のフェラーリ、F2003-GAに酷似していたことで周囲からは青いフェラーリと呼ばれた。バッシングを受けたが、実際にエンジンだけでなくギアボックスも借り受けていた。だがザウバーとしても独自にウィンドトンネルを稼働し、エアロダイナミクスの開発も行うことで成績も安定した。フィジコは22ポイントでランキング11 位。チームメイトのマッサとは予選で11勝7敗、ポイントも22対12としっかり実力を示すことができた。またシーズンのリタイアも1回と安定していて、05年のルノー加入を手に入れた。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.1ゆーじ
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BAR・ホンダ 006
04年の006はすばらしい活躍をしたが05年の007は2レース1エンジンの新レギュレーションでホンダエンジンと共に沈んでいくことになる。その話しはまた次の機会に。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.3.18ゆーじ
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ロータス・ルノー97T 初優勝 ポルトガルGP
F1で2年目のセナ。トールマンからロータスに移籍してきた。この年P•P7回で、ポルトガルGPでは16戦目での初P•Pを獲得した。雨の中のレースでは際だった走りで、2位のアルボレートには1分以上の差をつけてのポールトゥウィンで初優勝だった。さらに雨のスパでも勝利し38ポイントでチームメイトのアンジェリスより一つ上のランキング4位だった。予選でもアンジェリスを13勝3敗と圧倒した。圧巻は第10戦から5連続ポディウム。しかし運もなくイモラとシルバーストーンではトップ走行中にガス欠。その他のレースでもマシントラブルで多くを失った。この年のチャンピオン、プロストのリードラップが841キロに対してセナは1325キロといかに失ったものが多かったかはこの数字でうかがえる。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.2.21ゆーじ
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BAR・ホンダ006
04年開幕前のBARの評価はシーズン前のテストではコースレコードの樹立やトップタイムを連発したが、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ルノーから見るとやはり低かった。だが設計のジェフ・ウィリスは大きな冒険を避けたことが功を奏し、タイヤがミシュランにスイッチした不安を打ち消した。新型エンジンRE004Eは軽量化されて重心を前方に置いてバランスも向上した。
J・バトン ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.2.21ゆーじ
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ルノーF1 R24
04年のモナコGPで119戦目にして初優勝を手にしたヤルノ。結果は46ポイントでランキングは6位。予選ではアロンソの8勝7敗、トヨタではパニスとゾンタに2勝だった。P•Pは難コースのモナコとベルギーで獲得した。しかし第15戦イタリアGP後に突然の解雇。理由は第10戦フランスGPのファイナルラップの最終シケインでバリチェロに抜かされて表彰台を失い、そこからチームとの確執が深まったと言われている。たしか前半8戦は7戦で入賞したが、後半は2戦だけと成績がガタ落ちした。逆にトヨタのシートを確保して2戦だけでもドライブできたのはラッキーだったのかもしれない。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.11ゆーじ
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ルノーF1チーム R24
04年はアロンソがフル参戦したがトゥルーリが離脱して残り3戦はジャックがF1に戻ってきた。BARとのコンストラクターズ2位確保の助っ人として期待されたが、1年のブランクは大きかった。R24はマーク•スミスとボブ・ベル、ディノ•トソ、そして前年シーズンに離脱したマイク•ガスコインが設計した。エンジンのRS24は広角バンクを捨て、72度の狭角になりコンパクトな仕上がり。信頼性も上がり、出力面でも改善された。
F•アロンソ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.2.11ゆーじ
